「……万歳! アルト陛下万歳!」
万来の声が全身を包む感覚がある。
つい最近も経験したような、そんなデジャブ染みた感覚。
だが、そんな感覚と同時にどこか違和感を覚えた。
「イグ……ドラシルじゃ、ない? ここは、アスガルドか?」
その違和感の正体は、光景を見慣れ過ぎていることだったようだ。
人生の大半を過ごした城。
顔見知りの住民たち。
歩き慣れた街並み。
……なるほど、これは明晰夢か。
自身の視点が俯瞰になり始めた所で、俺はようやく現状を飲み込んだ。
倒れ、気を失ってから俺は夢を見ているらしい。
早く目覚めなければと思う一方、どうしてかその光景から離れられない自分もいた。
「陛下、あの件ですが……」
「陛下、どうか我が領をお助け下さい」
「陛下……」
夢の中で口々に聞こえてくるのは「陛下」と言う言葉と俺を頼る声。
イグドラシルでの出来事とアスガルドがぐちゃぐちゃになっているのか?
いや、違うな。
これは俺の、夢想、か……。
夢に思い描いた、理想の自分像。
皮肉にも、現状は理想と正反対の状況なのだが……。
そう考えて思い出すのは情けない失敗。
スキルの過剰使用で倒れ、不安そうなロロの顔を尻目に気を失った。
少し冷静になれば、ロロの、ルミネの忠言を聞いておけば、こんなことにはならずに済んだだろう。
だが、現実の俺はそこまでうまくことを運ぶことが出来ず、結果として倒れ、こんな情けない夢想を見せられている。
「頼られたい、か……」
今よりもかなり大人びた印象の自分を俯瞰して、俺は自身の中にあったその欲求に気が付いた。
理想とはすなわち、自分の欲望が叶った姿だと俺は思う。
そんな理想の自分を、自分で見て得た感想が、そんな欲求への気付きだった。
生まれてこの方、俺の人生は頼られることが大半だった。
アスガルドの第一皇子として生を受け、二年後には妹で第一皇女のテナーが誕生。
こうして俺は、物心つくと同時に兄になった。
スキルの書に興味を持つようになってからはその勉強にのめり込みつつも、兄として、第一皇子としての仕事もこなせるように努力した。
当時の仕事と言えばもっぱら挨拶程度。大した努力は必要なかった。
とは言え、兄としてテナーとカイの面倒はよく見ていたと思う。
別にそれを負担だと思ったことはないし、テナーもカイも良くなついてくれて、俺からしてみればかわいい妹弟だった。
だが、恐らく、この兄としての経験が俺の根底に根付く、「頼られたい」と言う欲求の源になっているのだろう。
それからは父をも驚かせるほどのスキルの知識を得て、父について政務に行くことが増えていった。
最初はついて行くのに必死で、どうだったかは覚えていないが、気が付けば、騎士団と共に父の名代として政務をこなすようになっていった。
騎士やアスガルドの民たちからの確かな信頼も得て、俺は多くの人々から「頼られる」アルト皇子になって行った。
いつしか、そんな頼られる状況が当たり前になっていた。
しかし、俺が頼られるのはテナーの、カイの兄だからで、アスガルドの第一皇子だからで、これまでの王族たちが築き上げて来た信頼があるからだ。
ここでは、そのどれもが確実に通用するとは限らない。
クルセドのように、アスガルドを離れてもなお俺を王族として認め、付き従ってくれる者もいる。
だが、俺がアスガルドの第一皇子であるという証拠は、イグドラシルに来る前に俺のことを知っていた人物しか持ちえない。
つまり、頼られる根拠としてはかなり弱いのだ。
おそらく俺はそんな根拠の弱さに不安を覚えていたのだろう。
王国史の勉強もしてきたが、基本的に時事的な事柄への対処を学んでいたために、どの王が何を成したのか、どんな意図を持って対処に当たったのかについては後回しにしてしまっていた。
きっとそれも不安材料の一つだったのだ。
イグドラシルの民たちは、世界樹になる前の記憶を持っている。
つまり、それぞれにそれぞれの国王象があるはずで、それは本人がそう意図しなくても、どこかで比較してしまうものだろう。
だから、俺は休まなかった。
いや、比べられ、頼りがいがないと判断されることが恐ろしくて休めなかったのだ。
もちろん、こんなものただの言い訳に過ぎない。
それに少し関わっただけでも、イグドラシルの民たちが簡単に俺を見限るとは思えない。
皆、積極的でやる気に満ちた良い民だと分かる。
だが、情けないことに俺は、そんな当たり前の認識以上に、恐怖を覚えてしまっていた。
民に信じられる以前に、民のことを信じ切れていなかったのだ。
本当に、情けない話だ。
王族として、王として最も重要なのは頼られることでも、信じられることでもない。
