ぼんやりとした光が見える。
熱いような、温かいような。
自分の輪郭を徐々に思い出していくように、感覚がはっきりしてくる。身体を包む柔らかさは、ベッドだろう。
「エト…?」
聞こえてきた大好きな声に、エトワールは視線を向けた。
「ぷぅ…?」
目に入ったのは、心の底からホッとしたという顔をしたプラータだった。
「エト…!!よかった、目を覚まして。調子はどう?どこも辛くない?」
「ん…喉、渇いたかも…」
「わかった。すぐお水を持ってこさせるね。」
そう答えながら、扉の方を一瞥するプラータ。
ついエトワールもそちらを見るが、特に扉は開かない。プラータが動く様子もないことから、もしかしたらカロンが外で待機してくれているのかもしれない。水をとりに行ったのは彼かもと、エトワールは思った。
「えっと…私、どうしたんだっけ…?」
なんとなく気まずくて、布団を頬まで引き上げる。くぐもった声で尋ねれば、プラータは優しく微笑んで教えてくれた。
「3日間、ずっと高熱で寝てたんだよ。ハリスの右腕を清水魔法で治してくれてから倒れたんだけど…覚えてる?」
その言葉に従って記憶を思い返すエトワール。
確かに、戦っているハリスを見かけてから、彼のことが放っておけなくて…。
「ハリスの腕…どうなった?」
身体を起こしながら、エトワールは問いかける。
果たして治ったのだろうか。
「大丈夫。ちゃんと動くようになったよ。エトのおかげだ。」
プラータの言葉に、エトワールは心が軽くなる感覚がした。彼女の魔法は、ちゃんと効いていた。
「よかったぁ…」
安堵の声が、思わずエトワールから漏れた。
そんな彼女の様子を見守りながら、プラータが口を開く。
「でもエト、讃美歌のことや杯の水に傷口を浸すこと、よく知ってたね。」
その言葉に、エトワールはきょとん、とした表情で首を傾げた。
「讃美歌…?杯の水…?」
「えっ…と。ハリスからは、エトから讃美歌を歌えって言われたのと、教会の講堂に安置されてるアンピ湖の水にエトが彼の腕を浸したって聞いたんだけど…」
困ったように言うプラータ。一方エトは、不安げに眉を下げて答えた。
「なんとなく、そうやったらうまくいく気がして…。なんか、直感だけで動いちゃってたの。…ダメ、だったかな…?」
プラータは目を丸くしたが、すぐその表情は優しげな笑みに変わった。
「ううん、ダメじゃないよ。でもね、エト。清水魔法は、体力も精神力もかなり使うものなんだ。だから、今回みたいに無理に大怪我を治そうとしたら、反動でエトが高熱で倒れちゃう。だからこれからは、あんまり無茶はしないで。」
「そう…なのね。うん、わかった。心配かけてごめんね?プゥ。」
エトの謝罪に、頷くプラータ。労うようにエトワールの頭を撫でた彼の手は、昔と変わらず優しかった。
トントン、と軽いノックの音が響く。プラータがそれに答えれば、入ってきたのは孤児院の子供たちだ。
「エトお姉ちゃん、大丈夫?」
「お粥持ってきた!」
「お水もー!」
心配げに駆け寄ってくる子供たち。
エトワールは彼らの心遣いがとても嬉しかった。
ーーー
エトワールの看病を子供たちにまかせて、部屋を後にしたプラータ。
廊下では、カロンが彼を待っていた。
エトワールには聞こえないであろう位置まで移動してから、プラータが声を潜めて話し始めた。
「俺達の思った通り…讃美歌のことも、杯の水のことも、エトはカンだったって。分かっていてやったわけじゃないみたい。」
