これは俺からのささやかな復讐





 えみ羽に因縁をつけられてから一週間。
 バイトでも大学でも、俺とえみ羽は剣呑なままだった。透明人間にでもなったかのように、お互い目が合う事もない。
 カーディガンの事は聞けずにいて、耀司のロッカーの中に入っているのだけは確認した。

「耀司パソコン使う?」
 週末のバイトが終わった後、耀司は自分ちには帰らず、俺の部屋に来ていた。
「わり、バッテリー死んでるからコンセント刺してくんね?」
「オケ」
 ちょっと提出物出したい、という耀司にテーブルの上を片すと、俺の携帯が振動し、メッセージを受信した。
 その音だけで一瞬の緊張が走る。
 ベッドに置いたそれを、耀司が取った。
「はい、ワタルから」
「なんだよ、あいつ」
 ポンと、俺に渡してくれる。
 こんな風になったのは、高校の時、耀司が田崎に関する条件を俺に出してからだ。
 携帯の着信音に身構えるようになった。

 付き合ってないのだから、田崎から連絡は来ないのに。

 こうやってあの時についた嘘をなかったことのように振る舞って、俺は安心させたいだけなのかもしれない。

 しばらく俺の部屋で課題をしていた耀司がパタンとパソコンを閉じたので、タブレットで動画を見ていた俺も合わせて見るのをやめた。
「緑、ココきて」
 ベッドに寄りかかって座る耀司の足の間にこいと呼ぶ。
「なんだよ」
 こんなの子供の頃は日常茶飯事で、高校の頃まで教室でも耀司の膝に上に座らされていた。
 さすがに大学に上がってなくなってたのに。

 手を取られ否応なく耀司の立てた膝の間に誘導される。
 がっつりと両手が腹に回りホールドされ、肩に耀司の顔が乗る。
「くっつきすぎだって」
 俺はノエルだ。
 耀司のそばにいる、ただの幼馴染。

 耀司のワックスの匂いが鼻腔をついた。
 密着した背中から、呼吸で身体が上下しているのが伝わる。

「いいじゃん、リラックスしたい時は誰かに触れてたいの」
「俺はノエルじゃねーんだけど」
「ノエルは俺からぜってーに離れねーけど、緑は離すと誰かんとこ勝手に行っちまうじゃん」
「なんだよそれ……」

 耀司は高三のあの時を、まるで黒歴史かのように言う。
 俺から田崎を匂わせるのはダメなのに、耀司から匂わせる時はこうやって責める時だけだ。

「緑はもう誰とも付き合っちゃダメだからな?」
「なんでよ、耀司は?」
「俺も誰ともつき合わねーし」
「なんで? モテるのに」
「俺はおまえといたいし。俺達の間に誰も入れたくないの」

 それが幼馴染の独占欲だとしても、嬉しくて。嬉しくて。

 ずっとこのままでも俺は幸せだ──幼馴染として心さえ通じ合っていれば。

「──俺も」

 答えると、双眸を細め優しい笑みを浮かべて耀司が見つめてくる。

 意識しちゃいけない。

 俺はノエルだ。
 ただの幼馴染だ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 ──なのに今日の耀司は随分と甘くて優しくて、まるで恋人みたいだ。

「今日バイトん時、髪縛った人と何話してた?」
「髪……伊藤さん?」
「名前なんか知らねー。その人からなんか頼まれてなかった?」

 伊藤さんが、耀司をダーリンと呼ぶのがついにバレたかと思ったが、違うようだった。

「同じシフトに入ってんのに名前くらい覚えろよ。今度の土曜、シフト変わってくれないか頼まれたんだよ」
「ふーん、代わってやんの?」

 腹に回った耀司の手がふにっと動く。
 服の上から身体のラインを確かめるようにその手は移動する。
 これにいやらしさなんてないんだから、意識するなと自分に言い聞かせる。

「お母さん入院してるらしくて、どうしてもバイト入れないんだって。まだ返事してないんだけど、代わってあげようかな?」
 つい耀司の反応を見てしまう。
 別に耀司の許可なんかいらないんだけど、いつもバイトは一緒に入っていたし、お互いのスケジュールは把握している。
 俺がバイトに入ったら、耀司は暇になるかな? なんて事まで考えて即答できなかった。

「何で緑に頼むんだよ、他にもバイトいるのに」
「だって、ラテアートできて、土曜のあの時間入れそうなの限られてんじゃん」

 さわさわと動く手が移動し、胸で上下する。
 くすぐったい、と身体を捩るとその手はやっと止まった。
 やましさとかそういう下心なんて耀司にはないのに、やらしく考えてしまう意識を、捨てないと。

 こんなんじゃ、気持ち悪がられて一瞬で幼馴染が終わる。

「個人的に頼んだわけじゃねーんだ」
「当たり前だろ。伊藤さんは結婚してるし、確か三十四歳だぞ」

 俺はノエル、ノエルと同じだ。耀司はノエルの腹を撫でているつもりなんだから。
 平常心を装ってる俺とはうらはらに、耀司の身体が背中に密着する。
 するりと耀司の両手が腰にまわり、きゅっと腹の上で組まれた。

「前科あるから油断ならない」
「もう、ばかじゃん」

 振り向こうとしたら顔が真横にあった。
 近すぎて、動かすとまた口が当たってしまいそうですぐに戻した。

「土曜は二限だけだろ? 終わったらすぐ行くの? 何時まで?」
「速攻行って六時までかな、佐々木さんがクローズに入るからそれと交代だと思う」

 夜の時間帯に入っている佐々木さんは、ラテアートを得意としているベテランのバリスタさん。
 俺も彼にたくさん教わった。
「緑が入るなら俺も入りたかったなあ、さすがに無理か」
 拗ねた声で耀司は俺の肩に額をぐりぐりと擦りつけた。

 心臓がドキドキしてるのがバレてしまいそうだ。
 子供の頃も部屋にいる時は、身体をぎゅうぎゅうくっつけて隣にいたり、重なり合って転がっていた。
 あの頃の俺は、耀司の兄弟になりたいと本気で思っていた。
 そうすれば、別々の家に帰らなくてもいいんだから。
 
 家族のように近くて、厄介な感情。

 大人になっても俺は、ドキドキする胸を抱えて、バレないように押し殺しているんだろう。