自分の民を心から信じることだ。
「与えよ、されば与えられん」
いつか政務に行く中で父に聞いた言葉だ。
感謝される王になりたいのなら、人一倍感謝を。
信じられる王になりたいのなら、自ら臣下を信じよ。
王たる者の基礎中の基礎。
幼き日の俺でも出来ていたことが、新天地ではできなくなってしまうなんて。
俯瞰した視点から見える俺は多くの者たちに囲まれている。
貴族や騎士だけではない。
街を行けば、民が集まり、皆が俺に信頼を寄せていることが伝わる視線を向けている。
「……あれを目指すのならば、理想の王を目指すのならば、まずは俺を知ってもらい、民たちのことを知ることから始めよう」
今回の失敗はこれからの行動で補おう。
大丈夫。
恐れるな、アルト。
与えよ、されば与えられん。
その初心を思い出せ。
王と皇子、立場ややることは変わっても、意識すべきは何も変わらない。
自分の中で意識を切り替えると、途端に肩の荷が下りたような、スッと軽い気持ちになった。
「ああ、そうだ。なにより先にロロとルミネ、それからクルセドとリスタには謝らないとだな」
段々と目に映るアスガルドの光景が遠くなっていく。
景色の端々が風に舞う砂のようにさらさらと遠く彼方へと溶けて行き、その後ろからは段々と光が迫っていた。
◇◇◇
一方その頃、アスガルド、アンドレアル王家では――
カチャカチャと食器のぶつかる音だけが空虚に木霊する食卓。
どんなに忙しい日も、出張などでない限り、五人で囲んでいたそこにはもう一月以上、一人分の席が空いていた。
「……」
「……」
会話はほとんどなく、皆の顔にはどうやっても隠しきれない悲しみの感情がこれでもかと貼り付いている。
アルトの死は一か月程度で飲み込み切れるほど、軽い問題ではなかった。
だが、この日のテナーは少し違った。
悲しみを乗り越えた訳ではない。
現実を受け止めた訳でもない。
それでも、何かをしなければ、と思った。
こんな状況を兄様ならどう解決するだろうか、などと考えたのかもしれない。
「お父様」
無言の食卓にテナーの声が響く。
「……どうした?」
皿から顔を上げたコントラスの顔は、見たことが無いほど疲弊の色を浮かべ、やつれていた。
それでも、父としての優しさを忘れないように、何とか笑みを向けてくれている。
「食事の後、スキルの書を部屋へ持ち込んでも良いですか?」
「……あ、ああ。良いぞ。好きに使いなさい」
急な発言に一瞬、虚を突かれたような顔をしてから、コントラスは了承する。
自分が生まれて物心がついてからは、ほとんど兄様が触っていたスキルの書。
勉強のために何度か覗いて見たことはあるが、延々と続く文字の羅列に加え、まだ自分ですら覚醒していないスキルと言うものに対して、大した興味を持てず、どうせ兄様がいるからとおろそかにしていた勉強を、今日から始めてみようと思った。
「はい。ありがとうございます」
兄様はよく言っていた。
どんなスキルにだって使い道があると。
全国民のスキルを知ることのできる王族だからこそ、その使い道をたくさん知っておくべきなのだと。
この現状に有効なスキルはないかもしれない。
それでも、何もしないよりはマシだ。
それに、兄様が世界樹になってからは誰もこのスキルの書を触っていない。
もしかしたらその間に、何か有効なスキルが生まれているかもしれない。
テナーの中にはそんな感情が生まれていた。
食事を終え、テナーは厳重に保管されているスキルの書を手に取り、部屋に戻る。
「……このノートを出すのもあの日ぶりね」
机に着き、スキルの書と共に広げるのは兄様がくれたスキルの勉強用ノート。
スキルの書ほどではないが、このノートも厳重な注意によって管理されており、兄様が『鍵』を渡した人でないと開くことが出来ない。
「このノートを持って兄様の部屋に行くと、いつもより少し声が高くなるのよね」
なんだかすごく昔のことに思えるような、そんな感覚を覚えながらテナーはノートとスキルの書を開いた。
「確か……兄様の言っていた勉強方法は……」
『まずは増えたスキルに一通り目を通すんだ。それから概要にも目を通して、どんなことが出来そうかを考えて、都度メモをしながら組み合わせられそうなものには印をつけていく』
自分でも驚くほどに兄様の言葉が蘇ってくる。
まるでこのノートに乗り移った兄様がテナーに話しかけてくるような、そんな感覚だった。
テナーはそんな兄の言葉の通り、まだペンは持たず、まずはスキルの書へ目を通そうとページをめくる。
「えっと、兄様が……世界樹に、なられた日は……」
