ゆっくりと視界が開けていく。
明晰夢から覚め、現実に戻って来た感覚が確かにあった。
……森じゃ、ない?
後頭部から背中、足にまでかけて、硬い感触があることを想定していたが、どうやらそんなことはないようだ。
むしろ何だか柔らかいような……。
すっかり明瞭になった意識と共に体を起こし、辺りを見回すと、そこは知らない一室だった。
飾りや色は少ない簡素な部屋だが、用意された家具類はどれも一級品であることが窺える。
そして、俺が寝ていたこれも、ウール素材のベッドだ。
「……イグドラシル、何だよな?」
思わずそんな疑問が漏れてしまうのも仕方のないことだろう。
つい先ほどまではマチスの設計図が見えている以外、ただの開けた土地だった場所だ。
なのに俺の視界に広がるのは、間違いなく室内の光景。
ようやくその不自然さに意識と感情が追い付いてきた。
自分の身体に触れたりしてみて、ここが間違いなく現実であることを理解すると同時に、事の重大さにもようやく気が付いた。
「俺……どれだけ寝ていたんだ……?」
腰を掛けているベッドやそもそもこの部屋、この空間、これらはどう考えても一日や二日程度で出来上がる物とは思えない。
マチスのスキル『造園監督』や各『職人』スキルの所持者が居ても、スキルは俺が倒れたように無限に使えるものではない。
つまり俺は……。
そこまで考えた所で、視界の端に映っていた扉が開く。
「アルト、様子を見に来まし――た。……っ! アルトッ!!」
中に入って来たのはロロ。
そんなロロは起き上がった俺の顔を見るや否や、血相を変えてこちらに飛び込むように駆け寄ってくる。
「アルトッ! 目が覚めたのですね! 良かった……! 本当に……良かったです」
目尻には涙を浮かべ、俺の両肩に置かれた手からは僅かな震えさえ感じる。
すごく心配をかけてしまったことは誰の目からも明らかだった。
なのに、そんなロロの顔を見た途端、どういう訳か俺の中に湧き上がったのは安心感だった。
夢での決意を思い出す。
与えよ、されば与えられん。
こんな安心感を与えてもらっているのだ。
俺もロロを安心させてあげたい。
「ロロ、ごめん。迷惑をかけて。それと……ただいま」
謝意と安心感、そのどちらもを与えられる言葉は何だろうか?
そう考えた俺の口から出たのは、ごく当たり前で、日常的な言葉だった。
「ただいま」
特別なところは一つもない。
挨拶や掛け声の一種とも呼べようその言葉だが、今はそれが最適だと思った。
「……はい。おかえり、なさい、アルト」
肩に置かれていた手がそのまま背に回されて、ギュッと抱きしめられる。
ドクンドクンと強く、早く打つ鼓動が俺の胸にも届いた。
◇◇◇
それからしばらくして、俺はロロから自分が気を失った後のことの経緯を聞いた。
「アルトが倒れたあと、リスタさんが私を抱えてイグドラシルまで全速力で戻り、戦闘系のスキルを持っている方々を引き連れてすぐに引き返してきてくれたんです」
流石は元貴族だったというだけのことはあるのだろう。
状況判断に加え、いきなり多くの人を動かすと言うのはそう簡単なことではない。
「その間アルトのことはクルセドさんが全力で守ってくれていましたが、帰りの道中で接敵するかもしれないと考えるとクルセドさんに何かあった場合アルトを守り切れないからそれが最善だと、リスタさんは言っていました」
それはその通りだ。
たかが一人かもしれないが、戦闘不能者を介助しながら森を抜けようとなるといくら『鋼鉄の盾』で鉄壁を誇るクルセドが居ても危険がないと言い切ることは出来ない。
本当に、俺が無理をしたばっかりに……。
と、ネガティブになりかけた思考を、首を振ってかき消す。
違う、そうじゃないだろう。
「そうか。あとで皆には礼を言わないとだね。被害とかはなかったんだよね?」
まずはそこだ。
もしこれで、民たちに被害が出ていなければ、俺のすべきは感謝だ。
仮に被害が出てしまっていた場合は誠心誠意頭を下げるしかないが、最初からネガティブになっていてはダメだろう。
「はい。帰還中、鳥型の魔獣と何度か接敵がありましたが、リスタさんとクルセドさんの指揮の下で全員問題なく対処し、誰一人怪我無く帰還することが叶いました」
「そうか、それは良かった。……いや待って。そうなると、作業は一時中断されていたはずだよね? でも、この部屋に家具たち……俺ってどのくらい眠ってた?」
一安心、と息を吐いた途端、ようやく俺の思考はそこへ戻り至った。
そもそも少人数編成で魔獣狩りに向かったのは、負担を分散させるためだった。
予想以上にあの羊が現れたのは事実だが、リスタが大勢を引き連れてきてくれたのだとしたら、その時点でイグドラシルの作業効率は格段に落ちていたはず。
だと言うのに、俺はこうして温かい色の木材に囲われた部屋で眠っていたということは、目覚めた時に考えた以上、一日や二日なんてものではない、かなりの期間眠っていたことになるんじゃないか?
