ねえ、胸を張って。

 時間が経つのは速くて、河合には結局返事をできないまま文化祭がやってきてしまった。
「まっちゃん、今日カノジョさん来んの?」
 いや〜なメイド服に足を通しながら尋ねると、すごい食いつきで答えてくる。
「あだぼうよ! 『今日こんな服で行くねハート』っつって写メ送ってくれた! ちょーかわいい、世界一!」
 おー、うん、そっか。後半どころか八割方が惚気だぁ〜。ったくよ、これだから裏方は。呑気でいいなぁ。届いたときに一度来ているとはいえ、こうもメイド服がするする通ってそこそこ似合ってしまっていることが心より憎い。お前はこんな気持ち知らないだろ? な?
「まっちゃん後半だろ? 前半で連れ回されて楽しませてやれよな、リア充。」
「僻みか〜?」
「僻みだ〜! うぉらっ!」
 ありったけの力を振り絞って、寸止めで殴りかかる。「キャー」なんてまっちゃんはふざけるもんだから、渾身のデコピンを頬にお見舞いしてやった。デコピンはモロで当たるよりかするくらいが一番痛いんだ。
「おーい、そろそろ八時だから持ち場に着け〜」
 お、もうそんな時間か。俺が店の方に出て行く一方で、まっちゃんは「そろそろ来るから迎えに行かなきゃ! アデュー!」とほざいて消えていった。マジで一度しばこうかな、浮き足立ちやがって。
 八時きっかり。すっからかんの教室、ではなく店に、客が入り込んできた。すぐさま「いらっしゃいませ」と駆けつける女子たちの一方、「知り合いにメイド姿なんて見られたくねえ!」と動けない男ども。
 客が入り込んでくると同時に動かざるを得なくなって動き始め、女子たちにこき使われること四時間、シフトは文字通りあっという間に終わった。河合も同じシフトなのに、話しかける暇なんてなかった。あいつは女性客に時間を取られて手こずってたし。
 でも、伝えなきゃいけないことがあるんだ。