口に出しただけで涙が零れそうになる。
だが、それでもテナーはあの日、アルトの誕生日の日付を目指しページを捲っていき――
「……ここ、ね。見ていて、兄様。私も兄様みたいに立派になって見せるか、ら……?」
窓から望める世界樹に向けて、いや、世界樹となった兄に向けて、そう呟いてからテナーがそのページに目を落とした時だった。
『世界樹の王』……発現者:アルト・アンドレアル。
ページの一番上。
真っ先に目が入ったそこに、見たくて見たくてたまらない名前が載っていた。
いや、それだけではない。
その名前は光っていた。
「え……それに……」
スキルの書は特別だ。
その力はただスキルを確認するだけにあらず、亡くなった人、世界樹化した人のスキルには●の印が付くのだと兄様は言っていた。
そんな印が……ついていない。
「間違い、じゃ、ないのよね? ……ふふっ! うふふっ! そうよ! そうに決まってる! 兄様が私たちを置いて、どこかに行ってしまうなんて、そんなわけないもの!」
見間違いでないことを確認するように、目を擦ってみたり、一度スキルの書を閉じてもう一度開いてみたり、色々なことをしてみる。
だが、何度見ても、兄様の誕生日のページ、その一番上には『世界樹の王』というスキル名とアルト・アンドレアルの名前があった。
「良かった……兄様、兄様兄様!!」
感極まってスキルの書を抱きしめるテナー。
胸に押し付けたその光からは、確かにアルトの鼓動が感じられるような気がした。
数分間、ずっとスキルの書を胸に抱いていたテナーだったが、ようやく思考が落ち着いてくると、改めてその概要へと目を通した。
『世界樹の王』……世界樹の危機に王たる資質を持つ者の元へ現れる。
概要にはどんなスキルよりも短くそれだけが書かれている。
他のスキルとは違い、どんなスキルなのかが見えてこないのはきっと兄様がスキルの書にスキルを記したわけじゃないから、だろうか?
だけど、その名前からも分かる。
このスキルはきっと特別なものだ。
他のどんなスキルとも違う、兄様だけのスキル。
この世界樹に抱かれた国アスガルドで、誰よりも王らしいと言われ、誰よりもその将来を願われた歴代でも最高の才能。
そんな兄様にこそふさわしいスキルだということが、ひしひしと伝わってくる。
「……あ、そうだ! 早くみんなに教えてあげなくちゃ!」
自慢の兄の健在に浸るだけ浸ってから、テナーは最初の目的を思い出した。
最初は今の家族の現状を解決できるスキルなんてないと思っていた。
ただ、何かしなくちゃと言う、それだけの思い付きだった。
しかし、やっぱり兄様は凄い。
兄様の言う通りだ。
どんなスキルも使い道次第で、何でもできる。
スキルを記録しておくだけのこの『スキルの書』と言うスキルが、今のアンドレアル王家を取り巻く嫌な空気を取り払おうとしている。
テナーは大事にスキルの書を抱きかかえ、部屋を飛び出した。
「カイもまだ起きてるわよね……カイは私が呼びに行くとして。あ、そこの! ルート!」
テナーは部屋を飛び出して、廊下を少し走ったところで兄様の部屋の前で佇む、兄様の護衛騎士の姿を見つけ、呼びかけた。
「……は、はい! 何でしょうテナー様」
声を掛けられたことに驚きながらも、なんとか姿勢を正しこちらに敬礼して見せるルート。
しかし、その顔には暗い悲しみが滲んでいた。
だが、今のテナーにはそれを気遣う余裕はなかった。
「いきなりで悪いんだけど、お父様とお母様を呼んできてくれるかしら?」
「かしこまり、ました。ご用件の方は?」
ルートもルートで真面目な騎士だ。
仕事とあれば、自分の感情を押し込めることくらいは叩き込まれている。
すぐに切り替えて、用件を尋ねる。
「一大事なの! 一刻も早く、お願い!」
「わ、分かりました!」
しかし、そんな切り替えも今のテナーには関係ない。
10歳とは思えない剣幕で捲し立てると、ルートはコントラスとラーノの私室の方へ走って行った。
「早く、カイにも教えてあげなくちゃ」
そうしてルートに捲し立てるやいなや、自分も反対側へ向き直り、まだ幼い弟の部屋へテナーは駆け込んでいった。
「何事だ!」
必死の形相でコントラスとラーノがテナーの部屋へ飛び込んでくる。
二人とも、先日のアルトの一件から、また何か悪いことがあったのではないかと不安そうな表情を浮かべていた。
そして、その二人の視線の先には――
「うぅ……ヒグッ……にいさまっ! にいさまっ!」
テナーの腰に泣きながら抱き着くカイと、その頭を優しく撫でながら同じく涙を流すテナーの姿。
