「……ここかよ……」
学校帰り。
担任に押し付けられた小さなメモに書かれた住所を頼りにたどり着いた先は、高校生が一人暮らしするには立派過ぎるマンションだった。
「……え? アイツマジでなにもんだよ……」
ブツブツと呟きながら、メモに書かれた部屋番号を押す。
呼び出し音が鳴る中、なんとなく気まずくてカメラを真っすぐ見ることができなかった。
多分部屋側のモニタには、無駄に視線を逸らす俺の姿が映ってることだろう。
『え? 慈雨くん?!』
機械を通した冴吹の声が聞こえてくる。
俺が来たことに驚いているのか、少しだけ声が上ずっていた。
「あー……。担任に言われて届けもんだ」
書類の入った封筒を目の前に掲げて見せる。
つか、このオンラインの時代に手書きとかなんの書類だよ。そんなん書いた記憶ねぇぞ?
そんな悪態を内心でついてると、エントランスのガラスドアが開いた。
『右手のエレベーターで六階に上がってくれる?』
思い出したように付け足された冴吹の言葉を背に受けながら、俺は御立派なマンションのエントランスを抜けたのだった。
「いらっしゃい……」
エレベーターを降りて広い廊下を見回せば、突き当りの部屋のドアが開いていて、冴吹が少しだけ顔を出していた。
「……具合悪ぃなら寝てろよ」
不躾な言い方になったのは、朝のイインチョの会話が残っていたせいだろうか?
コイツと肩を並べて昼飯を食う仲になってた自分が信じられない。
まして相手を膝枕なんて、今まで仲の良かった友達たちにだってしたことがない。
つか、オトシゴロの男子高生がそんな恥ずかしいことしてるとか信じたくない。
だけど誰に聞いてもそれは事実だった。
俺たちは裏庭で二人っきり。仲良く飯を食って、挙句俺が冴吹を膝枕で寝かしつけるほどに親密な距離になっていたらしい。
俺の知らないところで……。いやなんで本人が知らねぇんだよっ!
「……寄ってく?」
ドアから小さく顔を出していた冴吹に担任から預かった書類を手渡すと、少しだけ遠慮がちにそんなことを言い出した。
……どうするのが正解なんだろう?
まじまじと冴吹の顔を見つめる。
俺の不躾な視線が気まずいのか、その整った面に僅かに困惑を滲ませていた。
……本人は気付いていないのか、その髪はキラキラとした銀色で、瞳は水色になっていた。
普段は黒目黒髪なんだけどな。
銀髪で水色の瞳をした冴吹は……あの夢に出てくる明らかに人ではない男によく似ていた。あの自らを龍だと称している。
いや、似てるなんてもんじゃない。瓜二つだ。冴吹の髪を伸ばして、あの古風な衣装を着せたらまんまだろう。
「……ちょっとだけ……いいか?」
気が付けばそう口にしていた。
よくわからない夢に出てくる男とよく似た同級生。
自分でも知らないうちに接近を許していた同級生。
そんな相手の家に飛び込むなんて、虎穴に入ってくようなもんだ。
だけどいい加減、俺も疲れていた。
わけのわかんねぇ夢を見させられて、最近ずっと寝不足だ。
目の下には黒々とした隈。
顔色の悪さだけだったら、病欠した冴吹よりよっぽど病人ぽいだろう。
だからこそ……。
意味不明な言葉を言いながら、俺にキスしてきたコイツを問い詰めずにはおれなかった。
「……お邪魔します」
「はいどーぞ。ソファに……適当に座ってくれる? あぁ、お茶とコーヒーならどっちがいいかな?」
「……お前、体調不良なんだろ? 座ってろよ。ほれ、見舞いの品だ。ありがたく受け取れ」
どこか尊大な物言いになってしまうのは、俺自身緊張してるからだろうか。
ずっと手に持っていたコンビニのビニール袋は、持ち手の部分が細くなっていた。
それに気づいて、自分で中身を出す。
中身は麦茶のペットボトルが二本と、食事がとれない可能性を考えて買ってきたパウチゼリーだった。
「わ、ありがと。こっちは……」
「こっちが見舞いの品。冷蔵庫にでも仕舞っておいて、具合悪くなったら飲めよ」
パウチゼリーだけ冴吹の手に預けると、いそいそとキッチンへと向かっていった。
……たいした品じゃないのに喜ばれて何となく気まずい。
「ほ、ほい。お茶。病気の時は水分摂るのが重要だからな」
気まずさを隠すために、冴吹の手に麦茶を押し付ける。
「ありがと。さっそくいただくね」
「お、おぅ……ってなんで隣に来るんだよっ!」
確かにソファは二人掛けだけどさぁ!