その言葉は、カロンも予想していたもの。しかし、いざ事実としてそれを聞くと、状況の不可思議さに思わず眉間にシワが寄った。
なぜ彼らがこれほど深刻になっているのかというと。
讃美歌とは、アンピトリテリア神の加護を祈り、清水魔法の力を高めるとされている歌だ。そして杯に入れられたアンピ湖の水ももちろん、女神に由縁があるものであり、讃美歌と同じ効果をもたらすとされている。
これは教会の関係者や、王立学園で文官になるために学んだ者であれば常識だ。
しかし、エトワールの地元であるセランディア村には教会さえない。
清水魔法のことも知らなかった彼女が、これらを知っているとはプラータとカロンには思えなかったのだ。
エトワールに内緒で彼らが深刻になっている理由は、もう一つ。
ハリスの右腕はただの怪我ではなかったからだ。
ハリス曰く、右腕には元々、邪教に心酔した両親によって彫られた入れ墨のような傷があったという。彼を邪教から助けた司教が言うには、その傷は「呪い」であり、冥界の神・ハリスディオンに捧げられる生贄の証のようなものだと言う。
エトワールの魔法で、それは消えてしまった。ハリスの腕にはうっすら傷跡が残るのみで、入れ墨はもうない。
これらの事実を鑑みて、カロンは重い口を開く。
「直感だけで動いて、呪いを浄化するなんて…。首都の教会にいる司祭や司教でさえ、出来るかどうか。」
「だよねぇ…。」
カロンの意見に、プラータも同意する。
彼らの頭に浮かぶのは、とある1つの可能性。
「まさか…彼女は本当に、「聖女」…なのでしょうか。」
カロンが呟く。その言葉に、プラータはうーーーんと唸るだけだった。
聖女とは、国の危機に現れると言われている伝説の存在。女神・アンピトリテリアの神聖をその身に下ろした者であり、大病・大怪我・聖水魔法・魔術、全てに対して万能な清水魔法を使えると言われている。
記録上、最後に現れたとされているのは二百年近く前。東の大陸の戦火がこの国にも迫った時だとされている。
もちろん、その詳細な記録は教会が保管している。王立学園の授業でもほとんど触れられない項目であり、軍士官科卒であればなおさら。
つまりプラータもカロンも、この話題に関しては門外漢だ。
プラータは頭をポリポリかきながら、力強く頷いた。
「………うん。わからないから保留!」
プラータのそんな開き直りに、カロンはため息をつく。しかしこればかりは、真面目な彼も己の主人に従うほかなかった。
ーーー
それから2日後。
エトワールの体調が万全になったのを確認して、プラータたちはヴァルトンの町を後にした。
馬にまたがり、街道を目指して走る。
先導してくれているのは、ハリスだ。
カロンが手綱を握り、その後ろに乗るプラータ。
前を走るハリスの背中を恨めしげに彼は睨みつけている。
そんな主人に、カロンはため息だ。
「…殿下。あまり嫉妬してると鬼になりますよ。」
「そうは言ってもさぁ……」
ハリスが操る馬には、エトワールも乗っている。
プラータたちを送ったあとにハリスが馬を回収する都合で、馬は二頭だ。そのため2人ずつ跨っているのだが…。
残念ながら、エトワール自身がハリスと同じ馬を希望したのだった。
一方、エトワールとハリス。
プラータからの視線をヒシヒシと感じてるハリスは冷や汗ものだった。
(なんでこっち乗ったんだよこの女!!)
