ここに来て


 5時間目の授業が少し早めに終了したというのに、席を立とうともしない人がほとんどだった。今さっきの鐘の音に反応して気だるそうに体を起こした人はまだいい方で、机に伏せってぐっすり眠っている人もいる。

 退屈で意味不明な古文の授業を、一番眠くなる昼下がりにやるのは間違いだと思う。鳴海も例に漏れず、大きなあくびをしてから、腕を伸ばして大きく伸びをした。
 鳴海が今日特別眠いのには理由があった。

 瑞原が学校の図書館にない『モルガン戦記』の番外編をもっているというので、昨日学校で借してもらいその日の夜のうちに読み始めた。そうしたら予想以上に集中していていつのまにか最後まで読みきってしまい、気づいたら夜中の一時半だったのだ。

 閉じかけたまぶたでぼんやりとしていると、視界に目を細めて小さく手招きしている先生が見えた。国語の教科担当で、担任の村坂先生だ。年配のベテラン教師だけれど、やさしい田舎のおじいちゃんみたいで親しみやすい人だ。

 指差して、自分のことかと確認すると、彼はおおらかな笑顔で頷いた。
 教卓に近づくと、先生はそのまま教科書を持って廊下に出てしまった。鳴海もそれに続いて教室を出た。
 先生は鳴海の顔を見てから、咳みたいな笑い声をだした。

「眠い。と、顔に書いてある」
「……」

 なんと返したらいいかわからない。肯定したらさすがに失礼な気がする。

「寝る子は育つ。成長期はたくさん寝て食べるのが一番」
「……だから、先生は寝てる人注意しないんですか?」

 純粋に疑問だったのだ。鳴海が渋い顔のままそんな風に尋ねたら、また先生は咳みたいに笑った。

「1年生のクラスでここまで寝てるのはなかなか珍しいがね」
「なんかすみません」

 そう返しながら、なぜ自分が代表して謝ってるんだと首を傾げる。

「それはそうとして、これを準備室まで戻してきてくれないか」

 授業で使った先生お手製の巻物みたいな張り紙2本が廊下に立てかけてあってそれをひろいあげて渡される。おじいちゃん先生だから準備室まで行くのは大変なのだろう。そういうことなら仕方ない。

「わかりました」

 先生と別れて、そのまま一番すぐ近くにある階段を息を切らしながら一目散で昇った。けれども、4階と5階の間の踊り場で急に足が止まる。

 そういえば国語の準備室の場所を知らない。
 仕方ないので上の階までのろのろと登り切って、とりあえず辿りついてしまった5階の廊下をうろうろとしてみる。

 通常のクラスルームはこの階にはないはずだったので、準備室があるとしたらこの辺りな気がするのだが。

 6時間目に家庭科の授業があるのか、裁縫道具をもった他学年の生徒たちがばらばらと友人らと連れだって鳴海を横目に通り過ぎていく。がたいが良く、制服を着崩しているのでおそらく3年生だろう。
 見知らぬ3年生に声をかける勇気もなく、あてもなく彷徨ってしまう。

 次の授業があるのに、どうしようか。一旦教室に戻った方が良いかもしれない。移動教室だったら遅れてしまいそうだ。

(起き抜けの運動にしてはハードすぎない?)

 そんなことを考えながら往生際悪く、いろんな教室を覗いて確認していたら後ろから鳴海をよぶ声がした。

「おーい、鳴海!」

 顔を上げると愉吉だった。

「あれ、愉吉なんで……」
「おまえ呼び来たからに決まっとるやろ!」

 愉吉は息切らしながらこちらに来て歩を止めた。

「どこ行ってんねん!優雅な休み時間過ごしててんのに、おかげで村坂のじいじにいきなり追え!って命じられたんやで」
「あれ、準備室って感覚的にこっちかと思ったんだけど?」
「ぜんぜんちゃうで。2階の渡り廊下渡って反対の校舎や」
「え!」
「まあ次、総合やから平気やで」
「ああ、よかった」
「よかったやないで!どこまでお使い行ってねん」

 愉吉はまくしたてるように言った。
 準備室がまさか全くの見当違いの場所だったとは。

「ごめんごめん。ありがとう連れ戻しに来てくれて」

 はははっと笑ってしまって、あまりの愉吉の血相に急いで口をへの字につぐんだ。
 そんな様子をじとりと睨まれる。

「ほんまに目離されへんわー」

 愉吉は睨みを解くと、大げさなため息を吐き出した。
 そこから始まった愉吉の小言がひと段落すると、ふたりで廊下を進む。いっそのこと2階の準備室まで行って巻物を返しに行くことにしたのだ。
 階段を降りながら、いきなり愉吉が叫んだ。

「せや!」
「びっくりした……なんだよ?」

 思わず立ち止まっていると愉吉が嬉しそうに振り返った。

「今日久しぶり一緒に帰ろうや!ゲーセン寄ろ!」
「あー、瑞原と約束してるんだ」
「なんや、残念や……てか俺も混ざってええやろそれ!」
「ああ、確かに。愉吉も一緒に帰ればいっ……」

