愛してるから『弟』でいます。





「仕事関係のパーティーで出会ってね、意気投合して、そこからお付き合いするようになったの。それが、たしか2年前よね、和馬さん?」
「そうそう。お互い、付き合いでしぶしぶ参加したパーティーだったのに、まさかあの日が人生を変える転機になるとはねえ」
「蒼羽、和馬さんはね、30代で外国人支援を行う会社を立ち上げて、数年で軌道に乗せたやり手社長なのよ。外国企業が日本に参入する時のサポートとか、外国人人材と日本企業の橋渡しとか、手広くやられてるの」
「いやあ、僕だけの力じゃないよ。従業員の助けあってこそだから」
 食事を進めながら、なごやかに進む大人二人の会話。
 聞こえているのだが、内容は耳を右から左へすり抜けていく。
 真向いの席に、あの人が……クイーンが……天月先輩が、いる。
 宝賀学院の女王様の、女生徒だけでなく全生徒の憧れの、別次元の生き物のはずの、あの人が。
 しかも、まさに女王様のように優美な所作で俺と同じメニューを口にして、大人たちの会話にも適度に加わって、時には黙々と食べるだけの俺に、話の水を向けたりまでしてくれている。
 なんなんだ、なんなんだ、なんなんだ。
 本当に現実なのか? 俺は今、起きているか? 実はまだ日曜の朝で、今夜の予定を気にするあまりおかしな夢をみているんじゃないのか。
 高級フレンチの料理は格別にうまいはずなのだが、味もろくにわからない。次に運ばれてくる皿が粘土細工でも、俺は気づかず口に運んでしまうだろう。
 そんな調子だったが、次の母さんの言葉に、俺はピクッと手を止めた。
「前もって色々言わなかったのは、蒼羽のことだから、変に構えるんじゃないかと思って。お相手が社長さんだってことも、榛名くんのことも」
「……どういう意味?」
(榛名くんのこと、って……)
「だって、榛名くん、すっごい人気者なんでしょ?」
 母さんは、和馬さんの息子と俺が同じ学校の生徒だということは事前に聞いて知っていた、と話した。彼がその美貌や頭脳明晰ぶりで、校内では有名人だということも。
「だから、会う前からあれこれ考えさせるのも悪いかなーって」
(……その分、今死ぬほど驚いてんだけどな)
 いいのか悪いのかわからないが、母さんにしてみれば彼女なりの気遣いだったらしい。
「榛名には、1年下の男の子だとだけ話しておいたんだ。学年が違うから、やっぱり接点はなかったかな?」
 天月先輩と俺を順に見ながら和馬さんが聞いてきた。
「そうだね、初めて話したかな。うちの学校、生徒数も多いし」
 さらりと天月先輩が答えた。
 俺が認識されていないのなんてわかりきっていたことだから、別にショックは受けない。体の奥のほうがかすかに痛んだような気もしたが、気のせいだ。錯覚だ。そう思うことにする。
 実際、今夜初めて話したんだ。……高校生になってからは。
 でも彼はさっき、『多分はじめましてじゃないと思うけど』と言った。おごっているわけではないだろうが、自分が有名人だということはちゃんと自覚しているんだろう。自分は知らなくても、相手は自分を知っていると。
(その通りです。知ってます。ずっと、ずっと前から)
 思わず、そんな言葉がのどを突きそうになった。
 宝賀学院に通っていてルナ様とソーレ様の存在を知らない生徒なんていない、それは事実だ。だけど俺は、それだけじゃなくて……
(って、なに考えてんだ。んなこと考えてどうする)
 言えるわけもないのに、こんな台詞。

 やっぱり俺のことなんて覚えてなかった。
 だから俺たちは、初対面だ。今夜初めて話した、それでいい。


「──それで、今後のことなんだが」
 食事が一通り終わってデザートが運ばれてくる段になると、和馬さんが精悍な顔を幾分引き締めて切り出した。
 ああそうだったと、今さら別の動揺がわいてくる。
 俺の母親と、天月先輩の父親が結婚するのだ。つまり、それは──
(俺とこの人が、兄弟……に、なるってことで……)
 恐る恐る顔を上げ、目の前の天月先輩を見る。視線に気づいた彼がこっちを見て、複雑そうな微笑を浮かべた。
 彼は俺ほどとっ散らかってはいないだろう。父親に再婚を望む相手がいることも、その女性に同じ学校に通う後輩の息子がいることも、前もって聞いていたらしいから。
 でも今、どう思っているんだろう。表情から、その思いは読み取れない。しいて言えば、静かにこの状況を受け止めている、そんな印象だ。
「僕たちは好き合い、これからも一緒にいようと思っている。でも、結婚するつもりはないんだ。ただ、生涯のパートナーでいたいと思っている」
「……えっっ!?」
 声をあげたのは俺だけだった。ということは、先輩はこれも知っていたのか。
「結婚……しないのか?」
 俺は隣の母さんに尋ねた。あっさりと「うん」という返事が返ってくる。
「二人で話し合って、別にそんな、形や契約にこだわる必要もないよねって結論になったの。一度は『結婚』っていう形に失敗してる同士だし」
「今のご時世、昔ながらの形式や世間体に縛られる必要もないしね。お互いいい大人で、仕事を持って自立していて、子供も成人間近だ。ただ好きだから一緒にいる、それでいいだろうと。君たちにも、『家族』という枠組みを押し付けたくはないし」
 和馬さんが補足した。自信をもって出した結論だという顔だ。
「ええと……つまり、内縁っていう……?」
「それも当てはめでしょ! そういうのは何もなし!」
