【長編版】舐めて齧って残さず食べて

「僕はね……そろそろ限界なんだ……」

 立てた片膝にあごを乗せて、そう呟く冴吹は俺を見ているようで見ていなかった。
 遠い、遠いどこかを、いや誰かを見ているようで……胸が苦しい。

「……限界って……なんだよ」

 俺の問いに小さな笑みを浮かべる。
 その姿はどこか儚い。
 不安になって、ソファにだらりと置かれていた冴吹の手を握り締める。

「まぁ、そもそもね。阿女に会わなければその時消えていた存在なんだけどね。なんの気まぐれか阿女がやってきた。
 そして……僕を()らせた。阿女とその血脈に続く契約を結んで、力を分けてもらうことで存在を許されてきたんだけど……。
 もう……どれくらい前かな? 確か……富士におわすモノがわけのわからない理由でキレた時だったかなぁ?」

「……なんて?」

 富士におわすモノがキレた時……?
 
「えっと、人から見れば富士山が噴火した時って言えばいいのかな? あの頃は大変だったなぁ。僕の棲む山の近くまで灰が……」

 何やらしみじみと語り始めた冴吹を後目に、ヤツと繋がっているのとは反対の手でスマホを操作する。

「……『富士山 噴火 いつ』 ……1707年?! 江戸時代じゃねぇかっ!? つか300年以上前?!」

「あ、まだそんなもんだっけ?」

「いや、十分昔だわっ!? って、そうじゃなくて、その頃に何があったんだよ」

 コントになりそうな空気を払拭して、話の続きを促す。
 前回もこんな感じでけむに巻かれて、最終的にキスされたんだった。
 今日こそすべて聞き出す!

「えっとね、その頃から……僕に力を分けてくれるはずの子たちが……来なくなったんだ」

「……来なくなった?」

「そう。元々ね。あまり小さいうちから力を分けてもらうのも大変だしって、だいたい十を数えた辺りから来てもらってたんだけど……」

 ふんふんと納得しそうになって、コイツへ力を渡す方法を思い出す。

「……お前……十歳の女の子に触ったりキスしたりしてたのかよ……」

 実年齢はともかく、見た目も夢で見たのと同じなら、いい年した男が少女の手を握り締めたり、挙句の果てにあんな……あんな……っ!
 どうイケメン補正がかかっても、犯罪臭しかしねぇ。

「ちょっと……。人聞きの悪いこと言わないでよ。力を分けてもらうなら、僕の側にいて存在を認めてくれるだけでいいんだから」

 ……じゃあなんで俺相手だとソレが出来ないんだよ。
 なんて強い言葉がでそうになって、慌てて飲みこんだ。
 それはきっと、俺が女じゃないからなんだろう。
 どうしようもないことを聞いても、コイツが困るだけだ。

「で、まぁ。その頃からね、来なくなって……。それどころか……彼女たちが年頃になると、僕の棲み処である湖に投げ込まれ始めたんだ。ご丁寧に手足を縛って、僕が触れないように呪いのかかった札まで持たせてね。彼女たちが死んでしまったら力をわけてもらえないのに……。どうしてそんなことをするのかわからないまま、湖でおぼれ死ぬ彼女たちを見ていることしかできなかった……」

 陰鬱な表情になった冴吹にかける言葉が見つからない。
 それに……冴吹の話は俺が見た夢そのものだった。
 何度も何度も湖に放り込まれる夢。
 手足を縛られ、龍神のためにと捧げられる。

 だが実際は……龍神本人、いや本神ですら理解できない、無駄でしかないことをしていたわけだ。
 無駄死にさせられた彼女たちになんの非があったっていうんだ……。

「どうして……そんなことに……」

「……さぁ? 本当にわからなくて……。少なくとも阿女の血族にはちゃんと僕との契約がどういう内容だったか伝わっていたはずなんだ。それが突然……様変わりして……。しばらくしてから……阿女の血族はとうとう誰も来なくなった」

