愛してるから『弟』でいます。




 いよいよ6月に入った、数日後の昼休み。
 本当は屋上のほうが人が少なくていいのだが、呼び出し相手が高所恐怖症だというので、対面の場は中庭になった。
 薄曇りの空の下、俺は初対面のそいつと向き合う。
槇原(まきはら)理玖(りく)、2年A組。1年の時はBだっけ? 家が同じマンションで、幼稚園からずっと一緒なんだわ。こいつ、学校じゃツルむ気ないとか言って、あんま俺の相手してくんねーんだけど」
 弘樹に紹介されたその人物は……一言で言うと、とてもかわいい男の子だった。
 丸くて大きな目はくっきりした二重で、ちょっと低めだが形のいい小さな鼻。唇はぽてっと厚め。きゃしゃな体格。背も低めで160㎝後半といったところだろう。
 やや癖のある髪は短いし、制服を着ているから間違えようもないが、もしもう少し髪が長くて私服だったら、女の子に間違えていたかもしれない。
 そういう、天月先輩とはまた違った方向で中性的な少年だ。
 ところが、その砂糖でも吐き出しそうな愛らしい口は、思いがけない言葉を紡いだ。
「フン。クラス違うのにしょっちゅう来られるとかうっとうしいだろ。ほぼ毎日顔合わせてんだし、オマエのウザ絡みは家帰ってからで充分なんだよ」
(えっ)
 俺は面食らって思わず瞬きしてしまう。するとすかさず槇原に、ジロリとにらまれた。
「なに、その顔。どうしてもっていうから渋々来てやったのに、失礼なんじゃない」
「あ……ご、ごめん」
「ほんっとごめんだよ。知らないヤツと話すのとかマジだるい。弘樹の頼みじゃなかったら絶対来てないから!」
「……ほ、ほんとにごめん……」
(毒舌キャラ……? 外見とのギャップがすごいな……)
 声は高めで見た目の印象通りなのに、セリフは可愛げのカケラもない。
 頭ひとつ分はでかい俺がへこへこと謝る隣で、弘樹は気に病む様子もなく笑顔で「まーまー」と槇原をなだめた。
「話しただろ。こいつ、おまえと似たようなことで悩んでんだって。お仲間なんだから優しくしてやれよ。つーか、おまえだって興味あるから来たんだろーが、理玖」
「はぁっ!? 他人の恋愛に興味なんかあるわけないじゃん! オマエがクレセントのハンバーグセットおごるって言うから来ただけだから!」
 眉を吊り上げてキャンキャンと吠える槇原。永遠に飼い主に懐かない仔犬みたいだ。
「あー、はいはい。あ、クレセントって俺らの地元でうまい洋食屋な、蒼羽」
 苦笑しつつ律義に説明してから、弘樹は両手を合わせてパンッと鳴らした。
「じゃ、俺は行くから。後は二人で話せよ!」
「はっ!?」
「な……おい、弘樹!」
 あんぐりと口を開けたのは槇原で、うろたえたのは俺だ。
「話せって、二人だけでか!?」
「おう、当事者じゃない俺はいないほうが話しやすいだろ。だいじょーぶだいじょーぶ、そいつ、そんなだけど悪いヤツじゃないから。おまえらきっと仲良くなれるよ」
 軽やかに言って、弘樹はそのまま止める間もなく駆け去っていった。呆然とする二人だけが残される。
「あのヤロ……! クソ、ハンバーグセットにティラミスも追加してやるからな……!」
 先に自失から復活したのは槇原で、舌を鳴らして悪態をつく。
(どうしろってんだよ。気まずすぎんだけど)
 でも槇原は動こうとはしない。イライラと髪を搔き乱しているが、弘樹を追っていかないってことは……
(俺と話す気はあるってことか……?)