 母さんがバシッと言い切る。とにかく、法律とか紙の上では何も変わらないのだと。でも生涯共にいようという心は決まったから、その宣言はしておくべく、この場を設けたのだと。
「私たちが二人で生きていく以上、あなたたちも全くの他人ってわけじゃなくなるからね」
 母さんの言葉に、和馬さんもうんうんとうなずいている。
(そうか……再婚するわけじゃないのか)
 まさかそんな展開が待っているとは思っていなかったが……正直、ほっとした。
 だが、本当の爆弾発言はこの先だった。
「でね。私たち、一緒に海外に行くことにしたの」
「……はぁぁっ!?」
 持っていたデザートフォークを皿に落とし、また立ち上がってしまった。
「蒼羽くん、落ち着いて」
 先輩が腰を浮かせ、手を伸ばして弾みで落ちそうになったフォークを受け止め、戻してくれる。隣の列のテーブルから迷惑そうな視線が飛んでくるが、先輩が「すみません」と謝ると、一転彼らは笑顔になった。頬を染めている女性も多数いる。
 先輩に代わりに謝らせるなんて、なんてことを。それでようやく我に返って、俺も周りに「すいません」と謝って座り直した。
 反対側の客席には和馬さんと母さんが謝ってくれていた。母さんを知っていたらしいご婦人が「あっ」という顔をしている。
 まずい、イメージで生きてる美魔女の評判を下げかねない。とんだ迷惑息子だ。落ち着け、落ち着け。
 心の中でそう繰り返し、以降はなんとか、取り乱すことなく話を聞いた。
 和馬さんが仕事の新プロジェクトのため、年単位で海外に移住することになる。拠点はアメリカ。仕事自体は、近隣国も飛び回っての大きなものらしい。
 で、それに母さんもついていくというのだ。アメリカにいても美容本とかの仕事はできるし、向こうでもアジアン・美魔女の需要はあるから新チャンスでもあるという。
「は……はぁ……」
 ギリパニクらずにはいたが、それしか声が出ない。和馬さんが申し訳なさそうに眉尻を下げて俺を見た。
「一気に話して驚かせているよね、すまない。でも、玉季さんから、君はとてもしっかりした子だと聞いている。もう高校生だし、僕たちの生き方を、こういう形もあるんだと受け止めてくれたら嬉しいと思っているんだ。そのうえで、自分がどうするかは、君が決めてくれたらいいと思っている」
「え……それって……」
「ついてくるか日本に残るかは、あなたたちに任せるってことよ」
 母さんが先回りして言った。
「どっちでもいいわ。ついてくるなら、転入先とかは全力であなたの希望に沿った、ベストなところを探す。日本に残るにしても不自由のないように生活資金は送るし、大事な時には帰ってくるわ」
(つまり、残るなら今の家で独り暮らしってことか……)
 それ自体には、特に不安はなかった。中1から家事を覚え始め、はっきり言って今では料理も掃除も金銭管理も、母さんより俺のほうがスキルが高いくらいだ。
「ちなみに、榛名は残ると言っている」
「え……そ、う、なんですか?」
「うん。このこと、僕も聞いたのは最近なんだ。もう3年だし、行きたい大学なんかも考え始めてたからね。今から海外っていうのも」
「そっか……ですよね……」
(俺も、いきなりアメリカなんて言われてもなぁ……)
 動揺のせいもあるが、自由の女神とハリウッドくらいしか思い浮かばない。英語の成績だって中の中レベルだし、欧米人の中で生活している自分をイメージしようとしても、さっぱりできない。
「私が日本を発つのは6月よ。急がなくていいから、蒼羽がどうしたいかはそれまでの間、じっくり考えて。進路、将来、友達……色々あるだろうし、自分の中で何が大事なのかをよく考えて、決めたらいいわ」
(6月……約2ヵ月間か)
「……わかった」
 俺がうなずいたところで、話は終わった。その後はコーヒーを楽しんでから、9時過ぎに店を出る。
 エレベーターを待つ間に、和馬さんは来週にはもうアメリカに発つのだと聞いた。
「え、そんなに早いんですか?」
「プロジェクトは夏から本格始動なんだけど、それまでにも諸々の準備と、新居探しをね」
「……なるほど」
 和馬さんが拠点を定めたところで、母さんが合流するという流れらしい。
「実をいうと、榛名を独り暮らしさせるっていうのはちょっと心配なんだけど。こればっかりは本人の意思を尊重したいし、どうしようもないよなぁ」
 額に手を当てながらふいに和馬さんがそんなことを言ったので、母さんが不思議そうに首をかしげる。
「あら。榛名くんもしっかりしてるんでしょ? 炊事洗濯お手の物だって言ってたじゃない」
「そういうところは心配してない。けどねえ、榛名はとにかくあ──」
「父さん。その話はもう終わってるじゃない。やだな、ワインで酔った?」
 先輩がニッコリ笑いつつ和馬さんの言葉をさえぎった。まともに見たら目がくらみそうに美しい笑顔だけれど、どことなく圧があるような気がするのは気のせいだろうか。
「……すまん。そうだな、ちょっと酔ったかもしれない」
「ふふ。あ、ほら、エレベーター来たよ。乗ろう」
 父の背中をぐいぐい押しながら、開いたエレベーターへと入っていく天月先輩。母さんと俺も後に続く。
「なんかよくわからないけど、気がかりがあるのね?」
 扉が閉まってから、母さんが和馬さんに並んで尋ねた。
「まあね。けど、榛名も頑張ると言って──」
「じゃあ、榛名くんと蒼羽、一緒に住めばいいんじゃない?」
 今度は母さんが、和馬さんの話を切って明るい声を出した。名案をひらめいたというように、人差し指をピンと立てて。
(へっ? 俺と、先輩が……?)