「二人ともどうしたの? また、……アルトのことを思いだしちゃった?」
若干、その名前を言いにくそうにしながらも、慈愛の笑みを浮かべながら、二人を抱きしめるラーノ。
だが、そんなラーノにテナーは首を振った。
「ううん、違うの、お母様。思い出したのは、そうなんだけど……」
テナーは母に抱かれた隙間から、スキルの書へと手を伸ばし、そこを指さして見せる。
そして導かれるようにして、ラーノの視線もスキルの書へと吸われていった。
視界にその文字が映りこむ。
若干緑色に発光しているその特別な文字列が。
「あぁっ……! ああぁ!! なんてこと! なんてことなの!」
ラーノはその名前を見た瞬間に涙を流し始め、テナーとカイを抱きしめたまま、膝から崩れ落ちる。
「ラーノ!? 一体何……が……」
そんなラーノの様子に、一歩遅れて駆け寄って来たコントラスの目にも、発光したその名前が映り込む。
「こ、れは……間違いない、のか?」
震える手をスキルの書へと伸ばし、指でなぞるようにしてその名前をじっくり確認していく。
「アルト……! アルト!!!」
そしてそのまま、乱暴に足元にうずくまる三人を抱きしめる。
「テナー、これは間違いないんだな? ●の印がないということは……」
「うん! うん!! そうだよお父様! 兄様は生きてるよ!!!」
「夢、じゃ、ないのよね?」
「ぅん! そうだよお母様! だって、だってこんなにあったかいもん!」
世界樹の見下ろす、アンドレアル王家の一室に、歓喜の涙が溢れ流れる。
扉は開いたまま、外にはコントラスとラーノを連れて来たルートがいることも気にせずに、その日のアンドレアル王家は恥も外聞も捨て去って、泣き喜んだ。
◇◇◇
「……それにしても、『世界樹の王』か」
もう何分、いや何時間泣いていたか分からない。
泣きに泣き疲れ、子供たち二人が寝てしまった後で、コントラスとラーノは互いを支え合いながら、もう何度目かもわからないスキルの書の確認をしていた。
「……ふふっ、アルトらしいスキルね。誰よりもアスガルドのことを、世界樹の恩寵たるスキルのことを考えていたあの子らしい」
「……そうだな。ただ、世界樹の危機、これについては気がかりだな。アルトは世界樹の根元でこの危機と戦っているのだろうか?」
「きっとそうね。あの子は、自分より他を優先できる子だもの。きっと世界樹に助けを求められて、自分から世界樹の元へ行ったのよ」
「ああ……俺たちが、何かしてやれることはないだろうか?」
「……きっと、ないのよ。あったら、あの子は何かを言うはず。何も言わないということは、自分で何とか出来ると、そう思っているのよ。だから……」
二人は世界樹を見上げながら、そこに最愛の息子の顔を見る。
そして、どちらからともなく手を胸に当て、祈った。
「「アルトが無事に務めを果たし、元気に帰ってきますように」」
自分たちに出来るのは、我が子の無事を願うことだと。
そして、アルトの帰る場所を守ってやることだと。
「さあ、コントラス。明日からはアルトのためにも、しっかりお仕事をしましょう」
「ああ、そうだな。アイツのいない間に国が荒れたんじゃ、帰って来てもアルトも休めないもんな」
「そうよ。あなた、昔によく言っていたでしょう? 与えよ、されば与えられんって。アルトはアスガルドの幸福を何より願っていた。だから、私たちの幸福を得るために、頑張りましょう!」
「ああ。まずは民へ、この幸福を与えてやらねばな」
二人の顔には、すっかり生気が戻っている。
その目は、アルトの帰還を微塵も疑っていなかった。
――そして。そんな家族の祈りが届いたかのように、世界樹の国イグドラシルで、アルト・アンドレアルは静かにその目を覚ますのだった。
万来の声が全身を包む感覚がある。
つい最近も経験したような、そんなデジャブ染みた感覚。
だが、そんな感覚と同時にどこか違和感を覚えた。
「イグ……ドラシルじゃ、ない? ここは、アスガルドか?」
その違和感の正体は、光景を見慣れ過ぎていることだったようだ。
人生の大半を過ごした城。
顔見知りの住民たち。
歩き慣れた街並み。
……なるほど、これは明晰夢か。
自身の視点が俯瞰になり始めた所で、俺はようやく現状を飲み込んだ。
倒れ、気を失ってから俺は夢を見ているらしい。
早く目覚めなければと思う一方、どうしてかその光景から離れられない自分もいた。
「陛下、あの件ですが……」
「陛下、どうか我が領をお助け下さい」
「陛下……」
夢の中で口々に聞こえてくるのは「陛下」と言う言葉と俺を頼る声。
イグドラシルでの出来事とアスガルドがぐちゃぐちゃになっているのか?
