目が疲れていた。
黒板の文字がなんとなくボヤけるし、めずらしくも肩こりなんてものを感じていた。
この肩こりの原因は、十中八九、眼精疲労だろう。
ふだんから、目を酷使している自覚はある。
何より、スマホ。ついで、読書にテレビ。
おれの目は、睡眠中をのぞいて、毎日フル稼動している。
小学生の頃から眼鏡をかけるようになったけれど、たまには眼鏡を外して、遠くの景色を眺めなさい、と母親によく注意されていた。
近くにばかりピントを当てているから、目が疲れる。そして、視力が落ちる。
だから、意識して、裸眼で、遠くの景色を眺めるようにしなさいと口を酸っぱくするようにして言われてはいた。
が、そんなこと、ろくにやらなかった。
親の言い付けを守らなかったから、おれの視力は、順調に落ちていき、今では、眼鏡なしの生活はできなくなってしまっている。
中学生の頃、コンタクトにしたことはあった。
が、コンタクト生活を始めたとたん、電車内で度々痴漢にあうようになった。相手は、ほぼほぼ同性。つまり、男だ。
始めのうちこそ耐えていたけれど、あまりに頻繁に遭遇するので我慢の限界がきて、恥を忍んで、泣く泣く親に訴えたところ、両親の決断は速かった。
おれは、その日から、再び眼鏡生活に戻ることになった。
そして、両親から言われた。
家の外ではなるべく眼鏡を外さないようにしなさい、と。
それだけが自分の身を守るすべだ、と。
両親の顔つきがあまりに真面目で厳しく、怖くなったのを覚えている。
その後、遊びにきた母方の祖母にこの話をしたところ、泣いて、謝罪された。
おばあちゃんに似ちゃったばかりにこんなことになってしまって、と。
以来、おれは、 両親の厳命を守り、ずっと眼鏡生活をつづけている。
保健室に疲れ目の目薬って、あるのだろうか。
眼鏡を外し、片手をひらいて、両方のこめかみを軽くマッサージしていたら、斜め前から、声をかけられた。
「目が疲れてんの?」
王太陽だ。
おれは、手を離し、そちらを向いた。
「うーん、疲れた。たぶん、スマホの見すぎ。やっぱヤバいよな、スマホって」
斜め前の王太陽が、ものすごくボヤけている。
王太陽が今、どんな表情をしているのかさえ、わからない。
王太陽だけに限らず、手元近くにあるもの以外、すべてがうすぼんやりとしている。
「近眼まじやべーなー」
冗談めかして言ったものの、王太陽からは、何の反応もない。
すると、ややして、
「律──」
と、静かに呼ばれた。
「んー?」
おれは、目を閉じ、こめかみマッサージを再開した。
「律──」
「……」
「りつ……」
「……」
「リツ……」
おれの大安売りだな、と思っていると、ふいに、
「動くな」
と、低く、命令形で言われた。
なんだ? と思って、手を離したら、ぼやぁとした輪郭の王太陽が、こちらを見つめていた。
「なんか、ついてる」
「ついてる?」
「ほっぺたに、なんか」
そう言って、王太陽がこちらに身を乗りだし、腕を伸ばしてきた。
そのひんやりとした指先が、目の下に触れて、思わず目を閉じた。
「……」
「……」
何も言わない王太陽に、まぶたを開いて、おれは訊いた。
「とれた? 何だった?」
「とれた。飯つぶ」
「えっ?」
「嘘。まつ毛」
胸をなで下ろしていると、やっぱり地を這うような低い声で言われた。
「律、ってさ、全然顔違うよな。眼鏡とると、他人みたいに変わる」
「え?」
「眼鏡してると、ちんまりした顔立ちなのに、眼鏡外すと、お目めパッチリまつ毛バッサバサの超美少年じゃん!」
「ああ……目がね、視力悪すぎて、レンズ、分厚いのしてるから……」
そう言って、王太陽に眼鏡を渡してみせると、彼は、驚愕した。
「すげっ! レンズ、分厚過ぎて、フレームからはみだしてるじゃん! これって、アレか? 昔で言う、瓶底眼鏡!」
「ああ、そうだね。おばあちゃんも言ってたな。昔のガラスの牛乳瓶の底みたいだって」
王太陽は、しばらく眼鏡を色々な方向からみたり、かけたりしていたが、やがてこっちを見た。
「目、閉じて」
言われたとおりにすると、感触で、眼鏡が顔に戻されたのがわかった。
視界が、一気にクリアになる。
「律……」
王太陽が、眉根を寄せ、少し怒ったような顔つきで言った。
「あんまり──てか、なるべく人前で眼鏡外すなよ」
「……」
「絶対な!」
「……」
「返事は?」
「……ハイ」
よし! と王太陽は、片手を握りしめた。
「これからは、おれが守ってやるから──」
「……」
「おまえを……」
小さく、独り言みたいに言われて、俺は、なぜかそれ以上、何も聞けなくなった。
何から守ってくれるのか、いまいちわからなくて、首を傾げたけれど、言われて嫌な気持ちにはならなかった……。
王太陽、本日の観察結果
・特に何もなし
以上。