油断してたせいで冴吹に寄りかかる形になってしまう。
柔軟剤の香りだろうか。
すっきりとした香りが鼻を抜けていった。
「あ、ごめん。大丈夫? この前保健室に運んだ時も思ったけど、慈雨くん軽いよね?」
ちゃんと食べてる? なんて聞いてくるコイツの脇腹に肘鉄入れた俺は悪くないと思う。
「……ちゃんと食ってんの……知ってんだろ? 何せ俺ら一緒に昼飯食ってるらしいからな」
まどろっこしいのなんて性に合わない。
俺は真っすぐに冴吹の水色の瞳を見つめた。
吸い込まれそうな青さはまるで夢の中で見る湖水のようだ。
「……そうだよ? そして僕は君に膝枕をしてもらうんだ。僕の癒し」
当然のことのように宣るヤツの脇腹に再び肘鉄を入れようとしても、ヤツの手に阻まれる。
腕を掴まれたまま背中に回され、俺は身動きが取れないまま冴吹と向かい合うことになった。
「君と一緒にいることで、僕は生きていられるんだ。だから……さ?」
水色の瞳が真っすぐに俺を貫く。
なんとなく目が離せないまま見つめ合っていると、水色の虹彩に包まれた瞳孔が縦に割れていった。
それを何故か……驚くことなく受け入れる俺。
美しい顔がどんどん近づいてきて……。
唇が触れ合った。
「っ!」
抵抗……しなきゃいけないはずだ。
そう思っていた。
なのに冴吹の歯が小さく俺の下唇を食んだ瞬間、俺はねだるように口を開いていた。
「ふふっ」
小さく笑う冴吹。
するりと滑り込んできた相手の舌が、俺の口腔内を余すことなくなぞっていく。
気が付けば目の前の男に縋るように抱き着いていた。
お互いの唾液が混じり合う音。冴吹の唾液が流れ込んでくる。
あますことなく飲み込んだ瞬間。
俺の中からごっそりとナニカが抜けていった気配がした。
「……あぇ」
唐突にキスが終わる。
名残惜し気に離れていく唇を引き留めるように銀の糸が繋がって……ふつりと切れた。
そして俺の意識も……ふつりと切れる。
だから何事か呟く冴吹の声は聞こえても、何を言ってるかまでは理解できなかった。
「ふふっ……。可愛いなぁ……。僕の大事な大事な……」
まるで理解……できなかった。
◆ ◆ ◆
「のう。そなたはずいぶんと長き時をここで過ごしているようだが……ずっと一人なのか?」
俺なのに俺じゃない誰かが、隣の美丈夫に話しかける。
今日は自称・巫女の夢を見ているらしい。
ちらりと視線を投げれば、相変わらずキラキラとしたイケメンが立っていた。
日の光を反射してキラキラと輝く銀髪は結い上げていても地面に届くほど長い。
なのに汚れている気配がないのはなんでだろう?
ついでに服の裾も長くて地面についてるけど、そちらも汚れている気配はない。
……静電気とかなんか特殊な加工でも使ってんのかな?
