※結城視点に戻ります※
一方、その頃――。
六畳一間の洋室。壁には、幼い頃に描いた僕の絵と妹の絵が対抗するように並んで貼られ、小さな本棚には、教科書や参考書が整列している。
そんな生活感溢れる部屋の窓際に置かれたシングルベッドの上で、僕は布団と毛布に包まっている。
寒空の下、薄着で過ごしたせいで風邪を引いてしまったようだ。体温計は三十八度二分を表示し、酷く頭も痛い。
「ゴホ、ゴホッ」
咳をしつつ、枕元にあるティッシュで鼻をかんでゴミ箱に捨てる。既に部屋のゴミ箱はティッシュの山だ。
「はぁ……」
息を吐きながら、布団を肩まで掛け直す。
あいにく母は仕事で、妹も小学校。父は、妹が生まれてすぐに事故で他界している。看病してくれる人はいない。高校二年生だから寂しいとも思わないが、ふと冴島の顔が頭に浮かぶ。
「冴島も風邪引いてないと良いけど」
連絡先を知らないので、連絡の取りようがない。田中に「冴島、学校来てる?」とメッセージを送ってみても良いが、怪訝に思うこと間違いなしだ。変に詮索されても嫌だし、やめておこう。
にしても、風邪を引いてしんどいのはあるが、冴島に会わなくて良いのは助かる。昨日の今日で、僕はどんな顔で会えば良いのか分からない。
「冴島は、僕のことが好きなのか……」
ポツリと呟けば、熱かった顔が更に熱くなった。
席は前後な上、放課後は勉強会。二人きりでないにしろ、冴島の気持ちを知ってしまった以上、意識せずにはいられない。しかも「落とす」と宣言までされている。どんな猛アプローチをされるのやら……。
「そういえば、チョコ、準備しなきゃな」
僕はスマホを手に取って、『チョコ』『作り方』『簡単』『甘さ控えめ』と打って検索する。
下にスクロールしていけば、チョコブラウニーが出てきた。
母は、今こそ店で買ってくるが、小学生の頃のバレンタインといえば、大抵これを焼いてくれていた。
作り方を見れば、混ぜてオーブンで焼くだけのシンプルなものだったので、僕にも出来そうな気がした。
「これにするかな」
作るものは決まったものの、これを渡すと、冴島の告白に対してOKを出しているのと同義。しかし、クレーマーから助けて貰ったお詫びは、チョコを渡すこと。僕は自動的に冴島の恋人に昇格してしまう。
そんな滅茶苦茶なお願いを律儀に聞くこともないのだが、真面目な僕は、それを無視することが出来ない。否、僕がチョコを渡さなければ、冴島は悲しい顔をするはずだ。その顔を見たくないというのが一番の理由。
昔から、僕は人が悲しむ姿が苦手だ。
父が他界し、母の悲しみに明け暮れる顔を見て、どうにか元気付けられないだろうかと思い、妹を赤ちゃんモデルにこっそり応募してみた。運良くそれに選ばれた妹を連れ、いざテレビ局へ。
母は、以前の明るさを取り戻したように元気に笑っていた。それも束の間の出来事ではあったが、それがきっかけで、母は忘れていた妹の成長に喜びを感じるようになったよう。徐々に笑顔を取り戻した。
「そういえば、あの時の迷子の女の子。今頃、何してるんだろ」
確か「君も子役?」と聞かれた記憶がある。あの時は、子役の意味を知らなかったが、今思えば「君も」ということは、少女は子役だったのだろう。可愛かったし、今をトキメク大女優になっていたりして。
その少女が、ふと冴島と重なった。
「ん? 似てるような……いや、まさかね」
とにかく、僕は誰かの悲しむ顔が見たくない。それが僕のせいなら尚更だ。
それに、周りの恋愛事情も普段から聞かされていたりするので、男同士だからという抵抗もあまりない。この際、成り行きに任せて冴島と付き合うのはアリだ。
ただ、それが不誠実な気もして、素直に受け入れられない自分がいる。
考えすぎて、頭痛が酷くなった気がする。
「寝よ……」
ひとまず、僕は目を瞑ることにした。
しんどいこともあり、僕はすぐに眠りについた――。
◇◇◇◇
それから数時間後。
――ピンポン。
インターフォンの音で、僕は目を覚ました。
「ハァ……ハァ……ゴホッ、ゴホッ」
眠る前より息苦しく、体が熱い。
こんな時に来客の対応はしたくないが、妹の可能性もある。ベッドからおりて、おぼつかない足取りで玄関に向かった。
