笑顔で手を振っている柳原に、僕も小さく手を振り返した。すると柳原は、何故か嬉しそうにチームメイトを置いて僕のもとへ駆け寄ってくる。
「真雅も観戦に来ていたんだ。最後の見た? 俺の華麗なるロングシュート、格好良かっただろ!?」
「あ、うん。見たよ。格好良かった」
「っしゃ、だよなぁ!!」
柳原は嬉しそうにガッツポーズをとる。他のチームメイトにも散々褒められていただろうに、僕の単純な言葉にも幼い子供のように喜ぶ。胸に黒い気持ちがモヤモヤ漂う僕とは違う。僕に釣り合わないほど純粋で眩しい。
「柳原、そいつ誰だー? 別クラスの人?」
突然柳原の後ろから声が聞こえ、声の主はガッツポーズをして喜んでいる彼の肩に肘を置きながらもたれ掛かってくる。
「日向、重いんだが」
「カリカリするなエース様。んで、君の名前は?」
そう言いながら日向は僕の顔を興味深そうに覗き込んでくる。
「えっと、真雅心一です」
「あー、最近柳原が世話になりまくっている茶道部の!」
日向さんは左手の手のひらに右手の拳をポンと置き、納得したように呟く。何が『世話になりまくっている』なのかよく分からないが、柳原が金曜日茶道室に出入りしている事はバスケ部に周知済みらしい。
「なあなあ真雅君、こいつ金曜日いつも菓子を食べに行っているんだろう? もし余っていたら俺にも分けてもらいたいなぁ~って思うんだけど駄目かな?」
「はぁ!? 駄目だ!!」
「いや、柳原に聞いてねぇから」
日向さんはねだるように両手の手のひらを擦り合わせて小首を傾げている。その様子に、何故か柳原は慌てて日向さんの口を押えようと手を伸ばした。しかし日向さんはその手をするりと躱し、やれやれと鼻で笑った。
「ええっと、確かに茶菓子も用意するけど、柳原はあくまでも抹茶を飲みに来ているんだよ。日向さんは濃い抹茶大丈夫そう?」
日向さんの口に合うかは分からないけど、もし抹茶が好きなのだとしたら柳原だけに振舞うのは不公平だよな。大人数で押し寄せられるのは困るが、1人増えるくらいなら構わない。
むしろ気心知れた仲間が来る方が柳原も喜びそうなものだが、何故か柳原は慌てて日向さんを捕まえようとしている。
「うん? 柳原って抹茶が嫌いだろ? 菓子だけ食って帰っているんじゃねぇの?」
「えっ……?」
「ちょっ……日向テメー!!」
今、日向さんは何と言った?
聞き間違いでなければ『柳原は抹茶が嫌い』と言っていた気がする……。でもそんなはずない、だって柳原はあの文化祭で僕が作った抹茶の出来栄えを褒めてくれた。あの瞳の輝きや声色はとても嘘を言っているとは思えない。
「日向頼む、もう黙ってくれ!!」
柳原は相変わらず日向さんを捕まえようとしているが、動揺して足がもつれているからか避けられていく。バスケで慣れた相手を躱す足さばきが、そう簡単に捕まる事を許してくれない。
柳原の顔に先ほどまでとは違う焦りが見え始める。秘め事が明るみになるのを恐れているかのような慌てようだ。こんなに動揺している姿は初めて見た。
「柳原は、僕と同じ抹茶好き仲間で、あの……」
「えっ、それはないだろう。以前マネージャーが自販機の飲み物色々買ってくれた事があってな、こいつ『俺、抹茶嫌いだからこれだけはいらん』って抹茶ラテは取らなかったし」
ピシッと、心に亀裂が入る感覚がした。
「でも、文化祭で茶道部のところに来てくれて……」
「ああ~、あの『タダで菓子食えるなら仕方ないけど行くか~』って言っていたやつ? そういやその頃から金曜日居なくなっていたな。茶道部で出される菓子ってそんなに美味いのか?」
「……そう、なんだ」
そうか、彼は茶菓子目当てでやってきたのか。
