【これは俺からのささやかな復讐】
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川嶋緑。この春から、幼馴染の山吹耀司と同じ大学に通っている。
俺たちが初めて出会ったのは、小学ニ年生の春。
このマンションが建てられた時、同じタイミングに引っ越してきた。
五棟合わせて総戸数七百戸という大世帯マンションで、同学年の子供も多かった。
でも、同じ棟に住んで、登校班もクラスも同じ──そして転校生。
そんな条件が揃っていたのは耀司だけで、俺達はすぐに意気投合した。
耀司は無駄に騒がないのに、気づけば周りの視線をさらっていく静かな存在感を持っていた。
落ち着いてるというより、何があっても揺れない──その芯の強さが、人見知りで気弱だった俺には不思議と安心だった。
気づけば、いつも隣にいるのが当たり前になっていて。
心を開く相手なんて他にいない。
俺たちは、他の誰も入り込めない距離にいた。
友達以上恋人未満。男女の関係じゃなくても、男同士の俺達にはぴったりな言葉だと思う。
互いに好意があって、いつも一緒にいたいと思っているのだから。
そうして小ニから始まった関係は、ついに大学まで来た。
入学して三ヶ月。俺たちは相変わらずの距離感でいる。
幼馴染だからって理由だけで、どこに行くにも、何をするにもずっと一緒。
本当は、触れれば壊れそうなくらい不安定なのに、それを悟られないように表面を整えているだけだ。
「耀司は二限からだろ? ゆっくりしてから来ればいいのに」
大学までの電車の中、通勤通学で混雑する車内の一番奥に行くと、二人で並んでつり革を持った。
「緑の監視してるからいいの。単位取りこぼさないようおばさんに頼まれてるし」
梅雨も明け、暑い夏が始まっていた。
ようやく生活リズムにも慣れてきたと思うこの頃。
俺の親は二人とも中学と高校の先生で、朝早く、六時台には出勤してしまう。
その為、朝の強い耀司は、俺が遅刻せず行けるよう監視を頼まれていた。
「耀司ってホント面倒見いいよな、俺といい征司とノエルもだもんな」
征司は四つ下の中学生で、サッカーのユースチームに所属している。ノエルは山吹家の豆柴で、やたら耀司に懐いている。
家族みんなで征司の応援をしていて、全員仲がいい。両親が教師でピリッとした俺の家族とは空気が違った。
「緑は特別。知ってるだろ、俺はダチに執着するタイプなんだよ」
「あー転校してきた時、おばさんに言われたもんなぁ」
「そ。だから緑を放っておけねーの」
「ありがたきお言葉です」
そういうところがお兄ちゃん属性だなと思う。俺は一人っ子なので、構われる感覚が好きだった。
耀司は転校前の学校で仲良しの友達がいたが、引越しで離れると決まると、ご飯を食べないストライキを起こし、密かな反抗をしたんだそうだ。
一人の友達とベッタリと仲良くなり、他の友達と仲良くするのを嫌がって怒る。
男の友情に執着するんだそうだ。
そういうところがある子なんだと、転校初日に耀司のおばさんが笑って話していた。「こんな子だけど、緑くんよろしくね」って。
人見知りで一人っ子な俺は、構ってもらえるのが単純に嬉しかった。
耀司がいつも隣にいて、他の誰かに向かないことも、居心地がよかった。
それからずっと、仲良しの幼馴染のまま。
耀司は今も、俺だけを見てくれているらしい。
それが──嬉しいなんて。
「どうせ今日提出のレポート、学校でやろうと思ってたから。学校のが集中できるじゃん?」
「ノエルがうるせーもんなあ」
「それな」
ノエルは耀司が大好きすぎて、家に居ると遊んで攻撃で飛びついて離れない。
部屋のドアを閉めていると、開けろとカリカリ延々と続け、入れないと悲し気にくうんくうん鳴き、耀司は根負けして部屋に入れてしまう。
受験中は大変だったそうだ。
ちなみに俺はノエルにとても嫌われていて、耀司に近寄っただけで唸られる。
だから俺は、中学入学以降耀司の部屋には行っていない。
「今日学食混むよな」
最寄り駅に着くと、改札はうちの大学の生徒で大行列になった。
「あー全部の学部揃う日だもんな。外行く?」
耀司がダルそうに言いつつも、はぐれないように俺の腕を引っ張る。