そんな恨み言を頭に浮かべながら、馬を走らせる。
腕を治してもらった日以来、ハリスは王子からの嫉妬の視線をチクチクと感じ続けていたのだ。
おかげで体調を崩した彼女のお見舞いなんて出来るはずがない。エトワールと話すのは、あの月のない夜以来だ。
「腕…ホントに動くようになったんだね。」
そんなハリスの苦悩はつゆ知らず。
エトワールがハリスの右腕に触れてきた。
止めてくれ、と心の底から思うハリス。しかし、腕が動くようになったのはエトワールのおかげなので、邪険にするわけにもいかなかった。
「…まあ。」
曖昧に頷くことしかハリスには出来ない。
嬉しそうに微笑む横顔が見える。本気でそう思ってるであろうその表情で、エトワールがぽつりと呟いた。
「よかった。」
「っ…………」
ハリスにとって、それは思いもよらぬことだった。
身近な司教様や子供たちならともかく、目の前の彼女はただ、たまたまこの教会に立ち寄っただけだ。
そんな他人が、本気で自分のことを想ってくれるだなんて。
腕を治したあの夜もそうだったが、本当に、目の前の女はハリスにとっての常識を軽々と覆す。
「……お前のおかげだ。」
まだ、ちゃんとお礼さえ言えてない。
ハリスがポツリと呟けば、エトワールがこちらを見上げてきた。
目を合わせたら絶対に言えない。そう確信があったからこそ、ハリスはただ正面を見据えたまま、呟くように口を開いた。
「………ありがとう。」
嬉しそうに、エトワールの表情に花が咲く。
不器用ながらも口にしたその言葉は、しっかりとエトワールに届いていた。
ーーー
1時間は馬を走らせただろうか。
あっという間に、彼らの目の前には関所が見えてきた。
「あの関所を超えれば宿場町だ。さっき渡した教会発行の通行書を見せりゃ、北領内の関所はどこも通れる。宿場町まで行きゃあ、水路もある。暴漢に襲われることはもうねぇだろ。」
ハリスがそう告げる。
馬から下りた3人は、荷物を確認して背負い直した。
カバンの中には、子供たちが作ってくれた山菜の漬物と芋餅団子といった保存食も入っている。
乗ってきた馬をハリスに返しながら、プラータは笑顔で彼に声をかけた。
「ハリス、ありがとう!」
「助かりました。」
カロンも、プラータに続く。
そんな彼らの謝礼に、ハリスは居心地が悪そうに目を逸らす。
「…別に。」
それが照れ隠しだと、いまではプラータもカロンもわかる。もちろん、エトワールも。
彼の前に一歩近寄って、上目遣いでエトワールは言う。
「ねえハリス。1回くらい、私達の名前呼んで欲しーなー?」
「は、はぁ!?」
彼女のおねだりに、ハリスは完全に面食らってしまった。
なぜわざわざ王子の嫉妬を煽るようなことを言ってくるのか。本当に意味がわからない。
しかしハリスの懸念とは裏腹に、プラータもまたエトワールに同調して彼に向けて笑いかける。
「そーそー!俺も「王子」としか呼ばれないの、さみしいなー!」
「そうだよね!私だって、「女」って名前じゃないのよ?ハリス!」
「っ………………」
二人がかりのおねだり。困り果てたハリスは、彼らを止めてくれることを期待して従者に視線を送る。
しかし彼までも、勝ち気に笑って口を開く。
「これだけ過ごしたんだ。もう友達だろう?呼んでくれないのか?ハリス」
「なっ………」
友達。まさかそんな風に言われるとは思わなかった。
司教様とも、孤児院の子供たちとも違う関係。
そんなの、強いて言えば幼い頃に一緒にすごしたテオくらいか。
カロン、プラータ、エトワール。3人を順に見るハリス。誰も皆、お人好しな笑顔を浮かべている。偶然出会っただけなのに、こちらに対して妙に親身だった3人。信用できる、彼ら。
ハリスは、盛大に舌打ちをした。
「わかったからさっさと行け!…カロン、プラータ…エトワール!」
照れ隠しは、逆ギレのように乱暴な言葉にしかならなかった。
しかし、ハリスの本意などプラータ達には手に取るよう分かる。
嬉しそうに3人は笑い、手を振りながら旅の続きへ進んで行った。
「お手紙書くねーー!!」
「要らねぇ!!」
エトワールのありがた迷惑な声掛けに、ハリスは本気のツッコミを叫んでしまうのだった。
To be continued...
