土曜日の昼過ぎに目を覚ました頃から少し、身体に怠さがあったあざらし。そのままゆっくり休んだものの、日曜日に熱を測れば平熱より高かった。
 咳も鼻も出ていないが、身体が熱く怠さもある。市販の風邪薬を飲んで横になりながら、同好会メンバーに月曜日は休むと連絡することにした。
 鮫島と南極は最近昼休みに会わず、勉強の邪魔になったらいけないからと、二人には何も送らないことにし、最初に──白熊に向けてメッセージを送っていた。
 文字を打つ指が震える。脳裏には白熊の笑顔。そして、白熊の声。

『あざらし君的にはさ、これからもそんな感じ?』
『告白されたりしたら、どうする?』
『じゃあ、たとえばさ、』

 あの後は、どんな言葉を聞けたんだろう。
 自分は、何て答えたんだろう。
 考えれば考えるほどに、熱が上がる。
 どうにか送って、横になる。しばらくするとスマホが震えて音を立てた。手に取れば白熊からの返信であり、放課後に会えないか、とのこと。
 白熊と会うのは学校や白熊の祖母の店が多く、あざらしの家に招いたことはない。それでも、目印を伝えたり、電話で誘導すれば、なんとかなるはず。
 自然と受け入れる方向に考えていることを、あざらしは大して驚いていなかった。
 ──会いたい。
 白熊の顔を見て安心したい。心を惑わしているのも白熊だが、それでも、会いたい。

『会いたいです、来てください』

 そのように返信し、絶対に行くと、すぐに返事が来た。

◆◆◆

 月曜日の午後三時前、あざらしは居間の座布団の上で足を崩し、白熊と電話していた。

「そこまで来たら後は真っ直ぐ……あ、そうです。左から四番目の棟で……はい、そろそろです」

 白熊はもう近くまで来ているらしい。上は白いティーシャツで下は青いジャージに既に着替えており、仕上げとばかりに手櫛で髪を整えると、あざらしはその時を待つ。鼓動が自然と速くなって、音がうるさく感じた。
 五分、経った頃だろうか。チャイムが鳴らされた。スマホからは押したよと白熊の声。あざらしは通話を切って玄関に向かい、扉を開けた。

「こんにちわ、あざらし君。体調は平気?」

 いつもと変わらぬ笑みを浮かべた、制服姿の白熊がそこにいた。

「……白熊先輩だ」
「うん、俺だよ」

 金曜日に会ったというのに、随分と会っていなかったような懐かしさと共に、よく分からない感情が胸に広がる。あったかい。そう感じるのに、感情の名前だけが分からなかった。
 白熊は玄関まで入り込み、後ろ手に扉を閉めた。上がってくださいとあざらしは彼を先導し、居間まで連れていく。

「綺麗に片付けられているね」
「散らかしていると怒られるので」

 更に部屋が散らかるほどに、母が怒り狂うから、あざらしは日頃から整理整頓を心掛けていた。
 自分が座っていた座布団に白熊を座らせ、あざらしは使われることが少ない母の座布団に腰を降ろす。

「今日はちゃんと休めた?」
「はい、ご飯の時以外は布団の中であったかくしていました。熱も測ったら平熱になっていたので、明日から学校に通えそうです」
「良かった。あざらし君のいないおにぎり同好会は淋しいからね」
「またそんなことを」

 逆に、白熊のいない同好会も、あざらしには淋しいと感じてしまうだろう。斑鳩とぺんぎんには悪いが。
 そんなことを想像しているあざらしの目の前で、白熊は自身のスクールバッグから何かを取り出す。

「今日は早起きして作ったんだ。俺の想いを込めたから、受け取ってもらえると嬉しい」

 おにぎりだった。
 いつも通りの、俵型。
 食べさせてもらえるたびに、幸せを感じる、白熊のおにぎり。
 断る理由などないからと、そのおにぎりを受け取る。時間が経っているにも関わらず、冷たさを感じない。

「食べてもいいですか?」
「うん。……食べながら、聞いてくれるかな?」

 あざらしは頷いて、おにぎりのラップを丁寧に剥がして、口に運んだ。一口ごとに、頬が溶け落ちるような感覚になっていく。そんなあざらしの様子を見守りながら、白熊は口を開いた。

「あざらし君とは、この春に出会ったよね? 君が、俺とベルーガの教室に来てくれた」
「部活紹介の小冊子を見て、おにぎり同好会に興味が出まして、白熊さん達の教室で活動してるとあったので、行ってみました。ぺんぎん君には助けられました、一緒に来てくれたので」
「まさか二人も来るとは思わなかったよ。多めにおにぎり作ってきて良かった」
「あの時もらったおにぎりも、本当に美味しかったです」
「……あざらし君ね、いい笑顔してたよ」

 何となく、あざらしは空気が変わったのを感じ取り、白熊を見つめる。彼の顔からは笑みが消え、真剣な表情であざらしを見ていた。

「心の底から安心したって感じの無防備な笑顔でね、ずっと、未だにね、その笑顔が忘れられないんだ」
「……」
「そんな顔をもっとしてほしい、誰よりも優しくしたい。そう思ったのはね、あざらし君だけ」
「……」
「あざらし君」

 食べ掛けのおにぎりを持っていないあざらしの手を白熊は取り、その言葉を口にした。

「君のことが好きなんだ、俺の恋人になってくれない?」
「……白熊、先輩」

 好き、と言われるのは、くすぐったくて、それ以上に、嬉しさが込み上げてくる。
 何か言わないと、そう思うたび、気持ちが焦ってきた。

「ぼ、く……僕……」
「うん」

 白熊は急かさなかった。静かに返事を待ってくれている。そのことに抱く感情は、いつも通りの──安心感。

「……白熊先輩と一緒にいると、安心します」
「俺も、君といると心が落ち着く」
「……白熊先輩のおにぎりが、あったかくて、食べると幸せになるから、その、大好きです」
「そう言ってもらえると嬉しい。これからも君に作ってあげたい」
「……僕……あの、僕……」
「うん」

 これまでの、白熊と過ごしてきた日々を思い出し、あざらしが出した答えは、

「──白熊先輩の隣にいたいです、いてもいいですか?」

 羞恥からか、緊張のせいか、あざらしの瞳から涙が一滴溢れ落ちる。白熊は指で涙を拭うと、あざらしの手からおにぎりを取ってローテーブルの上に置き──あざらしを抱き締めた。

「絶対に、離さないから」
「……絶対に、離れないです」

 好き。
 今ならその感情の名前が分かる。
 いつの間に芽生えていたのか、どうして気付かないでいられたのか。
 好き、一緒にいたい、傍にいてほしい。そんな想いがどんどん溢れてくる。
 ここに彼らの邪魔をする者はいない。時間の許す限り抱き締め合って、そして──二人は顔を見合わせた。
 ゆっくりとその距離は縮まっていき、やがて、重なっていく。

 途方もない幸せに、あざらしはその身を委ねた。