扉をカチャリと開ければ、見覚えのある制服のズボンが目に飛び込んできた。妹でないのは確かだ。
「はい」
上に視線を持っていけば、それは僕を想ってくれる人……冴島だった。
「冴島……」
「お見舞い、持ってきた」
「ありが……ゴホッ、ゲホッ」
「結城!?」
冴島が慌てた様子で背に手を回して寄り添ってきた。
「だ、大丈夫」
「ごめん、これ、俺のせいだよね?」
いつになく弱々しい声を出す冴島。いつになくといっても、ほぼ会話をしたことはないが。
「水分、取れてる? ご飯は?」
「だ、大丈夫。ハァ……ハァ……」
喋るのもしんどくなってきた。
「結城、とにかく横になろう。入って良い?」
コクリと頷けば、冴島はローファーを脱いでから、僕を支えるようにして中に入った。僕もしんどいので、半分冴島に寄りかかる形で歩く。
部屋はさして広くないので、リビングを通り抜ければ、そこが僕の部屋だ。部屋に入るなり、ベッドに横になる。
熱いので布団をかけずにいたら、冴島がペタペタと首筋を触ってきた。
「凄い熱だね。しかも、凄い汗」
昨日は暖かかった手が、今日はひんやりと冷たくて気持ち良い。
「結城、着替えた方が良いよ。そこの引き出し、開けて良い?」
「うん……けど、学校は?」
壁に掛かった時計を見れば、十一時を指している。まだ学校は終わっていない時間だ。
「結城が心配だから、早退してきた」
冴島は引き出しから下着とパジャマの替えを取り出し、僕の着ているパジャマのボタンに手をかけた。上から一つずつ外され、下まで外れると、背を支えられながら座らされた僕は、それを脱がされた。
されるがままになっていると、目の前の冴島が固唾を飲んだのが分かり、我に返った。
「じ、自分で出来るから」
「しんどそうだから、手伝う」
「いや、しんどいけど、大丈夫」
目眩までして来たが、冴島は僕のことが好きなのだ。病人をどうこうしないだろうが、善意の裏側に下心が垣間見えて、このままでは色々まずい気がする。特に、そこにあるパンツなんて手伝わせる訳にはいかない。
一旦ベッドから降りて立ちあがろうとすれば、よろめいた。僕は冴島の腕の中にポスッと収まった。
「ご、ごめん……」
「ほら、無理しないの」
「……はい」
結局、僕は着替えを手伝ってもらうことにした。あくまでも、シャツとパジャマだけ。
――着替えを済ませた僕は、ベッドを背もたれ代わりにして座り、熱を測った。体温計が鳴れば、スッと冴島に抜き取られた。
「うわ。結城、解熱剤持ってる?」
「病院行ってないから……何度あるの?」
「三十九度」
「マジ?」
「マジ」
どうりでしんどいわけだ。
体温を聞いてしまったせいで、余計に体調が悪くなってきたような気がしてくる。そして、冴島が僕に恋愛感情を抱いていることも、どうでもよくなってきた。
「僕、もうダメかも」
隣に座る冴島の肩に頭を預けた。
「結城って、弱ると構ってちゃんになるんだね」
「ウザいよね。こんな僕、やめた方が良いよ」
「うん。結城以外なら即刻やめる」
そう言って、冴島は僕の肩に手を回してきた。ついでに頭をポンポンしてくるから、無性に安心してしまう。
「結城。お昼は?」
「ん、冷凍うどん作る予定」
「そんなんで作れんの?」
「無理かも。てか、食欲ない」
冴島の手が離れ、その手がそこにあるビニール袋に伸びた。
「ゼリーなら食べられる?」
「食べさせてくれたら」
「仕方ないなぁ」
やれやれといった様子の冴島は満更でもなくて、買ってきてくれた葡萄のゼリーとスプーンを袋から取り出し、それを開けた。
「はい、あーん」
「あむッ」
紫色の宝石のように光るそれを口に入れれば、思った以上にのどごしが良くて、すんなりと胃まで到達した。
「冴島、もう一口」
「はいはい」
冴島は、再びゼリーをスプーンですくい、口元に持ってきてくれた。
「どう? 美味しい?」
「うん」
この空気は、もはや恋人同士だ。
付き合うのがこんなにも心地良いのなら、僕は迷うことなどないような気がして来た。
「結城。早く風邪治す方法、知ってる?」
「んー、薬?」
首を傾げて冴島を見上げた瞬間、ちゅっと唇に何か触れた。言わずもがな、冴島の唇だ。
何が起こったのか分からず目を見開けば、冴島の顔が遠ざかった。そして、ニコッと微笑まれた。
「人に移すことだよ」
