【長編版】舐めて齧って残さず食べて

「……うぇ?」

 目を覚ますとカーテンで仕切られた天井が見えた。
 少しだけ鼻をつく消毒薬の匂いで現在地が何処かわかる。

 問題は……なんでこんなところで、病人よろしく寝てるかだ。

 保健室に自分の足で来た記憶はないから……?

「っ?!」

 目を覚ますまでの記憶が怒涛のように頭を巡って、慌てて上体を起こした。

「そんな勢いよく起きると危ないよ? ……慈雨くん」

 俺の背中に回された冷たい手を思わず叩き落としてしまう。
 だってしょうがないだろう?

「誰のせいでこんなっ!!」

 そう。
 俺は転入生の冴吹に校内を案内してる途中で……。

「っ! くっそっ!」

 ぐいぐいと唇を拭う。
 記憶に残る自分以外の熱の感触を払拭するように、シャツの袖口で思い切り擦った。

「そんな擦ったら痛いよ」

「だから誰のせいだと……っ!」

 なんでもない表情(かお)で俺の顔を覗き込む冴吹に苛立ちが増す。
 コイツが……俺に……っ!
 かっと頬が熱くなる。多分真っ赤になってるだろう。
 それが、キス一つで情けなく気絶してしまったことへの羞恥か、この目の前のイケメンとずいぶん濃厚なキスを交わしてしまったことによる羞恥か……。自分でもよくわからない。
 
「ほら……血が滲んできた。……あぁ勿体ない……」

「っ?!」

 俺の顔を覗き込んでいた冴吹の顔がぐんぐんと近づいてきて……。

「やめっ! バカっ!」

 ぺろりと唇を舐められた。

「おまっ! ホント何すんだよっ! やっぱりお前外国から来たんだろ?! 奥ゆかしい日本人は初対面の人間にキ、キ、キ、キスなんかしねぇんだよっ!」

 冴吹の顔を無理やりに押しのける。
 俺の手のひらで相手の頬が歪んだ。それでもイケメンに見えるんだから、本当にこいつは顔が良いんだろう。
 ……なんか腹立つなっ!

「……なんで俺が外国人だと思う訳?」

 コテリと首を傾げる冴吹。
 いや、今はそれどころじゃ……。
 なんて思いつつも、どこか真剣な表情の冴吹に押し流されるようにして、さっき見た物を口にした。

「……お前の目と髪が……一瞬、銀と青に見えたんだよ。ぐえっ!?」

 告げた瞬間。冴吹に思い切り抱きしめられた。
 つか、やっぱり距離感可笑しいって! 日本のDKはこんな何度もキスしたりハグしたりしねぇんだよっ!

「あぁ……やっと……っ! やっとだ……。やっと見つけた……っ!」

 感極まったような冴吹の声に疑問が溢れて止まらない。
 つか、俺は冴吹と幼い頃に逢ったことでもあるのだろうか?
 転校していった友人とか?
 いや、そんなヤツ心当たりにないな?
 じゃあ……なんだ?
 なんでこいつは俺に会えて泣くほど喜んでんだ?

 肩を濡らす水滴の感触に、ますます疑問が募る。

 ホントなんだこれ……?

 そう思いつつも、何故か俺は抱き着いてくる冴吹の背中に手を回し、慰めるようにさすっていたのだった。
 
 
「つか……いい加減に離せよこら」

「うーん、もう少し……」

「っ! 離せっ! ついでに匂いを嗅ぐなっ!」

 ぐーっと腕を伸ばして、相手の身体を遠ざける。
 両手をわきわきとさせて名残を惜しむ相手をジトリと睨みつけた。

「んで?」

「ん?」

 小首を傾げても可愛くねぇわ。

「ん? ……じゃねぇよ。俺、お前に会ったことあったっけ?」

 抱き着いて、感極まって泣くほどなんだ。
 過去の俺となんらかの関係があったんだろう。

 それなのに……。

「ん? いや、君に会ったことないけど?」

 古典的なマンガ表現みたいにベッドから落ちそうになった俺は悪くないと思う。

「ってなんだよっ! やっぱてめぇ外国人かよっ! 初対面の相手にあんな濃厚なスキンシップするんじゃねぇわっ! 日本人の奥ゆかしさを学んで出直してこいやぁ!」

 一息に言い切って、冴吹の横をすり抜ける。
 引き留めるような小さな声を無視して、俺は保健室を後にしたのだった。


 「ったく……。なんなんだよアイツ……」

 ブツブツと呟きながら家路を急ぐ。
 すれ違った人が訝し気に俺を見ていくが、気にしてる場合ではない。
 ファーストキスを男に奪われるというありえない事態に遭遇した俺は、他を気にしてる場合ではない。

