ああ、学生の天敵がなんたるかを、知っているだろうか。少なくとも学生であればわかるはずだ。——定期テストであるということが。
しかしきっと大丈夫! 俺には河合という頼れる友人がいる!
「……なあ、ここどうやって解くの? わかる?」
問題集のある一ページを指す。河合は自分も問題を解いている途中だというのに、それを中断してどおれと差し出された問題を読む。
「あ? ちょまって、そっち行かせて。」
まだ解いない問題だったのか、珍しく席を移ってこちら側に回り、俺の解読困難であろうノートと問題集とを見比べる。別に、俺がノートを河合の向きに回せばいいだけのはずなのに、こいつは謎に律義に俺の隣へやってくる。
「え~……あー……ああ。」
俺のノートだからと気遣って端っこの方だけに数式をこちょこちょと、唸りながら書く。すると、シャーペンを止め、おし、と声を漏らした。
「えっとな、これは——」
問題集を指したり数式を指したりしながら丁寧に解説してくれる。いちいち「——ってことで、わかる?」と確かめてくれたりして、なんだ、この至れり尽くせりは。
「おーっ! 解けた!」
アラビア文字の羅列みたいなノートを掲げ、にっと笑う。河合はそれに照れくさそうに、淑やかな笑みを返してくれた。
……河合って結構、落ち着いてるよな、ふとしたとき。なんつーんだろ、ちょっと違うかも。割とちょくちょく無邪気な面も見るけど、こういう、お母さんとか(性別変わっとるがな)みたいな面も、ふとした瞬間に見る。でも、ちょっと違う。だってそういう一面を見せられたときに俺は、少しどきっとするんだ。母親相手にどきっとなんてしないだろ? だから、なんだろう。
……いや、そもそも男にどきっとすること自体、もしかしておかしいか? いやでも、河合はイケメンだし……イケメンの破壊力は男女問わず健在だろう。
じいぃ~っ、と、テーブルに突っ伏して下から河合の顔をまじまじと見つめる。下から見てるのにかっこいいやつは、けっこうイケメンだと思う。
「? なにさ。」
俺の視線に気づき、河合がずいと顔を近づけてくる。同じように突っ伏して。
「やー、お前かっこいいな。」
ぱちくり。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔だ、本当に、文字通り。それから、ふはっと吹き出すように笑った。あ、今のは無邪気な方の河合だ。そんな顔もかっこいいの、やっぱイケメンは反則だ。
「うれしーじゃん、もっと言っていーぞぉ。」
照れ隠し、かな。真に受けていない感じ。押しても感触の軽い、みたいな。俺からすれば、結構本気で思ってるんだけれども。謙虚だな、やっぱこういうところもかっこいい。中身もいいとか、誰も勝ち目ねーよ。
諦めみたいな感情。少し違うな。降参、という感じ。参りました、って。
だからといって悔しさのようなものが込み上げるわけではない。それとはまるで傾向とか、方向性が違う。何て言うのだろう。こう……胸にきゅっとくる感じ。
……
不意に、視界に高校生らしき男女カップルが映った。青いなー、恋、恋かーなんて思ったりして。……なあ、これってさぁ……。
バチンッと、突然目の覚めるような感覚が頭にぶつかってくる。
「わり、河合ちょっとどいて。ジュースとってくる。」
「んぉ? うん」
よいしょとどいてくれた河合の横を弾けるように飛び出した。まずいまずいまずい、あまりにもまずい。
いや、落ち着け。何度も言っているじゃないか。河合はかっこいいから、俺はそれに見惚れてしまっただけだ。それに中身も格好良ければ、どきどきすることも何らおかしなことじゃないだろう。勘違いしそうになっているだけだ。頭を冷やそう。
頬をパンッと叩く。傍からしたら少し挙動不審だったかもしれない。だが今の俺には大事な動作だ。切り替えをするための。まったく、河合のことが好きかもしれないなんてだめだろ。あいつは友達だ。
……
ドリンクバーの前で俯いて立ち止まる。炭酸水の小さなボタンを押したまま、じいっとしている。途中で溢れそうになって現実に魂を引き戻された。
ぐずぐずしようがなく、すぐに席に辿り着いてしまう。音を立てないように置いたのに、トンと小さな音が鳴ってしまった。
「あ、大庭、おかえり。」
ふにゃ、と笑った表情が可愛らしかった。なんだよ、こんな顔もすんのかよ。赤ちゃんの笑顔を見たみたいな、きゅううん、と胸を締め付けられる感覚。いっぱい頭を掻き回して、ぎゅっと抱きしめたくなる。
「……」