耀司よりか細身だけど、別に俺の身長が特別低い訳じゃないし、目が悪いってこともない。
母親似の女顔がコンプレックスで、小さい頃は名前のせいもあって女の子に間違われることが多かった。
今はそんなこともないのに、面倒見の良さなのか、こうやって子供のように俺を助ける。
「三限、七号館だろ」
「うん。耀司は二十四号館だったよな」
「外だと七号館に戻るの面倒だよな。俺のが学食近いから席取っとく」
「サンキュ。終わったらダッシュで行くわ」
理工学部の耀司と理学部の俺。
郊外に位置する大学は、文系と理系が揃うマンモス校で、某ランドより広いと言われている。
広さ故、未だにキャンパス内の移動には慣れなくて、効率よく行動しないと、講義に間に合わない悲劇が起こったりする。
なので俺らは常に連絡を取り合い、一緒に行動している。
耀司のコマ数も把握しているし、どの教室かも頭に入っている。
耀司も同じだ。俺のことは全てわかってる。
まるでお互いの行動を監視し合っているような関係。
そこら辺をお互い確認したことがないから、どう思ってるのかはわからない。
ただそれを窮屈に思ったことはないし、GPSを入れてたって別にいいとも思ってる。
──いいんだ。俺はこのために頑張ったんだから。
大学の門をくぐると、とん、と耀司と手が触れた。小指が動き、俺の小指に絡まった気がして「ん?」と隣を向く。
耀司と俺の身長差は五センチ、中学で差をつけられてしまった。
俺に見られているのを知って知らん顔をしている耀司を、こんにゃろ、と、こっちを見るまで意地で見続けてると、パーカーの首元にノエルの毛がびっしりと付いているのが見えた。
「おい、ノエルの毛すんげー付いてんぞ」
ちょんちょんと首元を指して教える。
「え、うっそ、コロコロしてきたのに。緑取って」
「ん」
耀司の首元から肩口に向かってついている毛を、一つずつ摘んで取ってやる。
耀司は中学に上がってからぐんぐんと背が伸びた。
彫りの深い整った顔立ちに、手足の長いスタイル。勉強も運動もそつなくこなし、要領がいい。
物事を考えたり起こすのも、遠回りしがちな俺と比べると、頼りになる面のが多い。
けれどこうやって幼馴染らしく甘えられるのは、内心──嬉しい。
「おーい、朝から夫婦感出すのやめてくれる?」
キャンパスに入ると、同じ高校から進学したワタルとコースケが寄ってきた。
「わかってんなら邪魔すんなよ」
しれっと耀司が呟くと、反射的に離れようとした俺の肩を掴み、背後からハグしてきた。
「おいっ、くっつくなよ」
咎めるが耀司は無視する。
「あらやだ、相変わらずらぶらぶなのねぇ」
「お熱い朝を迎えたのね」
謎のマダムキャラになって、二人は口に手を当てておほほと笑う。
「きもっ」
「きもっ」
俺が言うのと同時に耀司の声が重なり、友人達が「はい、夫婦夫婦」と揶揄う。
正直言うとそれは嫌ではなくて──耀司と同じ反応をする自分に心の中で喜んでいる。
これは俺達だけなんだというささやかな自己満足。
俺達って息ぴったりで双子みたいじゃん。
そう言えば、耀司と兄弟になりたいって子供の頃はいつも願ってて、七夕の短冊にも書いていた。
耀司と幼馴染なんかじゃ満足できなくて、耀司もそう思ってくれてないかな、なんて月にテレパシー送ってみたりして。
でも、友人らにからかわれて本心は嬉しいなんて知られたくない。
俺は誤魔化すように摘まんでいたノエルの毛を友人二人に突き出した。
「おまえらの頭にノエルの毛を増やしてあげよう」
「変なスイッチ入ったか?」
はてな顔をするワタルとコースケを無視して、耀司を背に付けたまま、摘んだ犬の毛を友人らの頭にわしゃわしゃと混ぜ込むと、「怖い怖い怖い!」と叫ぶ。
二人の反応は思っていたのと違った。明らかにビビっている。
「おまえら喜べよ」
「ちゃうちゃう、後ろ! 後ろ! 耀司、怖い、睨むな!」
「は?」
俺の後ろを指さした友人の顔は随分と焦っていて、自分の肩口に首を向ける。
「あ」
すぐそこに耀司の顔があって、口が触れる間一髪、びっくりして身体を引いた。
「ちゅーした?」
「今ちゅーしただろ?」
ワタルとコースケが指さしてニヤニヤしてる。
「してねー! 耀司いい加減離れろっ」