いや、違うな。
これは俺の、夢想、か……。
夢に思い描いた、理想の自分像。
皮肉にも、現状は理想と正反対の状況なのだが……。
そう考えて思い出すのは情けない失敗。
スキルの過剰使用で倒れ、不安そうなロロの顔を尻目に気を失った。
少し冷静になれば、ロロの、ルミネの忠言を聞いておけば、こんなことにはならずに済んだだろう。
だが、現実の俺はそこまでうまくことを運ぶことが出来ず、結果として倒れ、こんな情けない夢想を見せられている。
「頼られたい、か……」
今よりもかなり大人びた印象の自分を俯瞰して、俺は自身の中にあったその欲求に気が付いた。
理想とはすなわち、自分の欲望が叶った姿だと俺は思う。
そんな理想の自分を、自分で見て得た感想が、そんな欲求への気付きだった。
生まれてこの方、俺の人生は頼られることが大半だった。
アスガルドの第一皇子として生を受け、二年後には妹で第一皇女のテナーが誕生。
こうして俺は、物心つくと同時に兄になった。
スキルの書に興味を持つようになってからはその勉強にのめり込みつつも、兄として、第一皇子としての仕事もこなせるように努力した。
当時の仕事と言えばもっぱら挨拶程度。大した努力は必要なかった。
とは言え、兄としてテナーとカイの面倒はよく見ていたと思う。
別にそれを負担だと思ったことはないし、テナーもカイも良くなついてくれて、俺からしてみればかわいい妹弟だった。
だが、恐らく、この兄としての経験が俺の根底に根付く、「頼られたい」と言う欲求の源になっているのだろう。
それからは父をも驚かせるほどのスキルの知識を得て、父について政務に行くことが増えていった。
最初はついて行くのに必死で、どうだったかは覚えていないが、気が付けば、騎士団と共に父の名代として政務をこなすようになっていった。
騎士やアスガルドの民たちからの確かな信頼も得て、俺は多くの人々から「頼られる」アルト皇子になって行った。
いつしか、そんな頼られる状況が当たり前になっていた。
しかし、俺が頼られるのはテナーの、カイの兄だからで、アスガルドの第一皇子だからで、これまでの王族たちが築き上げて来た信頼があるからだ。
ここでは、そのどれもが確実に通用するとは限らない。
クルセドのように、アスガルドを離れてもなお俺を王族として認め、付き従ってくれる者もいる。
だが、俺がアスガルドの第一皇子であるという証拠は、イグドラシルに来る前に俺のことを知っていた人物しか持ちえない。
つまり、頼られる根拠としてはかなり弱いのだ。
おそらく俺はそんな根拠の弱さに不安を覚えていたのだろう。
王国史の勉強もしてきたが、基本的に時事的な事柄への対処を学んでいたために、どの王が何を成したのか、どんな意図を持って対処に当たったのかについては後回しにしてしまっていた。
きっとそれも不安材料の一つだったのだ。
イグドラシルの民たちは、世界樹になる前の記憶を持っている。
つまり、それぞれにそれぞれの国王象があるはずで、それは本人がそう意図しなくても、どこかで比較してしまうものだろう。
だから、俺は休まなかった。
いや、比べられ、頼りがいがないと判断されることが恐ろしくて休めなかったのだ。
もちろん、こんなものただの言い訳に過ぎない。
それに少し関わっただけでも、イグドラシルの民たちが簡単に俺を見限るとは思えない。
皆、積極的でやる気に満ちた良い民だと分かる。
だが、情けないことに俺は、そんな当たり前の認識以上に、恐怖を覚えてしまっていた。
民に信じられる以前に、民のことを信じ切れていなかったのだ。
本当に、情けない話だ。
王族として、王として最も重要なのは頼られることでも、信じられることでもない。
自分の民を心から信じることだ。
「与えよ、されば与えられん」
いつか政務に行く中で父に聞いた言葉だ。
感謝される王になりたいのなら、人一倍感謝を。
信じられる王になりたいのなら、自ら臣下を信じよ。
王たる者の基礎中の基礎。
幼き日の俺でも出来ていたことが、新天地ではできなくなってしまうなんて。
俯瞰した視点から見える俺は多くの者たちに囲まれている。
貴族や騎士だけではない。