ごく、ごく、ごく。ぷはっと息を吐いて飲み干す。左の口の端から垂れた一滴を無造作に手の甲で拭い飛ばす。う、喉がしゅわしゅわしすぎて痛い。炭酸なのに一気に飲み干したせいだ。
河合はすぐに頭を下げ、目を問題集の文字の上に落とす。目の動きに合わせてシャーペンの先が宙で文字をなぞり、最後の一文字の右隣へ、紙上に刺さる。それから、たんたんたんとリズムを打って、ノートへ移る。迷いなく、薄い青色の線の間を走りだす。さらさら現れる数字、記号、文字、どれも走り書きで雑で、歪だった。なんだ、河合も割と汚いんだな、と思った。
その様子をずっと、じっと見つめていた。さっさと自分のをやれよ、と自分でも思うけれど、どうにも目が離せない。河合の一挙一動を確かめるように、刻むように見入る。
「……何? めっちゃ見てくるけど。わかんないとこあった?」
あ、やべ、気づかれてた。
「や、お前も案外字ぃ雑だなって。」
「ひど」
と、言うわりには、楽しそうに笑っていた。
「はーい、勉強しなさい。」
ちえ、と悪態をついて、まあその通りなので手元に視線を落とした。……気のせいか、しばらくの間、シャーペンの音が一つだけだった。そこそこうるさいファミレスだが、なんとなく河合の音は全て聞こえるような気がしていたから、少し不思議な気分だった。そわそわする、そんな感じ。ひとりぼっちにされたみたいで落ち着かない。
そろ、と視線を上げると、河合はやっぱり問題にかぶりついていた。ほっ、と安堵の息が漏れる。シャーペンのもう一つの音も帰ってきて、すごく安心した。抱きかかえられているみたいな、すぐそばに体温を覚える感じ。俺の手の滑りが、いつもより少し速くなる。そして心なしか、河合の音も刻むリズムの感覚が短かく聞こえた。おかげさまで、釣られて俺の手もどんどん速くなって、どっぷり集中できた。
「……ね、河合。」
「ん?」
俺の声にまた、すぐに自分の手元を止めて顔をあげてくれる。
「えっと、ここ……習ったよな? 記憶にねぇ……。」
寝てたのかもしれない。完全に俺の落ち度なのに、河合の時間奪ってまで訊くのってどうなんだろう。するとはあ、と河合のため息が聞こえた。肩が跳ねる。
「遠慮とかするのな。変わんないよ、これ訊こうが訊くまいが、俺は大して。」
俺が気を遣わないようにか、そんな言葉をかけてくれた。聖人?
見せて、と俺の手の下から問題集をひったくる。ついでにシャーペンまで奪うから、俺は手持ち無沙汰になって指をいじいじつつき合った。
落ち着いた優しい気遣いも、少し荒っぽい気遣いも、どちらも並行してできるなんて……なんだかな、器用なやつ。
「……ありがと。」
いたたまれなくなって、こぼすように言った。うん、と短く頷いて、こちらには見向きもしなかった。でもなんだかそれに少し胸がほわっとぬくもった。
「大庭」
ん、とのぞき込む。
「ノート持ってきて」
ん、とノートを引きずり寄せ、筆箱から乱雑にもう一本のシャーペンを取り出す。
「あと教科書ない?」
ん、とバッグを探る。あった。
ぶっ、と後ろで吹き出す音が聞こえた。振り返ると、河合が肩を震わせていた。きょとんとして、なんだこいつ、という顔で教科書を胸の前にバリアみたいに構える。
「だってお前……さっきから『ん』しか言わねーじゃん!」
ひーひー言いながら腹を抱えていた。いや、正直それを言われた方が「なんだこいつ」だ。そんな笑うことじゃないだろ。変わったやつだな、笑いのツボが特に。でもすごく可笑しそうに笑っているから、こちらも悪い気はしない。ふっと笑みがこぼれる。
「笑ってねえで、教えてくれよ。教科書あった、バッチリ!」
またぶふっと笑いが加速する。
「『バッチリ』って……あるだけで何もまだしてねーだろ……」
腹を抱えて肩を小刻みに、時折大きく揺らして、テーブルに突っ伏して笑う。そりゃもう大爆笑だ。しかし流石にこれは心外だな。同じく突っ伏して肩をツンツンつつく。
「河合ー、おーい河合クーン。心外だぞー。こっち向けー、おーい。」
そう言うと、大爆笑の顔のまま、ごろんとこっちに顔が向いた。その表情がなんともあどけなくって、無邪気で、きらきらしていて……近くて。たまらず頭一つ分くらいのけぞった。
あ、ヤバい、まずい。
そう思ったときはもう手遅れだった。顔面がじわじわ熱を帯びていく。熱い、熱い、熱くって仕方ない。
ああだめだ、どうにも否定できないじゃないか。……俺は、——河合に恋をしてしまっているようだ。
しかしきっと大丈夫! 俺には河合という頼れる友人がいる!