「そう、ですね。アルトはアスガルドの時間にしておよそ一週間眠り続けていました」
「一週間……か。ほんとにごめんロロ。皆にも、後でしっかり謝らないと」
ギュッとシーツを握り締めるロロの手を見て、俺はもう何度目かの自省をした。
でも、それと同時に、俺が居なくてもきちんと動いていたのであろう国のことを考えて、少しだけ前向きな気持ちになれる。
倒れる前だったら、失望されてしまうかもしれない。
頑張らせすぎてまた倒れられるかもしれない、と思われることを恐怖したかもしれないが、今は俺がいない中でも、国作りを進めてくれる民たちを誇らしく思える俺がいた。
「いえ、アルトは悪くありません。私の頼みのために全力を尽くしてくれたのですから。でも、私は自分が許せないのです。アルトの体力が限界ギリギリだったことには、魔獣討伐に向かう前の時点で気が付いていました。でも、私はアルトを止められなかった。私の中の、早く世界樹を救わなければという意思をあなたの体調以上に優先してしまったのです……!」
そんな俺の横で、ロロは激しい自省に暮れている。
だが、それは違う。
例え、ロロが俺の体調の変化に気がついていたとしても、あの時の俺は止まらなかっただろうし、そもそも自分の体調を他人に管理してもらうなんて子供のすることだ。
……確かに俺はまだ12歳で子供だが、その辺りはちゃんとできるように教育を受けている。
そうでなければ、政務なんて任せてもらえない。
だから、無理を押したのは俺の責任。
それにロロが世界樹を早く救いたいと思うことについては一切否定できない。
俺だってアスガルドの危機と分かれば、何を置いてもそれを優先しようとするだろうから。
「違う、違うよロロ。それは当然の感情だよ。ごめん、きっと俺がいきなり婚約者だとか、色んなことを急に言ったのも悪かったんだ。俺とロロの関係はあくまで協力関係。世界樹の精霊であるロロが世界樹に抱かれた国であるアスガルドの俺に世界樹を救って欲しいと依頼をしてきて、その恩恵を理解している俺はアスガルドのためにもそれを受け入れた」
「ア、ルト?」
辛い表情に不安げな瞳を加え、こちらを見据えるロロ。
しかし、ここで言葉を濁すわけにはいかない。
「でも、俺はそんな協力関係の上で、それ以上のことを君に求めた。初めての感情に自分でもどう対処すればいいか分からなかったんだ。だからきっとロロは、俺を止めないでくれたんだ。ロロに責任は全くない。ロロは俺の突然な婚約者発言にも真摯に向き合って、俺を優先してくれたんだ。だから、ロロ、そんな風に自分を責めないで欲しい」
そう、婚約者。
初めての感情に浮かれ、何の思慮もなく吐き出したその言葉こそ、俺のポリシーに最も反することだった。
与えよ、されば与えられん。
だと言うのに、俺は無意識にロロに婚約者でいてくれることを望んでしまった。
自分が何も与えられていないのに、それが与えられることを望んでしまったのだ。
でも……。
「でも、その上で、もう一度言いたい。ロロ、これからも隣で俺を支えて欲しい。ただの協力関係ではなく、婚約者として。キミといると安心するんだ。家族とはまた違った安心感。もしかしたら、これはロロが俺のスキルだから、ってこともあるのかもしれないけど、実際に目を覚ましてから、ロロを一目見ただけで、心が和らいだんだ。だから、どうか、隣りにいて欲しい。改めて、婚約者として」
今度は思い付きや、浮かれ半分の行動ではなく、心からの俺の気持ち。
これからイグドラシルを率いていく上で、その隣にはロロが必要だと、ロロにいて欲しいと思っての言葉だった。
「………………はい。私も、この一週間、アルトがもう目覚めないかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうでした。こんな辛い思いは、もうしたくありません。だからどうか、私にあなたを支えさせてください。……その、婚約、者、として……!」
恥ずかしそうに、だが、真剣に俺に応えてくれるロロと今一度抱擁を交わす。
鼓動だけじゃない、ロロに触れているすべての部分が温かく、優しい感情に包まれていく。
これが、信じるということなのかな?