(………………)
「~~~~!? なっ、ななな……!?」
 たっぷり数秒真っ白になった後で、ようやく意味が頭に入ってきて、よろめいた俺はバンッと背後の壁にぶつかった。
「なっ、ななっ、なに言ってんだよ、母さんっ!」
「そんな驚くこと? 母親よりしっかりしてる息子だけど、私も蒼羽一人残していくの、まったく心配してないわけじゃないのよ。ほら、急病とか強盗とか、やっぱり怖いじゃない? その点、男の子二人暮らしなら一人より安心だわ。ね、和馬さん?」
「ふむ……たしかに、それは一理あるな。シェアハウスも昨今じゃ大人気だしね。もちろん強要はしないけど、ひとつの案としては──」
(待て待て待て、和馬さんまでっ! 二人が生涯のパートナーだとしても、子供たちは親族になるわけじゃないだろっ! 俺と同居なんて、先輩が困──)
「うん、それ、いいかもね。僕は大歓迎ですよ、玉季さん」
「!?!? 先輩っ!?」
 困るどころかノリノリの先輩に、開いた口がふさがらなくなる。
「ほ、本気で言ってるんですか……!?」
「もちろん。蒼羽くんさえ嫌じゃなければ、どうかな? 二人で住まない?」
 言って、先輩は壁に張り付いたままの俺の前まで来ると。
「ね、蒼羽くん」
 俺の両手を取り……包み込むように、握った。
「僕は、君と住んでみたい」
「★□●▽$☆■◇#〇▲◆※~~~~っ!?!?」
(せっ、先輩が俺の俺の、て、手っ……な、なんかいい匂いがす──じゃなくてっ!!)
 近い、近すぎる。
 昨日まで離れた柱の陰から見つめるだけだったような人に、目の前で手をつかまれて見上げられてるって、どんなシチュエーションなんだ。心が追いつかない。
 というか、心臓がバクバク暴れていて壊れそうだ。息ってどうやってするんだったか。
 しかも、一緒に暮らそうと誘われているのだ。
 『嫌じゃなければ』と言う割には積極的なお願いポーズだし……宝石のように澄んだ瞳に見つめられて、こんなの、断れるわけ……。
「どうかな? 僕と暮らすのは嫌?」
「……や、その…………嫌……なんて、こと、は……」
「よし、じゃあ決まり!」
(えっ、はやっ!!)
 その時、チンッと音がして扉が開いた。1階に着いたらしい。
 俺から手を離して、先輩が真っ先に外へ出ていく。
「嬉しいな。楽しみだよ、新生活」
「よかったな、榛名。父さんも安心だ」
「私も。ねえ和馬さん、それなら私、出発来週に早めようかしら。いいわよね?」
 ほくほくした顔で、続いて出ていく親たち。
「えっ? ちょっ、あ……!」
(マジかよ、ほんとに決定!?)
 同じ家で暮らす? 俺と、あの麗しのクイーンが?
(ムリムリムリムリムリ、絶対にムリッ!)
 嫌とかいう以前の話だ。恐れ多すぎて死んでしまう。
「ま、待って、やっぱり……!」
 慌てて3人の後を追った。けれど俺が先を続ける前に、母さんが振り返って言う。
「いいじゃない、蒼羽。とりあえずお試し同居してみたら? 6月のつもりだったけど、私も和馬さんと同時に発つわ。で、新居が決まったら本格的な引っ越しのために、一時帰国するから。その時に、最終的なあなたの気持ちを教えてよ」
「そうだな、まずは2ヵ月のお試しのつもりで。気づまりだったらすぐにやめてもいいし」
「うんうん。何事も試してみないとわからないからね。そうでしょ、蒼羽くん?」
「…………」
(ダメだ。俺以外全員、すっかりその気……)
 なにより、またもや正面からにこやかに見上げてくる先輩を前にして、拒絶の言葉を口にする度胸は、俺にはない。
「……わかりまし、た……」


 こうして、俺と先輩の『お試し同居』が決定した。