そんな寝ぼけたことを思っていると、水色の瞳がチラリと俺に向けられた。
そしてため息を一つ。
「我のような存在は慣れ合うことなどせぬ」
「そのわりにわしとはこうして話しておるではないか」
俺だけど俺じゃない存在が口答えする。
ぎろりと睨まれるけど、俺じゃない誰かはどこ吹く風だ。
ニシシとでも吹き出しがつきそうな感じに笑っている。
「……貴様が勝手に来るのであろう。我に力を与え、この場を浄化するのは年に一度で構わんと言っておろうが」
「それはそうなんだがな。……ここは存外居心地が良い。たまの息抜きに付き合ってくれ」
「……また貴様の伴侶が文句をつけにくるであろうが」
呆れたように答える美丈夫に、俺じゃない誰かは肩を竦めた。
「わしの性分は風。本来であれば一所に留まるなどできないたちでなぁ。そんなわしがあやつのために留まっておるのだ。これ以上の愛はないんだがなぁ」
「……それは、後ろの茂みで聞き耳を立てている男に直接伝えてくれんか?」
つまらなさそうに美丈夫が呟くと、俺の後ろでがさりと音がした。
振り返ってみれば、不自然に茂みが揺れている。
「おや、夫殿。こんなとこまでどうした?」
なんの動揺もなく、茂みから姿を現した男に告げる俺ではない誰か。
「阿女……」
姿を現した男はどこか気まずそうだ。
「わしを迎えにきてくれたのか? 吾子は? 昼寝から目覚めたかい?」
「……あぁ、それで……呼びにきたんだ」
「そうかそうか。ではな。龍よ。またな」
俺じゃない誰かが、いや、阿女と呼ばれた女性がひらりと手を振る。
途中から現れた男の手を取って、森の中へと向かっていく。
途中くるりと振り返ってみれば、龍と称された美丈夫は未だこちらを見ていた。
その瞳に乗る感情は……俺にはわからなかった。
◆ ◆ ◆
「……っ?」
目を開けたら知らない天井だった。
そんなどこかで見たネットミームみたいなことを自分が思うなんて……。
人生何が起きるかわからないもんだ。
まぁ、セカンドキスまで同性に奪われる人生も考えたことなかったが……。
「あ、起きた? ごめん。ちょっと久しぶり過ぎて手加減が……」
照れ笑いしながら後頭部を掻く冴吹を張っ倒したくなった俺は悪くないと思う。
とりあえず起き上がるかとゴソゴソすれば、冴吹がさりげなく手を貸してくれた。
だからって、これまでの所業を許したわけじゃねぇからなっ!
とりあえず……。
「冴吹、そこになおれ」
ピシリと指差したのは俺が寝かされていたベッドの横。
こじゃれたラグが敷かれていた。
これなら正座しても痛くないだろう、なんて考える俺は結構お人好しだと思う。
「え?」
「え? じゃねぇよ。俺に対する数々の狼藉、申し開きがあるなら聞いてやろうってんだ。俺って優しくねぇ?」
だからそこに正座!
ピシリともう一度床を指差すと、恐る恐ると冴吹が正座した。
ベッドに腰掛ける形になった俺と向かい合う。
「……んで、戻ってんだよ」
「え?」
俺の小さな声が聞こえなかったのか、首を傾げた冴吹の髪は艶々とした黒髪に戻っていた。
そして俺をじっと見つめる目も、ありきたりな黒目になっている。
なんとなく見つめ合ったまま、沈黙が続く。
僅かに笑みを刷いた冴吹もなぜか視線を逸らさず俺を見ていた。
「……なぁ」
焦れた訳じゃないが、膠着しても話が進まない。
カーテンの向こうに感じる空気は夜を伴っていた。
果たして母親に怒られない時間なんだろうかなんて、詮無いことを考えつつ、俺は口火を切った。
「なぁ……。お前は……なんだ?」
さっきより重たい沈黙が、部屋を支配した。
学校帰り。
担任に押し付けられた小さなメモに書かれた住所を頼りにたどり着いた先は、高校生が一人暮らしするには立派過ぎるマンションだった。
「……え? アイツマジでなにもんだよ……」
ブツブツと呟きながら、メモに書かれた部屋番号を押す。
呼び出し音が鳴る中、なんとなく気まずくてカメラを真っすぐ見ることができなかった。
多分部屋側のモニタには、無駄に視線を逸らす俺の姿が映ってることだろう。
『え? 慈雨くん?!』
機械を通した冴吹の声が聞こえてくる。
俺が来たことに驚いているのか、少しだけ声が上ずっていた。
「あー……。担任に言われて届けもんだ」
書類の入った封筒を目の前に掲げて見せる。
つか、このオンラインの時代に手書きとかなんの書類だよ。そんなん書いた記憶ねぇぞ?