 そう言いかけてすんでのところで言い留まった。
 瑞原に鳴海の数々の醜態について全く口止めをしていない。彼が愉吉と接触してベラベラと喋りだしたら、ほんとうに終わりだ。生涯笑い者になる。間違いない。

「いくないいくないいくない…!!あぶなー……」
「なんでや!?」
「ちょっと……いろんな事情がありまして、えー、なんというかそのー」

 そんな風に言い淀んでいると、愉吉は拗ねてズンズンと階段を降りだした。

「まって。ごめん。男のコカンに関わる問題なんだよ」
「コケンや!」
「そうそう」
「てか瑞原とよく一緒に帰ってんの知ってんねんで!昼休みも二人でどっかいってまうし!」
「ごめんて。あいつ普段塾あるから放課後遊べないんだよ。だから昼休みとか帰り道しかなくてさ」

 鳴海が理由を説明しようとそう言うと、愉吉は突然止まって勢いよく振り返った。
 もしかしたら逆効果だったかもしれない。でも仕方ないじゃないか。先に誘われているんだから。
 愉吉は鳴海に一歩近づくと声を顰めた。

「あいつ怪しない?なんか俺の第六感が言うてんねん」
「……なんだよそれ!」

 何を言われるのかと身構えていたらそんな悪口だったので、鳴海は少しイライラとして語気が強くなってしまった。 
 最近よく関わるようになってから気がついた。瑞原は誤解されやすいいけすかないタイプなだけで、本当はいいやつだ。『モルガン戦記』の番外編も貸してくれたし。

「意外といいやつだよ」

 鳴海は冷静に愉吉を見つめ返す。

「ほーん。まあええわ」

 腑に落ちない顔の愉吉は首を横に傾げると、鳴海の巻物を引ったくって、そのまま廊下を駆けて行ってしまう。

「あとからゲーセン行くから!」

 背中に叫ぶと、愉吉は振り返らずに右手だけ挙げた。
 
 
 鳴海は瑞原と別れたあと走って自宅に帰った。着くや否や、自分の部屋にリュックを投げ捨て置くと、財布が入ったワンショルダーの鞄を掴んで勢いよく家を飛び出した。
 自転車を猛スピードで漕いで向かう先は、もちろん近くのゲームセンターだ。

 大きな通り沿いにあるゲームセンターは、家から一番近い距離にあって、チェーン店なのでいち早くクレーンゲームの新しいプライズ景品が入るし、リズムゲームやメダルゲームまでひと通り揃っている。この近辺の中高生にとっては欠かせない放課後の遊び場所だ。

 鳴海はゲームセンターの自動ドアをくぐると、魚釣りモチーフのメダルゲームの前に座っている愉吉と葉村を見咎めて、その背中に声をかけた。

「どう?釣れてる?」
「おお、鳴海!」

 愉吉はリールを模したコントローラーを片手に振り返った。

「待て待て!今手離せないって!」

 愉吉の隣の葉村はというと、必死の形相でリールのハンドルを素早く回している。釣り堀の中の様子が見れる画面上では巨大な金色の鯉らしき魚の影がびしびしと跳ね回るモーションで葉村の糸にかかっている。
 鳴海は拳を握って後ろから檄を送る。

「いけいけいけ!」

 必死の攻防ののち、ついに金色の鯉は葉村の手によって釣れ上げられた。大きな鰭を翻して、画面いっぱいにのたうちまわる。四五〇コインという虹色の文字ともに巨大なその全貌が明らかになった。
 葉村は椅子から飛び上がって叫んだ。

「おっしゃーー!」
「すご!」
「めっちゃプラスやん!」

 愉吉は画面上に表示されたコインの数に目を見開いている。葉村の使ったリールは100コインを賭けたもので、釣り上げた魚の報酬コインは四五〇コインだったので、差し引き三五〇コイン分儲かったということだ。

「俺、めっちゃうまくない?」
「葉村何気にうまいこれ」
「脳汁出たわー」

 葉村はほくほくとした表情で呟いた。それを横で見ていた愉吉はすかさず鳴海の方を振り返って畳み掛けるように言う。

「ほら、鳴海!見たやろ!俺と葉村でちゃんとメダル増やしとったで!」
「愉吉は小魚しか釣ってなかっただろ!」
「ちっ!勢いで便乗しよ思ったんに」

 葉村が流されずに即突っ込むと、愉吉はわざとらしく舌打ちした。普段飄々としている愉吉もゲームごととなると性格が少々荒くなるのだ。

「まあまあ、落ち着きたまえよ。俺は心広いから?全部仕切り直しでも?ぜんぜんいいけど?」

 大物が釣れて気が大きくなった葉村は愉吉の肩を叩きながらそう切り出した。

「おお!さすが葉村!」

 おそらくコインの収支がマイナスになっているであろう愉吉はその提案に目を輝かせる。

「紘貴も来たことだし、次200コインずつ分けて一番増やせたやつに一番負けたやつがコーラ奢りにしようぜ!」
「いいね!」
「でも鳴海に釣りやらせたら一瞬でメダル溶けるで。早よ移動せな」
「絶対愉吉には言われたくないんだけど!」