熱いような、温かいような。
自分の輪郭を徐々に思い出していくように、感覚がはっきりしてくる。身体を包む柔らかさは、ベッドだろう。
「エト…?」
聞こえてきた大好きな声に、エトワールは視線を向けた。
「ぷぅ…?」
目に入ったのは、心の底からホッとしたという顔をしたプラータだった。
「エト…!!よかった、目を覚まして。調子はどう?どこも辛くない?」
「ん…喉、渇いたかも…」
「わかった。すぐお水を持ってこさせるね。」
そう答えながら、扉の方を一瞥するプラータ。
ついエトワールもそちらを見るが、特に扉は開かない。プラータが動く様子もないことから、もしかしたらカロンが外で待機してくれているのかもしれない。水をとりに行ったのは彼かもと、エトワールは思った。
「えっと…私、どうしたんだっけ…?」
なんとなく気まずくて、布団を頬まで引き上げる。くぐもった声で尋ねれば、プラータは優しく微笑んで教えてくれた。
「3日間、ずっと高熱で寝てたんだよ。ハリスの右腕を清水魔法で治してくれてから倒れたんだけど…覚えてる?」
その言葉に従って記憶を思い返すエトワール。
確かに、戦っているハリスを見かけてから、彼のことが放っておけなくて…。
「ハリスの腕…どうなった?」
身体を起こしながら、エトワールは問いかける。
果たして治ったのだろうか。
「大丈夫。ちゃんと動くようになったよ。エトのおかげだ。」
プラータの言葉に、エトワールは心が軽くなる感覚がした。彼女の魔法は、ちゃんと効いていた。
「よかったぁ…」
安堵の声が、思わずエトワールから漏れた。
そんな彼女の様子を見守りながら、プラータが口を開く。
「でもエト、讃美歌のことや杯の水に傷口を浸すこと、よく知ってたね。」
その言葉に、エトワールはきょとん、とした表情で首を傾げた。
「讃美歌…?杯の水…?」
「えっ…と。ハリスからは、エトから讃美歌を歌えって言われたのと、教会の講堂に安置されてるアンピ湖の水にエトが彼の腕を浸したって聞いたんだけど…」
困ったように言うプラータ。一方エトは、不安げに眉を下げて答えた。
「なんとなく、そうやったらうまくいく気がして…。なんか、直感だけで動いちゃってたの。…ダメ、だったかな…?」
プラータは目を丸くしたが、すぐその表情は優しげな笑みに変わった。
「ううん、ダメじゃないよ。でもね、エト。清水魔法は、体力も精神力もかなり使うものなんだ。だから、今回みたいに無理に大怪我を治そうとしたら、反動でエトが高熱で倒れちゃう。だからこれからは、あんまり無茶はしないで。」
「そう…なのね。うん、わかった。心配かけてごめんね?プゥ。」
エトの謝罪に、頷くプラータ。労うようにエトワールの頭を撫でた彼の手は、昔と変わらず優しかった。
トントン、と軽いノックの音が響く。プラータがそれに答えれば、入ってきたのは孤児院の子供たちだ。
「エトお姉ちゃん、大丈夫?」
「お粥持ってきた!」
「お水もー!」
心配げに駆け寄ってくる子供たち。
エトワールは彼らの心遣いがとても嬉しかった。
ーーー
エトワールの看病を子供たちにまかせて、部屋を後にしたプラータ。
廊下では、カロンが彼を待っていた。
エトワールには聞こえないであろう位置まで移動してから、プラータが声を潜めて話し始めた。
「俺達の思った通り…讃美歌のことも、杯の水のことも、エトはカンだったって。分かっていてやったわけじゃないみたい。」