そんな悪態を内心でついてると、エントランスのガラスドアが開いた。
『右手のエレベーターで六階に上がってくれる?』
思い出したように付け足された冴吹の言葉を背に受けながら、俺は御立派なマンションのエントランスを抜けたのだった。
「いらっしゃい……」
エレベーターを降りて広い廊下を見回せば、突き当りの部屋のドアが開いていて、冴吹が少しだけ顔を出していた。
「……具合悪ぃなら寝てろよ」
不躾な言い方になったのは、朝のイインチョの会話が残っていたせいだろうか?
コイツと肩を並べて昼飯を食う仲になってた自分が信じられない。
まして相手を膝枕なんて、今まで仲の良かった友達たちにだってしたことがない。
つか、オトシゴロの男子高生がそんな恥ずかしいことしてるとか信じたくない。
だけど誰に聞いてもそれは事実だった。
俺たちは裏庭で二人っきり。仲良く飯を食って、挙句俺が冴吹を膝枕で寝かしつけるほどに親密な距離になっていたらしい。
俺の知らないところで……。いやなんで本人が知らねぇんだよっ!
「……寄ってく?」
ドアから小さく顔を出していた冴吹に担任から預かった書類を手渡すと、少しだけ遠慮がちにそんなことを言い出した。
……どうするのが正解なんだろう?
まじまじと冴吹の顔を見つめる。
俺の不躾な視線が気まずいのか、その整った面に僅かに困惑を滲ませていた。
……本人は気付いていないのか、その髪はキラキラとした銀色で、瞳は水色になっていた。
普段は黒目黒髪なんだけどな。
銀髪で水色の瞳をした冴吹は……あの夢に出てくる明らかに人ではない男によく似ていた。あの自らを龍だと称している。
いや、似てるなんてもんじゃない。瓜二つだ。冴吹の髪を伸ばして、あの古風な衣装を着せたらまんまだろう。
「……ちょっとだけ……いいか?」
気が付けばそう口にしていた。
よくわからない夢に出てくる男とよく似た同級生。
自分でも知らないうちに接近を許していた同級生。
そんな相手の家に飛び込むなんて、虎穴に入ってくようなもんだ。
だけどいい加減、俺も疲れていた。
わけのわかんねぇ夢を見させられて、最近ずっと寝不足だ。
目の下には黒々とした隈。
顔色の悪さだけだったら、病欠した冴吹よりよっぽど病人ぽいだろう。
だからこそ……。
意味不明な言葉を言いながら、俺にキスしてきたコイツを問い詰めずにはおれなかった。
「……お邪魔します」
「はいどーぞ。ソファに……適当に座ってくれる? あぁ、お茶とコーヒーならどっちがいいかな?」
「……お前、体調不良なんだろ? 座ってろよ。ほれ、見舞いの品だ。ありがたく受け取れ」
どこか尊大な物言いになってしまうのは、俺自身緊張してるからだろうか。
ずっと手に持っていたコンビニのビニール袋は、持ち手の部分が細くなっていた。
それに気づいて、自分で中身を出す。
中身は麦茶のペットボトルが二本と、食事がとれない可能性を考えて買ってきたパウチゼリーだった。
「わ、ありがと。こっちは……」
「こっちが見舞いの品。冷蔵庫にでも仕舞っておいて、具合悪くなったら飲めよ」
パウチゼリーだけ冴吹の手に預けると、いそいそとキッチンへと向かっていった。
……たいした品じゃないのに喜ばれて何となく気まずい。
「ほ、ほい。お茶。病気の時は水分摂るのが重要だからな」
気まずさを隠すために、冴吹の手に麦茶を押し付ける。
「ありがと。さっそくいただくね」
「お、おぅ……ってなんで隣に来るんだよっ!」
確かにソファは二人掛けだけどさぁ!