街を行けば、民が集まり、皆が俺に信頼を寄せていることが伝わる視線を向けている。
「……あれを目指すのならば、理想の王を目指すのならば、まずは俺を知ってもらい、民たちのことを知ることから始めよう」
今回の失敗はこれからの行動で補おう。
大丈夫。
恐れるな、アルト。
与えよ、されば与えられん。
その初心を思い出せ。
王と皇子、立場ややることは変わっても、意識すべきは何も変わらない。
自分の中で意識を切り替えると、途端に肩の荷が下りたような、スッと軽い気持ちになった。
「ああ、そうだ。なにより先にロロとルミネ、それからクルセドとリスタには謝らないとだな」
段々と目に映るアスガルドの光景が遠くなっていく。
景色の端々が風に舞う砂のようにさらさらと遠く彼方へと溶けて行き、その後ろからは段々と光が迫っていた。
◇◇◇
一方その頃、アスガルド、アンドレアル王家では――
カチャカチャと食器のぶつかる音だけが空虚に木霊する食卓。
どんなに忙しい日も、出張などでない限り、五人で囲んでいたそこにはもう一月以上、一人分の席が空いていた。
「……」
「……」
会話はほとんどなく、皆の顔にはどうやっても隠しきれない悲しみの感情がこれでもかと貼り付いている。
アルトの死は一か月程度で飲み込み切れるほど、軽い問題ではなかった。
だが、この日のテナーは少し違った。
悲しみを乗り越えた訳ではない。
現実を受け止めた訳でもない。
それでも、何かをしなければ、と思った。
こんな状況を兄様ならどう解決するだろうか、などと考えたのかもしれない。
「お父様」
無言の食卓にテナーの声が響く。
「……どうした?」
皿から顔を上げたコントラスの顔は、見たことが無いほど疲弊の色を浮かべ、やつれていた。
それでも、父としての優しさを忘れないように、何とか笑みを向けてくれている。
「食事の後、スキルの書を部屋へ持ち込んでも良いですか?」
「……あ、ああ。良いぞ。好きに使いなさい」
急な発言に一瞬、虚を突かれたような顔をしてから、コントラスは了承する。
自分が生まれて物心がついてからは、ほとんど兄様が触っていたスキルの書。
勉強のために何度か覗いて見たことはあるが、延々と続く文字の羅列に加え、まだ自分ですら覚醒していないスキルと言うものに対して、大した興味を持てず、どうせ兄様がいるからとおろそかにしていた勉強を、今日から始めてみようと思った。
「はい。ありがとうございます」
兄様はよく言っていた。
どんなスキルにだって使い道があると。
全国民のスキルを知ることのできる王族だからこそ、その使い道をたくさん知っておくべきなのだと。
この現状に有効なスキルはないかもしれない。
それでも、何もしないよりはマシだ。
それに、兄様が世界樹になってからは誰もこのスキルの書を触っていない。
もしかしたらその間に、何か有効なスキルが生まれているかもしれない。
テナーの中にはそんな感情が生まれていた。
食事を終え、テナーは厳重に保管されているスキルの書を手に取り、部屋に戻る。
「……このノートを出すのもあの日ぶりね」
机に着き、スキルの書と共に広げるのは兄様がくれたスキルの勉強用ノート。
スキルの書ほどではないが、このノートも厳重な注意によって管理されており、兄様が『鍵』を渡した人でないと開くことが出来ない。
「このノートを持って兄様の部屋に行くと、いつもより少し声が高くなるのよね」
なんだかすごく昔のことに思えるような、そんな感覚を覚えながらテナーはノートとスキルの書を開いた。
「確か……兄様の言っていた勉強方法は……」
『まずは増えたスキルに一通り目を通すんだ。それから概要にも目を通して、どんなことが出来そうかを考えて、都度メモをしながら組み合わせられそうなものには印をつけていく』
自分でも驚くほどに兄様の言葉が蘇ってくる。
まるでこのノートに乗り移った兄様がテナーに話しかけてくるような、そんな感覚だった。
テナーはそんな兄の言葉の通り、まだペンは持たず、まずはスキルの書へ目を通そうとページをめくる。
「えっと、兄様が……世界樹に、なられた日は……」
