灯籠行列も終わり、俺たちは一通り屋台を回った。りんご飴を食べたり、たこ焼きを分け合ったり。とにかくよく歩いた。祭り独特の浮ついた空気が、慣れない俺たちを楽しませてくれたのかもしれない。
そのまま、家へと向かう途中、再びあの一本桜が見えた。
「なおや、あそこ、またいきたい」
「えっ、また? 少しだけな、遅くなるから」
腕の時計を見ると八時をすぎたところだった。
誘われるまま桜の木の下まで行くと、宵は言葉をなくしたように開花を待つ白い枝を見上げていた。その綺麗な横顔を、灯籠の残り火が照らし出す。
ふと、その頬に光る筋が見えて、俺は息を呑んだ。
泣いてる……!
「宵、どうした? なに?」
声をかけると、宵は大粒の涙を、はらはらと零しながら、ゆっくりと俺を振り返った。
「なおや、だめだめ、なにか失くした。――まもれなかった」
絞り出すようなその声が、鼓膜に届いた瞬間だった。
――ドクッ!
心臓の内側に、信じられないほどの負荷がかかったみたいだ。
鳥肌が立って、喉の奥から吐き気がせり上がる。
(だ、だめだ! 触れてはいけない。思い出してはいけない!)
なんのことかわからないのに、脳が、魂が、生体本能がアラームを鳴らす。
俺はたまらなくなって、宵のそばに駆け寄り、その身体を力いっぱい抱きしめた。
腕の中の宵は震えていた。その震えが伝わってきて、俺の胸にも、言葉にできない恐怖が広がった。
けれど、言葉だけは自然と口から溢れ出した。
「宵……ダメだ、そんな顔するな。大丈夫だから。俺が、ここにいるから」
宵は黙って俺の背中に手を回した。そのまま落ち着くまで、桜の木の下で俺に抱かれたままだった。
宵の涙が止まり、背中を撫でる俺の手の震えがようやく収まる頃には、祭りの後の静寂が訪れていた。
「なおや、かえろう、ねむい」
その一言を合図に、俺たちは家へと歩き始めた。帰る途中、二人とも言葉は少なかった。さっき起きた出来事は、俺にも、宵にも、到底説明できるものではなかった。
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寝支度を済ませて、布団に入ると、宵も潜り込んできた。
いつものように背後から腕を回し、尻尾を俺の腰に巻き付ける。普段ならあえて背を向け絶対振り返らないが、今夜は違った。
俺は自然に身体を反転させ、宵の肩に腕を回した。
「あったかいね」
宵はそういうと、幸せそうな顔ですぐに深い眠りに入っていった。
今日は、きっと楽しい一日だったはずだ。浴衣を着て、宵と一緒に祭りを楽しんで。
けれど、あの桜の木の下で感じたことは、正直、驚いた。宵の涙とあの言葉だけで、あんなに衝撃を受けるなんて。
――思い出してはいけない。
なぜ、思い出したくないんだろう。
怖いのか? いや、怖いよ……。
何も分からないことも。――すべてを分かってしまうことも。
もう、戻れないところに来てしまっている気がする。
腕の中で、安心して寝息を立てる宵の顔をじっと見つめる。
俺はそっと、彼の額に誓うようなキスを落とした。
「俺は、お前が大事だよ」
小さく呟いて、宵のぬくもりに意識を預けて、瞼を閉じ意識を手放した。
――その先に、あんな地獄が待ち受けているとも知らずに。

