「トラヴィス、あなたは今ジェレミーに反感を持っているから、そう思うのよ」
「今じゃない。ずっとだ」
ハンドルを右手で操りながら、左手で首のうなじをさすった。昨夜キスされた痕が疼(うず)いた。
ミリアムは書類を膝の上できちんと揃えた。
「わかったわ。でもね、さっきも言ったとおり、あなたの個人的な感情に興味はないのよ」
「FBI捜査官は言うことが違うな」
「事件に集中してちょうだい」
ぴしゃりと言う。
「けれど、ジェレミーがまだ何かを隠しているという意見には賛成だわ」
「チームプレーのできない野郎だぜ」
「あなたには言われたくないと思うわよ」
車はしばらくフリーウェイを走る。アシュリーの証言では、フリーウェイの近くまで歩いてきて、そこで通りすがりの親切な車に乗せてもらい、ロス市警までやって来たという。ロサンゼルス市内から北東へ数十分、シエラ・マドレが前方に見えてきて、フリーウェイを下りた。
シエラ・マドレはロサンゼルス郊外にある閑静な町である。その背後には、広大なエンジェルス国立森林公園がある。
「アシュリーが言っていたのはあそこだな?」
フロントガラスからは壮大な山々が見える。
「そうね、すぐに行きましょう」
セダンはエンジン音をたてて向かう。エンジェルス国立森林公園は、ロサンゼルス郊外にある自然豊かな一帯で、ハイキングやドライブ、キャンプや釣り、ハンティングなど、様々なスポーツやレジャーを満喫できる場所である。ロサンゼルス市からもそう遠くはなく、日帰りで遊びに来る市民も多い。
少し走ると駐車場があった。今日は休日ではないが、やはり車が多い。ちょうど停車したシルバーのワゴン車から、母親と幼い娘が下りてきた。どちらも身軽な格好でスニーカーを履いている。ハイキングのスタイルだ。
「俺たちも車から下りて、ハイキングするか?」
「まだ、早いわ」
ミリアムは周辺の位置を確認する。
「アシュリーは山道ではなく、車が通る道路を逃げてきたと言っていたわ」
『誰かに乗せてもらおうと思ったんだけど、一台も通らなくて……』
取調室で、アシュリーの疲れた顔が弱々しく笑った。
「あちらへ行きましょう」
「了解」
トラヴィスは指示された方へハンドルを切る。
セダンは森林公園へ入っていった。
きちんとアスファルト舗装された道路が、果てしなく伸びている。その周辺は木がまばらに生え、砂地や大きな岩が露出している。緑豊かな森林地帯ではなく、乾燥した山々の荒涼とした景色が雄大に見え渡る。忙しい日常を離れてドライブするにはもってこいの場所だ。平日のせいか、すれ違う車も多くはない。
「山は厄介だな」
トラヴィスは曲がりカーブをゆるやかに運転しながら、窓から見える大自然の光景にしかめ面をした。
「どうも感覚が鈍る」
「そうね。自分を覆い隠してくれる錯覚に陥るわ。だから犯罪者は大きな気持ちになって、ひどいこともできるのよ」
「こんなところにガキどもを監禁するなんて、イカれているぜ」
しばらくして、前方になだらかな坂が見えてきた。
「速度を落としてちょうだい、トラヴィス」
アシュリーは坂道を下りたと喋っていた。細い道を走って、坂道に出たと。
「気をつけて見て。どこかに脇道があるはずよ」
トラヴィスはスピードをうまく調整しながら、ゆっくりと坂道をのぼってゆく。道路沿いの乾いた山肌を睨みながら、道を探していく。
「あれじゃないか?」
トラヴィスは顎でしゃくる。ほどなく、車が一台分通れる狭い脇道を見つけた。
「アシュリーの足で動くには、ちょうどいい距離ね」
ミリアムも頷く。
「行くぞ」
二人を乗せたセダンは、躊躇いもなく脇道に入った。そこは舗装されておらず、路面は砂や土が剥き出しで、平らでもない。走り始めてすぐに、車体がガタガタと揺れ、タイヤも鈍い音を立てた。
「今から冒険しに行く気分だな。愉しいトラップが待ち構えているに違いない」
なぜか目を輝かせてハンドルを動かすトラヴィスである。
「俺はインディ・ジョーンズが好きなんだ」
「私たちは、スピルバーグの映画に出演しに行くんじゃないのよ」
細い山道はずっと奥まで続いている。木は乾燥しているが、枝は長く伸びていて、ハイキングコースでもなさそうなのだが、タイヤの跡が残っていた。
