翌日になっても気分は晴れないままだった。授業中は先生の話やノートまとめに集中できるが、授業と授業の間の小休憩中など、ふとした瞬間に昨日の柳原たちの事を思い出す。
「真雅君、呼ばれているよ」
昼休憩に差し掛かり、食欲のない胃袋に弁当を無理やり押し込み終えた後、クラスの誰かがそう話しかけてきた。教室の外に目を向ければ、気まずそうな顔で柳原が立っていた。
同じ学年とはいえクラスが離れているし、彼にはバスケ部の友人が多いため茶道室以外で話すことは基本的にない。あっても偶然廊下ですれ違って挨拶する程度だ。それなのに今日初めて彼は直接会いに来た。
タイミング的にも、何の話をされるのかは予想出来ているので気が重い。とはいえ、露骨に無視していたら変な噂になってしまうだろう。仕方なく僕は立ち上がって、廊下に出た。
「で、何の用?」
自分でも嫌になるほどぶっきらぼうな言葉に、柳原が一瞬たじろぐ。
「その、昨日の弁解をさせてほしくて……ちょっと長話になるけど」
「ごめん……今は聞きたくない」
「……じゃあ、いつなら良い?」
「そもそも君が気に病むことはない。全て勘違いした僕が悪いんだ。今自己嫌悪中だからそっとしておいてほしい」
「ま、真雅こそ気に病む必要はない。だからちゃんと話させてほしい……!」
こんなに話したくないオーラを出しているのに、それでもなお柳原は食い下がってくる。今は君と話したくない。申し訳なさもあるが、僅かな怒りも残っている。自分でも自分を制御できる自信がないんだ。
あの体育館の時みたいに、君を突き放す酷い言葉を言ってしまうかもしれない。そしたらもっと、自分も君も傷つく。誰も幸せにならない。
「君が傷つく言葉をまた言いそうで怖いんだ。心の整理がつくまでもう少し待ってくれないか……?」
「真雅……」
「数週間経てば、冷静になって落ち着いて話が出来るはずだから……」
顔を見ていられなくて僕は俯いた。口の端に入り込んだ髪の毛をキッと噛みしめ、このまま引き返してくれと願っても、なかなか柳原は立ち去ってくれない。
そしてふと、俯いた視界の端に何かが迫ってくるのが見える。それがなんだか分からないまま、僕は慌てて1歩後ろに下がって距離を取った。
「あ……えっと、髪の毛噛んでいたから……」
僕が立っていた位置に、柳原の伸ばした手が宙を彷徨っていた。その手は悔しそうにギュッと空を掴み、そのまま下ろされた。そして一歩、柳原が足を踏み入れる。先ほど離れた距離を縮められて、僕は咄嗟にまた一歩、また一歩と後ろに下がった。
じりじり追い詰められ、背中に壁が当たる。これ以上は下がれない。これ以上は……これ以上は来ないでくれ!
「ごめん……俺、教室に戻るわ。しばらく経ったら、話す機会がほしい」
追い詰められた僕を見て何を思ったのか、柳原は苦虫を噛み潰したような顔をして振り返った。そのまま廊下の奥の、彼のクラスの教室へ戻っていく。
彼はいつも『これ以上』のラインを越えない。それが今はとても有難かった。僕は去っていく柳原を引き留めることも出来ず、その後ろ姿が見えなくなるまで黙って見送っていた。
◆◆◆
そして気持ちも現状も、何も解決しないまま金曜日を迎えてしまった。目の前にある襖を開いて、思わずため息を吐いてしまった。
「来てしまった……」
放課後、僕は真っすぐ家に帰ろうと思っていたはずだった。だが放課後のチャイムが鳴ってぼんやりとした脳は、無意識に玄関とは反対側の渡り廊下へ向かうよう指示したらしい。茶道室の入り口の前で意識がハッとし、入口である襖を眺めていた。
当然、柳原は居ない。
「まあ来てしまったわけだし、折角だから1杯飲むか……」
大好きな抹茶を飲めばこの胸の奥のモヤモヤ感も少しは薄れてくれるかもしれない。電子ポットなんて便利なものはここに無いから、茶釜にいつもより少なめの水を入れて湯が沸くのを待つ。
僕以外居ないので、いつものようにきっちりお点前する気はないが、茶道室の中だとつい正座になってしまう。
数分で湯気が立ち昇り、いつも自分が使っている茶碗を目の前に置いて抹茶の粉を入れた。
いつものようにお湯を注ぎ、茶筅で抹茶をたてる。手首を振るようにお湯と抹茶を混ぜて、きめ細かな泡をたたせていく。いい具合に混ざり合ったので茶筅を置き、茶碗を手に取った。
そして茶碗を回して向きを調整し、自分の横にその茶碗を置いた。
「あっ……」
その一連の動きは、お客様にお茶を渡す時の動作だった。今日は自分1人しか居ないからそんな事をする必要はないというのに、いつもの癖でついやってしまった。
そう、1人……今の僕は1人だ。畳の上の何もない1人分の空間が妙に広く感じる。あるべきものがそこに無いかのような喪失感があった。
金曜日の放課後、お茶をたてて横を向けばいつも柳原が笑っていた。だけど今日は居ない。
僕が……もう来るなと言ったから……。
「勘弁してくれ……」
本当は気付いていたけど、気付きたくない彼への想いを自覚してしまった。金曜日の放課後のお茶会は、それほど大切な時間となっていた。自分にとって柳原は、それほど大きな存在になっていたんだ。
いつものようにお茶を受け取って、意味も分からず茶碗を回して飲んでほしい。ニカッと爽やかな笑顔で笑って、『来週も楽しみにしている』と言ってほしい。正座が辛いなら胡坐でもいいから、茶菓子も抹茶を飲んだ後に食べても構わないから……。
狭いはずの和室も、1人で茶を飲むには広すぎる。
「でも、嫌いなものを無理やり飲ませたくもない……」
僕は柳原の気持ちを考えず嫌いなものを無理やり飲ませ続けた。自分が期待して、勝手に裏切られた気持ちになって彼を突き放した。もう来てくれるわけがない。
僕は横に置いた抹茶入りの茶碗を引き寄せた。飲もうと持ち上げたのに、なんだか違和感があって口をつけるのを躊躇った。自分のために淹れたはずなのに、まるで他の人の物を盗んでいる気分だ。
やはり僕は、この一杯を彼に用意する気持ちでたてたんだ。
茶碗を持ったままはぁ……と深いため息を吐いたその時だった。茶道室の襖がスパーンと勢いよく開かれた。
「えっ……何?」
思わず肩をビクリとさせて音がした方を見ると、開かれたふすまの奥に男子生徒が立っていた。
「あ、えっと……真雅君、だったよね? あのさ、柳原来ていないか?」
あの生徒の顔には見覚えがある。バスケ部の日向さんだ。彼は少し焦った顔で僕を見つめていた。