「え~ちゅーしろよ、緑」
棒読みの耀司が珍しく乗っかっている。
「おまえふざけんなよ」
後ろハグを離さない耀司の頭をぐいぐい押す。
昔から口がどこかに触れるのはしょっちゅうで、間接キスも回し食いも日常的で。
けれど最近の俺は、耀司の顔が近いと意識してしまって駄目だ。
挙動不審になって心拍が上がるのを誤魔化そうとしてしまう。
「あーまた男子だけでワチャワチャしてるー!」
「やべ、見つかった」
ワタルが嫌そうに声を上げる。
同じ高校だった女子と、その新たな友達も加わってグループ化した集団がわざわざ駆け寄ってくる。
「相変わらずアンタら仲いーよね、高校ン時とメンツ変わらんじゃん」
「うっせ、いーだろ。おまえら集団でくんなよ、圧で怖えーから」
俺と耀司、そしてコースケの前にワタルが立ちはだかる。
俺はこっそりとみんなの後ろに回った。
高校時代は制服だったけれど、大学に上がって女子達は、髪を染めて、化粧もして、ひらひらキラキラした服。
視界に入るだけで、少し落ち着かない。女子の声が近づくたび、背中がむず痒くなる。
男子なんてパーカーにデニム、トレーナーににチノパン、ロンTにカーゴパンツ、変わり映えはないのに。
一番気の強い女子が、ワタルの前で腕を組んだ。
「うるさいな、ワタルは黙ってて」
「え、ひどっ」
もともと高校では女子のが強い傾向だったが、大学に入ってもパワーバランスは変わらない。
彼女の視線がスルッと耀司とコースケに動いた。
「ねえねえ、この前の新歓イベでボーリングのチケもらったから皆で行かない?」
「あ、それ俺らももらったわー。十パーオフのだろ?」
ワタルが答えてもスルーして女子は違う声を待っている。
インテリで知的な鈴木コースケと、ちょい影のある雰囲気の耀司は、落ち着きがあって静かなせいか、女子の目をいつも引く。
「俺行かねーから捨てちまった」
「俺も」
コースケが興味なさげに言うと、耀司も続く。
俺は黙って存在を消すようにあらぬ方を見ていた。
「えーせっかくなんだし、行こうよー。あんたたちと遊びたい子結構多いんだよね」
「どーせ俺らはおまけ扱いだろお」
「そんなこと言ってないでしょ。みんなで楽しくボーリングしよって言ってんの」
こういう時いつも陽キャなワタルが率先してくれるからホント助かる。
俺がみんなの後ろに回って我関せずでいられるのも、ワタルのお陰だから。
「あ、」
耀司とコースケの後ろに隠れる俺を見つけた女子が、声を上げた。
「川嶋、もしなら田崎さん呼びなよ。彼女なんだし。そしたら山吹くんも鈴木くんも来やすいでしょ」
ビクっと肩を震わせて固まる俺に、真ん前でワタルが反射的に身を乗り出した。
「おまえらやめろっ」
けれど、女子はその制止に気づかない。
「でも、田崎さんって大阪の大学行ったんじゃなかった?」
女子たちが田崎の話を続けたその瞬間──
「彼女じゃねーよ」
低く、重みのある耀司の声が場に落ちる。
明らかに不機嫌さを含んだその声音に、女子たちは一斉に言葉を失い、耀司の表情を探るようにじっと見つめた。
「そそ、彼女じゃねーの。とっくに。だけど、俺らマジでヘタクソだしハズいから、ボーリングはパスな」
場を繕うように俺は上擦った声を上げた。
耀司の前で田崎の名前が禁句なのだと知らない女子は、耀司の不機嫌な態度に戸惑っているようだった。
「はいはい、だからパスな!」
ワタルが手を上げると女子は明らか不満気に顔を曇らせた。
「えー……山吹くんも?」
女子達の視線が耀司に集中する。
「パス。バイトあるし」
「え? バイトしてるの? どこ? 教えて」
「何系? 接客とかあるところ?」
「飲食なら売上協力するよ!」
ボーリングなんて口実で、女子達は新たな耀司の情報に食いついて、あっという間に質問攻めになった。
あまりの露骨さに俺はワタルとコースケと目を見合わせた。
「顔死んでね?」
「死んでるね」
一生懸命に耀司へ話しかける女子を前に、耀司の表情はだんだんと無機質になっていく。
昔からそうだ。あれだけモテるくせに、愛想笑いひとつ見せない。
「山吹くん、レポートの本、教えてくれてありがとう。すっごく助かった」
