男子校のバレンタインは、戦場です。

※冴島視点です※

 翌朝。
 ――ピピピ、ピピピ。
 ベッドの上でふかふかの羽毛布団に包まれながら、腋から体温計を取り出した。
 三十六度二分の表示を見ながら、俺こと冴島柚子は落胆の色を見せた。
「はぁ……看病してもらう予定が」
 風邪を引いたら結城が看病してくれるはずだった。結城から言質を取った為、昨日は敢えてコートを脱いだまま寒空の下に長時間いたのに、咳も出なけりゃ頭痛すらしない。
「学校、行くかな」
 起き上がって、もふもふのスリッパを履いて身支度を始める。
 洗面所で顔を洗って、歯磨きをして、髪の毛をセットすれば、ほぼ完成だ。制服に着替えた俺は、冷蔵庫からエネルギーチャージのゼリーを取り出し、それを一気に吸い上げた。
 ゴミ箱の蓋を開ければ、昨日結城がくれた弁当の空容器が入っていた。それを見るだけで、顔が緩む。
 ゼリーのゴミをその上に雑に放り込み、もう一度歯磨きをしてから、俺は家を出た。

 世の母親が見れば、しっかりご飯を食べてから行きなさいと叱って来そうなものだが、俺はこのマンションに一人暮らしをしているので、とやかく言う人はいない。いや、一人暮らしをしていなくとも、俺の両親は仕事命なので、一人息子のことなど無関心だ。
 それを寂しくなんて思ったことはない。結城がくれたお守りがあるから。結城は覚えていないようだが、俺たちは、八歳の頃に一度会っている。

 両親は、共にテレビ関係の仕事をしているので、幼い頃からテレビ局に赴くことは多かった。しかも、この顔だ。子役としてドラマや映画に出演したことだってある。
 皆、褒めてくれた。天才子役だと言って、もてはやされた。子供だった俺は満更でもなくて、言われるがまま芝居を頑張った。そして、挫折した。
 天才ともてはやされていたのは、両親への忖度だ。本物の天才子役を前に、俺は手も足も出なかった。
 それから俺は、子役を辞めた。子役を辞めてしまえば、優しかった両親の態度が、子供ながら少しずつ変わっていくのに気が付いた。俺は、あくまでも両親の中で商品なのだ。価値がなければ捨てられる。そんな商品。
 勉強をして良い大学に出て、良い職に就けば、また優しくされるだろうなと思った。おそらく、そうだろう。しかし、俺は反抗期だったのか、両親の期待に反することばかりして叱られた。そんな時だった。結城に出会ったのは――。
 嫌々ながらテレビ局に付いて行った俺は、両親を困らせようと舞台裏に忍び込んだ。それを見ていた結城が、俺の後を付いてきていたのだ。
『ねぇねぇ、ここって入って良いの?』
 俺の服の裾を引っ張りながらキョトン顔で見てくる結城は、それはもう可愛くて……ではなく、初めは、悪戯現場を見られてしまったと焦った。けれど、まだ未遂。俺は誤魔化した。
『迷子になっちゃって』
『なんだ。来た道戻った方が早いよ。こっち』
 結城に手を取られ、来た道を戻った――はずだった。
『あれ、どっちだろ』
 結城が、本格的に迷子になった。
 俺は道を知っているが、悪戯の邪魔をされたことで、少々苛立っていた。敢えて知らないフリをした。
『どうしよ……帰れなかったら』
 不安げな演技をすれば、結城は信じたよう。
『僕がいるから、大丈夫だよ』
 繋いでいる手に力が加わった。
 頼りなさそうな見た目の結城だが、誰よりも頼もしいと思った。
『女の子が一人でいたら、不審者に連れて行かれるから、絶対に僕の手、離しちゃダメだよ』
『女の子……』
 それから俺は、結城と手を繋いで、ひたすら歩いた。大人に道を聞けば早いのに、結城は誰かを頼ることをしなかった。否、恥ずかしがり屋の結城は、大人に声をかけられなかった。
『てか、君も子役?』
『こやく……って、なんだっけ?』
 八歳の結城の辞書に、子役という単語はまだ載っていないようだ。
『違うなら良い。じゃあ、ここには何しに来たの?』
『妹が、赤ちゃんモデルっていうやつ選ばれたんだ。オムツのCMとかの。それの付き添い』
『それなら……』
 大体そこのスタジオでやっていると、近くの白い扉に目を向ければ、ちょうどその扉から一人の女性が出てきた。結城の母だ。
『わっ、ひろちゃん。こんなところにいたの? 近くにいてって言ったのに』
『へへへ』
 笑って誤魔化す結城は、俺に向き直った。
『次は、君のお母さん。探さなきゃね』
『あー、えっと、いたから大丈夫』
『え、そうなの? 良かった』
 結城の手が離れた。
 何となく手が離れて寂しい気持ちになっていると、結城はポケットから何か取り出した。そして、俺の手に、それを乗せてきた。
『困った時は、いつでも私を呼んでくれ』
 結城は、手の平の上に置かれた戦隊モノのフィギュアのキャラの真似をした。
 一瞬の沈黙が流れ、俺は、そのドヤ顔に吹き出した。
『はは、全然似てないし』
『良いの! こういうのは、気持ちなんだから』
『気持ち……か。じゃ、困った時は、呼ぼうかな』
『任せなさい』
 胸に手を当てる姿は、やはり全然似ていなかったが、その純粋無垢な結城に救われた。私利私欲にまみれた大人の世界を先に知ってしまった俺に、ほんの少しだけ綺麗な世界を見せてくれた。
 ――それから、俺は結城のくれたフィギュアを宝物に、勉強することにした。親の期待に応える為ではなく、自分自身の為に。七光だと周りに揶揄されても、言い返せるように。
 ただ、どうしても結城にもう一度会いたくて、親の反対を押し切って、結城の受験する今の高校を選んだ。結城の居場所は、赤ちゃんモデルをしていた妹からの情報で知っていたから。