一方、その頃――。
六畳一間の洋室。壁には、幼い頃に描いた僕の絵と妹の絵が対抗するように並んで貼られ、小さな本棚には、教科書や参考書が整列している。
そんな生活感溢れる部屋の窓際に置かれたシングルベッドの上で、僕は布団と毛布に包まっている。
寒空の下、薄着で過ごしたせいで風邪を引いてしまったようだ。体温計は三十八度二分を表示し、酷く頭も痛い。
「ゴホ、ゴホッ」
咳をしつつ、枕元にあるティッシュで鼻をかんでゴミ箱に捨てる。既に部屋のゴミ箱はティッシュの山だ。
「はぁ……」
息を吐きながら、布団を肩まで掛け直す。
あいにく母は仕事で、妹も小学校。父は、妹が生まれてすぐに事故で他界している。看病してくれる人はいない。高校二年生だから寂しいとも思わないが、ふと冴島の顔が頭に浮かぶ。
「冴島も風邪引いてないと良いけど」
連絡先を知らないので、連絡の取りようがない。田中に「冴島、学校来てる?」とメッセージを送ってみても良いが、怪訝に思うこと間違いなしだ。変に詮索されても嫌だし、やめておこう。
にしても、風邪を引いてしんどいのはあるが、冴島に会わなくて良いのは助かる。昨日の今日で、僕はどんな顔で会えば良いのか分からない。
「冴島は、僕のことが好きなのか……」
ポツリと呟けば、熱かった顔が更に熱くなった。
席は前後な上、放課後は勉強会。二人きりでないにしろ、冴島の気持ちを知ってしまった以上、意識せずにはいられない。しかも「落とす」と宣言までされている。どんな猛アプローチをされるのやら……。
「そういえば、チョコ、準備しなきゃな」
僕はスマホを手に取って、『チョコ』『作り方』『簡単』『甘さ控えめ』と打って検索する。
下にスクロールしていけば、チョコブラウニーが出てきた。
母は、今こそ店で買ってくるが、小学生の頃のバレンタインといえば、大抵これを焼いてくれていた。
作り方を見れば、混ぜてオーブンで焼くだけのシンプルなものだったので、僕にも出来そうな気がした。
「これにするかな」
作るものは決まったものの、これを渡すと、冴島の告白に対してOKを出しているのと同義。しかし、クレーマーから助けて貰ったお詫びは、チョコを渡すこと。僕は自動的に冴島の恋人に昇格してしまう。
そんな滅茶苦茶なお願いを律儀に聞くこともないのだが、真面目な僕は、それを無視することが出来ない。否、僕がチョコを渡さなければ、冴島は悲しい顔をするはずだ。その顔を見たくないというのが一番の理由。
昔から、僕は人が悲しむ姿が苦手だ。
父が他界し、母の悲しみに明け暮れる顔を見て、どうにか元気付けられないだろうかと思い、妹を赤ちゃんモデルにこっそり応募してみた。運良くそれに選ばれた妹を連れ、いざテレビ局へ。
母は、以前の明るさを取り戻したように元気に笑っていた。それも束の間の出来事ではあったが、それがきっかけで、母は忘れていた妹の成長に喜びを感じるようになったよう。徐々に笑顔を取り戻した。
「そういえば、あの時の迷子の女の子。今頃、何してるんだろ」
確か「君も子役?」と聞かれた記憶がある。あの時は、子役の意味を知らなかったが、今思えば「君も」ということは、少女は子役だったのだろう。可愛かったし、今をトキメク大女優になっていたりして。
その少女が、ふと冴島と重なった。
「ん? 似てるような……いや、まさかね」
とにかく、僕は誰かの悲しむ顔が見たくない。それが僕のせいなら尚更だ。
それに、周りの恋愛事情も普段から聞かされていたりするので、男同士だからという抵抗もあまりない。この際、成り行きに任せて冴島と付き合うのはアリだ。
ただ、それが不誠実な気もして、素直に受け入れられない自分がいる。
考えすぎて、頭痛が酷くなった気がする。
「寝よ……」
ひとまず、僕は目を瞑ることにした。
しんどいこともあり、僕はすぐに眠りについた――。
◇◇◇◇
それから数時間後。
――ピンポン。
インターフォンの音で、僕は目を覚ました。
「ハァ……ハァ……ゴホッ、ゴホッ」
眠る前より息苦しく、体が熱い。
こんな時に来客の対応はしたくないが、妹の可能性もある。ベッドからおりて、おぼつかない足取りで玄関に向かった。
扉をカチャリと開ければ、見覚えのある制服のズボンが目に飛び込んできた。妹でないのは確かだ。
