愛してるから『弟』でいます。




 翌朝、月曜日。
 駅から学校までの道を歩きながら、俺は隣に並ぶ先輩に、思い切って尋ねてみた。
「あの……これは責めてるとか、からかってるとか、あきれてるとかじゃなくて、純粋な疑問なんですけど。1個質問、いいすか」
「……いいよ、何?」
「……俺と同居することにならなかったら、朝、どうするつもりだったんですか」
「う」
 先輩はぎくりと動きを止めたが、予想はしていただろう。聞かれる前から顔が引きつっていた。
 今朝の一幕に関しては、多くは触れまい。俺もまた昨日のように先輩が……などと考えて構えまくっていたら、別にそんなことはなくて拍子抜けしたという結果なので、詳細に振り返るのは恥ずかしい。
 ただ、やはり先輩の寝起きは相当悪かった。毎朝揺すって起こしてたら、そのうち俺、腱鞘炎になるかもな。他のやり方も考えていこう、なんて思う程度には。
 非常に、非常に申し訳ないけれど、とても先輩一人で時間通りに起きて登校できるとは思えないのだ。
 先輩自身も、同じように感じているのかもしれない。恥ずかしそうな、どこか悔しそうな顔でぼそぼそと話し出した。
「自分で起きる……起きれるつもりだったんだよ。ぴよちゃ……目覚ましをひとつ追加したから、どうにかなるかなって」
「ぴよちゃん」
(今そう言いかけましたよね? 言い直してもダメですよ?)
「って、あのひよこの目覚ましですか?」
「う……そう、あれ。あれがぴよちゃん。子供の時使ってて、最近は使ってなかったやつなんだけど。久々に参戦してもらって……」
「なるほど。計3つだったのを4つに増やしたと」
(それは……なんていうか……)
「ううっ、そんな目で見ないでよ~。考えが甘かったことはわかってます。ぴよちゃん程度じゃどうにもならなかった……」
 しょんぼりと肩を落とす先輩。その分析には完全同意だが、「そうですね」と追い打ちをかけるのもかわいそうで、俺はしばし迷ったすえ、
「まぁ、これからも俺が起こすんで。安心してください」
 とだけ答えた。
「うん、ありがとう。ほんと、蒼羽くんが来てくれてよかったって、3日目にしてすでに痛感してるよ」
 薄くほほ笑んだ先輩の髪が、ちょうど吹いた風にそよぐ。ひらひらと、桜の花びらがその鼻先をかすめた。
 淡い桜をまとう先輩。そのままポストカードにしたいくらい絵になっていて、ドキッとしてしまう。
(……よかったのは、俺のほうだよな)
 だって、遠かったあの美しい人が今は隣にいるのだ。こんなに近くで、笑顔を向けてもらえている。
「……うっす」
 意識すると途端に目を合わせているのが恥ずかしくなって、俺はよくわからない返事をして足を速めた。
「? 蒼羽くん?」
 不思議そうにしつつも、先輩も追いついてまた隣に並ぶ。
 やがて校門が見えてきて、その他大勢の生徒たちと共に、俺たちも門を抜けた。
「え……誰、あれ?」
「3年? A組の子? 知ってる?」
「知らない……」
(……騒がしくなってきたな)
 周りからヒソヒソと聞こえてきた声に、若干肩が固くなってしまう。
 実のところ、これまでの道でもこういう視線や声を感じていた。
 気にしないように努めていたけれど、校内に入るとさすがに声も視線も一気に増えて、無視しきれない。
 俺に向けられる「なんだあいつ」という眼差し。人気者の『ルナ様』が、存在すら認識されていなかった冴えないモブ男と一緒に登校してきたんだから、まあ当然と言えば当然の反応だ。
「最初だけだよ。気にしないでおこう」
「……はい」
 先輩の小声にうなずいて、歩いていく。
 周囲の反応がこうなることは予想がついていて、そのうえで、朝、こんなやり取りがあった。