 俺と同じ、身近な男に片思いをしているという。俺よりもずっと長く。……興味がないと言えば噓になる──というか、ぶっちゃけ大アリだった。
「あ……え、えーと……とりあえず、座るか?」
 ぶっきらぼうに言いつつ、木陰のベンチを指さす。
 槇原は無言でジトッと見上げてきたけれど、やがて「フンッ」と鼻を鳴らしてズカズカ歩き出し、そのベンチに座った。
 やっぱり話す気はあるようだ。俺も後を追い、一人分の間隔を開けて隣に腰を下ろした。
「あー……まだ自己紹介してなかったな。森中蒼羽。2Cだけど、1年の時は弘樹と──」
「知ってるよ。去年からたまに聞いてたから」
「あ、そ、そうか」
「アンタが好きなの、クイーン・ルナ?」
「!!」
 いきなりド直球の質問を食らって、俺は氷のように固まった。
 その反応で察して、槇原は口の端だけを上げた小悪魔っぽい笑みで「やっぱりね」とつぶやく。
「な……なん、なんで……」
「わかるに決まってる。ルナ様と同居してるって有名だし、友達少ないんでしょ? 身近な男って他にいないじゃん」
「う……」
(それもそうか……)
「あの、でも、この話は……」
「別に誰にも言わないよ。こんな話する相手もいないし」
 ツンとすました声で言う槇原。俺は弘樹の言っていた『雰囲気』を思い出していた。
 コミュ障でこじらせていて……この感じだと、こいつも友達は少ないのかもしれない。
「なら、いいんだけど。それで……あの、槇原は……」
「待って。オレは自分のこと、そんなに話す気はないから。センシティブなことなのに、初対面のヤツになんでもかんでも話せるわけないだろ」
 ビッと手のひらをこっちに向けてさえぎられ、たじろぐ。
 でも実際その通りだ。
 お互い弘樹の紹介ということで、初対面でもなんとなくの信頼感はある。けれど、だからといって全面的に信用はできないし、そもそもかなり気恥ずかしい話題だ。
「そうだよな、ごめん。じゃあ……何なら聞いていい?」
「何っていうか、アンタの質問は受け付けない」
「えっ」
「でかい声出すなよ。……質問は受け付けないけど、アンタの話は聞いてもいい。それで、思ったことは言う」
 ふてくされたような顔で槇原はそう言った。
(つまり……自分でアドバイスできることがあればしてくれる、って意味か?)
 拡大解釈かもしれないが、そう思うことにしておく。
 正直、思考の迷路にはまり込んだ俺はワラにもすがりたい状況なのだ。
 初対面の相手とコイバナなんて普段の俺なら逃げ出すが、今は切羽詰まっている。
 そんな俺の状態をよく理解している弘樹が紹介してくれた相手なら、という期待もあった。
 スーハーと深呼吸して緊張を押し込めてから、俺は覚悟を決めて切り出した。
「どんな噂を聞いてるか知らないけど……俺とあの人、親同士がパートナーになって……」
 先輩との関係と、同居することになった経緯をかいつまんで説明する。
 そして、先日「家族みたいになりたい」と言われた話も。
「ふーん。向こうはアンタのこと、弟分くらいに思ってるってわけだ」
 あいづちもほぼなく無言で聞いていた槇原は、初めてそう口を挟んだ。
「……ああ、多分。弘樹には、それでいいのか、おまえはどうしたいんだって聞かれたけど……俺、自分でもよくわからなくて……」
「なんでわかんないの。好きなら、相手にも同じように好きになってほしいって思うだろ。それが自然な感情だろ。一方通行でいいなんてありえないよ」
 槇原は目を丸くして畳みかけた。まるで言い訳は許さないと言わんばかりだ。
「っ……そりゃあ……根底で言えば、そうかもしれないけど……」
(でもだからって……そんなの、本気で望んでいいのか? 相手が俺のこと、そんなふうに見てないのはわかってるのに)
「けど、なに? もしかして、迷惑なんじゃないか、とか思ってる?」
「…………思ってる」
 肯定すると、槇原はげんなりしたように冷めた目を細めた。
「バッカみたい。相手を困らせるのビビってて恋愛なんてできるわけないじゃん。それ、相手を気遣うふりして逃げてるだけだから」
「ぐっ……」
(そ、そこまではっきり言うか……!?)
