どれくらい立ちすくんでいたのか。
「……そら? なにしとん、こんなとこで」
背後から、聞き慣れた声がした。
振り返ると、自転車に乗った涼が、コンビニ袋を提げて立っている。
その姿を見た瞬間、そらの目から涙が一粒こぼれた。
「は? え、泣いてんの。やば。
お前が泣くん小三んときのカレー事件以来ちゃう?
給食のカレーひっくり返して『もう食べられへん……』って泣いてたやつ!」
へらへら笑いながら茶化す涼は、
空気を読む気ゼロの陽キャバカそのものだ。
「うっさい……だまれや……」
しゃくり上げながら、そらが蚊の鳴くような声で返す。
涙は全然止まる気配がなく、ポタポタとアスファルトを濡らす。
——なんで、ふられたんやろ。
その答えがわかるほど、そらには恋愛経験も人生経験も足りなかった。
「……なあ、チャリ、乗らん?」
顔を上げると、涼はドヤ顔で親指を立てていた。
「夜風浴びたらマシなるって。
ほら、ラムネとチョコパイ、しゃーなしやるから、な?」
押しつけがましいほどのハイテンション。
でも、その調子に少しだけ救われた。
そらは鼻をすすりながら歩く。
涙はまだ止まらない。
けど、涼の背中を見ていると、ほんの少しだ深くけ息が吸える気がしてきた。
「落ちんなよー。うちのママチャリ、後ろめっちゃガタガタやからな!」
笑いながらペダルを踏む涼の背中で、そらは鼻水を拭いた。
涼のTシャツでそっと。
夜風が頬をなでて、涙の跡を乾かしていく。
近所の小さな公園に着くと、ぼんやりとした街灯に照らされた遊具が、
不気味に影を伸ばしている。
風も虫の声も、やけに耳につくほど静かで、
誰もいないのに誰かに見られてるような気がしてならない。
ふたりは何も言わずに自転車を降り、
そのままブランコへ向かう。
誰が誘ったわけでもないのに、同じタイミングで腰を下ろした。
「……幼馴染みって、こわ」
涼がぽつりと笑う。
「こういうとき無言でブランコ行くとか、運命か」
そらは俯いたまま、小さく笑った。
手に持ったチョコパイを開けると、
チョコがぐにゃっと潰れて指にベタッとくっつく。
「……うわ、これめっちゃ溶けてるやん。
冷やしてから食べなあかんやつやん。涼、ラムネちょうだい」
「……は?」
「ラ・ム・ネ」
涼は目を細め、
あきれ顔でポケットからラムネを取り出して放った。
「お前なぁ……
さっきまで人生終わったみたいに泣いとったのに、
ずうずうしさだけはブレへんな」
そらの手の中で、ラムネの筒がコトンと鳴る。
「ありがと」
少しの沈黙。
夜風がブランコの鎖をかすかに揺らした。
「……なあ、お前が泣くなんてどうせ黒川さんのことやろ。
……もしかして、もうふられたんか?」
そらはラムネのフタをクルクル回しながら、
ぽそっとこぼす。
「……お前、俺が振られたん、ちょっとおもろがっとるやろ」
一拍おいて、涼は吹き出した。
「ははっ……え、バレた?」
「やっぱな。お前、ほんま薄情なやつやな!」
「いやちゃうねん! バカにしてへん!
ただ、あまりにも速攻すぎて……びびっただけやねん!」
「……おい……」
「いやでも正直、あの瞬発力は五輪レベルやったで。
スタートのピストル鳴る前にゴールしてたやろ」
「やかましいわ」
そらがラムネを放り込みながらジト目でにらむと、
涼は悪びれもせず続けた。
「でもまあ、ちゃんと告白したんはすごい思うで。
俺なら絶対ビビって言えへん」
「ほう」
「なにより、あんな雲の上みたいな人に挑んだってのがすごい。
無謀なチャレンジ精神。尊敬します!」
「失敗前提みたいでムカつくな」
「ちゃうちゃう。成功するかどうかやなくて、
挑戦したことが金メダルなんやって。心の金メダル!」
「お前さっきから五輪で例えるのやめろや」
「さっきテレビでやっててん。
まあ今のお前、表彰台にも乗れてへんけどな」
「うっさいわ!」
涼は笑いながらラムネをかじり、
そらもつられてちょっとだけ笑った。
「……いやぁ、俺は黒川さん、
お前のこと可愛いって思っとる気がしたんやけどなぁ」
「……はあ?」
「だって明らかに、お前と一緒におる時間長いし。
会話とか視線とか……こう、可愛がっとるの、わりとわかりやすいで」
涼は頭をポリポリかきながら、くぐもった声で続けた。
「ただ……なんか理由があるんちゃうかな~。
あの人、ただの凡人ちゃうしな」
夜風がしゃらんと木の葉を揺らす。
