翌日、ロス支局に到着すると、先に出勤していたミリアムから驚くべき報告を受けた。
「アシュリーが見つかったわ」
ミリアムはいつも通りの捜査官らしい隙のない身なりだったが、パートナーの昨日と変わらない服装に、薄いパープルで彩られた唇から諦めたような声を出した。
「トラヴィス、あなたのアイデンティティーにはもう文句を言わないわ」
トラヴィスは来る途中で購入したサンドウィッチとコーヒーを持ったまま、ミリアムと一緒に車に乗り込んだ。
「いつ見つかったんだ」
「昨夜よ。ロス市警に現れたらしいわ」
昨日の夜か――トラヴィスはジェレミーが無言で部屋から出て行ったのを思い返した。
――俺に怒っているだろうな。
「もうご両親には連絡がいっているはずだから、一緒にいるわね」
「何だっていきなり現れたんだ? 昨日の今日なのに」
「それを聞きに行きましょう」
ミリアムが運転するセダンは、模範的なスピードレーサーのように速く的確に目的地へ着いた。その間に助手席のトラヴィスは朝食を終えた。
「ジェレミーの奴は?」
敵愾心が、炎が燃えあがるように湧いてきた。同時に、昨夜の愛撫も甦った。
「先に行っているわよ。そんなしかめっ面をしないで」
「あいつは嫌いだ」
クアンティコでのアカデミー時代、ルームメイトとして初めて会った瞬間から、うまが合わないと感じた。訓練中、何度罵っただろう。
くそっ。トラヴィスは心の中で、思いっきり自分を罵倒した――そうじゃないだろう。
「あなたの個人的な感情に興味はないわ。彼はとても優秀な捜査官なのよ」
とても、の部分を強く言って、ミリアムは車を降りると、先にロス市警の本部庁舎、別名「パーカーセンター」へ入ってゆく。トラヴィスも首筋を撫でながら続いた。
二人を出迎えたのは、ロビン・ノートン警部だった。ロス市警での今回の事件の現場リーダーで、最初に捜査官たちと挨拶を交わしたのも彼女である。二人を奥の取調室へと案内しながら、タフな経験を積み重ねた者が持ちえる強い声で、状況を説明した。
「夜勤の者が言うには、昨夜、日付が変わった頃に、ここへ現れたそうです。ええ、一人で歩いて来たそうです。履いているスニーカーは泥で汚れています」
「どういう様子でした?」
「それがひどく狼狽していて、応対したパーカー巡査に、自分の名前を名乗ってから、訴えたそうです。僕の友達を助けてと」
ノートン刑事は目を合わせたミリアムとトラヴィスに深く頷いた。
「誘拐されたレイジー・バーンズワースを救出して欲しいと、アシュリー・グラハムは言っています」
「家出じゃないのか?」
「家出した後で、誘拐されたそうです」
「随分と都合のいい話だな」
ノートン警部は少々非難めいた色合いで、自分より二十は年下のトラヴィスに視線を投げた。
「それで、アシュリーはどうしたのかしら?」
ミリアムが話を続ける。
「アシュリーも同じく誘拐されたそうですが、自力で逃げ出してきたと言っています」
「誘拐した人間は?」
「見知らぬ相手だそうです」
取調室と記されたドアの前で立ち止まって、ノートン警部は丸い金属のドアノブを回した。
「アンダースミス捜査官がアシュリーと話しています」
取調室に入ると、無機質で広くもない部屋の中央に簡易テーブルが置いてあり、向かい合う形で三人の人間がパイプ椅子に座っていた。向かって左側にいるのは、少年とリサ。右側にはジェレミーがいる。
ミリアムとトラヴィスの姿を見て、まっさきに反応したのはリサだった。
「弁護士を呼ぶわ」
隣に座る少年の肩に手を置いている。
「これ以上、アシュリーに余計なことを訊くのは許さないわ」
少年が呼ばれたように顔をあげた。写真で見たアシュリー・グラハムだ。
実際に会ってみると、写真よりも色白だった。半袖の白いTシャツにジーンズという格好で、華奢である。一見してか弱そうな印象は拭えないが、その薄いブルーの瞳は、新たに現れた捜査官たちに驚く様子もなく見つめている。市警に現れた直後はひどく狼狽していたそうだが、時間が経って少し落ち着いたのかもしれない。
ジェレミーは肘をついて手の甲に顎をのせている姿勢で、アシュリーから目を離さない。その態度からは、昨夜の行為など微塵も窺えない。