俺が真にロロを信じたからこそ、感じられる温かさなのかもしれないと、父の言葉に思う。
「さて、心配をかけてしまった民たちにも、この安心感を与えてやらないとだな」
「はい。ルミネさんを始めとして、皆さんがアルトのことを心配していました。顔を見せてあげてください」
手を取り合ったまま、立ち上がる。
そうして俺はロロと共に、新たな一歩を踏み出した。
◇◇◇
部屋を出て、さらに廊下を歩いてその家を出れば、そこは魔獣討伐に向かう前にマチスが見せていた城、その場所だった。
世界樹の国にふさわしいような木が前面に出ている城で、栄華を極めた王族の城ではなく、正に世界樹の王のための城だと言っている様だった。
そして、この少し高くなっている一から見下ろしたイグドラシルの街並みも俺を驚かせた。
そこに広がるのはまさに街。
通貨や食事の必要がないせいで、何か変わった物が目に入るということはないのだが、元はまっさらだったこの広場にしっかり人数分程度の家が建っている。
城と街、それに街を行く人々。
俺の思い描いていた国の姿が、既にそこには出来ていた。
「どうです? あなたの民はすごいでしょうアルト」
驚き、言葉を失う俺にロロが自慢げにそう言ってくる。
「ああ。こんな民に囲まれて王位に就くことになるとは。本当に頼りがいがあるな」
「はい。ですが、これも、目を覚ましたアルトに驚いて欲しいからと、皆さんが頑張ってくださったのです。アルトの頑張りは、ちゃんと伝わっていましたよ」
「そうか……俺のために……」
つまりこれは、皆が俺に与えてくれた信頼の形だ。
ならば、次は――俺が答える番だ。
「世界樹権能:指揮形態」
一週間ぶりに発動するスキルだが、なんだか一週間前より扱いやすくなっている気がする。
これも、ロロと信頼関係を築いたおかげだったりするのだろうか?
そんなことを考えながら、俺は街に向けて、その短い杖、指揮棒を振るった。
『イグドラシルの民よ! 我だ! アルト・アンドレアルだ!』
最初の言葉には迷ったが、やはり、元気なところを見せるのが最善だろうと、ひねらず真っすぐに呼びかける。
すると……。
「……おい、今のお前も聞こえたか?」
「ああ、聞こえた」
「ってことは、つまり」
「「「アルト様が目を覚まされたんだ!」」」
バタバタと、見下ろす街の家々の扉が開かれ、中から人が集まってくる。
まるで軍隊の行進の如き足音は、城へ続く階段下へ民たちが集まりきるまで鳴りやむことはなかった。
民たちが集まって来たころを見計らって俺もロロと共に階段を下りていく。
まずは身体に異常がないことをその目で確認してもらう。
一段一段踏みしめるように、階段を下りて行けば、どんどん民たちの顔も明確になって来た。
先頭にはルミネ、マチス、クルセド、リスタの姿が見え、その後ろにも巨木を切り倒すときに名乗りを上げて来た者たちや、『資材化』や『怪力』などのスキル所持者たちなど、見覚えのある顔が並んでいる。
そして、皆のいる二段ほど上の階段で俺は歩を止めると、指揮形態の世界樹権能を解除し、自分の声で語りだす。
「イグドラシルの民の皆よ。この度は心配をかけた。しかし王たる我が伏す中でも、このように見事な国を作り上げた皆のことを我は……いや、俺は誇りに思う!」
自分の中の王の象である父を真似て、使っていた我と言う一人称を言い直す。
何となく、その方が良いと思った。
信頼を示す証として、何が適切かは分からない。
だが、きっと距離感の近さは大事な点だと思う。
王が公の場で俺なんて粗野な口調はどうかと思う俺もいたが、イグドラシルの民ならば、それを受け止めてくれるという信頼がこの街を築いた民たちには芽生えていた。
「俺は確かにアスガルドの王族であり、第一皇子だ。父の名代として数々の政務をこなして来た経験がある。だが、それでも王の経験はなかった。だから、皆に信用してもらおうと、頼れる王だと見てもらえるようにと、空回りをしてしまった。本当にすまなかった」
ここで、頭を下げる。
王の頭は軽くない。
それは誰よりも分かっているつもりだ。
だが、どんなに重くとも、下げなければならない時はある。
それが今だと、俺は思った。