油断してたせいで冴吹に寄りかかる形になってしまう。
柔軟剤の香りだろうか。
すっきりとした香りが鼻を抜けていった。
「あ、ごめん。大丈夫? この前保健室に運んだ時も思ったけど、慈雨くん軽いよね?」
ちゃんと食べてる? なんて聞いてくるコイツの脇腹に肘鉄入れた俺は悪くないと思う。
「……ちゃんと食ってんの……知ってんだろ? 何せ俺ら一緒に昼飯食ってるらしいからな」
まどろっこしいのなんて性に合わない。
俺は真っすぐに冴吹の水色の瞳を見つめた。
吸い込まれそうな青さはまるで夢の中で見る湖水のようだ。
「……そうだよ? そして僕は君に膝枕をしてもらうんだ。僕の癒し」
当然のことのように宣るヤツの脇腹に再び肘鉄を入れようとしても、ヤツの手に阻まれる。
腕を掴まれたまま背中に回され、俺は身動きが取れないまま冴吹と向かい合うことになった。
「君と一緒にいることで、僕は生きていられるんだ。だから……さ?」
水色の瞳が真っすぐに俺を貫く。
なんとなく目が離せないまま見つめ合っていると、水色の虹彩に包まれた瞳孔が縦に割れていった。
それを何故か……驚くことなく受け入れる俺。
美しい顔がどんどん近づいてきて……。
唇が触れ合った。
「っ!」
抵抗……しなきゃいけないはずだ。
そう思っていた。
なのに冴吹の歯が小さく俺の下唇を食んだ瞬間、俺はねだるように口を開いていた。
「ふふっ」
小さく笑う冴吹。
するりと滑り込んできた相手の舌が、俺の口腔内を余すことなくなぞっていく。
気が付けば目の前の男に縋るように抱き着いていた。
お互いの唾液が混じり合う音。冴吹の唾液が流れ込んでくる。
あますことなく飲み込んだ瞬間。
俺の中からごっそりとナニカが抜けていった気配がした。
「……あぇ」
唐突にキスが終わる。
名残惜し気に離れていく唇を引き留めるように銀の糸が繋がって……ふつりと切れた。
そして俺の意識も……ふつりと切れる。
だから何事か呟く冴吹の声は聞こえても、何を言ってるかまでは理解できなかった。
「ふふっ……。可愛いなぁ……。僕の大事な大事な……」
まるで理解……できなかった。
◆ ◆ ◆
「のう。そなたはずいぶんと長き時をここで過ごしているようだが……ずっと一人なのか?」
俺なのに俺じゃない誰かが、隣の美丈夫に話しかける。
今日は自称・巫女の夢を見ているらしい。
ちらりと視線を投げれば、相変わらずキラキラとしたイケメンが立っていた。
日の光を反射してキラキラと輝く銀髪は結い上げていても地面に届くほど長い。
なのに汚れている気配がないのはなんでだろう?
ついでに服の裾も長くて地面についてるけど、そちらも汚れている気配はない。
……静電気とかなんか特殊な加工でも使ってんのかな?
