ねえ、胸を張って。

 体を這うメジャー、真剣な女子たちの視線、男どもの冷やかしの視線。それらにどことなく疲れを覚える。そして半分虚無だ。
 そう、俺はいつの間にか接客担当にさせられていたのだ。男どもが「あいつ男の中じゃかわいー顔してっし」と言い出したことが元凶だ。もちろん、誰が言ったのか問い詰めて腹パンと言う名の制裁をした。一人だけみぞおちにヒットしてしまったのでそいつだけには謝っておいた。が、解せぬ! 男に「かわいー顔」は誉め言葉じゃないからな!
「うぇーい、大庭測られてやんの……。」
「お前もやん」
 そんないるか? というくらいの女子に囲まれ、メジャーを張り巡らされている河合が虚無の笑顔で言ってくる。ブーメランだ。そして多分今の俺と似た心情だと見受けた。
「なに? 家庭科部の方行き続けてたら勝手に決められてた? 流石にそれは抗議してよくね?」
「や、体験入部終わってんのに家庭科部っつってサボってたら勝手に決められた。」
 肩をすくめる。ちょうど腕が自由になったのでおよよ、と泣くふりをした。いや、お前が悪いだろ、百パー。
「自業自得過ぎて草も生えんわ。」
「じゃあ笑う」
「笑うな」
 ……う~ん、採寸終わらねえなぁ。
「まだっすか?」
「まだだわアホ。サボり魔は今のうちに働いてるみんな見て見習い方覚えとけ。」
 ぐうの音も出ない。だが残念ながら、一番目の前にいるのは俺と同類のサボり魔のイケメンだ。わざわざイケメンから目を逸らす奴なんていないだろ? そしたら俺にはその後ろの真面目なみんなの姿なんて映らないのだ。そのうえ、好きな人となったらもっと。……ああ、無謀だねぇ、俺よ。
「……あーい、おっけ!」
 突然ばしっと背中を叩かれて解放される。しっしと手振りだけで追い払われる。用済みもいいとこだ。
「あ、ちょまって」
 今度は襟を掴まれた。
「ぐえっ」
「デザインどっちがいい? やっぱ大庭はミニスカート?」
「ンでだよ、ぜってーロンスカだわ。」
「おっけ、じゃもう用ないから。」
 ひでえ。ばしっと別のところで音がして、河合が解放された。おじいちゃんみたいに背中をさすってる。ああ、うん、痛いよなあれって。女子って男に遠慮ないから怖い。河合と合流して背中をさすりながら馬車馬のように働いている他の男どもに混ざる。
「ちっす、改心の大庭と未改心の河合~。」
「大庭⁈」
 えへ、とおどけると遠くのまっちゃんから「キモイわ!」と野次が飛んでくる。いや、なんで見てんねん、そっちのがキショいわ、仕事しろや。
「今これなにやってんの?」
「レジ作ってる」
 ああ、レジのあの学生机の下のところを覆う段ボールのあの何か……。
「メニューとかは?」
「女子の担当。俺たちは手ぇ出すなって。」
「ごもっとも」
 ……うーん。振り返る。河合はちゃんといた。
「なあ河合、今日なんか静かくね?」
「そ? 自分じゃわからん」
 こてん、と首をかしげる仕草がメロい。ヤバい、かわいい。抱きつきてぇ~。
「……ちょっとね、考え事。大庭のミニスカかわいーだろうなって。」
 う~ん、それを蒸し返すかあ。お主もなかなか……。つか、フツーに言ってること変態じゃね? まっちゃんが喰いつくように訊いてくる。
「マジ? お前ミニスカにされそうだったの? 草」
「草じゃねっすわ」
 まっちゃんの両手に肩を掴まれ、背中をしゃがんだまっちゃんの膝に引き寄せられる。すると、でも、と河合の言葉の続きが聞こえた。
「ミニスカメイドの大庭をみんなに見せんのはやだな。」
 ⁈ なっ、に言ってんだよ! あー心音やべえな、引っ込んでろ心臓クン。胸がはちきれそうだ。あ、もしかしてすでに皮膚破ってる? このはち切れそうなのワイシャツだったりします?
「大庭? めっちゃ固まってるけど大丈夫?」
「あー……」
 うぅん、近いっ! 多分今ので心臓が五割り増しくらいで力強くなったと思う。自分の胸元を見下ろしてから顔を上げた。皮膚破れてない!
「ダイジョブ!」
「おー、元気で何より。」
 涼し気な笑顔がやっぱり眩しすぎる。もはやこいつは発光体なのではないか? あ、そういえばこいつの名前って「()大」だったな。まさに「河合!」という感じの名前。一方の俺は「(こう)」なんて名前負けしているけど。親には言えないな、そんなこと思っているなんて申し訳なさ過ぎて。
「はーいお二人さん、足元だけ見てないで~。仕事しろや~。」
 はさみの柄で頬をつついてくるまっちゃん。
「わり、何すればいい?」
「ん? テキトーにつったろ。あー……とりまこれ切っといて。」
 手渡されたのは厚めでデカい段ボールと、ただのはさみ一つ。追って設計図的な紙をペライチで渡された。手書き。丸っこい字からして、おそらく女子が書いたのだろう。おーまっちゃん、失くしたら締め上げられるぞ?
「大庭、俺も手伝う。それめっちゃ手ぇ痛くなるでしょ。」
 振り返ると、さっきまでやる気なんてかけらもなさそうでありそうでなかった河合がわざわざ自分のはさみを取り出して浮立っていた。左手を差し出して「それ渡して」と言わんばかり。言っておくがこれは楽しい仕事ではないぞ?
「おー……お前こっちからな。俺こっちから。」
 念のためクリアファイルに入れたプリントのあっちとこっちを指す。河合はそれをなぜか背中に体重をかけてのぞき込んでくる。離れてくれ、今すぐ離れてくれ頼むから。俺の心音聞こえるだろ。慌てて引っぺがした。
「……大庭、赤くね? 暑い?」
「は、当たり前~。さっさとやれし」
「はぁい」
 互いに離れ、段ボールの折れ目に沿ってはさみの刃をを奥まで開いて食い込ませる。黙々と作業を進める。
 するとなんだか不思議な感覚。周りの音が何もかも聞こえる。クラス中の話声が、鮮明ではないのによく聞こえる、矛盾した感じ。その中で俺だけがカプセルに閉じ込められたような気分になる。何だか落ち着く。時間がゆっくり進んで思える。汗がしたたっても不思議と手を伸ばす気になれない。