 思わず抗議しそうになったが、その前に槇原が言葉を続けた。
「──って、オレも今、数年前の自分によく思ってる」
「え……?」
 ハッとして見ると、その愛らしい顔には自虐の色が濃く浮かんでいた。
(まさか……数年前の槇原も、俺と同じようなことを考えてた……?)
 槇原は地面を見つめて、ぽつぽつと独り言のように声を落とした。
「オレの好きな人も、オレのこと、弟みたいにしか思ってない。オレは好きだったけど……関係崩れるのが怖くて、言えなかった。言っても困らせるからって、相手のために抑え込んだつもりになってた」
「…………」
「今ではすっかり兄弟っぽい関係が出来上がっちゃってて、今さらアプローチしても全然気づいてもらえないっていうか……まぁ、それは向こうの性格のせいもあるんだけど……」
 ふっと自嘲して槇原は顔を上げた。つぶらな瞳が俺をとらえる。
「弟ポジに収まってから後悔しても遅いよ。いろんなこと壊さなくちゃいけなくて……難しすぎるし、前よりももっと……怖い」
「槇原……」
 ゆらりと瞳が揺れた。その奥に、俺はたしかに深い痛みを見た気がした。
「……親しくなればなるほど、苦しくなるんだ。気持ちの持って行き場がなくて……」
(そうか……本当に、似てるんだな)
 槇原は経験しているのだ。俺と同じような迷路を。
 でも道を間違えて……今、もっと奥まったところで行き詰まっている。
 だけど、振り返って「あそこで道を間違えた」と思っても遅い。戻る順路はわからない──いや、そもそも引き返せない道だ。時間は巻き戻せないんだから。
 俺はかける言葉もなく、身につまされる思いで槇原を見ていた。
 すると彼は、ふと我に返ったように目を見開く。あっという間に、顔に動揺が広がった。
「あ……は、話しすぎた! もう終わりっ、おしまい!」
 上ずった声で言い、立ち上がる。
「あ、待って!」
 即座に走り去りそうな勢いだったので、俺は慌てて呼び止めた。
「なんだよ、終わりって言っただろ」
「いや、そうじゃなくて……その、ありがとう」
 礼を言うと、槇原はくしゃみを我慢するような微妙な顔になった。
「……やめろよ、そういうのいらない」
 ふいっとそっぽを向く態度がおかしくて、俺は苦笑してしまう。
 きっとこれは照れ隠しだろう。
 弘樹の言っていた通りだ。こいつは、いいヤツだ。
「なんとなくだけど……おまえの好きな人も、優しくていい人なんだろうな」
 俺の言葉に、槇原は驚いたようにこっちを見る。
 けれどすぐにまた、皮肉めいた表情を作って切り返した。
「当たり前。……鈍感だけど」
「そういうとこも好きなんじゃないのか」
 表情と裏腹に声が柔らかかった。だからそう聞くと、槇原は見る間に赤くなり、肩をいからせて、
「なっ、何言ってんだよ、知りもしないくせに! ヒヨりヤローのくせに生意気なこと言うなよなっ!」
 と、耳まで真っ赤になりながら叫ぶ。
(なるほど、毒舌キャラじゃなくてツンデレか……)
 ニヤつきそうになったがさらに怒られそうなので、俺は努力して頬を引き締めた。
「と、とにかく! 流されるまま進んで、後で後悔しても遅いから! 今のうちによく考えたら!」
 捨て台詞のように言って、今度こそバタバタと走り去る槇原。
(後悔しないように、か……)
 小さくなる後ろ姿を見ながら、俺はその言葉を胸の内で繰り返した。