「つか、あんなこと言ってあんな……キ、キ、キ、キスまでして初対面だっつーんだから、やっぱアイツどっかおかしいわ」

 そう結論付けて、冴吹のことを頭から追い出す。
 むしろ気になるのは……気絶してる間に見た夢のほうだった。

 知ってるようで知らない場所に立つ、俺でいて俺じゃない誰か。
 相対するのは本の中でしか見たことのない存在。
 非現実的過ぎて夢でしかないはずなのに……何故か気になる。

「んとに……。なんだってんだよ……」

 夕暮れ迫る空を見上げながら、俺は独り言ちたのだった。
 
「ただいまぁ~」

 外まで漂ってくる香りにソワソワしながら、俺が生まれてすぐ父さんと母さんが一念発起して買ったという一軒家のドアを開ける。
 ふんわりと漂うカレーの匂いに腹の虫が反応した。

「おかえり~。慈雨。遅かったわね」

 リビングに顔を出せば、リビングと繋がっているカウンターキッチンの向こうで母さんが鍋をかき混ぜていた。
 食欲をそそる匂いが堪らない。どうしてカレーの匂いはここまで食欲をそそるのか……。
 その謎を解くため俺は……つつつとキッチンに入ろうとして……母親に止められた。

「手、洗ってらっしゃい。ついでに制服も脱いできて」

 一日中着てた服でキッチンに入らない!

 そう言われてしまえば、すごすごと引き下がるしかない。

「夕飯カレー?」

「そうよぉ。といってももう少し煮込むから、お夕食少し待ってね」

 母さんの言葉にうなずきを返して、自室に向かおうとして……俺は母さんに声をかけた。

「……なぁ、ひいばあちゃんの日記ってどこに置いてあるっけ?」

「……おばあちゃんの……日記?」

 訝し気に首を傾げる母さんに頷きを返す。

「そっ。あの……ほら、ひいばあちゃんが昔住んでた村について書いてあるヤツ……」

「あぁ、アレね。お仏壇の引き出しにしまってあると思うけど?」

「ん。あんがと」

 ひらっと手を振ってリビングを後にする。
 向かった先は自室……ではなく、仏壇のある和室だった。
 昨今の住宅事情では仏間など確保できない。
 客間用にと用意された和室に、そこそこの大きさの仏壇が置かれていた。
 これも、この家を建ててから買った物らしい。
 それまでの暮らし方ではこんな立派な仏壇など持ち運べなかったそうだ。

 仏壇に飾られている写真は四つ。
 ひいじいちゃんとひいばあちゃん、そしてじいちゃんとばあちゃんだった。
 全員母方の親族だ。
 父方の曾祖父母は亡くなっているが祖父母は健在で、父さんも兄弟が多いから、この仏壇にはいることはないだろう。
 ちなみに母親も一人っ子だ。だからもし両親に万が一があれば、この仏壇を継ぐのは俺だろう。
 
 なんとなく感傷的な気分になりながら、仏壇の引き出しを開ける。
 まるで俺を待っていたかのように、一番手前にひいばあちゃんの日記が鎮座していた。

 今の物より目の粗いノートを手に取る。
 そこに綴られていたのは、強迫観念にも似た懺悔にまとわりつかれた曾祖母の哀しい記憶だった。
 曾祖母が亡くなった、いやその後を追うようにして曽祖父がなくなった時に見つかったものらしい日記は人目に触れぬよう、箪笥の奥に隠されていたそうだ。
 それを見つけて読んだ祖母と母は、何とも言い難い心境になったらしい。