 哀し気に眉を顰める冴吹。
 その表情は、確かに生贄となった彼女たちを悼んでいた。
 どうして……どこでコイツとの契約がおかしくなったんだ?
 その疑問に答えてくれる人間はすでにない。
 曾祖母でさえ、コイツの生贄にされると信じてたから村を逃げ出したのだ。
 どこで契約が歪んだかなんて、調べる術もない。
 僅かな沈黙が落ちる。
 気が付けば、俺が握っていたはずの冴吹の手に、今度は俺の手が握り込まれていた。

「でね。まぁ、そんな状況が続くと僕も()ることができなくなってね。あとなんだっけ? だむ? の工事が始まってね。僕の棲み処もずいぶんと姿が変わってしまったよ。
 だから……もういいかなって思ってたんだ……。もともと阿女が来なければとっくに消えていた存在だ。それがずいぶんと伸びてしまったけど……。もう……いいかなって」

 俺の手が痛いほどに掴まれる。
 それは俺に苦痛を与えたいわけではない。縋るようなそれに俺はもう一つの手を重ねた。
 おのずと向かい合う形になった冴吹の顔には、様々な表情が浮かんでいた。

「お前は……まだここにいるだろう?」

 そんなことしか言えない自分が歯痒い。
 だけど俺の手の中には確かにぬくもりがある。存在がある。

「……そうだね。だから僕は……君に逢いにきたんだ」

「……俺?」

「そう。僕と阿女の契約が切れた証。僕をあの湖に縛り付けていた契約がなくなった証。阿女の血族ではありえないはずの、男子の長子で生まれた君に……逢ってみたかった」

 消えゆく前に……。
 冴吹の小さな呟きが、俺たちの間で蟠る。
 なんと声をかけていいかわからないまま、しばしの時が過ぎた。
 俯いていた冴吹が、パッと顔をあげた。
 その表情はさっきまでと打って変わって、どこか楽しそうだった。
 
「そしたらね? 湖に落とされた彼女たちが手を貸してくれたんだ!」

「……なんて?」

「なんか長い間、僕のいる湖に沈んでいたことで、札の効果が切れたらしくてね。最初は僕のことを物凄く恨んで……色々大変だったんだけど……。でもそのうちそんなことも無くなって……。阿女との契約が切れた今、僕も彼女たちも消え去る運命(さだめ)だった。
 そしたらね……彼女たちが、せっかくだから会いにいけって。さすが阿女の血族だよね。僕を実体化させて、棲み処である湖から遠いこの場所で、人に紛れて……君に逢いにくることができた」

 本当にすごいよ……。
 そう呟いて真っ白いクロスに覆われた壁を見つめる冴吹の目には、いったい誰が映ってるんだろう。
 ……そんなの決まってる。阿女だ。
 きっと冴吹は……。

 じくじくと胸を刺すこの醜い気持ちを悟られないよう視線を逸らす。

「やっと逢えた君は……(おのこ)だし、契約も切れてるから……何も感じないと思ったんだ。ただ一目見て、それだけで良かったんだ。
 なのにさぁ……。慈雨くん、美味しすぎなんだけど」

「……いや嬉しくねぇわ」

 それは嘘だ。実は嬉しい。なんだこれ……。なんで俺……。

「ホントにね、美味しくて……。しかも久しぶりだったから加減が効かなくて……。あの時はごめんね?」

「……もういいよ。つか、そんなにうまいのに……俺じゃ足りねぇのかよ……」

 語尾が震えてしまう。
 さっきまでの喜びはあっという間にどこかへと消えてしまう。
 俺じゃ、コイツを満たしてやれない。
 その事実が俺を苛む。

「ち、違うよ! 慈雨くんのせいじゃなくて……! さっきも言ったけど、今の僕は消えかかってる存在なんだ。それを無理して動かしてるようなものだから……仕方ないんだよ。今の状況だってあとどれくらい維持できるかわかんないし」

