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結局あの後、連絡の途絶えた田崎は新幹線に飛び乗っていた。
翌朝のメッセージで俺はそのことを知った。
事故は、ドライバーが運転中突然の心筋梗塞に襲われて起きた痛ましいものだった。
土曜の夜ということもあり、人で多かった駅前は大勢の被害を出し、ニュースでも大きく取り扱っていた。
あの日から三日経った。
「先生は直接ぶつかったわけじゃないんだけど、吹っ飛ばされたせいで頭打って意識飛んじゃってたみたい」
面会がオッケーになったと田崎から連絡が来たので、市内の総合病院に来ていた。
院内にあるカフェのテラス席は陽が遮られていて、時折吹く風が心地よかった。
久々に会った田崎は、以前より髪を短く切っていて、随分と雰囲気が変わっていた。
「よかったよマジで。俺と別れた後に事故って死なれてたら一生引きずるわ……」
先生は軽度の脳挫傷で小さな出血があったらしく、五日の入院らしい。
今のところ検査に異常はないそうだ。
ちなみに先生は診察中だったため、俺はまだ会えていない。
「ごめんね……あの時。先生、川嶋と会ったって話してたから、テンパって電話しちゃって」
「いいよ」
田崎はまだ精神的に堪えているようで、表情は暗いままだった。
幸い、巻き込まれた歩行者に命を落とした人はいなかったが、車を運転していた男性は亡くなったとネットニュースで見た。
先生は駅を出た直後に田崎へ電話をかけ、そのまま家へ向かって歩きながら話していた。
ちょうどその時、事故に遭ってしまったのだ。
通話は途中で途切れたものの、先生が意識を取り戻して一番にしたのは、田崎への連絡だったそうだ。
ホットのミルクティーを田崎は両手で持つとゆっくりと口に含んだ。
「ほんとに、先生が無事でよかった……。新幹線でこっちに向かってる時、なんで私は大阪に進学したんだとか、二十歳まで会わないなんて約束したこと、後悔しかなくて。死んじゃったら楽しい思い出なんて作れないままお別れじゃん。何のために私たちは距離を取ってるのか全部意味を失くしちゃう……先生がいなくちゃ将来の約束なんて叶えられないのに……」
小さく鼻をすすって田崎はカップを置いた。
「正直俺、おまえらが羨ましかった」
「なんでよ」
「今は未成年と先生だけど、少しの間我慢すれば堂々とつき合えるじゃん。隠す必要もなくなるし結婚もできるし」
「かもね。──でもさ、十代って今しかないんだよ。大学生活だって卒業したらもう取り戻せないんだよ。今しかないこの時を、私は先生と過ごせない。あの時、高校最後のクリスマス──私が我儘言わなければ川嶋にも迷惑かけなかったのに、どうしても私は先生と思い出を作りたかった……この十代を我慢だけで終わらせたくなかった。──だから、私は、いつも一緒に笑い合ってる川嶋と山吹のが羨ましいよ……」
「俺らのは感情が一致してねー一方通行だぜ? おまえと先生はちゃんと想い合ってる。だから羨ましいんだ」
田崎はそっとカップに手を添えた。
俺もつられてレモンスカッシュをストローで吸った。
一緒にいたいのにいられない苦しさと、一緒にいるのにずっと苦しいのとでは、どっちがマシなんだろう。
「事故が起こる前、先生が少しだけ川嶋のこと話したんだよ」
「なにを?」
「入ったカフェに偶然川嶋がバイトしてたって」
「ああ、そうみたいだな。先生も俺見て驚いてた」
「川嶋だけ? あんたたちのことだから、絶対山吹と一緒にバイトしてそうなのに」
「その言い方腹立つなあ……」
ズズッと吸ったストローが鳴る。
「え? 嘘、山吹もいた? なーんだ、やっぱり一緒か。山吹に死角はないね」
「違う、あの日は俺だけ。それに俺らもう──…」
この三日間、毎日交わしていたメッセージも、朝の迎えもなかった。
大学に行っても姿を見ない。
お互い構内のどこにいるのか把握しているのに、それを避けてしまえば、俺達は会わないようにするのなんて容易いことなんだ。
耀司にそうさせるきっかけを作ったのは、間違いなく俺で……。
氷で濡れるグラスを掴んだ。水滴が手を伝って腕に流れるが感覚がない。
「どうしたの? なにかあった?」
黙ってしまった俺に田崎は訊く。
「高校の時──田崎とつき合ってるって嘘をついたとき耀司が言ったんだ。俺の前で田崎の話はするな。存在をチラつかせたり匂わせるな。俺といるときにメッセも電話もするな。今まで通り俺を優先しろって」
「すっごい束縛ヤローだね」
「それは……」
二人の間で沈黙が続いた。田崎は俺の言葉を待っていた。