「しかし、俺はこの国の王の座を降りるつもりはない。俺は世界樹に選ばれた王だから。その目的のために、皆を眠りから呼び起こした王だからだ。だが、これからは少しあり方を変えようと思う」
顔を上げ、全員の方を見渡しながら、力強く宣言する。
「俺は王だが、王である以前に俺もイグドラシルの民だ。世界樹を救うために戦う一人の戦士だ。一人で出来ることには限界がある。だから、皆、存分に頼らせてくれ。その分、皆も必要なときは俺を頼ってくれ。王としてでも、民としてでも、戦士としてでも構わない。これからは皆と、そんな関係を築いていきたいと思う」
イグドラシルの王であり、イグドラシルの民であり、世界樹のために戦う戦士。
それがこの国での俺のあるべき姿。
常に王である必要はない。
皆の顔を見れば分かる。
俺が王たる振る舞いをしないからと言って、俺をぞんざいに扱おうとする者はいないだろう。
ならば、目的を共にする同士として、互いを信頼していくべきだと俺は思った。
息をフッと吐き、もう一度思いっきり吸い込む。
今度掲げるのは、剣ではなく、己が拳だ。
「こんな俺だが、改めてついてきてくれるという者! 共に世界樹を救おうと思ってくれるものは拳をあげてくれ!」
高く突き出した拳の下で、俺は誠心誠意の気持ちを込めて、声を張り上げる。
一瞬の沈黙。
だが、すぐに風を切るようなビュンと言う音が聞こえ……。
「「「「「おおおおおおおお!!!!」」」」」
354名分の拳が勢いよくあげられ、建国宣言の時以上の声がイグドラシルに響き渡った。
「ありがとう、皆。俺からは以上だ。これからもどうか、よろしく頼む!」
皆の声が落ち着くのを待ってから、そう締め括る。
今一度見渡した民たちの顔は、以前より皆柔らかくなっているような気がした。
「お疲れ様ですアルト」
隣に立ってくれていたロロが労ってくれる。
「ああ、ありがとうロロ。でも、不思議と疲れていないよ。それどころか、気力で満ち溢れているような気分なんだ」
皆を頼らせて欲しいと、素直に宣言したおかげか、その分、皆から向けられる信頼を直に感じられる気がして、心の底からやる気が湧き上がってくるようなそんな気分だった。
「ふふっ、そうですね。では、せっかくですし、街を歩いて見ませんか? 民の方々もきっとアルトと話したいことがあるでしょうし。交流も兼ねて。どうでしょう?」
ロロがこちらに手を差し出しながら、そう提案してくる。
「それは良いね。この機会に改めて一人一人と話しておくのも悪くない」
「あ、でも、疲れたら休んでくださいね」
「分かってるよ」
ロロの手を取り、残り二段の階段を下りる。
すると、すぐにルミネやマチス、クルセド、リスタたちが駆け寄って来て俺を囲んだ。
「ご無事で何よりですアルト様」
と、心の底から安心した様子を見せるルミネ。
「ベッドの寝心地、家の住み心地はどうでしたかい? なかなかの力作でさぁ!」
城の住み心地を自慢げに話してくるマチス。
「アルト様っ! ご体調の悪いことに気が付かず、本当に申し訳ありませんでしたっ!!!」
一人膝を付いて謝罪して見せるクルセド。
「まったく、お騒がせな王様ね。まあ、その方が人間味があっていいかもしれないけれど」
やれやれと首を振りながらも、優しい目でこちらを見るリスタ。
皆がそれぞれの想いを口にしている。
だが、誰の言葉にも俺を気遣う優しさや、心配する感情が読み取れた。
ハハッ、こんなに信頼されていたんだな俺は。
もっと、もっと、と思っていたけれど、ほんとに、周りが見えていなかった。
「待ってくれ皆、順番に聞かせてくれ」
でも、もう大丈夫だ。
ここでなら、皆となら、俺はやっていける。
「アルト様! 俺たちの話も聞いてください!」
気が付けば、身動きが取れないほどの人に囲まれる。
でも、不思議と息苦しさは感じない。
流石は父上。
あなたの言う通りでした。
与えよ、されば与えられん。
俺の踏み出した歩み寄りの一歩が、こうして、民全員から返って来ている。
そんな実感を覚えながら、俺は皆の話を聞いていった。
明晰夢から覚め、現実に戻って来た感覚が確かにあった。
……森じゃ、ない?