「俺たちを歓迎してくれているぜ」
トラヴィスはそれを道しるべに、スピードをゆるめず進む。
およそ十分以上走っただろうか、だいぶ奥まった辺りまで来た頃に、突然前方の景色がひらけた。木を切り倒した土地に、二階建てのロッジ風の建物があった。
おそらく森林公園関係の仕事で使われ、今は使用されていないと思われる山小屋だった。長年放置されているのか、外壁がかなり痛んでいる。
ロッジの手前で車を停車すると、ミリアムとトラヴィスは急いで降りた。二人とも、拳銃を抜く。
「気をつけて」
捜査官たちは拳銃を構えながら、慎重にロッジへ近づいた。人の気配はしない。ミリアムは周囲を警戒し、トラヴィスは二階を見上げる。二階の窓ガラスは閉じられている。
玄関前には木造の階段があり、先にトラヴィスが足音を立てないようにあがって、ドアの横に背中をつけて立つ。ミリアムもドアを挟んで反対側に立った。
トラヴィスは拳でドアを数回叩いた。木造のドアは硬い音がしたが、しばらく待っても何も起きなかった。
二人は目で頷きあい、トラヴィスが丸いドアノブを握ると、勢い良くドアを開けた。すぐに銃を構えて、入り口に立つ。
トラヴィスは銃口を向けたまま、用心深く中へ侵入した。ミリアムも後に続く。
室内は、閑散としていた。二つの灰色のソファーに木製の丸いテーブル、小さいラジオなどがあったが、長い間使用されていなかったのか、どれも汚れていた。床も土や泥があちこちに付着し、埃が溜まってゴミが落ちている。
二人は銃の引き金を握ったまま、慎重に部屋中を調べ始めた。部屋の隅に自家用発電機がある。ソファーやテーブルには新聞や雑誌があった。トラヴィスはその新聞の日付を確認すると、あの空き家の爆破があった翌日だった。地元の新聞紙で、その事件がトップ記事になっている。雑誌は「Time」で、ぱらぱらとめくると中東問題が特集記事になっていた。
「そっちはどうだ?」
ミリアムは奥にあるキッチンを調べていた。
「洗っていないコーヒーカップが四つあるだけよ」
「こっちも、銃や爆弾らしきものは見当たらない。あるのは、ゴミだけだ」
部屋の隅にある丸太のゴミ入れには、マクドナルドの包み紙や空のペットボトルが捨てられていた。
「遅かったわ」
戻ってきたミリアムは、拳銃をおろしていた。
「アシュリーは銃を見たと言っていたけれど、犯人たちが持って逃げたわね」
「すぐに市警に連絡しよう」
トラヴィスももう一度室内を見回してから、銃口を下に向けた。
一階には、人の気配は感じられなかった。トラヴィスは木造の階段を鋭く睨みあげて、再び銃を構える。
「ここにいてくれ」
足音を消して、慎重に一段ずつ階段をのぼってゆく。下にいるミリアムは援護体勢を取りつつ、警戒を怠らない。
階段をのぼり切ると、瞬時にトリガーを引ける状態で、素早く周囲を見回した。二階は廊下を挟んでドアが向かい合っている。用心しながら向かって左側のドアの横に身を寄せると、そっとドアノブを回した。開けると同時に、銃を構えて飛び込む。
その部屋には何もなかった。椅子もテーブルもなく、汚れた壁や床が剥き出しになっている。部屋自体も狭く、薄汚れた窓ガラスがあるだけである。外でトラヴィスが見上げたのは、この窓だろう。外の光が鈍く差し込み、長年放置された部屋なのだと気づかせてくれる。
トラヴィスは誰もいないことを確かめて、小さく息をついた。が、次の瞬間、背後で何かが動く音がした。
トラヴィスは反射的に身をひるがえし、トリガーを引く。
激しい雷が落ちたような一発が、辺りを震わせた。「トラヴィス!」と銃声を聞いたミリアムが、階段を駆け上がってくる。
トラヴィスは銃を撃った体勢のまま、威嚇するように叫んだ。
「両手をあげろ!」
弾は、廊下を挟んで反対側のドアに撃ち込まれている。その下で、文字通り腰を抜かしている少年は、鞭で打たれたように両手をあげた。
「そのまま動くな」
トラヴィスは銃を向けたまま、少年に近づき、武器を隠し持っていないか調べる。
「小僧、名前は?」
「……ミ、ミカール」
ミカール・アル・アブドュルは顎に触れる銃口の硬くて冷たい感触に、胃の中がひっくり返ったような悲鳴をあげた。
