とある大正新婚夫婦の異世界転移サバイバル!日記 〜動植物学者の父に鍛えられたマイペース妻の知識がチートすぎて、未知の魔境を無双でまったり開拓していきます〜

ステラとの意思疎通は、文字通り難儀を極めた
なにしろ、言葉が通じないのだ
祥吾たちの「日本語」、きな子とステラが使う「エルフ語」
そしてステラが本来使っている「共通語」
三つの言語が入り乱れ、手探りの混沌状態がしばらく続いた

最終的に、一つの奇妙な『伝言ゲーム』の形に落ち着くことになった
まず、ステラがきな子に向けてエルフ語で話す
それを聞いたきな子が、神爺を介して祥吾と千草に伝える

それに対し、祥吾や千草が自分たちの知る
片言のエルフ語を交えながらきな子に答え
それをきな子がエルフ語でステラに伝える
という複雑な経路である

ひどく手間の掛かる対話ではあったが
それでも少しずつ
ステラの口から彼女自身の素性が語られ始めた

最初は、自分が親の顔を知らない孤児であり、獣人と人間の混血であること。
その忌まわしい血のせいで、周囲から迫害と差別の目を向けられ続けてきたこと
やがて、バルドという偏屈なドワーフの商人に拾われ
見習いとして雇われたこと
男として扱われ、日常的にげんこつを落とされるひどい扱いだったが
彼だけはステラが獣人の特徴を晒しても決して恐れたり
おぞましいものとして見たりしなかったから、今日まで必死に頑張ってこられたこと

その商人の仕事の中でエルフの村を訪れ、きな子と出会ったこと
過酷な運命を背負わされたきな子の境遇を
かつての自分と重ね合わせてひどく身近に感じ
同時に、エルフたちの冷酷な振る舞いに深い憤りを抱いていたこと

そして――
きな子の母の死と、きな子が森へ追放されたという事実を知った時
どうしても怒りが抑えきれなくなり
衆人環視の中で思わず獣人の特徴を晒してしまい
仲間の商人たちだけでなく、エルフからも化け物として石を投げられ
追い立てられたこと

ステラは、それらの凄惨な出来事を
まるで他人の昔話でも読み上げるかのように
淡々と、一切の感情を込めずに語った

少しでも言葉に感情を乗せてしまえば
せき止めている心のダムが完全に決壊し
二度と冷静に語ることができなくなると分かっていたからだ
畳の一点を見つめ、抑揚のない声で紡がれるその響きは
かえって彼女の負った傷の深さを痛いほどに物語っていた

祥吾も千草も、黙ってその話に耳を傾けていた
すでにきな子の記憶を通じてエルフの村の惨状を知っていた二人には
ステラが感情を押し殺して語らないその空白の行間に
どれほど多くの絶望と悲しみが
横たわっているかが痛いほどに察せられた

千草は、涙こそ流さなかったが、その大きく澄んだ目元を赤く湿らせていた
そして、決して安っぽい同情の言葉をかけることはせず
ただステラが必死にひた隠しにしている
見えない感情の震えに静かに寄り添うように
傷にまみれたステラの手を、自分の両手でぎゅっと
温かく力強く握り締めたまま、じっと話を聞き続けていた

ステラの氷のように冷たかった指先が
千草の体温に包まれて、微かに震える
ステラは俯いたまま
千草のその手の温もりを確かめるように、小さく握り返していた

***

ステラの身の上話が一段落したところで
今度は祥吾たちの素性を説明する番となった
しかし、こちらの説明はあまりうまくいかなかった

「つまり、
 俺たちは別の世界から家ごと飛ばされてきた人間でだな
 ここにいる神爺は、ステラの言う『創造神』と見た目はそっくりだが
 実は俺たちの故郷にいたただの土着の屋敷神で……」

身振り手振りと伝言ゲームを駆使して
懸命に説明を試みる祥吾だったが
ステラの顔には、困惑の色が深まるばかりだった

無理もないなと、祥吾も思う
『神様そっくりの神様(しかし、別の神様)がいて
 そのお方と対等に接している、異世界からの来訪者』
などという複雑怪奇な概念は、常識の枠を超えているだろう

ステラは、時折尊敬と畏れに満ちた目で祥吾たちを見上げ
「やはり、神の御遣い様で、ここは神様の国……」
という独自の、そしてある意味では強固な解釈から抜け出せないようだった

「……駄目だ、こりゃ、余計に混乱させてるな」
祥吾は頭を掻き
早々に言葉での説明を諦めて大きく息を吐いた

幸い、千草も自分と同じく
ステラを屋敷に迎えることに何の異存もないようだ

ステラの着替えや世話を、きな子と、神爺に任せ
祥吾と千草は客間を後にして居間へと戻った
廊下を歩く間も
祥吾の頭の中では今後の生活についての思考を巡らせていた
ステラは帰る場所を失った、きな子も帰る場所を失った。
では、自分たちはどうなのだろう