院内は午後に差しかかり、テラスにはぽつぽつとお茶をする人が増えていた。
重くなってしまった空気に言葉を探す。
けれどこみ上げるのは恨めしい言葉ばかりで吐き出せない。
田崎のせいにするなんて。
あの時、電話をしてこなければ、耀司は俺の言葉を信じてくれたかもしれない。
なんで電話なんかしてくるんだよ。
ああ駄目だ。負の感情しか湧いてこない。
「──ねえ、もしかして」
田崎は気づいたようだった。
「あの時の電話──山吹もいた?!」
答えず俺はただグラスの中で弾ける炭酸を見ていた。
「だってそれはつき合ってるって嘘ついてたときの話でしょ? 卒業したらもう私たち関係ないじゃん。別れたことにしようって決めたよね?!」
「……耀司は、俺が田崎を好きだってずっと誤解してて……」
「嘘──貸して携帯! 私がホントの事言うから、電話するっ」
「バカ、止めろって。どうせ出ないっ」
俺の携帯をバッグから取ろうとする田崎から逃げる。
チラリと近くのテーブルに座っていた中年夫婦に見られて、そっと椅子に座りなおした。
「でもこのまんまじゃ駄目だよ。原因作ったのは私だし、山吹に謝んなきゃ」
「だからいいんだよ。田崎はさ、耀司の中で地雷なんだよ。俺ら幼馴染の間に割り込んだ人間て認識になっちまってて。その、悪い」
言い難く短く謝ると、田崎は声を上げた。
「えええ、だから私いつも山吹に睨まれてたの?」
「ほんとごめん。あいつ、色々抱えててさ。友情とかそういうの、俺との距離感にすげえ敏感なんだ。俺が女子苦手になったのに責任感じてるとこもあって、一緒にいてくれてんだけどさ。その中で、俺だけが友情じゃなくなっちまってて。誤魔化すために田崎好きだって利用したんだ」
「でも嘘はちゃんと解いて。川嶋は私を好きだった事なんか一ミリもないって言って」
「──言ったよ。でも嘘ついてた俺をもう信じてもらえなかった」
「必死さが足りないのよ。なりふり構わずぶつかった? 自分を守ってぬるいこと言ってんでしょ。だから信じてもらえないのよ」
「はは、えぐ……。田崎も先生も容赦ねーわ」
受験の時、必死になってみろと先生は言った。
他のことは考えず、全ての時間を勉強だけに使えと。
合格を掴んだ時俺は何が見えた?
耀司の喜んだ顔。
合格を俺以上に喜んでくれた耀司の全開の笑顔──
そうだ、俺が掴んだのは耀司との未来だ。
一緒にいる未来を俺は望んだんだ。
「告白しちゃいなよ。玉砕したら私と先生で川嶋拾いに行くからさ。そんで慰めパーティーしてあげる。なんなら結婚したら養子に迎えてあげるよ」
「養子ってなにそれウケる……」
田崎の冗談に少しだけ救われた気がした。
耀司に告白したら、もう友達ではいられない。
その覚悟を決めないといけない。
均衡を崩す俺を耀司は怒るだろうか。それとも悔やむのだろうか。
俺が言ったりしなければ続けられる関係を壊すんだから──
「山吹が好きなら一番に優先しなきゃ。俺を優先しろって言われてたんでしょ?」
「してるよ、ずっと」
「してないよ。川嶋が優先してるのは自分でしょ。山吹に恋してる自分を優先して守ってるじゃん」
俺はずっと自分のために──
ああ、そうか。
心の中で何かが崩れた音がした。隠すために築いた俺の砦。
好きな気持ちを隠して。
傍にいたい、ただそれだけのためにずっと築いてきたもの。
「──俺、必死で……あいつから離れたくなかったから……」
「気持ちを隠して、嘘で自分作んないと一緒にいらんないなんて、もうそれ友達破綻してるって気づきなよ」
グサリと致命傷を喰らって、俺は項垂れた。
「きっつ──…」
容赦ない。
やっぱり女の子は苦手だ。グサグサ刺してくる。
だけど田崎はしたたかで、逞しくて、情が深い。
俺に裏表のない本音をぶつけてくれる。
──先生、田崎は強いから傷なんかつかないよ。
周りに何か言われたって自分を見失わない、心配なんていらないよ。
「ごめん? えらそーに言っちゃった」
「大丈夫。田崎は偉いから。さすが先生の彼女。俺みたいなポンコツの彼女させて悪かったな」
「なあに? 今更褒めたってもう彼女にはなってやんないよ。山吹怖いし」
田崎はそう笑うと、そろそろ先生の病室行こっか、と席を立った。
ワタルとコースケが言っていた、耀司バーサス田崎の戦いっていうのがなぜか頭に浮かんだ。
そんな風に例えられていたことを田崎には言えないけれど。
俺が必死になれる原動力は全て耀司だ。
今諦めたらなかったことになって、二人の思い出までも消えてしまう。
俺は耀司と未来を歩み続けたいんだ。