その言葉は、カロンも予想していたもの。しかし、いざ事実としてそれを聞くと、状況の不可思議さに思わず眉間にシワが寄った。
なぜ彼らがこれほど深刻になっているのかというと。
讃美歌とは、アンピトリテリア神の加護を祈り、清水魔法の力を高めるとされている歌だ。そして杯に入れられたアンピ湖の水ももちろん、女神に由縁があるものであり、讃美歌と同じ効果をもたらすとされている。
これは教会の関係者や、王立学園で文官になるために学んだ者であれば常識だ。
しかし、エトワールの地元であるセランディア村には教会さえない。
清水魔法のことも知らなかった彼女が、これらを知っているとはプラータとカロンには思えなかったのだ。
エトワールに内緒で彼らが深刻になっている理由は、もう一つ。
ハリスの右腕はただの怪我ではなかったからだ。
ハリス曰く、右腕には元々、邪教に心酔した両親によって彫られた入れ墨のような傷があったという。彼を邪教から助けた司教が言うには、その傷は「呪い」であり、冥界の神・ハリスディオンに捧げられる生贄の証のようなものだと言う。
エトワールの魔法で、それは消えてしまった。ハリスの腕にはうっすら傷跡が残るのみで、入れ墨はもうない。
これらの事実を鑑みて、カロンは重い口を開く。
「直感だけで動いて、呪いを浄化するなんて…。首都の教会にいる司祭や司教でさえ、出来るかどうか。」
「だよねぇ…。」
カロンの意見に、プラータも同意する。
彼らの頭に浮かぶのは、とある1つの可能性。
「まさか…彼女は本当に、「聖女」…なのでしょうか。」
カロンが呟く。その言葉に、プラータはうーーーんと唸るだけだった。
聖女とは、国の危機に現れると言われている伝説の存在。女神・アンピトリテリアの神聖をその身に下ろした者であり、大病・大怪我・聖水魔法・魔術、全てに対して万能な清水魔法を使えると言われている。
記録上、最後に現れたとされているのは二百年近く前。東の大陸の戦火がこの国にも迫った時だとされている。
もちろん、その詳細な記録は教会が保管している。王立学園の授業でもほとんど触れられない項目であり、軍士官科卒であればなおさら。
つまりプラータもカロンも、この話題に関しては門外漢だ。
プラータは頭をポリポリかきながら、力強く頷いた。
「………うん。わからないから保留!」
プラータのそんな開き直りに、カロンはため息をつく。しかしこればかりは、真面目な彼も己の主人に従うほかなかった。
ーーー
それから2日後。
エトワールの体調が万全になったのを確認して、プラータたちはヴァルトンの町を後にした。
馬にまたがり、街道を目指して走る。
先導してくれているのは、ハリスだ。
カロンが手綱を握り、その後ろに乗るプラータ。
前を走るハリスの背中を恨めしげに彼は睨みつけている。
そんな主人に、カロンはため息だ。
「…殿下。あまり嫉妬してると鬼になりますよ。」
「そうは言ってもさぁ……」
ハリスが操る馬には、エトワールも乗っている。
プラータたちを送ったあとにハリスが馬を回収する都合で、馬は二頭だ。そのため2人ずつ跨っているのだが…。
残念ながら、エトワール自身がハリスと同じ馬を希望したのだった。
一方、エトワールとハリス。
プラータからの視線をヒシヒシと感じてるハリスは冷や汗ものだった。
(なんでこっち乗ったんだよこの女!!)