それでも引かずに、女子のひとりが耀司の服の裾をきゅっと掴んだ。
思わず目を見張る。胸の奥に黒いもやが湧く。
「すげー勇者。さすがに耀司も驚いてるぞ」
そばで見ていたコースケが、感心したように呟いた。
耀司は裾を掴まれたまま、一瞬だけ視線を落とし、気を取られたようだった。
「あー……俺もたまたま先輩に教えてもらったやつだから」
先輩。
誰それ。
俺の知らない人じゃんか。
面倒くさそうな声音を聞きながら、胸の奥でひとり突っ込んだ。
つい顔に出てしまった俺を、その女子は目ざとく見ていた。
フイと目を不自然に逸らすと、その子は耀司の服を掴んだまますり寄るように見上げた。
「思ったより専門的でなかなか頭に入ってこなかったけど、耀司君が付箋挟んでたとこじっくり読み込んだらレポートもすらすら進んだよ」
「えみ羽だけズルい、あたしも借りたかった。レポート終わらなくて一睡もしてないのに」
他の子が耀司とえみ羽ちゃんとやらの間に入ってくると、他の女子まであたしもあたしもとたかる。
「緑、俺らもう行こーぜ、耀司は一限ないんだろ? しばらく無理よ、アレ」
「……だな」
理学部の俺たちの方が女子は多いはずなのに、女子がほとんどいない理工の耀司の方に集まる。
入学したばかりなのにこれだから、やっぱり耀司はモテるんだなと改めて実感する。
ワタル達と肩を並べると、えみ羽ちゃんとやらが勝ち誇った顔をして俺を見ていた。
ああ、あの子、耀司が好きなんだ。耀司を奪ったつもりで、得意気になってる。
でもそんな顔、子供の頃からたくさん見てきた。
俺ばかり構う耀司を、女子達は引き離しに成功するとドヤ顔を向けるから。
「耀司、先行くな。あ、今日気圧エグいらしいけど頭痛平気か?」
今思い出したかのように問うと、耀司はポケットに手を突っ込んだ。
「やべえ、薬切らしたままかも」
「そんな気がした」
ホラ、と持っていた鎮痛剤を耀司に渡す。
「サンキュ、緑。愛してる」
「ははっ、俺も愛してる」
そんな掛け合いを交わすと、女の子たちがキャアキャア騒いだ。
でもその中で一人だけが、マジな顔をして俺を睨みつけている。
耀司との仲を見せつけて仕返しみたいなことをして。
その度に俺は優越感を持って──ああこんなの一体いつまで繰り返すんだろう。
──俺、大学に入っても全然成長できてない。
「相変わらず見せつけてくれるね~」
「ホント。耀司が片頭痛持ちなのは知ってるけど、ついに緑が健康管理するようになったんか?」
コースケとワタルが両サイドを挟んできて、肩をガシガシ当ててくる。
「してねーよ。ただあいつ、少しなら痛みを我慢しようとするから見てらんないだけ」
「嫁かよ」
「嫁じゃん」
しつこく肩をグリグリされて「うっせ」と二人の間から抜け出す。
耀司は昔から片頭痛持ちで、特に気圧の変化に弱い。
痛みに慣れてしまっているせいか、少しくらいなら薬を飲まずに我慢し、結果酷い頭痛や吐き気を起こしてしまう時があった。
それからは俺も鎮痛剤を持ち、すぐに飲めるよう常備するようになっていた。
「耀司が彼女作らんのは、緑が甘やかすからだな」
うん、とワタルが腕を組んで一人納得したように頷く。
「ベッタリくっついてたえみ羽って子、あきらか耀司狙いだったもんな。なのにおまえらいちゃいちゃしてさ~、堂々と見せつけすぎやろ」
「いちゃいちゃしてねーし、あんなん子供の頃からフツーだし」
「はい、無意識無意識」
コースケに揶揄われてプイと顔を逸らす。
友達を独占したい耀司と、友達以上の感情を持ってしまった俺。
かみ合っていない感情をかみ合わせて、この関係に執着してる。
「で、結局の所、緑は田崎とつき合ってたの? さっき耀司は別れたって言ってたけど」
ワタルに訊かれる。
「卒業した後別れた。あいつの進学先大阪だぜ? 遠恋なんて無理だし」
「だよなー。いつも耀司と一緒だし、いつ会ってんのってレベルだったもんな」
「自然消滅みたいなもんだよ。最後に送ったライン既読になんねーし。ブロックされてるわ」
「おいおい、冷静すぎね?」
俺の冷めた言いにコースケが突っ込む。
「そんなもんでしょ」
田崎幸──俺の元カノという設定。
俺と田崎は、高校三年の三ヶ月間だけ、恋人という名の共犯者だった。