「今じゃない。ずっとだ」
ハンドルを右手で操りながら、左手で首のうなじをさすった。昨夜キスされた痕が疼(うず)いた。
ミリアムは書類を膝の上できちんと揃えた。
「わかったわ。でもね、さっきも言ったとおり、あなたの個人的な感情に興味はないのよ」
「FBI捜査官は言うことが違うな」
「事件に集中してちょうだい」
ぴしゃりと言う。
「けれど、ジェレミーがまだ何かを隠しているという意見には賛成だわ」
「チームプレーのできない野郎だぜ」
「あなたには言われたくないと思うわよ」
車はしばらくフリーウェイを走る。アシュリーの証言では、フリーウェイの近くまで歩いてきて、そこで通りすがりの親切な車に乗せてもらい、ロス市警までやって来たという。ロサンゼルス市内から北東へ数十分、シエラ・マドレが前方に見えてきて、フリーウェイを下りた。
シエラ・マドレはロサンゼルス郊外にある閑静な町である。その背後には、広大なエンジェルス国立森林公園がある。
「アシュリーが言っていたのはあそこだな?」
フロントガラスからは壮大な山々が見える。
「そうね、すぐに行きましょう」
セダンはエンジン音をたてて向かう。エンジェルス国立森林公園は、ロサンゼルス郊外にある自然豊かな一帯で、ハイキングやドライブ、キャンプや釣り、ハンティングなど、様々なスポーツやレジャーを満喫できる場所である。ロサンゼルス市からもそう遠くはなく、日帰りで遊びに来る市民も多い。
少し走ると駐車場があった。今日は休日ではないが、やはり車が多い。ちょうど停車したシルバーのワゴン車から、母親と幼い娘が下りてきた。どちらも身軽な格好でスニーカーを履いている。ハイキングのスタイルだ。
「俺たちも車から下りて、ハイキングするか?」
「まだ、早いわ」
ミリアムは周辺の位置を確認する。
「アシュリーは山道ではなく、車が通る道路を逃げてきたと言っていたわ」
『誰かに乗せてもらおうと思ったんだけど、一台も通らなくて……』
取調室で、アシュリーの疲れた顔が弱々しく笑った。
「あちらへ行きましょう」
「了解」
トラヴィスは指示された方へハンドルを切る。
セダンは森林公園へ入っていった。
きちんとアスファルト舗装された道路が、果てしなく伸びている。その周辺は木がまばらに生え、砂地や大きな岩が露出している。緑豊かな森林地帯ではなく、乾燥した山々の荒涼とした景色が雄大に見え渡る。忙しい日常を離れてドライブするにはもってこいの場所だ。平日のせいか、すれ違う車も多くはない。
「山は厄介だな」
トラヴィスは曲がりカーブをゆるやかに運転しながら、窓から見える大自然の光景にしかめ面をした。
「どうも感覚が鈍る」
「そうね。自分を覆い隠してくれる錯覚に陥るわ。だから犯罪者は大きな気持ちになって、ひどいこともできるのよ」
「こんなところにガキどもを監禁するなんて、イカれているぜ」
しばらくして、前方になだらかな坂が見えてきた。
「速度を落としてちょうだい、トラヴィス」
アシュリーは坂道を下りたと喋っていた。細い道を走って、坂道に出たと。
「気をつけて見て。どこかに脇道があるはずよ」
トラヴィスはスピードをうまく調整しながら、ゆっくりと坂道をのぼってゆく。道路沿いの乾いた山肌を睨みながら、道を探していく。
「あれじゃないか?」
トラヴィスは顎でしゃくる。ほどなく、車が一台分通れる狭い脇道を見つけた。
「アシュリーの足で動くには、ちょうどいい距離ね」
ミリアムも頷く。
「行くぞ」
二人を乗せたセダンは、躊躇いもなく脇道に入った。そこは舗装されておらず、路面は砂や土が剥き出しで、平らでもない。走り始めてすぐに、車体がガタガタと揺れ、タイヤも鈍い音を立てた。
「今から冒険しに行く気分だな。愉しいトラップが待ち構えているに違いない」
なぜか目を輝かせてハンドルを動かすトラヴィスである。
「俺はインディ・ジョーンズが好きなんだ」
「私たちは、スピルバーグの映画に出演しに行くんじゃないのよ」
細い山道はずっと奥まで続いている。木は乾燥しているが、枝は長く伸びていて、ハイキングコースでもなさそうなのだが、タイヤの跡が残っていた。