 その後、運要素がさらに強い、野球モチーフのゲームに移動して、各々が2時間それぞれの台に集中した。
 結局最終的なメダルの数は、1位が522枚で鳴海、2位が241枚で愉吉、3位は0枚で葉村だった。
 ひとしきり遊んで疲れた鳴海たちはメダルを本部に預けたあと、休憩スペースの一角にあるテーブルを囲んでだらりと座っていた。

「最悪……!なんであんなこと言ったんだ俺……」
「はははっ!葉村おもしろすぎ!」
「0枚は見事やな」
「最後の最後の一枚まで粘ったのに!」

 葉村は悔しさを滲ませながら自販機で買ってきたコーラをテーブルの上へドンと置いた。

「やったー!勝利のビシュー」

 そう言って鳴海はテーブルの上のコーラをかっさらう。プシュッとコーラの缶蓋を開け、きつい炭酸を喉に流し込んだ。葉村と愉吉はその様子を物欲しそうに見つめている。

「紘貴まじで運良いかよ、ずり〜」
「へへへっ。日頃の行いかな」
 鳴海はさらに冷たいコーラを呷る。
「くそー!いいとこだけ取りやがって!遅れてきたくせに!」
「せやせや」
「しょうがないじゃん。先約あったんだし」

 鳴海の言い訳に、愉吉はじとりとした目を向ける。鳴海は逃げるようにさっと目を逸らした。すると愉吉は葉村の方に向き直ると揃えた指先を向けて手首を折った。

「聞いてよ、葉村の奥さん!私ちゅうええヨメがおりながら、勝手によそで遊んでんのよ、うちの鳴海は!」
「あらやだ、あのうぶな紘貴が?どうしたのかしら?」

 葉村は手を顔の近くできれいに合わせてぱちぱちと瞬きしながらこちらに視線を送ってくる。

「オエーっ!やめろそれ!」

 設定が意味不明かつ気持ち悪い口調のやり取りに、鳴海は吐く真似をする。

「相手は瑞原いう男でね」
「……え?ああ、あのモテモテのイケメンか!なんだやっぱ仲いいんじゃん」

 葉村は聞いたことがある名前にちょっと考えたあと我に返った。以前教室で瑞原と絡んだことを思い出したようだった。

「最近仲良くなっただけ」
「せやねん。最近仲ええねんこいつら……てか、おたくらなにしてんの?」
「なにって、音楽室行ったり、一緒に帰ったり、前は公園行ったけど。あの薄暗い森みたいな」
「森!?あの夕陽の森公園か。あんなとこ行かん方がええで」
「え?うん……。まあ、僕も好きじゃないけど」
「それに、あいつ正味怪しない?葉村もそう思わん?」
「そうか?」

 葉村は朧げな記憶を手繰り寄せるように左上の方を見上げて首を傾げる。

「愉吉しつこい!」

 何度も瑞原のことを不必要に疑ってくる愉吉に鳴海は声を荒げる。

「でもほんまの話、俺心配してんねん」

 眉を下げて思いのほか真面目なトーンで切り出す愉吉に、鳴海は眉を顰める。

「どういうこと?」

 思わず先を尋ねた。くだらない内容だったら許さない。

「……うーん、なんかなぁ、あいつ二重人格の噂あんねん」
「はい?それは愉吉はんの気のせいとちゃいまっか?」
「……前より関西弁うまなってんのいらつくんやけど。
まあ確かに気のせいって言われたらそうかも知れへん」
「じゃあ気のせいじゃん」

 鳴海がそう言うと、愉吉は「でもな〜」と首をひねりながら先を続ける。

「俺さ、割と誰でも仲良くするやんか。で、瑞原とも4月ごろからちょいちょい話すことあったんやけど、その時は元気ないけどまあまあ普通のやつやってん。でも、ここ最近というか、鳴海と絡みだしてからか……なんかあいつ時々人が変わるっつうか」
「なにこれ、笑っていいの?」

 葉村は愉吉と鳴海の顔を交互に見比べながら、すでに口端に笑みをたくわえて肩を振るわせている。

「いやー、わからん。正味気にしすぎやったらほんまに笑い話や。でもなんか俺と鳴海が話してる時視線感じると思ったらあいつやし、逆にあいつの視線の先追うと大体鳴海がおるんや」
「はははははっ!紘貴、やるね〜!」

 葉村は堪えてた笑いを決壊させて机をばしばしと叩いた。

「きしょいこと言うな!さすがにイライラしてきたんだけど」
「ああ、ごめんて!でもほんまに心配してるだけなんや」

 そう言い募った愉吉の顔を、鳴海は真偽を確かめるように見つめる。
 しばらくして鳴海ははあ、と大きなため息をついた。葉村が茶々を入れてきたので勘違いしそうになったが、愉吉は鳴海のことをおちょくりたいわけではないらしい。

「……わかったよ。ちょっとは気をつけてみてみる」