【長編版】舐めて齧って残さず食べて

 真っ暗な中。俺は揺蕩っていた。
 いつからこうなのか。どうしてこうなのかわからないまま。
 いつも見る夢に似ているけど、なんとなく違う。
 それだけは理解(わか)った。
 いつもなら俺は俺じゃない誰かになってその人の過去を追体験しているような夢だが、今日の俺はまるで幽霊みたいに、煤汚れで真っ黒になった小屋の天井でふよふよと漂っていた。
 そんな俺の足元では、どこか傲慢な雰囲気を醸し出す壮年の男と、壮年の男と同じ雰囲気、相貌をした青年が何やら深刻そうに話し合っている。

「……それでみすみす氷雨を殺したのか……っ!」

「俺のせいじゃねぇよ! アイツが勝手に落ちたんだ! 俺の嫁になるのを嫌がるアイツが悪りぃんだよ!」

「しっ! 声が大きい。龍神様に力を捧げる巫女を殺したとあっちゃあさすがに儂の立場も悪くなる。……村人たちに本当のことを気付かれてはならん」

 壮年の男の言葉に、青年が顔を歪めた。
 よくよく見れば、青年の顔に見覚えがあった。

(……アイツは……氷雨を追いかけて落としたヤツか……)
 
「ちっ! どいつもこいつも龍神、龍神って! そんなバケモンいるわけがねぇだろう!」

「そういうな。あの湖があるおかげで、儂らはこうして水に困ることなく生活ができるんだ。それにしても……氷雨の件、どうごまかすか……。
 氷雨の家に馬鹿正直に告げる訳にもいかんしなぁ」

「アイツが勝手に落ちたんだろう! 俺はわるくねぇって!」

 氷雨が湖へ落ちたことについて、一片の罪悪感も抱いてなさそうな青年の声に、届かないとわかっていても罵声を浴びせたくなる。
 夢で氷雨になっていた時の記憶が蘇る。男に追いかけられる恐怖も。崖を落ちる絶望も。

「そうは言ってもな……」

 ふむ、と思案し始める壮年の男。
 しばらくして、ニヤリと嗤った。

「そうだな。龍神様の気が変わって、力を分けるだけでは足らず、娘の身体を欲したことにしよう……。さすれば、お前に咎が及ぶこともない。今後は約束の娘が十八になった時に、湖へと捧げることにすれば、龍神も喜んでくれるであろうよ。何せ力だけをわけるのではなく、力を持った娘ごと捧げる訳だからな……」

 壮年の男がいやらしい笑みを浮かべる。
 男の言葉を咀嚼していた青年も同じような笑みを浮かべるまで、そう時間はかからなかった。

「なんてこった……」

 思わず呟きを落としてしまう。
 俺が見える訳でもないだろうに青年がパッと上を見上げた。
 そのギラギラと不穏な色を湛えた視線が……俺を見た気がした。
 そんなはずないのに……。
 冷たい視線が俺を貫く。その視線は……八尋が消える前に学校で感じていた視線にも、森の中で向けられた視線にもよく似ていた。


 ピチャン。
 水滴が俺の頬に落ちた。

「う……」

 ピチャン。
 もう一滴。
 生臭いソレに顔を顰める。

「うぅ……」

 ピチャン。
 もう一度水滴が落ち、俺の頬を流れ落ちる。
 頬を伝って唇を濡らしそうになって慌てて首を振る。
 あまり口の中に入れたくない臭いがした。

「うぅ……。うー」

 グラグラと揺れる脳内をなんとかしようとして、一度ぎゅっと目を瞑る。
 恐る恐る目を開けてみれば……。
 目の前には頑丈そうな木でできた格子。
 その向こうには同じように格子のはまった小さな窓のある土壁。
 窓の向こうは……夜の帳が降りていた。

「……どんだけ……。つか、俺……」

 ここに来るまでのことを思い出す。
 確か何本もの黒い手に掴まれてダムに落ちそうになって……。

「っ?!」

 そこまで思い出して、目の前にある頑丈そうな格子に見覚えがあることに気付いた。
 ここは……もしかして……。

 ドクドクと跳ねる心臓を押さえながら、後ろを振り向く。
 窓から注ぐ月明かりに照らされて、座敷牢に敷かれた畳が目に入る。
 そして……。

「っ! 八尋っ!」

 畳に倒れ込む人影。
 長い銀髪の一部が月の光を反射して、キラキラと輝いている。
 だけどこちらに向けて伸びている手はピクリとも動かない。
 それどころか今にも消えてしまいそうだ。