 伝えなきゃいけない、河合にごめんって伝えなきゃ。俺は勇気がなくて誰かと恋人になるなんてできないって。
 シフトが終わるや否や教室を出ていった河合を追って廊下に出る。急いでいたからメイド服のままだ。でも、今はそんなこと、どうでもよかった。
 あれからずっとビクビクしてるんだ。わからない、わからない、河合の気持ちが俺には全くわからない。俺のどこを好きになったのか、わからない。英語の授業中にネイティブの先生に話しかけられて何言ってるか全くわからないのと少し似ている。まず理解できない、次に何をすべきかわからない。怖くてたまらない。
 だからそのわだかまりを捨て去るんだ。申し訳ないし、少しやるせない気持ちになるけど、きっとこれが最適解だと思っている。——いる、か、ら……。
 角を曲がる後ろ姿を見かけて追った。そしたらどうしたことか、河合は女子といた。ああ、そんなこと河合の自由なんだから俺にどうこう言う権利はない。ましてや恋人でもないんだから。でもさ、その子、あのときの子だよな? 合コンで連絡先交換した、別れ際にカフェに誘ってきた、あの子。いけないのに、思ってしまう。お前は俺のことが好きなんじゃなかったの、って。
 どうしよう、声、かけるべき? でも邪魔しちゃう……。むしろ邪魔したい、とすら思った心はとりあえず殴っておいた。こんな格好で出てきてしまったせいで、嫌でも視線が集まる。河合の大股二歩分くらい後ろをキープしたままどうしよう、どうしようと迷っていると、周りの視線を追ってか、河合がこちらを向いた。今、行くしかないだろ。
 と、思ったのに、気づけば俺の足は回れ右して駆け出してた。無理無理無理! やっぱ怖い! さっき来た道をたどって逃げた。人のいない場所なんてすぐに見けて逃げるように駆け込み、しゃがんで小さくなる。
 恥ずかしい、恥ずかしい、何もかも恥ずかしい。まずこの格好で出ていったことが恥ずかしい。そのうえこの格好で走ったことが恥ずかしい。そしてそんなのよりもずっともっと、チャンスを逃して声をかけられなかった臆病な自分が恥ずかしい。消えたくて、消えたくて仕方ない。ミノムシみたいなミノを作ってその中に篭りたい。自分の部屋に、カーテンを閉め切って引き篭もりたい。誰にも見られない場所に行きたかった。
「大庭!」
 耳から脳みそまで貫通しそうな声量。周りなんて構いやしないっていう河合らしさが垣間見える。それに混じって聞こえる荒い息遣い。見上げれば、額に汗の滲んだ河合が、躍動感満載で壁に手をかけていた。
 ……
「えっ‼︎」
 えっ、なんでいるの? あの子はどうしたの? てかなんで追いかけて来たの? 訊きたいことは数えきれないほど。けれど口から出るのは音のない吐息だけ。この役立たずの口、今すぐ引きちぎってやろうかと思った。
「大庭」
 言いたいことがいっぱいなのはきっと俺の方なのに、先に口を開いたのは河合だった。
「なんで逃げたの?」
 どき。わからないよ、俺にも答えられない。そしてその言葉だって口は発してくれない。ああ、もおッ! 本当に、本当に……っ!
「もしかして……嫉妬?」
 はたとして、無意味な口の動きも、思考も止まった。……嫉妬? わけがわからない。けれどそれにしっくりきている自分がいる。いや、だめだろう、それは。これから告白を断るって分際で。
 しかし体は思いに忠実なようで、みるみるうちに顔は沸騰したように熱を帯びていく。
「俺さ、」
 さっきまで高くにあった顔がすぐそこに来ていた。驚きのけぞって、頭を打つ。でも何もわからない。
「大庭は俺のこと好きなんだと思ってたんだけど。」
 さらに下へ落ちて、のぞき込んでくる。どうなの、という目。問い詰められているような気分になる。
 ああそうだ、好きだよ、すごく好きだ。でもさ、そんなことさ……言えないよな、どうしたって。だって怖いじゃないか。少女マンガの「フられるかもしれないから怖い」じゃないんだ。言うこと自体が怖いんだよ。
 言いあぐねている俺を見かねてか、河合は二択を出してきた。
「じゃあ、俺のこと、好きか嫌いかで言ったらどっち?……嫌い?」
「嫌いなわけない!」
 はっとして口を押さえた。嫌いじゃない、たったそれだけ。でも言っちゃった、言ってしまったよ。なんか河合は少し口角上がってるし! 見かねてなんかじゃなかった、駆け引きだ、これは。まんまとかかってしまった。
「じゃあ、好き?」
 やっぱりこうくる! ねえ、どうすればいい? どうすればいいんだ。この流れでだって、俺の口は動くだけ動いて声を発さない。言葉にしなきゃ河合には何も伝わらないのに。
 困り果てた俺は、ポケットからスマホを取り出した。文字でならギリいける気がする。メッセージで伝えよう、「好き」と。……「好き」と……。文字を打っても、送信できない。送信ボタンに触れようとすれば勝手にバツ印のボタンに指がいく。
「河合は……」
 無意味に近い状態で、口が動く。
「河合はなんで俺のこと好きなの? どこを好きなの?」
 面倒くさい質問だろう。けど河合の口はすぐに動いた。
「えっとまず——」
 だから、それを遮った。聞きたくない、と思ったから。
「俺なんかの、どこがいいの?」
 そう言った途端、河合は悲しそうに目尻を下げた。すごく、すごくすごく悲しそうな顔だった。思わず「え、あ……」なんて、言葉にも文章にもなりきれない声が漏れた。
「お願い。」
 河合の両手が、俺の両手に被さる。触れた、のに、どきっとなんてしていられなかった。悲しそうな顔が、ぎゅっと俺の胸を締め付けた。
「お願い、俺に向かって”なんか“なんて言わないで。俺は大庭のことが好きなんだ。だから……でも、えっと、大庭が自分を卑下するのを、俺はやめろとは……言わないよ。それも、大庭だから。……でも! 大庭が”なんか“って言う大庭も、大庭なんだ。俺の大好きな大庭なんだ。……どっちも。」
 決してきれいな文章じゃない。時折止まって、続きの言葉を探して、言葉を比べて選んで。考えて。でも、愛おしい。たまらなく、愛しい。
 ……ああ、俺……すごく、愛されてるんだ。
 そう思うと、目頭が焼けるように熱くなった。上手く表情を保てない。紙をくしゃっと丸めるみたいに、無造作に、どうしようもなく歪んだろう。でも、それごと包むみたいに、河合は俺を抱きしめてくれた。一瞬、とても戸惑った様子だったけど、強く優しく、抱きしめてくれた。
 ……ああ、嗚呼。
「ねえ、大庭。お願い、俺を大庭の恋人にしてはくれない?」
 ……ああ……。
 嗚咽が混じり始めたのを噛み殺し、鼻を啜る。それから、頷いた。きちんと、はっきりと。
「うん、うん。」
 何に対して言っているのかわからない河合の声には、いや、”も“、嗚咽が混じっていた。ねえ、こんな幸せってないよ。

 翌日の河合は、教室に入るなり大股で歩いて俺の元へやってきた。
「大庭!」
 一対一にはちょぉっとデカいかな〜、という声量だったが、文化祭二日目に浮き足立って騒然としたクラスには当たり前のように溶けていった。
「俺、これから大庭の好きなところ、いちいち全部言う! 覚悟しろ!」
 びっと指を差して言った。なんじゃそりゃ。え、いちいち?
「あ、それ。」
 どれ⁉︎
「わけわかんね〜って顔、かわいい。好き。」
 なんて急に耳元で囁いてくるから、蹴り飛ばしてやった。なんだよこれ。河合に「かわいい」って言われるの、嫌じゃないのが、やだ!