「こんにちは、アシュリー。私はミリアム・ウィリアムズ。こちらはトラヴィス・ヴェレッタよ。よろしくね」
ミリアムが笑顔で手を差し伸べた。アシュリーは軽く手を握り返す。
トラヴィスも手を出した。素直に握手をするアシュリーの手は、少女のように柔らかかった。
「アシュリー、とても疲れていると思うけれど、私たちとも少しお喋りできる?」
「駄目よ」
母親がきっぱりと拒絶した。
「この子は昨夜からあまり寝ていないのよ。それなのに、その捜査官が色々と質問してきて、ひどく疲れているのよ。もう帰らせてもらうわ。あとは弁護士と話してちょうだい」
「申し訳ないが、協力していただきたい」
トラヴィスが口を挟む。
「君は家出をして誘拐されたと言ったそうだが、我々も詳しく聞きたい」
「その捜査官に話したわよ!」
「君の口からもう一度聞きたい」
リサが憤然とパイプ椅子から立ちあがった。椅子が床へ転びそうなほどの勢いだった。子供を守るというよりも、トラヴィスには冷静に状況を判断できていないように感じられた。取調室には監視カメラが設置されていて、この様子も記録されているはずである。最初からリサがどういう様子だったのか、確かめる必要があるかもしれないと考えた。どうもこの母親は情緒不安定気味だ。
「ママ」
アシュリーが母親の行為を止めるように呼んだ。優しい声だった。
「パパはどうしているのかな?」
「……ロビーは出張で、ニューヨークに行っているわ。すごく心配していて、今日中に帰ってくるわよ」
「パパに僕のこと話した?」
「いいえ、電話が繋がらないのよ。でも……」
「パパに、電話してきてくれない? 僕のこと、心配しているんでしょう?」
「一緒に家へ帰ってから電話しましょう、アシュリー」
「今がいいんだ。ママ、僕のお願いだよ」
リサは困ったように頬に手を添えて息子を眺めた。しかし「お願いだよ、ママ」と重ねて言われて、しぶしぶその場を離れた。
「すぐに戻ってくるわ」
何故かトラヴィスだけをきつく睨みつけて出て行った。
「ママは本当にすぐに戻ってくると思うから、手短にお話します」
ドアが閉まると同時に、アシュリーはミリアムとトラヴィスに向き直った。頭のいい子だとトラヴィスは感心した。どうすれば次へ進めるのか、よくわかっている。
「僕の大切なレイジーが、二週間ほど前に家出をして、レイジー一人だと心配だから、僕もついて行ったんです」
アシュリーは静かに語り始めた。
「レイジーが家出をしたのは、別にアンジェラお祖母さんと仲が悪かったわけではなくて、ただ自由な空気を吸ってみたかったからです。ずっと前から家を出て、一人で暮らして生きたいって喋っていたから。でもそれはまだ僕らには無理だから、今回はほんの二、三日で家へ帰るはずだったんです。けれど、僕たちが夜に外を歩いていたら、車が近づいてきて、すぐそばで止まったんです。そして男性が二人降りてきて、僕らは無理やり乗せられたんです」
「夜に出歩いていたら当然だろう」
トラヴィスはわかっていても頭にきた。一般的に治安の悪いアメリカだが、それが大都市になると格段にひどくなる。ロサンゼルスも例外ではなく、夜出歩くには非常に危険なエリアが多数あり、未成年者には門限がある都市もある。
「他に行くところがなかったから」
アシュリーはすまなそうに目を伏せた。
「その二人が、僕とレイジーに爆弾を仕掛けるのを手伝えって言ってきて……」
「アシュリー、どういう二人組みだったの?」
ミリアムの問いに、アシュリーは叱られたようにうなだれて、首を横に振った。
「僕はあまり見ていないんです。夜だったし、僕とレイジーは目隠しされたから。どこかの家に下ろされたあとも、レイジーだけ連れていかれて、僕は部屋に閉じ込められたんです。食事もレイジーが運んできて、僕の前には現れなかったし。だから、詳しくはわからないんです」
「二人組が喋っているのは英語だった?」
「僕たちには英語でした。けれど、車内で二人が喋っているのは、英語には聞こえませんでした」
「お前はどうやって逃げ出して来たんだ?」
アシュリーは少しだけ目を伏せた。まるで恥ずかしいことをしてしまったかのように落ち込んでいる。おそらくジェレミーにも同じ質問をされたはずだ。再び答えるのが苦痛であるようにトラヴィスには見えたが、すぐにアシュリーは顔をあげた。