後頭部から背中、足にまでかけて、硬い感触があることを想定していたが、どうやらそんなことはないようだ。
むしろ何だか柔らかいような……。
すっかり明瞭になった意識と共に体を起こし、辺りを見回すと、そこは知らない一室だった。
飾りや色は少ない簡素な部屋だが、用意された家具類はどれも一級品であることが窺える。
そして、俺が寝ていたこれも、ウール素材のベッドだ。
「……イグドラシル、何だよな?」
思わずそんな疑問が漏れてしまうのも仕方のないことだろう。
つい先ほどまではマチスの設計図が見えている以外、ただの開けた土地だった場所だ。
なのに俺の視界に広がるのは、間違いなく室内の光景。
ようやくその不自然さに意識と感情が追い付いてきた。
自分の身体に触れたりしてみて、ここが間違いなく現実であることを理解すると同時に、事の重大さにもようやく気が付いた。
「俺……どれだけ寝ていたんだ……?」
腰を掛けているベッドやそもそもこの部屋、この空間、これらはどう考えても一日や二日程度で出来上がる物とは思えない。
マチスのスキル『造園監督』や各『職人』スキルの所持者が居ても、スキルは俺が倒れたように無限に使えるものではない。
つまり俺は……。
そこまで考えた所で、視界の端に映っていた扉が開く。
「アルト、様子を見に来まし――た。……っ! アルトッ!!」
中に入って来たのはロロ。
そんなロロは起き上がった俺の顔を見るや否や、血相を変えてこちらに飛び込むように駆け寄ってくる。
「アルトッ! 目が覚めたのですね! 良かった……! 本当に……良かったです」
目尻には涙を浮かべ、俺の両肩に置かれた手からは僅かな震えさえ感じる。
すごく心配をかけてしまったことは誰の目からも明らかだった。
なのに、そんなロロの顔を見た途端、どういう訳か俺の中に湧き上がったのは安心感だった。
夢での決意を思い出す。
与えよ、されば与えられん。
こんな安心感を与えてもらっているのだ。
俺もロロを安心させてあげたい。
「ロロ、ごめん。迷惑をかけて。それと……ただいま」
謝意と安心感、そのどちらもを与えられる言葉は何だろうか?
そう考えた俺の口から出たのは、ごく当たり前で、日常的な言葉だった。
「ただいま」
特別なところは一つもない。
挨拶や掛け声の一種とも呼べようその言葉だが、今はそれが最適だと思った。
「……はい。おかえり、なさい、アルト」
肩に置かれていた手がそのまま背に回されて、ギュッと抱きしめられる。
ドクンドクンと強く、早く打つ鼓動が俺の胸にも届いた。
◇◇◇
それからしばらくして、俺はロロから自分が気を失った後のことの経緯を聞いた。
「アルトが倒れたあと、リスタさんが私を抱えてイグドラシルまで全速力で戻り、戦闘系のスキルを持っている方々を引き連れてすぐに引き返してきてくれたんです」
流石は元貴族だったというだけのことはあるのだろう。
状況判断に加え、いきなり多くの人を動かすと言うのはそう簡単なことではない。
「その間アルトのことはクルセドさんが全力で守ってくれていましたが、帰りの道中で接敵するかもしれないと考えるとクルセドさんに何かあった場合アルトを守り切れないからそれが最善だと、リスタさんは言っていました」
それはその通りだ。
たかが一人かもしれないが、戦闘不能者を介助しながら森を抜けようとなるといくら『鋼鉄の盾』で鉄壁を誇るクルセドが居ても危険がないと言い切ることは出来ない。
本当に、俺が無理をしたばっかりに……。
と、ネガティブになりかけた思考を、首を振ってかき消す。
違う、そうじゃないだろう。
「そうか。あとで皆には礼を言わないとだね。被害とかはなかったんだよね?」
まずはそこだ。
もしこれで、民たちに被害が出ていなければ、俺のすべきは感謝だ。
仮に被害が出てしまっていた場合は誠心誠意頭を下げるしかないが、最初からネガティブになっていてはダメだろう。
「はい。帰還中、鳥型の魔獣と何度か接敵がありましたが、リスタさんとクルセドさんの指揮の下で全員問題なく対処し、誰一人怪我無く帰還することが叶いました」
「そうか、それは良かった。……いや待って。そうなると、作業は一時中断されていたはずだよね? でも、この部屋に家具たち……俺ってどのくらい眠ってた?」
一安心、と息を吐いた途端、ようやく俺の思考はそこへ戻り至った。
そもそも少人数編成で魔獣狩りに向かったのは、負担を分散させるためだった。
予想以上にあの羊が現れたのは事実だが、リスタが大勢を引き連れてきてくれたのだとしたら、その時点でイグドラシルの作業効率は格段に落ちていたはず。
だと言うのに、俺はこうして温かい色の木材に囲われた部屋で眠っていたということは、目覚めた時に考えた以上、一日や二日なんてものではない、かなりの期間眠っていたことになるんじゃないか?