いや、冷静に考えればそうか。本当に抹茶が好きならじゃんけんの景品じゃなくて自分でチケットを買ってくるはずだ。柳原が否定しないどころか慌てている様子からして、多分日向さんが言っている事は本当なんだと思う。
柳原は……抹茶好き仲間じゃなかった。むしろ抹茶が嫌いだったんだ……。
本当は嫌いなのに、苦いのに、あれだけの事を言ってくれたのだ。使命感で毎週のように茶道室に来てくれたんだ。柳原は本当に良い奴なのだろう。
でもなんだか心臓が直接握られているかのように苦しい。先ほどの針で刺すような痛みとは程遠い、無視できない圧迫感だ。立ち眩みを起こしそうなほど強い衝撃を受けた脳が、ぼんやりと麻痺している。
「柳原、抹茶嫌いだったんだ……今までごめん……」
「真雅!! 違う、違うんだ!!」
ようやく捕まえた日向さんの口を押えながら柳原は叫ぶ。顔は真っ青で酷く動揺しているのか、先ほどの試合とは別の汗が流れていた。
柳原の様子の変化に日向さんもようやく気付いたのか、完全に沈黙し、僕と柳原を交互にキョロキョロ見て焦り始めている。
「いや、いいよ。元はといえば勘違いして誘った僕が悪いんだ。無理させてごめん。もう茶道室に来なくて良いから……」
今まで僕が感じていた楽しさも、小さな喜びも、彼の我慢と苦しみの上で成り立っていたのだ。僕が勝手に彼に対して仲間意識を持って接していたせいで、柳原も引くに引けない状況だったのだろう。
「でも、それはそうと最初から言ってくれれば良かったのに!! 本当は嫌いだと言って最初から突き放してくれれば、こんなに傷つく事はなかったのに!!」
悲鳴を上げる胸に手を当て、皺が寄るほど学生服を強く握りながら叫んだ。こんなのもう八つ当たりだ。それでもこの叫びを喉の奥にとどめる事が出来なかった。
週末の楽しみは全て僕の都合の良い妄想だったのだ。目元が熱くなって、眼球の奥から言葉にならない感情が零れ落ちそうになる。ツンと痛む鼻をすすって、色んな想いが溢れないように必死に堪えた。
「待ってくれ!! 確かにその……抹茶に苦手意識はあるが、決して茶菓子目的じゃなくて、本当の理由は別にあって……」
「うるさい!! 抹茶が嫌いな奴とお茶会する気はない、もう二度と茶道室に来るな!!」
これ以上ここに居たら、涙が頬を伝いそうだ。僕は伸ばされた柳原の手を振り払って、体育館から全力で逃げてしまった。揉めている様子を傍から見ていた部外者たちが僕を目で追うが、それでも走った。後ろの方で何度も柳原が僕の名前を呼んでいた気がする。でも、今更振り返る事なんて出来るはずなかった。
◆◆◆
僕はそのまま走り続け、茶道室の前に着いた。今日は部活のある日ではない。誰もない部室は相変わらずとても静かだ。いつもはこの静けさが大好きなのに、今は酷い孤独感に苛まれた。
僕は茶道で使う各道具が入れられている棚を開ける。数種類ある茶碗の中から、今朝新しく入れておいた物を手に取った。
柳原にはまだ言っていないが、これは彼とお茶会を始めて半年の記念に、こっそり買った茶碗だ。彼の好きな紅葉の饅頭と一緒に渡して、少しだけ特別なお茶会にしようと計画を立てていた。真実を知った後だと滑稽である。
「こんな物まで用意するほど僕だけが浮かれて、楽しみにして、馬鹿みたいだ……こんな物……!!」
悔しさと情けなさが迫り上げて、思わず茶碗を持った腕を振り上げる。振り下ろそうとした瞬間に、脳裏に浮かんだのはやはり柳原の屈託のない笑顔だった。こんな状況でも思い出すのは彼の顔で……自己嫌悪に陥りそうだ。
「……いや、叩き割るのは危ないし」
結局そのまま振り下ろす事も出来ず、僕はその茶碗を棚に戻した。僕は来週から、どんな気持ちで金曜日を迎えれば良いのだろう。