 眉尻を下げて微笑む冴吹の顔には、ありありと諦念が浮かんでいた。
 夢で見た龍の姿のコイツもこんな表情(かお)をしていたことを不意に思い出す。

「なん……か……方法はねぇのかよ……」

 悔しくて口惜しくて堪らない。
 この美しい存在が、生を諦めてしまっていることが。
 今になって阿女の気持ちがよくわかる。
 まぁ、あっちは惚れた男にイイトコ見せたいってヨコシマな気持ちもあったみてぇだが……。
 だけど純粋に、この美しい存在が消えてしまうことを惜しんでもいたのだろう。

「なんかさぁ! なんかないのかよっ!? なんならもう一回俺と契約するとかさぁ!」

 ぐっと冴吹の肩を掴む。
 勢い余ってソファに押し倒してしまった。
 だけどそんなの気にしてる場合じゃない。

「なぁ! なんかないのかよっ!」

 襟元を握り締め、軽く揺さぶってしまう。
 諦めたように笑うコイツのこんな表情を見ていたくないから。

「なんかさぁ! 阿女の血族っていうなら、俺とだって契約できるだろう?!」

「……それは……嫌だなぁ」

「っ! なんでだよっ!?」

 あっさりと提案を拒否され、カッと頭に血が上る。
 冴吹の襟元を掴んでいる手にも力が入ってしまう。

「なん……で……! お前と一緒にいたいって……思っちゃダメなのかよ……」

 ぽろりと涙が一粒落ちる。
 その一粒がまるで堰だったように、一粒転がり落ちてからはあとからあとから涙が流れ、冴吹の顔に降り注いでいった。雨のように……。

 だけど……。コイツが消えてしまうのは嫌だ。
 最初は胡散臭いだけだったコイツを……好きになってしまったから。
 キスなんて親密な行為を重ねてきた結果、絆されてるだけだと、錯覚だと言われても言い訳出来ないけど……。
 だけど阿女のことを懐かしそうに、愛おし気に語るコイツを見て、阿女に嫉妬してしまうくらいには好きなんだからどうしようもない。
 俺の我儘だってわかってる。コイツはきっと途方もない時間を生きてきたんだから。
 すでに受け入れてるコイツの意思を覆すのは難しいのかもしれない。

 だけど俺は、まるで駄々をこねる幼子みたいに泣きながら訴える。

「なぁ! 俺と契約しろよ! 今度こそ契約を違えないようにするからっ! だから……っ!」

「……だから君と契約したくないんだよっ!」

 いつにない大声と真剣なまなざし。
 わけもわからないまま、くるりと形勢は逆転していた。
 仰ぎ見た先には、水色の瞳をギラギラと輝かせている冴吹の真剣な表情。
 押し倒されてると気付く頃には、冴吹の口が俺の口を塞いでいた。

「ん……っ!」

 ぬるりと蛇みたいに冴吹の舌が忍び込んできた。
 歯列をなぞって上顎を執拗に舐める。
 俺のキモチイイところがそこであるとわからせるように。
 
「ふ……っ! う……あ……」

 一瞬だけ口づけが解かれ、喘ぐように空気を取り込もうとして、その空気ごと再び奪われた。

「ふむぅ……んっ……」

 俺の手を掴んでいた冴吹の手が、いつの間にかシャツのボタンを外していた。
 開かれていく胸元に、エアコンで冷やされた空気が撫でていく。
 その冷たさに肌を粟立てる……余裕もなく、冴吹の温かい舌が這っていく。

「んっ……さえ……ふき……っ!」

 きゅうと強く吸い付かれ、身体が跳ねる。その瞬間、足の(あわい)に感じたのは……。

「……ふはっ……」

「……なに?」
 
 突然吹き出した俺に、冴吹の少しだけ不機嫌そうな声が返ってきた。
 いつも穏やかなコイツのこんな声は珍しい。
 そんなのも相まってくつくつと笑っていると、きゅっとひと際強く鎖骨を吸われた。