 ――公園の前のバス停まで向かうのに結城のアパートの前を通れば、いつものように二階の右から三番目の玄関に視線が行く。これは、高校一年生の時から日課になっている。
 ただ、俺の誤算は、結城に会いたいのに、会えないことだ。物理的にはいつでも会える。しかし、そうではなくて、結城を目の前にすると上手く話せないのだ。いつも挨拶止まり。それ以上でもそれ以下でもない。結城も必要以上に話してこないし、話しかけてくるのは、どうでもいい男ばかり。男子校だからか、唯一の告白チャンスの文化祭とバレンタインは、男子が野獣の如く詰め寄ってくる。
『告白されたいのは、結城からなのに……』
 いつか、ふとそう思ってから、俺は結城をそういう対象として見ていることに気が付いた。
 初めこそ、自分の中で相手は男だと否定していたが、結城を目で追えば追うほど、愛しさが増していった。この気持ちに嘘が吐けなくなってきた。
(昨日、落とすって宣言したし、バスの中で手とか繋いで良いかな。いや、昨日も繋いだか)
 ニヤニヤしながらバス停の前に立って腕時計を見れば、七時三十五分をさしていた。四十七分発のバスまでもう少しある。
 結城を待つのに胸が躍るが、それを周囲に悟られまいと、ニヤつく顔を引き締め、無表情を貫く。気だるそうにコートのポケットに手を突っ込みながら、昨日の結城の手の感触を思い出す。
 そんなことをしていたら、四十七分のバスが到着した。
(あれ? 肝心の結城は?)
 後ろを振り返って見ても、スーツを着た男性や女子高生しかいない。結城の姿がどこにもない。アパートの方から走って来るかとも思ったが、誰もいない。
(もしかして、逃げられた?)
 せっかく、自転車に乗りながらバス停に並ぶ結城をこっそり眺めるポジションから、バスの中で堂々と隣に並ぶ権利を得たというのに……。昨日、一方的に俺の気持ちを押し付け、半強制的に付き合う方向に仕向けてしまったから――。
 早まってしまったと後悔しながら、バスに乗り込んだ。座る場所がなさそうだったので、優先座席の前の吊革につかまりながら、結城とシール交換したベンチを眺めた。
(だけど、放課後は勉強会もある。押しに弱い結城なら、俺の猛アプローチに負けるはず。負けてくれ)
 昔結城がくれた戦隊モノのフィギュアをコートの左ポケットの中で、ギュッと握りしめた。
 ――結城が風邪を引いて寝込んでいるのは、学校に着いてから知った。