「アシュリーが見つかったわ」
ミリアムはいつも通りの捜査官らしい隙のない身なりだったが、パートナーの昨日と変わらない服装に、薄いパープルで彩られた唇から諦めたような声を出した。
「トラヴィス、あなたのアイデンティティーにはもう文句を言わないわ」
トラヴィスは来る途中で購入したサンドウィッチとコーヒーを持ったまま、ミリアムと一緒に車に乗り込んだ。
「いつ見つかったんだ」
「昨夜よ。ロス市警に現れたらしいわ」
昨日の夜か――トラヴィスはジェレミーが無言で部屋から出て行ったのを思い返した。
――俺に怒っているだろうな。
「もうご両親には連絡がいっているはずだから、一緒にいるわね」
「何だっていきなり現れたんだ? 昨日の今日なのに」
「それを聞きに行きましょう」
ミリアムが運転するセダンは、模範的なスピードレーサーのように速く的確に目的地へ着いた。その間に助手席のトラヴィスは朝食を終えた。
「ジェレミーの奴は?」
敵愾心が、炎が燃えあがるように湧いてきた。同時に、昨夜の愛撫も甦った。
「先に行っているわよ。そんなしかめっ面をしないで」
「あいつは嫌いだ」
クアンティコでのアカデミー時代、ルームメイトとして初めて会った瞬間から、うまが合わないと感じた。訓練中、何度罵っただろう。
くそっ。トラヴィスは心の中で、思いっきり自分を罵倒した――そうじゃないだろう。
「あなたの個人的な感情に興味はないわ。彼はとても優秀な捜査官なのよ」
とても、の部分を強く言って、ミリアムは車を降りると、先にロス市警の本部庁舎、別名「パーカーセンター」へ入ってゆく。トラヴィスも首筋を撫でながら続いた。
二人を出迎えたのは、ロビン・ノートン警部だった。ロス市警での今回の事件の現場リーダーで、最初に捜査官たちと挨拶を交わしたのも彼女である。二人を奥の取調室へと案内しながら、タフな経験を積み重ねた者が持ちえる強い声で、状況を説明した。
「夜勤の者が言うには、昨夜、日付が変わった頃に、ここへ現れたそうです。ええ、一人で歩いて来たそうです。履いているスニーカーは泥で汚れています」
「どういう様子でした?」
「それがひどく狼狽していて、応対したパーカー巡査に、自分の名前を名乗ってから、訴えたそうです。僕の友達を助けてと」
ノートン刑事は目を合わせたミリアムとトラヴィスに深く頷いた。
「誘拐されたレイジー・バーンズワースを救出して欲しいと、アシュリー・グラハムは言っています」
「家出じゃないのか?」
「家出した後で、誘拐されたそうです」
「随分と都合のいい話だな」
ノートン警部は少々非難めいた色合いで、自分より二十は年下のトラヴィスに視線を投げた。
「それで、アシュリーはどうしたのかしら?」
ミリアムが話を続ける。
「アシュリーも同じく誘拐されたそうですが、自力で逃げ出してきたと言っています」
「誘拐した人間は?」
「見知らぬ相手だそうです」
取調室と記されたドアの前で立ち止まって、ノートン警部は丸い金属のドアノブを回した。
「アンダースミス捜査官がアシュリーと話しています」
取調室に入ると、無機質で広くもない部屋の中央に簡易テーブルが置いてあり、向かい合う形で三人の人間がパイプ椅子に座っていた。向かって左側にいるのは、少年とリサ。右側にはジェレミーがいる。
ミリアムとトラヴィスの姿を見て、まっさきに反応したのはリサだった。
「弁護士を呼ぶわ」
隣に座る少年の肩に手を置いている。
「これ以上、アシュリーに余計なことを訊くのは許さないわ」
少年が呼ばれたように顔をあげた。写真で見たアシュリー・グラハムだ。
実際に会ってみると、写真よりも色白だった。半袖の白いTシャツにジーンズという格好で、華奢である。一見してか弱そうな印象は拭えないが、その薄いブルーの瞳は、新たに現れた捜査官たちに驚く様子もなく見つめている。市警に現れた直後はひどく狼狽していたそうだが、時間が経って少し落ち着いたのかもしれない。
ジェレミーは肘をついて手の甲に顎をのせている姿勢で、アシュリーから目を離さない。その態度からは、昨夜の行為など微塵も窺えない。
「こんにちは、アシュリー。私はミリアム・ウィリアムズ。こちらはトラヴィス・ヴェレッタよ。よろしくね」