口に出しただけで涙が零れそうになる。
だが、それでもテナーはあの日、アルトの誕生日の日付を目指しページを捲っていき――
「……ここ、ね。見ていて、兄様。私も兄様みたいに立派になって見せるか、ら……?」
窓から望める世界樹に向けて、いや、世界樹となった兄に向けて、そう呟いてからテナーがそのページに目を落とした時だった。
『世界樹の王』……発現者:アルト・アンドレアル。
ページの一番上。
真っ先に目が入ったそこに、見たくて見たくてたまらない名前が載っていた。
いや、それだけではない。
その名前は光っていた。
「え……それに……」
スキルの書は特別だ。
その力はただスキルを確認するだけにあらず、亡くなった人、世界樹化した人のスキルには●の印が付くのだと兄様は言っていた。
そんな印が……ついていない。
「間違い、じゃ、ないのよね? ……ふふっ! うふふっ! そうよ! そうに決まってる! 兄様が私たちを置いて、どこかに行ってしまうなんて、そんなわけないもの!」
見間違いでないことを確認するように、目を擦ってみたり、一度スキルの書を閉じてもう一度開いてみたり、色々なことをしてみる。
だが、何度見ても、兄様の誕生日のページ、その一番上には『世界樹の王』というスキル名とアルト・アンドレアルの名前があった。
「良かった……兄様、兄様兄様!!」
感極まってスキルの書を抱きしめるテナー。
胸に押し付けたその光からは、確かにアルトの鼓動が感じられるような気がした。
数分間、ずっとスキルの書を胸に抱いていたテナーだったが、ようやく思考が落ち着いてくると、改めてその概要へと目を通した。
『世界樹の王』……世界樹の危機に王たる資質を持つ者の元へ現れる。
概要にはどんなスキルよりも短くそれだけが書かれている。
他のスキルとは違い、どんなスキルなのかが見えてこないのはきっと兄様がスキルの書にスキルを記したわけじゃないから、だろうか?
だけど、その名前からも分かる。
このスキルはきっと特別なものだ。
他のどんなスキルとも違う、兄様だけのスキル。
この世界樹に抱かれた国アスガルドで、誰よりも王らしいと言われ、誰よりもその将来を願われた歴代でも最高の才能。
そんな兄様にこそふさわしいスキルだということが、ひしひしと伝わってくる。
「……あ、そうだ! 早くみんなに教えてあげなくちゃ!」
自慢の兄の健在に浸るだけ浸ってから、テナーは最初の目的を思い出した。
最初は今の家族の現状を解決できるスキルなんてないと思っていた。
ただ、何かしなくちゃと言う、それだけの思い付きだった。
しかし、やっぱり兄様は凄い。
兄様の言う通りだ。
どんなスキルも使い道次第で、何でもできる。
スキルを記録しておくだけのこの『スキルの書』と言うスキルが、今のアンドレアル王家を取り巻く嫌な空気を取り払おうとしている。
テナーは大事にスキルの書を抱きかかえ、部屋を飛び出した。
「カイもまだ起きてるわよね……カイは私が呼びに行くとして。あ、そこの! ルート!」
テナーは部屋を飛び出して、廊下を少し走ったところで兄様の部屋の前で佇む、兄様の護衛騎士の姿を見つけ、呼びかけた。
「……は、はい! 何でしょうテナー様」
声を掛けられたことに驚きながらも、なんとか姿勢を正しこちらに敬礼して見せるルート。
しかし、その顔には暗い悲しみが滲んでいた。
だが、今のテナーにはそれを気遣う余裕はなかった。
「いきなりで悪いんだけど、お父様とお母様を呼んできてくれるかしら?」
「かしこまり、ました。ご用件の方は?」
ルートもルートで真面目な騎士だ。
仕事とあれば、自分の感情を押し込めることくらいは叩き込まれている。
すぐに切り替えて、用件を尋ねる。
「一大事なの! 一刻も早く、お願い!」
「わ、分かりました!」
しかし、そんな切り替えも今のテナーには関係ない。
10歳とは思えない剣幕で捲し立てると、ルートはコントラスとラーノの私室の方へ走って行った。
「早く、カイにも教えてあげなくちゃ」
そうしてルートに捲し立てるやいなや、自分も反対側へ向き直り、まだ幼い弟の部屋へテナーは駆け込んでいった。
「何事だ!」