「八尋っ! 八尋っ!」

 這うようにして近づいて、八尋の身体を抱き起す。
 馴染みのない衣装に身を包んだ八尋の顔を覗き込めば、血色を感じない青褪めた顔。
 瞼はきつく閉じられ、印象的な水色の瞳が隠されていた。

「八尋っ! おい! しっかりしろっ!」

 少しだけ乱暴に揺さぶってみれば、形のいい眉が少しだけ歪んだ。

「八尋っ!」

 八尋の顔が、身体が透けるように曖昧になる。

「っ! 八尋っ! しっかりしろっ! あー! もうっ!」

 色のない八尋の唇にぎゅっと己の物を重ねる。
 まるで人工呼吸みたいだなんて思いながら、冷え切った八尋の身体に熱が灯るように唇をねじ込んだ。

 ふぅと息を吐くように、八尋の口元が緩んだ。
 これ幸いと舌をねじ込めば、いつもより冷めた口内が俺を出迎えた。

 力の流れなんて意識したことない。
 いつもなら口付ければ勝手に八尋が吸い上げていくから。
 だけど今の八尋には俺から力を吸い上げる気力もないみたいだ。

 だから俺から力を流すのを意識する。
 なんも考えずにキスするよりはましなんじゃない? みたいな気休めみたいなソレに願いを込めて。

「八尋……っ! 八尋……っ!」

 何度も何度も口付ける。
 くちゅくちゅと混じり合った唾液が卑猥な音を立てても気にしない。
 むしろ唾液を流し込んで、飲めと言わんばかりに八尋の喉を撫でる。
 コクリと喉仏が動いたのを確認して、ほっと息を吐いた。

 僅かだが、八尋の身体に熱が灯った……気がした。

「八尋……八尋……!」

 何度も何度も名前を呼んで。何度も何度も口付ける。
 俺の力とやらをあげるから。八尋に全部あげるから。
 そんな願いを込めて何度も何度も。

 唇がひりひりと痛みを訴え始めた頃。
 八尋の身体を抱きしめていた俺の身体を、抱きしめ返す腕があった。

「——っ! 八尋っ!」

「……じう……くん?」

 ずっとずっと見たかった八尋の水色の瞳。
 まだぼんやりしているものの、視線ははっきりと俺に向けられていた。

「やひろぉぉぉ」

 ぎゅっと抱きしめれば、まだまだ本調子ではない八尋が、俺を支えきれずひっくり返る。
 気にせず八尋に伸し掛かってぎゅうぎゅうと抱きしめた。
 胸元に鼻先を突っ込み、八尋の匂いを堪能する。

 あぁ、八尋だ……。

 八尋の顔が見たくなって、俺は身体を起こした。
 俺に押し倒される形になってる八尋は、まだ少しだけ寝ぼけた様子で俺をぼんやりと見上げていた。
 そんな八尋の顔に水滴が降り注ぐ。

 それはさっき俺を起こした嫌な水じゃなくて……。
 ぼとぼとと俺の目から雨のように降り注ぐ涙だった。

「やひろ……!」

「慈雨……くん?」

 再び抱き着いた俺を、今度はしっかりとした腕が抱きしめ返してくれた。
 それだけで再び涙腺が決壊する。
 八尋の服に水分を含ませながら、俺は八つ当たり気味に口を開く。

「お前! 何やってんだよ! 俺に黙って消えんじゃねぇよ! 何してんだよ全く! 消えたかと思えば、こんなわけわかんねぇ場所に居やがってよぉ! だいだい約束しただろう? 俺と一生一緒にいるって! 契約契約って普段から言ってんのに、自分で約束破るんじゃねぇよっ!」

「……あ、はい……。ごめんなさい?」

「あ、お前まだ寝ぼけてんな? 八尋くーん? この指何本に見えますかぁ?」

「えっと……ピース?」

「そんな答えは聞いてねぇ。つか、ちったぁしっかりしたかよ。今の状況わかるか……?」

 微妙なボケをかました八尋の頬を撫でながら状況を確認する。
 まだ少しぼんやりしてる八尋が、くるりと辺りを見回して……。

「ここ……どこ?」

「……お前はどこのばぶちゃんだよ」

 八尋の形良い鼻にデコピンした俺は悪くないと思う。