ミリアムが笑顔で手を差し伸べた。アシュリーは軽く手を握り返す。
トラヴィスも手を出した。素直に握手をするアシュリーの手は、少女のように柔らかかった。
「アシュリー、とても疲れていると思うけれど、私たちとも少しお喋りできる?」
「駄目よ」
母親がきっぱりと拒絶した。
「この子は昨夜からあまり寝ていないのよ。それなのに、その捜査官が色々と質問してきて、ひどく疲れているのよ。もう帰らせてもらうわ。あとは弁護士と話してちょうだい」
「申し訳ないが、協力していただきたい」
トラヴィスが口を挟む。
「君は家出をして誘拐されたと言ったそうだが、我々も詳しく聞きたい」
「その捜査官に話したわよ!」
「君の口からもう一度聞きたい」
リサが憤然とパイプ椅子から立ちあがった。椅子が床へ転びそうなほどの勢いだった。子供を守るというよりも、トラヴィスには冷静に状況を判断できていないように感じられた。取調室には監視カメラが設置されていて、この様子も記録されているはずである。最初からリサがどういう様子だったのか、確かめる必要があるかもしれないと考えた。どうもこの母親は情緒不安定気味だ。
「ママ」
アシュリーが母親の行為を止めるように呼んだ。優しい声だった。
「パパはどうしているのかな?」
「……ロビーは出張で、ニューヨークに行っているわ。すごく心配していて、今日中に帰ってくるわよ」
「パパに僕のこと話した?」
「いいえ、電話が繋がらないのよ。でも……」
「パパに、電話してきてくれない? 僕のこと、心配しているんでしょう?」
「一緒に家へ帰ってから電話しましょう、アシュリー」
「今がいいんだ。ママ、僕のお願いだよ」
リサは困ったように頬に手を添えて息子を眺めた。しかし「お願いだよ、ママ」と重ねて言われて、しぶしぶその場を離れた。
「すぐに戻ってくるわ」
何故かトラヴィスだけをきつく睨みつけて出て行った。
「ママは本当にすぐに戻ってくると思うから、手短にお話します」
ドアが閉まると同時に、アシュリーはミリアムとトラヴィスに向き直った。頭のいい子だとトラヴィスは感心した。どうすれば次へ進めるのか、よくわかっている。
「僕の大切なレイジーが、二週間ほど前に家出をして、レイジー一人だと心配だから、僕もついて行ったんです」
アシュリーは静かに語り始めた。
「レイジーが家出をしたのは、別にアンジェラお祖母さんと仲が悪かったわけではなくて、ただ自由な空気を吸ってみたかったからです。ずっと前から家を出て、一人で暮らして生きたいって喋っていたから。でもそれはまだ僕らには無理だから、今回はほんの二、三日で家へ帰るはずだったんです。けれど、僕たちが夜に外を歩いていたら、車が近づいてきて、すぐそばで止まったんです。そして男性が二人降りてきて、僕らは無理やり乗せられたんです」
「夜に出歩いていたら当然だろう」
トラヴィスはわかっていても頭にきた。一般的に治安の悪いアメリカだが、それが大都市になると格段にひどくなる。ロサンゼルスも例外ではなく、夜出歩くには非常に危険なエリアが多数あり、未成年者には門限がある都市もある。
「他に行くところがなかったから」
アシュリーはすまなそうに目を伏せた。
「その二人が、僕とレイジーに爆弾を仕掛けるのを手伝えって言ってきて……」
「アシュリー、どういう二人組みだったの?」
ミリアムの問いに、アシュリーは叱られたようにうなだれて、首を横に振った。
「僕はあまり見ていないんです。夜だったし、僕とレイジーは目隠しされたから。どこかの家に下ろされたあとも、レイジーだけ連れていかれて、僕は部屋に閉じ込められたんです。食事もレイジーが運んできて、僕の前には現れなかったし。だから、詳しくはわからないんです」
「二人組が喋っているのは英語だった?」
「僕たちには英語でした。けれど、車内で二人が喋っているのは、英語には聞こえませんでした」
「お前はどうやって逃げ出して来たんだ?」
アシュリーは少しだけ目を伏せた。まるで恥ずかしいことをしてしまったかのように落ち込んでいる。おそらくジェレミーにも同じ質問をされたはずだ。再び答えるのが苦痛であるようにトラヴィスには見えたが、すぐにアシュリーは顔をあげた。