「はい」
上に視線を持っていけば、それは僕を想ってくれる人……冴島だった。
「冴島……」
「お見舞い、持ってきた」
「ありが……ゴホッ、ゲホッ」
「結城!?」
冴島が慌てた様子で背に手を回して寄り添ってきた。
「だ、大丈夫」
「ごめん、これ、俺のせいだよね?」
いつになく弱々しい声を出す冴島。いつになくといっても、ほぼ会話をしたことはないが。
「水分、取れてる? ご飯は?」
「だ、大丈夫。ハァ……ハァ……」
喋るのもしんどくなってきた。
「結城、とにかく横になろう。入って良い?」
コクリと頷けば、冴島はローファーを脱いでから、僕を支えるようにして中に入った。僕もしんどいので、半分冴島に寄りかかる形で歩く。
部屋はさして広くないので、リビングを通り抜ければ、そこが僕の部屋だ。部屋に入るなり、ベッドに横になる。
熱いので布団をかけずにいたら、冴島がペタペタと首筋を触ってきた。
「凄い熱だね。しかも、凄い汗」
昨日は暖かかった手が、今日はひんやりと冷たくて気持ち良い。
「結城、着替えた方が良いよ。そこの引き出し、開けて良い?」
「うん……けど、学校は?」
壁に掛かった時計を見れば、十一時を指している。まだ学校は終わっていない時間だ。
「結城が心配だから、早退してきた」
冴島は引き出しから下着とパジャマの替えを取り出し、僕の着ているパジャマのボタンに手をかけた。上から一つずつ外され、下まで外れると、背を支えられながら座らされた僕は、それを脱がされた。
されるがままになっていると、目の前の冴島が固唾を飲んだのが分かり、我に返った。
「じ、自分で出来るから」
「しんどそうだから、手伝う」
「いや、しんどいけど、大丈夫」
目眩までして来たが、冴島は僕のことが好きなのだ。病人をどうこうしないだろうが、善意の裏側に下心が垣間見えて、このままでは色々まずい気がする。特に、そこにあるパンツなんて手伝わせる訳にはいかない。
一旦ベッドから降りて立ちあがろうとすれば、よろめいた。僕は冴島の腕の中にポスッと収まった。
「ご、ごめん……」
「ほら、無理しないの」
「……はい」
結局、僕は着替えを手伝ってもらうことにした。あくまでも、シャツとパジャマだけ。
――着替えを済ませた僕は、ベッドを背もたれ代わりにして座り、熱を測った。体温計が鳴れば、スッと冴島に抜き取られた。
「うわ。結城、解熱剤持ってる?」
「病院行ってないから……何度あるの?」
「三十九度」
「マジ?」
「マジ」
どうりでしんどいわけだ。
体温を聞いてしまったせいで、余計に体調が悪くなってきたような気がしてくる。そして、冴島が僕に恋愛感情を抱いていることも、どうでもよくなってきた。
「僕、もうダメかも」
隣に座る冴島の肩に頭を預けた。
「結城って、弱ると構ってちゃんになるんだね」
「ウザいよね。こんな僕、やめた方が良いよ」
「うん。結城以外なら即刻やめる」
そう言って、冴島は僕の肩に手を回してきた。ついでに頭をポンポンしてくるから、無性に安心してしまう。
「結城。お昼は?」
「ん、冷凍うどん作る予定」
「そんなんで作れんの?」
「無理かも。てか、食欲ない」
冴島の手が離れ、その手がそこにあるビニール袋に伸びた。
「ゼリーなら食べられる?」
「食べさせてくれたら」
「仕方ないなぁ」
やれやれといった様子の冴島は満更でもなくて、買ってきてくれた葡萄のゼリーとスプーンを袋から取り出し、それを開けた。
「はい、あーん」
「あむッ」
紫色の宝石のように光るそれを口に入れれば、思った以上にのどごしが良くて、すんなりと胃まで到達した。
「冴島、もう一口」
「はいはい」
冴島は、再びゼリーをスプーンですくい、口元に持ってきてくれた。
「どう? 美味しい?」
「うん」
この空気は、もはや恋人同士だ。
付き合うのがこんなにも心地良いのなら、僕は迷うことなどないような気がして来た。
「結城。早く風邪治す方法、知ってる?」
「んー、薬?」
首を傾げて冴島を見上げた瞬間、ちゅっと唇に何か触れた。言わずもがな、冴島の唇だ。
何が起こったのか分からず目を見開けば、冴島の顔が遠ざかった。そして、ニコッと微笑まれた。
「人に移すことだよ」