短い沈黙のあと、涼は肩をすくめて笑った。
「ま、結局はお前次第やけどな。
このまま諦めるんも、好きでおんのも。
俺はどっちでもええし。
泣きながらラムネ食うお前の顔見るんも、まあまあオモロいしな」
「……急に台無しやわ」
「だって俺やもん」
そらはブランコの鎖をちょんとつまんで揺らした。
さっきまで鉛のように重かった胸が、ほんの少しだけ軽くなる。
涼は立ち上がり、「ほな、帰ろか」と言って、
パンパンとズボンのホコリを払った。
そらが立ち上がると、涼はニヤッと笑って自転車を指さす。
「行きは俺がこいだから、帰りはお前な。
ちなみにこのママチャリ、オカンのやつやから。
壊したらマジでブチ切れられんで」
そらが無言で自転車を見ると、涼はさらに続けた。
「俺のチャリ? 田んぼ突っ込んで修理中や。
カエル避けたら勢いよすぎて沈んだわ。はははは!」
バカみたいに楽しそうに笑いながら、涼は先に自転車へ戻っていく。
「……涼、ほんま、ありがとう」
たぶん聞こえていない。けれど、それでよかった。
頬にふれた夜風はさっきよりやわらかくて、涙もいつのまにか止まっていた。
——もうちょっとだけ、がんばってみようかな……。
子供のころから何度も通ったあぜ道を、
自転車のタイヤがガタガタ転がっていく。
そらは深夜の謎テンションで急に叫びたくなった。
「……っうわーーーー!」
「は? なに!?」
「うわああああああああ!」
涼がビクッとして落ちそうになる。
そらはペダルを全力で踏み込みながら、夜空に向かって叫んだ。
「めっっちゃ好きーーーーーー!」
「ちょ、アホ! 深夜やぞ!? 近所迷惑やんけ!」
「知るかーーー! 叫びたなるくらい、好きやねんっ!」
「……マジで病気やろお前。恋の熱病」
涼は大げさにため息をつきながらも、どこか嬉しそうに肩をすくめた。
そらは息を切らしながらさ坂道を登る。
アドレナリンのおかげか、不思議と辛くはない。
「頑張るで、俺。もうちょっとじゃなくて、ちゃんと頑張ってみる」
「お、おう。ええけど、チャリは安全運転でな」
坂道から平地に戻り、タイヤが吸い込まれるように滑り出した。
「……でもさ、俺って具体的に何したらええんやろ?」
「え?」
「あの人振り向かせるために、俺何から始めたらええん?」
涼はマジか……って顔をしてから、
ポケットからスマホを取り出した。
「うーん、ちょい待ち。今、調べる」
「調べる?」
「そや。俺、こう見えて検索得意やねん。……ほら」
スマホを片手に、涼がぶつぶつ読み上げる。
「『男子高校生 垢抜け方』……うん、これは大事やな」
「『初恋 実らせる方法』……あるんや、こんなん……」
「『好きな人 振り向かせる方法』……いや、めっちゃ必死やな、お前」
「それ言うなら調べとるお前がやろ!」
「ははっ、確かに」
ケタケタ笑いながら、涼はスマホをそらに見せた。
「まずは清潔感と挨拶からやって」
「……はじめの一歩、めっちゃ地味!」
そらが叫ぶと、涼は 「ほな、次の休みに散髪屋行こ。
そのボサボサ、ちょっとどないかした方がええと思うで」と言う。
「……え? これってボサボサなん? おしゃれのつもりやったのに……」
そらが頭をわしゃわしゃする。
「ボサボサと無造作ヘアは紙一重。
そらのそれは……ただのボサボサ。THE・寝起き」
果物ナイフのような切れ味で、
ためらいもなくばっさりと涼は言い切った。
「……っ!」
そらはがくんと肩を落とす。
「……俺、おしゃれやと思っとったのに……」
衝撃の事実に動揺が隠せず自転車がふらついた。
「ええやん、失敗して気づくこともあるやろ。
で、服も買いに行ったらええたん。俺がつきおうたるわ」
「……ありがとう」
そらはしばらく口を閉ざして、それからぽつりとつぶやいた。
「……せやけどな」
「ん?」
「万年スポーツ刈りでジャージしか着てへんお前にだけはおしゃれ語られたないねん!
クソがっ」
「うわ! 急に毒吐いた!」
「うっさい! おまえこそ鏡見て出直せや!」
「はーーん、俺のどこが悪いん? ナチュラルイケメンやろ!」
「自分で言うやつが一番ダサいねん!」
街灯がぽつぽつと灯り、アスファルトに長い影を落とす。
虫の鳴き声とカエルの合唱が響く中、
笑い声とともに自転車が夜道を走り抜けていく。
楽しげな声に誘われて野生の鹿が茂みから顔を出し、
ふたりを優しくを見守っていた。



