余命2年の初恋泥棒聖女は、同い年になった年下勇者に溺愛される。

「ごめんなさい、アタシで」
「ふふっ、そんなことない。とっても嬉しいわ」

ミラの瞼は腫れぼったくなっていた。
濃緑の瞳からは、絶えずぽとりぽとりと涙が零れ落ちている。

「エレノア様……本当にご立派でした。ちゃんと、ちゃんと伝えますから」
「ありがとう……」

いよいよ抗えなくなってきた。
眠くて堪らない。意識が霞んでいく。もう時間がない。

「……っ、ユーリのバカ。とっとと戻って来なさいよ……っ」
「ユーリ……」

そうね。叶うことなら最期にもう一度だけ。
幻でもいいわ。貴方に会いたい。
握られた方の手はそのままに、もう片方の手で強くハンカチを握り締める。

「エラ!!!!」

この声は……?
霞む意識の中でその姿を探す。
いた。ユーリがこちらに向かって駆けてくる。
破れて血に染まった、ボロボロの軍服姿で。

「まぼ、ろし……?」
「いいえ。本物ですよ」

ミラは椅子ごとずれて、わたくしの顔の横に。
ユーリはわたくしの腕のあたりで屈んだ。

「すみません。遅くなりました」
「魔物は?」
「クリストフ様が加勢してくださったんです。それで何とか」
「流石ね」
「ええ。ははっ、やっぱあの人には敵わないな」

ユーリは気恥ずかしそうに、それでいてどこか誇らしげな表情で語った。
慕っているのが見て取れる。クリストフ様のことを、心の底から。

「そうかなぁ~? アンタと小姑様だったら、どっこいどっこいなんじゃない?」
「全然違いますよ。何言ってんですか」

ユーリとミラがじゃれつき始める。
姉弟のようなやり取りは相変わらずで、見ていて心が和む。

「っ! 傷……が……」

ユーリの額に傷が付いている。右の眉尻のあたり。
幅一センチ以下、長さ五センチ程度の切り傷であるようだ。
それなりに深い。ちゃんと処置しないと痕になってしまうわ。

せめて、これだけでも。
重たい腕を持ち上げて、傷口に向かって伸ばしていく。

「…………」

ユーリと目が合う。
彼はほんの一瞬だけ表情を硬くしたけど、結局何も言わずに目を閉じた。
大人しく治療を受けるつもりでいるようだ。

「そのまま楽に……していて……」
「……はい」

魔法陣を展開していく。
手元には緑色の光が灯った。だけど――。

「……っ」

ここにきて迷いが生じる。
惜しくて堪らない。
ユーリと過ごす、この最期のひと時が。

「……ごめんなさい」

逡巡(しゅんじゅん)した末に、治療の手を止めた。
緑色の光がふっと消える。

「あとで別の方に治してもらって――っ!」

下げかけた手をぎゅっと握られる。ユーリだ。

「どうして止めたんですか?」
「……いやね。野暮なこと聞かないで」
「教えて」

強請ってくる。わたくしの顔を覗き込むようにして。
向けてくるのは――あの目。
挑発的でもあり、悪戯っぽくもあるあの目。
そう。わたくしが魅せられて止まないあの目だ。

ああ、もう……。
やっぱり貴方には敵わない。
観念して苦笑混じりに白状する。

「貴方と少しでも長くいたいからよ」
「ははっ!」
「まぁ? 酷いわ。笑うだなんて」
「ごめんなさい。つい」

握った手はそのままに、そっと額を撫でてくる。
目にかかっている前髪を避けてくれているようだ。
あまりの心地よさに口元を緩める。

「くどいようですが、もう一度だけ誓わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ。喜んで」

わたくしがそう答えると、ユーリが大きく咳払いをした。
彼の目はミラに向けられている。
彼女は直ぐさま両手で顔を覆った……ように見せかけて、指の隙間からバッチリこちらを見ている。

お茶目な彼女をおかしく思っていると、ユーリがそっと顔を寄せてきた。
目を伏せて彼の愛を受け止める。
温かくてやわらかい。
吐息を混ぜ合わせながら額を擦り合わせて、至近距離で見つめ合う。

「俺の心は永遠に貴方のものです」

その時、栗色の瞳が揺らめいた。
目尻にこっぽりと雫が浮かぶ。
だけど、決して零さない。
彼は変わらず笑顔のままだ。

「必ず貴方を見つけ出します。だから……っ、待っていてください」

わたくしは気持ちの赴くまま、静かに頷いた。
でも、安心してね。遺した言葉を撤回するつもりはないから。
ちゃんと祝福するわ。貴方と新しいお相手の未来を。
だから、お願い……どうか幸せになってね。

視界が白くぼやけていく。
ユーリの顔も――もう見えない。

「……っ、……エラ――」

遂には視界が真っ白に。
何も感じなくなった。体温も、声も、何もかも。
まさに無だ。これが死。……っ!

不意に浮遊感を覚えた。
恐る恐る目を開けてみれば、眼下にはユーリとミラの姿が。
その二人の視線の先には、安らかに眠るわたくしの姿があった。

意識だけが抜け落ちてしまったのかしら?
わたくしは死んでしまった……のよね?

今度は視界の端を何かが掠めた。
淡く輝くそれは羽であるようだ。
そういえば背中に違和感がある。

『っ! これは……翼? それにカソックまで……』

どうやらわたくしは、カソックに翼を生やした状態で宙に浮いているみたい。
おまけに左手薬指には結婚指輪が、ポケットには『Y』の刺繍入りのブライダルハンカチが入っていた。これは一体……?

「……っ、……」
「ユーリ……いいんだよ、泣いて」
「……っ、……くっ……」
「もう……いいんだよ」

ミラに促されたことで、ユーリが漸く泣き出した。
わたくしの手を握ったまま堰を切ったように。

『ユーリ……』

涙を拭ってあげたい。そう思って近付いてみるけど――。

『あっ……』

通り抜けてしまう。ユーリの体も、ミラの体も。
いえ。それどころじゃないわね。
二人はわたくしの存在にまったく気付いていない。
姿も見えず、声も届いていないみたい。

『ほんとうに……死んでしまったのね』

思えば、随分前にこんな夢を抱いたことがあった。
翼が欲しい。翼があれば、きっとユーリのもとまで飛んでいける。
ずっと一緒にいられるのに、と。

とうに忘れかけていた夢だったけど、神はきちんと叶えてくださった。
けれど、ちょっと考えなしだったわね。
こんなにも辛いものだったなんて。

肩を竦めつつ、首を左右に振る。
嘆いていたって始まらないわ。
ミラを見習って、前向きに捉えるとしましょう。

『もしかしたら、これは褒美ではなく新たな天命なのかも……?』

生前、わたくしはあらゆるところに種を蒔いた。
故に神は、『投げっぱなしにせず、その結果をきちんと見届けなさい』と……そう仰せなのかもしれない。

『かしこまりました。謹んで励んでまいりますわ』

ひとまず涙するユーリとミラの間に(たたず)んでみる。
気付いてもらえないのは、やっぱり悲しい。
けど、やり遂げてみせるわ。
愛するみんなのために。