必死の形相でコントラスとラーノがテナーの部屋へ飛び込んでくる。
二人とも、先日のアルトの一件から、また何か悪いことがあったのではないかと不安そうな表情を浮かべていた。
そして、その二人の視線の先には――
「うぅ……ヒグッ……にいさまっ! にいさまっ!」
テナーの腰に泣きながら抱き着くカイと、その頭を優しく撫でながら同じく涙を流すテナーの姿。
「二人ともどうしたの? また、……アルトのことを思いだしちゃった?」
若干、その名前を言いにくそうにしながらも、慈愛の笑みを浮かべながら、二人を抱きしめるラーノ。
だが、そんなラーノにテナーは首を振った。
「ううん、違うの、お母様。思い出したのは、そうなんだけど……」
テナーは母に抱かれた隙間から、スキルの書へと手を伸ばし、そこを指さして見せる。
そして導かれるようにして、ラーノの視線もスキルの書へと吸われていった。
視界にその文字が映りこむ。
若干緑色に発光しているその特別な文字列が。
「あぁっ……! ああぁ!! なんてこと! なんてことなの!」
ラーノはその名前を見た瞬間に涙を流し始め、テナーとカイを抱きしめたまま、膝から崩れ落ちる。
「ラーノ!? 一体何……が……」
そんなラーノの様子に、一歩遅れて駆け寄って来たコントラスの目にも、発光したその名前が映り込む。
「こ、れは……間違いない、のか?」
震える手をスキルの書へと伸ばし、指でなぞるようにしてその名前をじっくり確認していく。
「アルト……! アルト!!!」
そしてそのまま、乱暴に足元にうずくまる三人を抱きしめる。
「テナー、これは間違いないんだな? ●の印がないということは……」
「うん! うん!! そうだよお父様! 兄様は生きてるよ!!!」
「夢、じゃ、ないのよね?」
「ぅん! そうだよお母様! だって、だってこんなにあったかいもん!」
世界樹の見下ろす、アンドレアル王家の一室に、歓喜の涙が溢れ流れる。
扉は開いたまま、外にはコントラスとラーノを連れて来たルートがいることも気にせずに、その日のアンドレアル王家は恥も外聞も捨て去って、泣き喜んだ。
◇◇◇
「……それにしても、『世界樹の王』か」
もう何分、いや何時間泣いていたか分からない。
泣きに泣き疲れ、子供たち二人が寝てしまった後で、コントラスとラーノは互いを支え合いながら、もう何度目かもわからないスキルの書の確認をしていた。
「……ふふっ、アルトらしいスキルね。誰よりもアスガルドのことを、世界樹の恩寵たるスキルのことを考えていたあの子らしい」
「……そうだな。ただ、世界樹の危機、これについては気がかりだな。アルトは世界樹の根元でこの危機と戦っているのだろうか?」
「きっとそうね。あの子は、自分より他を優先できる子だもの。きっと世界樹に助けを求められて、自分から世界樹の元へ行ったのよ」
「ああ……俺たちが、何かしてやれることはないだろうか?」
「……きっと、ないのよ。あったら、あの子は何かを言うはず。何も言わないということは、自分で何とか出来ると、そう思っているのよ。だから……」
二人は世界樹を見上げながら、そこに最愛の息子の顔を見る。
そして、どちらからともなく手を胸に当て、祈った。
「「アルトが無事に務めを果たし、元気に帰ってきますように」」
自分たちに出来るのは、我が子の無事を願うことだと。
そして、アルトの帰る場所を守ってやることだと。
「さあ、コントラス。明日からはアルトのためにも、しっかりお仕事をしましょう」
「ああ、そうだな。アイツのいない間に国が荒れたんじゃ、帰って来てもアルトも休めないもんな」
「そうよ。あなた、昔によく言っていたでしょう? 与えよ、されば与えられんって。アルトはアスガルドの幸福を何より願っていた。だから、私たちの幸福を得るために、頑張りましょう!」
「ああ。まずは民へ、この幸福を与えてやらねばな」
二人の顔には、すっかり生気が戻っている。
その目は、アルトの帰還を微塵も疑っていなかった。
――そして。そんな家族の祈りが届いたかのように、世界樹の国イグドラシルで、アルト・アンドレアルは静かにその目を覚ますのだった。