「そう、ですね。アルトはアスガルドの時間にしておよそ一週間眠り続けていました」
「一週間……か。ほんとにごめんロロ。皆にも、後でしっかり謝らないと」
ギュッとシーツを握り締めるロロの手を見て、俺はもう何度目かの自省をした。
でも、それと同時に、俺が居なくてもきちんと動いていたのであろう国のことを考えて、少しだけ前向きな気持ちになれる。
倒れる前だったら、失望されてしまうかもしれない。
頑張らせすぎてまた倒れられるかもしれない、と思われることを恐怖したかもしれないが、今は俺がいない中でも、国作りを進めてくれる民たちを誇らしく思える俺がいた。
「いえ、アルトは悪くありません。私の頼みのために全力を尽くしてくれたのですから。でも、私は自分が許せないのです。アルトの体力が限界ギリギリだったことには、魔獣討伐に向かう前の時点で気が付いていました。でも、私はアルトを止められなかった。私の中の、早く世界樹を救わなければという意思をあなたの体調以上に優先してしまったのです……!」
そんな俺の横で、ロロは激しい自省に暮れている。
だが、それは違う。
例え、ロロが俺の体調の変化に気がついていたとしても、あの時の俺は止まらなかっただろうし、そもそも自分の体調を他人に管理してもらうなんて子供のすることだ。
……確かに俺はまだ12歳で子供だが、その辺りはちゃんとできるように教育を受けている。
そうでなければ、政務なんて任せてもらえない。
だから、無理を押したのは俺の責任。
それにロロが世界樹を早く救いたいと思うことについては一切否定できない。
俺だってアスガルドの危機と分かれば、何を置いてもそれを優先しようとするだろうから。
「違う、違うよロロ。それは当然の感情だよ。ごめん、きっと俺がいきなり婚約者だとか、色んなことを急に言ったのも悪かったんだ。俺とロロの関係はあくまで協力関係。世界樹の精霊であるロロが世界樹に抱かれた国であるアスガルドの俺に世界樹を救って欲しいと依頼をしてきて、その恩恵を理解している俺はアスガルドのためにもそれを受け入れた」
「ア、ルト?」
辛い表情に不安げな瞳を加え、こちらを見据えるロロ。
しかし、ここで言葉を濁すわけにはいかない。
「でも、俺はそんな協力関係の上で、それ以上のことを君に求めた。初めての感情に自分でもどう対処すればいいか分からなかったんだ。だからきっとロロは、俺を止めないでくれたんだ。ロロに責任は全くない。ロロは俺の突然な婚約者発言にも真摯に向き合って、俺を優先してくれたんだ。だから、ロロ、そんな風に自分を責めないで欲しい」
そう、婚約者。
初めての感情に浮かれ、何の思慮もなく吐き出したその言葉こそ、俺のポリシーに最も反することだった。
与えよ、されば与えられん。
だと言うのに、俺は無意識にロロに婚約者でいてくれることを望んでしまった。
自分が何も与えられていないのに、それが与えられることを望んでしまったのだ。
でも……。
「でも、その上で、もう一度言いたい。ロロ、これからも隣で俺を支えて欲しい。ただの協力関係ではなく、婚約者として。キミといると安心するんだ。家族とはまた違った安心感。もしかしたら、これはロロが俺のスキルだから、ってこともあるのかもしれないけど、実際に目を覚ましてから、ロロを一目見ただけで、心が和らいだんだ。だから、どうか、隣りにいて欲しい。改めて、婚約者として」
今度は思い付きや、浮かれ半分の行動ではなく、心からの俺の気持ち。
これからイグドラシルを率いていく上で、その隣にはロロが必要だと、ロロにいて欲しいと思っての言葉だった。
「………………はい。私も、この一週間、アルトがもう目覚めないかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうでした。こんな辛い思いは、もうしたくありません。だからどうか、私にあなたを支えさせてください。……その、婚約、者、として……!」
恥ずかしそうに、だが、真剣に俺に応えてくれるロロと今一度抱擁を交わす。
鼓動だけじゃない、ロロに触れているすべての部分が温かく、優しい感情に包まれていく。
これが、信じるということなのかな?