 とある血筋の女を生贄にしなければ、村が滅びる。

 そんな怪奇ミステリに出てきそうな掟に縛られ、その掟から逃げ出してきた曽祖父母。
 それは二人だけでなく、その二人の子どもであった祖母も、その子である母すらも巻き込まれていた。
 幼い頃から訳も分からず転居を繰り返し、転校による人間関係のリセットを余儀なくされていた二人は、そうなるように曾祖父母を駆り立てていた原因が分かってもなお、複雑な心境になるのを否めなかったらしい。

 俺が物心つく前に亡くなった二人について思い出す。
 二人は……特に曾祖母は俺が男で産まれたことに驚き、そして安堵の涙を流したそうだ。
 それが何故かは……わからない。

 かさついた紙を慎重に広げ、中に目を通す。
 戦前の生まれだからだろうか。草書体なのかたんなる崩し字なのかはわからないが、流麗に流れる文字たちは非常に読みにくかった。
 それでも俺は何かに憑りつかれたように読み進めてしまう。

 どこぞの山間にひっそりと在る村。
 村を支える水源は、程近くにある湖だったそうだ。

 そこには龍神が棲んでいると言われ、豊富な水を利用するために十八の年を迎えた娘を生贄として捧げていた。
 何代も何代も。
 生贄になる娘は決まっていて、とある血筋の娘だったらしい。
 その家では、まるで龍神がそう有れと定めたかのように、第一子は女児が生まれたそうだ。
 そしてその女児は十八になると湖へ投げられたらしい。
 長女を亡くしても弟妹たちが血を繋いでいたが、自らの子を生贄に捧げなければならないという重圧は予想以上で。
 だんだんその家に嫁ぐ人もいなくなり、曾祖母が生まれた頃には曾祖母と両親以外のほとんどの家系が途絶えていたそうだ。

 それゆえ、曾祖母に対する監視は厳しかった。
 逃げ出さないように。役目を果たすように。
 そう言い聞かせられて育った曾祖母は、周囲の思惑とは裏腹に外へのあこがれを強めていった。
 曾祖母が外への憧憬を持つことに、曽祖父も一役買っていたらしい。
 曾祖母を一途に愛していた曽祖父の……。
 
 そう……書かれていた。

「……顔見知りを投げ込んだ湖の水を飲料したりとかって、控えめに言って嫌過ぎる……」

 そんな感想で誤魔化さなければならない程には、日記の内容は胸クソだった。
 ほぼほぼ家に監禁され、誰かに監視される生活。
 そんな地獄のような生活の、たった一つの光明が曽祖父の存在だった。

 そう書かれた部分だけ、見てわかるほどに文字が躍っていた。
 それだけ……曾祖母が曽祖父を想っていたということだ。
 
 パサリとノートを胸の上に伏せる。
 俺が生まれてすぐに亡くなった二人の記憶はない。
 ただ祖母と母が語るところによると、ずいぶんと愛し合っていた二人だったらしい。
 曾祖父母の年代だとお見合い結婚が主流だったと聞く。
 顔も知らない人と結婚して、顔合わせは祝言の時だった~とか、よくある話だったそうだ。

 そんな時代に相思相愛で結婚した二人。
 転居を繰り返す二人に辟易していた部分はあるが、いつまでもお互いを想っている二人のことはうらやましい限りだったと、祖母が言っていた気がする。
 だから曾祖母が死んだ後、曽祖父が後を追うように亡くなったことにも違和感はなかったらしい。
 二人を知る人など「淋しくて追いかけちゃったのねぇ」なんて普通に言っていたそうだ。

 そんな二人だからこそ。
 曾祖母を生贄にさせないため、生まれた家を、家族を、土地を捨て、二人で駆け落ちしてきたんだろう。
 ……曾祖母を生きたまま湖へ投げ込ませないために……。

「だったら……あの夢は……」

 冴吹にファーストキスというにはちょっとばかり激しいのをされてうっかり気絶したあの時。
 見てた夢は……所詮夢でしかないんだろう。

 ただ夢の終わりにあの龍が告げた言葉だけが引っかかっていた。
 古風な装束に身を包んでいたとしても、キラキラと日の光を受けて輝いていた銀髪。
 宝石みたいな美しさを持った水色の瞳。すっと通った鼻筋に薄めの唇。
 今日学校に来て、俺を無様に気絶させた転入生にそっくりなあの男が告げた名は……。

 『契約を……。我が名はヤヒロ』

 冴吹と同じものだった。