「んっ……」

 強く、そして甘やかな刺激に、思わず鼻にかかった声をあげてしまう。
 ちくしょう。クッソ恥ずかしい……。

「なぁに? 僕とのキスは不満?」

「……ちげぇよ。つか、今のは力の譲渡とはちげぇのかよ」

 俺の質問に、少しだけ気まずそうに視線を泳がせる。
 
「ち、チガイマス……。僕が……したかったからです」

「正直でよろしい。つか、神様みてぇな存在でもそういう欲ってあんだな」

 さっきまで俺の太ももあたりを突いていた硬い存在。
 目の前の男が前ポケットにスマホを入れてる可能性もゼロではないが、硬くて熱いモノの正体は……。
 俺の言葉に、冴吹の顔がぱっと赤くなる。
 龍だか龍神だかわかんねぇが、ずいぶんと俗っぽい反応だ。

「————!! そうだよっ! 僕は君に欲情してる! だから! 君と契約したくないんだよっ!」

「いや、突然だな? 何がどうしてそうんだよ」

 欲情すると契約できない?
 そしたら冷静な時にすればいいんでは?
 疑問符を頭に浮かべる俺を後目に、冴吹は真っ赤な顔をしてハクハクと唇を動かしている。
 ……いったいなんだよ?

「だからぁ! 君を好きになったから契約したくないんだって! ……あ! その表情(かお)はまだ理解(わか)ってないね?!
 阿女と僕が契約するところを夢で見たんでしょう?!」

「あ……あぁ。見たけど……」

 そう言えば阿女には好きな男がいたんだっけ?
 なんだ? 両想いだと契約できないのか?

「そうだよっ! 契約っていうのは契約者本人の血族に受け継がれていくだろう?! ということはさ! 君は誰かほかの女と番って血を残さないといけないんだけど?! 僕というものがありながらそれってひどくない?! そういうのNTR(ネトラレ)っていうんでしょう?! なんでわざわざそんな(つら)い気持ちになんなきゃいけないのさっ! 僕はそこまでドエムじゃないよっ!」

 ……コイツ、神様とかそんな存在なのに、ずいぶん俗っぽい言葉知ってんなぁ。
 なんてことを考えながら、若干涙目になってる冴吹の言葉を咀嚼する。

「……あぁ、なるほど? そう言われてみればそうか……」

 阿女との契約に倣うとすれば、確かに俺は俺の血を引く存在を残さなければならない。
 正直、俺自身が冴吹といたいから契約して冴吹を永らえさせたいっていう自分勝手な気持ちで契約を迫っていたから、その考えは微塵も浮かんでいなかった。

「つか……俺たち両想いなのか……」

「そこからっ!?」

 ガーンと書かれた吹き出しが見えそうな勢いで驚く冴吹。
 つか、俺まだ何も言ってないな?

「なぁ? 俺、お前が好きなんだけど……お前は?」

「急に何?!」

「いや、言ってもないし聞いてもなかったなって。どうせならハッキリさせとこうぜ。そんでこれからのこと……()()に考えよう」

 わなわなと唇を震わせる冴吹。それはどういう感情だ?

「ぼ、僕も慈雨くんが好きです!」

「声でけぇよ」

 悪態をつきながらも冴吹の胸に飛び込む。
 ぎゅっと抱きしめれば、おずおずとした緩い力加減で抱きしめ返された。
 だけど徐々に力が入っていくソレが、どこか心地よい。

「な? 俺は一人っ子で我がままだかんな。好き勝手なこと言うぞ? 俺と生きて、俺と死ぬ。そうするにはどうしたらいいのか……俺に教えてくれよ。そこから……二人で始めようぜ?」

 俺の肩口に顔を埋め、コクコクと頷く冴吹。
 じわりとシャツを濡らす水滴の気配は……気付かないふりをして、もう一度強く冴吹を抱きしめたのだった。