俺が真にロロを信じたからこそ、感じられる温かさなのかもしれないと、父の言葉に思う。
「さて、心配をかけてしまった民たちにも、この安心感を与えてやらないとだな」
「はい。ルミネさんを始めとして、皆さんがアルトのことを心配していました。顔を見せてあげてください」
手を取り合ったまま、立ち上がる。
そうして俺はロロと共に、新たな一歩を踏み出した。
◇◇◇
部屋を出て、さらに廊下を歩いてその家を出れば、そこは魔獣討伐に向かう前にマチスが見せていた城、その場所だった。
世界樹の国にふさわしいような木が前面に出ている城で、栄華を極めた王族の城ではなく、正に世界樹の王のための城だと言っている様だった。
そして、この少し高くなっている一から見下ろしたイグドラシルの街並みも俺を驚かせた。
そこに広がるのはまさに街。
通貨や食事の必要がないせいで、何か変わった物が目に入るということはないのだが、元はまっさらだったこの広場にしっかり人数分程度の家が建っている。
城と街、それに街を行く人々。
俺の思い描いていた国の姿が、既にそこには出来ていた。
「どうです? あなたの民はすごいでしょうアルト」
驚き、言葉を失う俺にロロが自慢げにそう言ってくる。
「ああ。こんな民に囲まれて王位に就くことになるとは。本当に頼りがいがあるな」
「はい。ですが、これも、目を覚ましたアルトに驚いて欲しいからと、皆さんが頑張ってくださったのです。アルトの頑張りは、ちゃんと伝わっていましたよ」
「そうか……俺のために……」
つまりこれは、皆が俺に与えてくれた信頼の形だ。
ならば、次は――俺が答える番だ。
「世界樹権能:指揮形態」
一週間ぶりに発動するスキルだが、なんだか一週間前より扱いやすくなっている気がする。
これも、ロロと信頼関係を築いたおかげだったりするのだろうか?
そんなことを考えながら、俺は街に向けて、その短い杖、指揮棒を振るった。
『イグドラシルの民よ! 我だ! アルト・アンドレアルだ!』
最初の言葉には迷ったが、やはり、元気なところを見せるのが最善だろうと、ひねらず真っすぐに呼びかける。
すると……。
「……おい、今のお前も聞こえたか?」
「ああ、聞こえた」
「ってことは、つまり」
「「「アルト様が目を覚まされたんだ!」」」
バタバタと、見下ろす街の家々の扉が開かれ、中から人が集まってくる。
まるで軍隊の行進の如き足音は、城へ続く階段下へ民たちが集まりきるまで鳴りやむことはなかった。
民たちが集まって来たころを見計らって俺もロロと共に階段を下りていく。
まずは身体に異常がないことをその目で確認してもらう。
一段一段踏みしめるように、階段を下りて行けば、どんどん民たちの顔も明確になって来た。
先頭にはルミネ、マチス、クルセド、リスタの姿が見え、その後ろにも巨木を切り倒すときに名乗りを上げて来た者たちや、『資材化』や『怪力』などのスキル所持者たちなど、見覚えのある顔が並んでいる。
そして、皆のいる二段ほど上の階段で俺は歩を止めると、指揮形態の世界樹権能を解除し、自分の声で語りだす。
「イグドラシルの民の皆よ。この度は心配をかけた。しかし王たる我が伏す中でも、このように見事な国を作り上げた皆のことを我は……いや、俺は誇りに思う!」
自分の中の王の象である父を真似て、使っていた我と言う一人称を言い直す。
何となく、その方が良いと思った。
信頼を示す証として、何が適切かは分からない。
だが、きっと距離感の近さは大事な点だと思う。
王が公の場で俺なんて粗野な口調はどうかと思う俺もいたが、イグドラシルの民ならば、それを受け止めてくれるという信頼がこの街を築いた民たちには芽生えていた。
「俺は確かにアスガルドの王族であり、第一皇子だ。父の名代として数々の政務をこなして来た経験がある。だが、それでも王の経験はなかった。だから、皆に信用してもらおうと、頼れる王だと見てもらえるようにと、空回りをしてしまった。本当にすまなかった」
ここで、頭を下げる。
王の頭は軽くない。
それは誰よりも分かっているつもりだ。
だが、どんなに重くとも、下げなければならない時はある。