そんな寝ぼけたことを思っていると、水色の瞳がチラリと俺に向けられた。
そしてため息を一つ。
「我のような存在は慣れ合うことなどせぬ」
「そのわりにわしとはこうして話しておるではないか」
俺だけど俺じゃない存在が口答えする。
ぎろりと睨まれるけど、俺じゃない誰かはどこ吹く風だ。
ニシシとでも吹き出しがつきそうな感じに笑っている。
「……貴様が勝手に来るのであろう。我に力を与え、この場を浄化するのは年に一度で構わんと言っておろうが」
「それはそうなんだがな。……ここは存外居心地が良い。たまの息抜きに付き合ってくれ」
「……また貴様の伴侶が文句をつけにくるであろうが」
呆れたように答える美丈夫に、俺じゃない誰かは肩を竦めた。
「わしの性分は風。本来であれば一所に留まるなどできないたちでなぁ。そんなわしがあやつのために留まっておるのだ。これ以上の愛はないんだがなぁ」
「……それは、後ろの茂みで聞き耳を立てている男に直接伝えてくれんか?」
つまらなさそうに美丈夫が呟くと、俺の後ろでがさりと音がした。
振り返ってみれば、不自然に茂みが揺れている。
「おや、夫殿。こんなとこまでどうした?」
なんの動揺もなく、茂みから姿を現した男に告げる俺ではない誰か。
「阿女……」
姿を現した男はどこか気まずそうだ。
「わしを迎えにきてくれたのか? 吾子は? 昼寝から目覚めたかい?」
「……あぁ、それで……呼びにきたんだ」
「そうかそうか。ではな。龍よ。またな」
俺じゃない誰かが、いや、阿女と呼ばれた女性がひらりと手を振る。
途中から現れた男の手を取って、森の中へと向かっていく。
途中くるりと振り返ってみれば、龍と称された美丈夫は未だこちらを見ていた。
その瞳に乗る感情は……俺にはわからなかった。
◆ ◆ ◆
「……っ?」
目を開けたら知らない天井だった。
そんなどこかで見たネットミームみたいなことを自分が思うなんて……。
人生何が起きるかわからないもんだ。
まぁ、セカンドキスまで同性に奪われる人生も考えたことなかったが……。
「あ、起きた? ごめん。ちょっと久しぶり過ぎて手加減が……」
照れ笑いしながら後頭部を掻く冴吹を張っ倒したくなった俺は悪くないと思う。
とりあえず起き上がるかとゴソゴソすれば、冴吹がさりげなく手を貸してくれた。
だからって、これまでの所業を許したわけじゃねぇからなっ!
とりあえず……。
「冴吹、そこになおれ」
ピシリと指差したのは俺が寝かされていたベッドの横。
こじゃれたラグが敷かれていた。
これなら正座しても痛くないだろう、なんて考える俺は結構お人好しだと思う。
「え?」
「え? じゃねぇよ。俺に対する数々の狼藉、申し開きがあるなら聞いてやろうってんだ。俺って優しくねぇ?」
だからそこに正座!
ピシリともう一度床を指差すと、恐る恐ると冴吹が正座した。
ベッドに腰掛ける形になった俺と向かい合う。
「……んで、戻ってんだよ」
「え?」
俺の小さな声が聞こえなかったのか、首を傾げた冴吹の髪は艶々とした黒髪に戻っていた。
そして俺をじっと見つめる目も、ありきたりな黒目になっている。
なんとなく見つめ合ったまま、沈黙が続く。
僅かに笑みを刷いた冴吹もなぜか視線を逸らさず俺を見ていた。
「……なぁ」
焦れた訳じゃないが、膠着しても話が進まない。
カーテンの向こうに感じる空気は夜を伴っていた。
果たして母親に怒られない時間なんだろうかなんて、詮無いことを考えつつ、俺は口火を切った。
「なぁ……。お前は……なんだ?」
さっきより重たい沈黙が、部屋を支配した。