「俺たちを歓迎してくれているぜ」
トラヴィスはそれを道しるべに、スピードをゆるめず進む。
およそ十分以上走っただろうか、だいぶ奥まった辺りまで来た頃に、突然前方の景色がひらけた。木を切り倒した土地に、二階建てのロッジ風の建物があった。
おそらく森林公園関係の仕事で使われ、今は使用されていないと思われる山小屋だった。長年放置されているのか、外壁がかなり痛んでいる。
ロッジの手前で車を停車すると、ミリアムとトラヴィスは急いで降りた。二人とも、拳銃を抜く。
「気をつけて」
捜査官たちは拳銃を構えながら、慎重にロッジへ近づいた。人の気配はしない。ミリアムは周囲を警戒し、トラヴィスは二階を見上げる。二階の窓ガラスは閉じられている。
玄関前には木造の階段があり、先にトラヴィスが足音を立てないようにあがって、ドアの横に背中をつけて立つ。ミリアムもドアを挟んで反対側に立った。
トラヴィスは拳でドアを数回叩いた。木造のドアは硬い音がしたが、しばらく待っても何も起きなかった。
二人は目で頷きあい、トラヴィスが丸いドアノブを握ると、勢い良くドアを開けた。すぐに銃を構えて、入り口に立つ。
トラヴィスは銃口を向けたまま、用心深く中へ侵入した。ミリアムも後に続く。
室内は、閑散としていた。二つの灰色のソファーに木製の丸いテーブル、小さいラジオなどがあったが、長い間使用されていなかったのか、どれも汚れていた。床も土や泥があちこちに付着し、埃が溜まってゴミが落ちている。
二人は銃の引き金を握ったまま、慎重に部屋中を調べ始めた。部屋の隅に自家用発電機がある。ソファーやテーブルには新聞や雑誌があった。トラヴィスはその新聞の日付を確認すると、あの空き家の爆破があった翌日だった。地元の新聞紙で、その事件がトップ記事になっている。雑誌は「Time」で、ぱらぱらとめくると中東問題が特集記事になっていた。
「そっちはどうだ?」
ミリアムは奥にあるキッチンを調べていた。
「洗っていないコーヒーカップが四つあるだけよ」
「こっちも、銃や爆弾らしきものは見当たらない。あるのは、ゴミだけだ」
部屋の隅にある丸太のゴミ入れには、マクドナルドの包み紙や空のペットボトルが捨てられていた。
「遅かったわ」
戻ってきたミリアムは、拳銃をおろしていた。
「アシュリーは銃を見たと言っていたけれど、犯人たちが持って逃げたわね」
「すぐに市警に連絡しよう」
トラヴィスももう一度室内を見回してから、銃口を下に向けた。
一階には、人の気配は感じられなかった。トラヴィスは木造の階段を鋭く睨みあげて、再び銃を構える。
「ここにいてくれ」
足音を消して、慎重に一段ずつ階段をのぼってゆく。下にいるミリアムは援護体勢を取りつつ、警戒を怠らない。
階段をのぼり切ると、瞬時にトリガーを引ける状態で、素早く周囲を見回した。二階は廊下を挟んでドアが向かい合っている。用心しながら向かって左側のドアの横に身を寄せると、そっとドアノブを回した。開けると同時に、銃を構えて飛び込む。
その部屋には何もなかった。椅子もテーブルもなく、汚れた壁や床が剥き出しになっている。部屋自体も狭く、薄汚れた窓ガラスがあるだけである。外でトラヴィスが見上げたのは、この窓だろう。外の光が鈍く差し込み、長年放置された部屋なのだと気づかせてくれる。
トラヴィスは誰もいないことを確かめて、小さく息をついた。が、次の瞬間、背後で何かが動く音がした。
トラヴィスは反射的に身をひるがえし、トリガーを引く。
激しい雷が落ちたような一発が、辺りを震わせた。「トラヴィス!」と銃声を聞いたミリアムが、階段を駆け上がってくる。
トラヴィスは銃を撃った体勢のまま、威嚇するように叫んだ。
「両手をあげろ!」
弾は、廊下を挟んで反対側のドアに撃ち込まれている。その下で、文字通り腰を抜かしている少年は、鞭で打たれたように両手をあげた。
「そのまま動くな」
トラヴィスは銃を向けたまま、少年に近づき、武器を隠し持っていないか調べる。
「小僧、名前は?」
「……ミ、ミカール」
ミカール・アル・アブドュルは顎に触れる銃口の硬くて冷たい感触に、胃の中がひっくり返ったような悲鳴をあげた。