それが今だと、俺は思った。
「しかし、俺はこの国の王の座を降りるつもりはない。俺は世界樹に選ばれた王だから。その目的のために、皆を眠りから呼び起こした王だからだ。だが、これからは少しあり方を変えようと思う」
顔を上げ、全員の方を見渡しながら、力強く宣言する。
「俺は王だが、王である以前に俺もイグドラシルの民だ。世界樹を救うために戦う一人の戦士だ。一人で出来ることには限界がある。だから、皆、存分に頼らせてくれ。その分、皆も必要なときは俺を頼ってくれ。王としてでも、民としてでも、戦士としてでも構わない。これからは皆と、そんな関係を築いていきたいと思う」
イグドラシルの王であり、イグドラシルの民であり、世界樹のために戦う戦士。
それがこの国での俺のあるべき姿。
常に王である必要はない。
皆の顔を見れば分かる。
俺が王たる振る舞いをしないからと言って、俺をぞんざいに扱おうとする者はいないだろう。
ならば、目的を共にする同士として、互いを信頼していくべきだと俺は思った。
息をフッと吐き、もう一度思いっきり吸い込む。
今度掲げるのは、剣ではなく、己が拳だ。
「こんな俺だが、改めてついてきてくれるという者! 共に世界樹を救おうと思ってくれるものは拳をあげてくれ!」
高く突き出した拳の下で、俺は誠心誠意の気持ちを込めて、声を張り上げる。
一瞬の沈黙。
だが、すぐに風を切るようなビュンと言う音が聞こえ……。
「「「「「おおおおおおおお!!!!」」」」」
354名分の拳が勢いよくあげられ、建国宣言の時以上の声がイグドラシルに響き渡った。
「ありがとう、皆。俺からは以上だ。これからもどうか、よろしく頼む!」
皆の声が落ち着くのを待ってから、そう締め括る。
今一度見渡した民たちの顔は、以前より皆柔らかくなっているような気がした。
「お疲れ様ですアルト」
隣に立ってくれていたロロが労ってくれる。
「ああ、ありがとうロロ。でも、不思議と疲れていないよ。それどころか、気力で満ち溢れているような気分なんだ」
皆を頼らせて欲しいと、素直に宣言したおかげか、その分、皆から向けられる信頼を直に感じられる気がして、心の底からやる気が湧き上がってくるようなそんな気分だった。
「ふふっ、そうですね。では、せっかくですし、街を歩いて見ませんか? 民の方々もきっとアルトと話したいことがあるでしょうし。交流も兼ねて。どうでしょう?」
ロロがこちらに手を差し出しながら、そう提案してくる。
「それは良いね。この機会に改めて一人一人と話しておくのも悪くない」
「あ、でも、疲れたら休んでくださいね」
「分かってるよ」
ロロの手を取り、残り二段の階段を下りる。
すると、すぐにルミネやマチス、クルセド、リスタたちが駆け寄って来て俺を囲んだ。
「ご無事で何よりですアルト様」
と、心の底から安心した様子を見せるルミネ。
「ベッドの寝心地、家の住み心地はどうでしたかい? なかなかの力作でさぁ!」
城の住み心地を自慢げに話してくるマチス。
「アルト様っ! ご体調の悪いことに気が付かず、本当に申し訳ありませんでしたっ!!!」
一人膝を付いて謝罪して見せるクルセド。
「まったく、お騒がせな王様ね。まあ、その方が人間味があっていいかもしれないけれど」
やれやれと首を振りながらも、優しい目でこちらを見るリスタ。
皆がそれぞれの想いを口にしている。
だが、誰の言葉にも俺を気遣う優しさや、心配する感情が読み取れた。
ハハッ、こんなに信頼されていたんだな俺は。
もっと、もっと、と思っていたけれど、ほんとに、周りが見えていなかった。
「待ってくれ皆、順番に聞かせてくれ」
でも、もう大丈夫だ。
ここでなら、皆となら、俺はやっていける。
「アルト様! 俺たちの話も聞いてください!」
気が付けば、身動きが取れないほどの人に囲まれる。
でも、不思議と息苦しさは感じない。
流石は父上。
あなたの言う通りでした。
与えよ、されば与えられん。
俺の踏み出した歩み寄りの一歩が、こうして、民全員から返って来ている。
そんな実感を覚えながら、俺は皆の話を聞いていった。