「大庭、生きてる?」
 どれくらい経ったか、河合の手が肩に触れてカプセルが弾ける。「なに」と振り向くとハンカチを差し出されていた。あ、汗か。ぐいと寄せてくるので手で制し、ポケットから自分のものを取り出す。
「ありがと。大丈夫、自分のあるから。汚れちゃう。」
「ほっか。」
 口を全く動かさずに言う。器用なやつ。他人の汗を免れたハンカチを引っ込める手はのろのろと遅かった。
「汗ヤバいから拭いて、水飲んで。」
「あんがと」
 くーっ! イケメン! 気遣い百億点満点! でも本当に言われた通りだ。汗だらだらでヤバい。滝かよってくらい。もはや段ボールに落ちて浸み込んでしまいそうなくらい。水、飲もう。……あ。
「水筒ねぇや。」
「マジ? こんな悪魔暑の日に?」
「語呂わるっ」
 ははっと笑う河合の顎からも汗が落ちていた。まあ俺は顎だけじゃなくて鼻先、額、瞼、どこからでも落ちてくるからずっと上手だけど。
「給水機行く?」
「んだんだ。」
 河合に腕を掴み上げられて立つ。俺はおじいちゃんですかいな。先を行く河合の左斜めの半歩ほど後ろを歩いてついていく。
「どーぞ。」
 自分も飲みたいだろうに先を譲ってくれる。やっぱイケメン過ぎんだろ。なんで彼女いねえんだよ。俺が女になったろか。
 給水機のボタンを押し、流水の描く放物線の頂点に口をつける。冷たい。半夏の日差しに火照った体と対照的だ。喉を通るたび、歯にあたるたび、思う。いじめかってくらいに冷てえな、おい。
「どーも、河合どーぞ。」
 ボタンを押す手を緩め、冷水でびっしょりになった口周りを手の甲で吹きながら振り返る。が、河合は一向に動かない。もしかして俺に付き合ってくれただけで河合は水筒あったのか? だが、だからといって帰ろうとする素振りもない。不思議に思い首をかしげると、河合はゆっくり口を開いた。
 窓から差し込む西日が顔半分を眩しすぎる白で塗って、開いていく唇をよく際立たせる。唇のしわ一本いっぽんすらにも目を引かれるよう。
「大庭、俺さ。」
 その声にはいつものおどけた様子はなくて、むしろ、すごく真剣な声色で。無意識にしゃんと背筋が伸びた。
「……俺さ、お前のこと、好き。」
 ……
「はっ?」

 どこを?