居間に腰を下ろし、千草が淹れてくれた温かい茶を一口啜ってから
祥吾は口を開いた。
「千草。ステラが元気になった時でいいから
 彼女に、今後どうしたいかを聞いてみてくれないか」
「今後、でしょうか? ……この家で、私たちと一緒に暮らすのではないのですか?」
千草が、お盆を胸に抱いたまま少し心配そうに聞いてくる

「俺ももちろんそのつもりだが
 本人がどう願っているかが一番だからな
 ……無理に引き留めるような形にはしたくない
 あくまで確認のためだ」
その言葉に、千草はほっとしたように表情を緩め、深く頷いた
「わかりましたわ」

「もし、彼女がこのままここでの暮らしを望んでくれるようだったら……
 彼女に、言葉を教えて貰おうと思う」
「それはようございますね
 どうやらこの世界では、ステラさんたちの使っている言葉が
 一番広く使われているようですので――『共通語』と言っていましたかしら」
「ああ、そうだな」

祥吾は湯呑みを持ったまま、庭の景色へ目を向けながら
その実、何も見ていないような眼差しをしていた
自分の中に芽生えつつある
いくつかのずしりとした想いの輪郭を確かめるように

言葉を覚えるということは、この世界で生きる覚悟でもあるのではないか
だからこそ、今聞いておきたかった

「旦那様?」
その静かすぎる様子を少し不審に思った千草が
小首を傾げて問いかける
「どうか、なさいましたか?」
「……いや」
祥吾は、無意識に首を横に振った

そして、一拍おいてから
湯呑みを卓に置き、意を決したように真っ直ぐに千草の目を見た

「千草
 ……この異世界に飛ばされてから
 俺の目には一度も狼狽えも、戸惑いも見せていないように見えるが
 ……実際、どうなのだ?」
「どう、と申しますと?」
「……元の世界へ、帰ろうとは思わないのか?」

静かな居間に落ちた、あまりにも核心を突く問いかけ
その言葉の重みを、千草は逃げることなく真剣な顔で受け止めた
少しの間を置き、彼女は背筋をピンと伸ばして答えた。

「旦那様のいるところが、私のいるところです」

それは、良き妻としての完璧な
そして一切の嘘のない答えだった。
そう言った千草に対し
祥吾が「そうか」と何かを言いかけようと口を開いた
その時、千草が、少しいたずらっぽい顔をして
クスッと小さく笑い声を漏らした

「ふふっ……すみません。この物言いは、少しずるいですわね」
「千草?」
「ごめんなさい。旦那様は、『私自身として』どうしたいのかを、聞いておられるのですよね」
「……そうだな」

千草は目を伏せ、自分の膝の上で両手をぎゅっと握りしめた
少しだけ考えてから、顔を上げ、今度は淀みなくきっぱりと言い放った

「私は、この世界に、いとうございます。……ですが」
「んっ?」
「これは、私の『わがまま』です」
「それは、わがままでは……」

異世界で生きたいと願うことがどうしてわがままなのか
祥吾が否定しようとするが
千草はふるふると強く首を横に振った。
そして、大きく息を吸い込み
潤みを帯びた瞳で祥吾を真っ直ぐに射抜いた。

「いえ、わがままなのです!
 これは……これは!
  旦那様への、私の…… 私の本心からのわがままなのです!」

「本心?」
「はい!」

千草のその表情。
それは、以前にも一度だけ見たことのある顔だった
良き妻という仮面をかなぐり捨て
祥吾という男に全幅の信頼と情熱をぶつけてきた時の
あの鮮烈で美しい表情。

元の世界の役目やしがらみに縛られず、
祥吾と共に、自分たちの家族を築いていけるこの世界を
彼女は心の底から望んでいるのだ
たとえそれが、過酷な環境下の生活であったとしても

「……そうか、本心か……」

祥吾の胸の奥底から、じわっと温かい
泣き出したくなるような喜びが満ちていく
千草の答えを恐れる必要など、初めからなかった
自分の妻は、こんなにも逞しく、そして愛おしい

祥吾は、胸のつかえが完全に取れたような、清々しい笑顔を浮かべた
「では、俺も千草に、とびきりのわがままを言おう」
「はい……?」
「千草の居るところが、俺の居るところだ」

先ほど千草が使った「ずるい言葉」をそのままそっくり返され
千草は一瞬きょとんと戸惑い
――やがて、その意味を理解して、顔を真っ赤に染めた

障子の向こうからは
きな子とステラの笑い声が小さく聞こえてくる

そんな愛する妻の姿と家族の笑い声のなか
祥吾は初夏の青空のように、晴れやかに笑うのだった