そんな恨み言を頭に浮かべながら、馬を走らせる。
腕を治してもらった日以来、ハリスは王子からの嫉妬の視線をチクチクと感じ続けていたのだ。
おかげで体調を崩した彼女のお見舞いなんて出来るはずがない。エトワールと話すのは、あの月のない夜以来だ。
「腕…ホントに動くようになったんだね。」
そんなハリスの苦悩はつゆ知らず。
エトワールがハリスの右腕に触れてきた。
止めてくれ、と心の底から思うハリス。しかし、腕が動くようになったのはエトワールのおかげなので、邪険にするわけにもいかなかった。
「…まあ。」
曖昧に頷くことしかハリスには出来ない。
嬉しそうに微笑む横顔が見える。本気でそう思ってるであろうその表情で、エトワールがぽつりと呟いた。
「よかった。」
「っ…………」
ハリスにとって、それは思いもよらぬことだった。
身近な司教様や子供たちならともかく、目の前の彼女はただ、たまたまこの教会に立ち寄っただけだ。
そんな他人が、本気で自分のことを想ってくれるだなんて。
腕を治したあの夜もそうだったが、本当に、目の前の女はハリスにとっての常識を軽々と覆す。
「……お前のおかげだ。」
まだ、ちゃんとお礼さえ言えてない。
ハリスがポツリと呟けば、エトワールがこちらを見上げてきた。
目を合わせたら絶対に言えない。そう確信があったからこそ、ハリスはただ正面を見据えたまま、呟くように口を開いた。
「………ありがとう。」
嬉しそうに、エトワールの表情に花が咲く。
不器用ながらも口にしたその言葉は、しっかりとエトワールに届いていた。
ーーー
1時間は馬を走らせただろうか。
あっという間に、彼らの目の前には関所が見えてきた。
「あの関所を超えれば宿場町だ。さっき渡した教会発行の通行書を見せりゃ、北領内の関所はどこも通れる。宿場町まで行きゃあ、水路もある。暴漢に襲われることはもうねぇだろ。」
ハリスがそう告げる。
馬から下りた3人は、荷物を確認して背負い直した。
カバンの中には、子供たちが作ってくれた山菜の漬物と芋餅団子といった保存食も入っている。
乗ってきた馬をハリスに返しながら、プラータは笑顔で彼に声をかけた。
「ハリス、ありがとう!」
「助かりました。」
カロンも、プラータに続く。
そんな彼らの謝礼に、ハリスは居心地が悪そうに目を逸らす。
「…別に。」
それが照れ隠しだと、いまではプラータもカロンもわかる。もちろん、エトワールも。
彼の前に一歩近寄って、上目遣いでエトワールは言う。
「ねえハリス。1回くらい、私達の名前呼んで欲しーなー?」
「は、はぁ!?」
彼女のおねだりに、ハリスは完全に面食らってしまった。
なぜわざわざ王子の嫉妬を煽るようなことを言ってくるのか。本当に意味がわからない。
しかしハリスの懸念とは裏腹に、プラータもまたエトワールに同調して彼に向けて笑いかける。
「そーそー!俺も「王子」としか呼ばれないの、さみしいなー!」
「そうだよね!私だって、「女」って名前じゃないのよ?ハリス!」
「っ………………」
二人がかりのおねだり。困り果てたハリスは、彼らを止めてくれることを期待して従者に視線を送る。
しかし彼までも、勝ち気に笑って口を開く。
「これだけ過ごしたんだ。もう友達だろう?呼んでくれないのか?ハリス」
「なっ………」
友達。まさかそんな風に言われるとは思わなかった。
司教様とも、孤児院の子供たちとも違う関係。
そんなの、強いて言えば幼い頃に一緒にすごしたテオくらいか。
カロン、プラータ、エトワール。3人を順に見るハリス。誰も皆、お人好しな笑顔を浮かべている。偶然出会っただけなのに、こちらに対して妙に親身だった3人。信用できる、彼ら。
ハリスは、盛大に舌打ちをした。
「わかったからさっさと行け!…カロン、プラータ…エトワール!」
照れ隠しは、逆ギレのように乱暴な言葉にしかならなかった。
しかし、ハリスの本意などプラータ達には手に取るよう分かる。
嬉しそうに3人は笑い、手を振りながら旅の続きへ進んで行った。
「お手紙書くねーー!!」
「要らねぇ!!」
エトワールのありがた迷惑な声掛けに、ハリスは本気のツッコミを叫んでしまうのだった。
To be continued...