「……なあ、ここどうやって解くの? わかる?」
問題集のある一ページを指す。河合は自分も問題を解いている途中だというのに、それを中断してどおれと差し出された問題を読む。
「あ? ちょまって、そっち行かせて。」
まだ解いない問題だったのか、珍しく席を移ってこちら側に回り、俺の解読困難であろうノートと問題集とを見比べる。別に、俺がノートを河合の向きに回せばいいだけのはずなのに、こいつは謎に律義に俺の隣へやってくる。
「え~……あー……ああ。」
俺のノートだからと気遣って端っこの方だけに数式をこちょこちょと、唸りながら書く。すると、シャーペンを止め、おし、と声を漏らした。
「えっとな、これは——」
問題集を指したり数式を指したりしながら丁寧に解説してくれる。いちいち「——ってことで、わかる?」と確かめてくれたりして、なんだ、この至れり尽くせりは。
「おーっ! 解けた!」
アラビア文字の羅列みたいなノートを掲げ、にっと笑う。河合はそれに照れくさそうに、淑やかな笑みを返してくれた。
……河合って結構、落ち着いてるよな、ふとしたとき。なんつーんだろ、ちょっと違うかも。割とちょくちょく無邪気な面も見るけど、こういう、お母さんとか(性別変わっとるがな)みたいな面も、ふとした瞬間に見る。でも、ちょっと違う。だってそういう一面を見せられたときに俺は、少しどきっとするんだ。母親相手にどきっとなんてしないだろ? だから、なんだろう。
……いや、そもそも男にどきっとすること自体、もしかしておかしいか? いやでも、河合はイケメンだし……イケメンの破壊力は男女問わず健在だろう。
じいぃ~っ、と、テーブルに突っ伏して下から河合の顔をまじまじと見つめる。下から見てるのにかっこいいやつは、けっこうイケメンだと思う。
「? なにさ。」
俺の視線に気づき、河合がずいと顔を近づけてくる。同じように突っ伏して。
「やー、お前かっこいいな。」
ぱちくり。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔だ、本当に、文字通り。それから、ふはっと吹き出すように笑った。あ、今のは無邪気な方の河合だ。そんな顔もかっこいいの、やっぱイケメンは反則だ。
「うれしーじゃん、もっと言っていーぞぉ。」
照れ隠し、かな。真に受けていない感じ。押しても感触の軽い、みたいな。俺からすれば、結構本気で思ってるんだけれども。謙虚だな、やっぱこういうところもかっこいい。中身もいいとか、誰も勝ち目ねーよ。
諦めみたいな感情。少し違うな。降参、という感じ。参りました、って。
だからといって悔しさのようなものが込み上げるわけではない。それとはまるで傾向とか、方向性が違う。何て言うのだろう。こう……胸にきゅっとくる感じ。
……
不意に、視界に高校生らしき男女カップルが映った。青いなー、恋、恋かーなんて思ったりして。……なあ、これってさぁ……。
バチンッと、突然目の覚めるような感覚が頭にぶつかってくる。
「わり、河合ちょっとどいて。ジュースとってくる。」
「んぉ? うん」
よいしょとどいてくれた河合の横を弾けるように飛び出した。まずいまずいまずい、あまりにもまずい。
いや、落ち着け。何度も言っているじゃないか。河合はかっこいいから、俺はそれに見惚れてしまっただけだ。それに中身も格好良ければ、どきどきすることも何らおかしなことじゃないだろう。勘違いしそうになっているだけだ。頭を冷やそう。
頬をパンッと叩く。傍からしたら少し挙動不審だったかもしれない。だが今の俺には大事な動作だ。切り替えをするための。まったく、河合のことが好きかもしれないなんてだめだろ。あいつは友達だ。
……
ドリンクバーの前で俯いて立ち止まる。炭酸水の小さなボタンを押したまま、じいっとしている。途中で溢れそうになって現実に魂を引き戻された。
ぐずぐずしようがなく、すぐに席に辿り着いてしまう。音を立てないように置いたのに、トンと小さな音が鳴ってしまった。
「あ、大庭、おかえり。」
ふにゃ、と笑った表情が可愛らしかった。なんだよ、こんな顔もすんのかよ。赤ちゃんの笑顔を見たみたいな、きゅううん、と胸を締め付けられる感覚。いっぱい頭を掻き回して、ぎゅっと抱きしめたくなる。
「……」
ごく、ごく、ごく。ぷはっと息を吐いて飲み干す。左の口の端から垂れた一滴を無造作に手の甲で拭い飛ばす。う、喉がしゅわしゅわしすぎて痛い。炭酸なのに一気に飲み干したせいだ。
河合はすぐに頭を下げ、目を問題集の文字の上に落とす。目の動きに合わせてシャーペンの先が宙で文字をなぞり、最後の一文字の右隣へ、紙上に刺さる。それから、たんたんたんとリズムを打って、ノートへ移る。迷いなく、薄い青色の線の間を走りだす。さらさら現れる数字、記号、文字、どれも走り書きで雑で、歪だった。なんだ、河合も割と汚いんだな、と思った。
その様子をずっと、じっと見つめていた。さっさと自分のをやれよ、と自分でも思うけれど、どうにも目が離せない。河合の一挙一動を確かめるように、刻むように見入る。
「……何? めっちゃ見てくるけど。わかんないとこあった?」
あ、やべ、気づかれてた。
「や、お前も案外字ぃ雑だなって。」
「ひど」
と、言うわりには、楽しそうに笑っていた。
「はーい、勉強しなさい。」
ちえ、と悪態をついて、まあその通りなので手元に視線を落とした。……気のせいか、しばらくの間、シャーペンの音が一つだけだった。そこそこうるさいファミレスだが、なんとなく河合の音は全て聞こえるような気がしていたから、少し不思議な気分だった。そわそわする、そんな感じ。ひとりぼっちにされたみたいで落ち着かない。
そろ、と視線を上げると、河合はやっぱり問題にかぶりついていた。ほっ、と安堵の息が漏れる。シャーペンのもう一つの音も帰ってきて、すごく安心した。抱きかかえられているみたいな、すぐそばに体温を覚える感じ。俺の手の滑りが、いつもより少し速くなる。そして心なしか、河合の音も刻むリズムの感覚が短かく聞こえた。おかげさまで、釣られて俺の手もどんどん速くなって、どっぷり集中できた。
「……ね、河合。」
「ん?」
俺の声にまた、すぐに自分の手元を止めて顔をあげてくれる。
「えっと、ここ……習ったよな? 記憶にねぇ……。」
寝てたのかもしれない。完全に俺の落ち度なのに、河合の時間奪ってまで訊くのってどうなんだろう。するとはあ、と河合のため息が聞こえた。肩が跳ねる。
「遠慮とかするのな。変わんないよ、これ訊こうが訊くまいが、俺は大して。」
俺が気を遣わないようにか、そんな言葉をかけてくれた。聖人?
見せて、と俺の手の下から問題集をひったくる。ついでにシャーペンまで奪うから、俺は手持ち無沙汰になって指をいじいじつつき合った。
落ち着いた優しい気遣いも、少し荒っぽい気遣いも、どちらも並行してできるなんて……なんだかな、器用なやつ。
「……ありがと。」
いたたまれなくなって、こぼすように言った。うん、と短く頷いて、こちらには見向きもしなかった。でもなんだかそれに少し胸がほわっとぬくもった。
「大庭」
ん、とのぞき込む。
「ノート持ってきて」
ん、とノートを引きずり寄せ、筆箱から乱雑にもう一本のシャーペンを取り出す。
「あと教科書ない?」
ん、とバッグを探る。あった。
ぶっ、と後ろで吹き出す音が聞こえた。振り返ると、河合が肩を震わせていた。きょとんとして、なんだこいつ、という顔で教科書を胸の前にバリアみたいに構える。
「だってお前……さっきから『ん』しか言わねーじゃん!」
ひーひー言いながら腹を抱えていた。いや、正直それを言われた方が「なんだこいつ」だ。そんな笑うことじゃないだろ。変わったやつだな、笑いのツボが特に。でもすごく可笑しそうに笑っているから、こちらも悪い気はしない。ふっと笑みがこぼれる。
「笑ってねえで、教えてくれよ。教科書あった、バッチリ!」
またぶふっと笑いが加速する。
「『バッチリ』って……あるだけで何もまだしてねーだろ……」
腹を抱えて肩を小刻みに、時折大きく揺らして、テーブルに突っ伏して笑う。そりゃもう大爆笑だ。しかし流石にこれは心外だな。同じく突っ伏して肩をツンツンつつく。
「河合ー、おーい河合クーン。心外だぞー。こっち向けー、おーい。」
そう言うと、大爆笑の顔のまま、ごろんとこっちに顔が向いた。その表情がなんともあどけなくって、無邪気で、きらきらしていて……近くて。たまらず頭一つ分くらいのけぞった。
あ、ヤバい、まずい。
そう思ったときはもう手遅れだった。顔面がじわじわ熱を帯びていく。熱い、熱い、熱くって仕方ない。
ああだめだ、どうにも否定できないじゃないか。……俺は、——河合に恋をしてしまっているようだ。