「一緒に行くのはやめたほうがよくないですか? 絶対、悪目立ちする……先輩に迷惑じゃ」
「僕は迷惑なんて思わないよ。蒼羽くんが嫌なら無理強いはしないけど……」
「や、嫌とかじゃないんですけど。申し訳ないっつーか……」
「申し訳ないっていうなら僕のほう。目立つのも……僕のせいだし。でも、だからって隠すとか、あえて距離を取るっていうのも不自然っていうか……寂しい気がするんだ。だって僕たち、別にやましいことしてるわけじゃないんだし」
 縁あって同居人となったなら、その関係をコソコソ隠す必要はない。親たちだって、自分たちだって、悪いことや恥ずかしいことをしているわけじゃないんだから、と。
 先輩はまっすぐな瞳で、そう話した。
 たしかにそうだ。周りに何もかも話す必要はないけど、隠す必要だってない。一緒に暮らしてるのにわざと別々に登校するとか、そんなほうがおかしい。
「だから、蒼羽くんさえよければ、一緒に行きたいんだけど……ダメかな?」
「ダメじゃないです。こっちこそ、つまんないこと気にしてすいませんでした。一緒に行きましょう」

 ──と、そんな会話のすえ、「周りの反応なんか気にしない」という小さな覚悟を持って家を出た。
 無数の好奇の視線が突き刺さってくるのは、陰キャモブ男には慣れなすぎて落ち着かない。でも決めたからには「心を強く持て」と念じ、歩き続けていく。
 と、その時。
「はーるなっ!」
 背後から軽やかな足音と、明るい声。ポンッと、先輩の肩をたたく手がある。
 足を止めて振り返ると、キング・ソーレこと楠本悠日先輩が立っていた。
(うおっ……)
 当然のことながら、俺はこのキラキライケメンを間近で見るのも初めてなわけで。つい内心で、意味不明な叫びをあげてしまう。
「おはよう、悠日」
「おはよ。言ってたの、この子?」
 キング──楠本先輩が俺を見た。いぶかしむような様子はない。
「うん、そう。森中蒼羽くん」
「蒼羽くんか。俺は楠本悠日。榛名から大体の事情は聞いて知ってるんだ。よろしく」
「あっ……よ、よろしくお願いします」
(そっか、知ってるのか……親友だもんな、そりゃ話してるか)
「朝、大変だったんじゃない? 手のかかる子でごめんね~」
 楠本先輩は天月先輩の肩に肘を載せると、ちょっと意地悪な笑みを浮かべて言う。
 そのまま、ポンポンと天月先輩の頭をたたいたりして……なんというか、距離が近い。
「もう、悠日。からかわないでよ」
 天月先輩も、すねた声を上げつつも本気で嫌がってはいない。目が優しく笑っていた。
「……知ってるんですね。先輩の、朝の……アレ」
「うん。親父さんがどうしても不在になる時は、俺が泊まって起こしたりもしてたしね。だから俺も心配してたんだけど、君が同居してくれることになって一安心だよ」
(泊まって……)
 生ぬるい風が胸中を吹き抜けたような気がした。雨の前の、湿気を含んだなんとなく不快な風だ。ジメジメした違和感が残る。
「悠日、ニヤニヤしすぎ。重いよ、どけて」
 先輩がぷうっとむくれた顔で楠本先輩の腕をつかみ、肩から降ろした。そんな反応も楽しそうに、楠本先輩は笑っている。
「親友を心配するのは当然だろ?」
「調子のいいこと言って。面白がってるでしょ絶対」
「うわ、ひど。俺はこんなにおまえのことを想ってるのになぁ」
「はいはい。それはどうも」
「いや、声が全然信じてないって。なんで俺のこの大きな愛が伝わらないかなー」
「はいはいはい。伝わってるよ。愛情も、意地悪心もね」 
「…………」
(……マジで、仲いいんだな)
 お互い相手のことをよくわかったうえで、じゃれ合っているようにしか見えない。
(この二人って、こんな感じだったのか……)
 親友でいつも一緒にいるというのは知っていた。その姿を眺めることもよくあったが、何しろいつも距離があったのだ。話し声までは聞こえてこないことも多かった。
「ねぇ見て、またソーレ様とルナ様がイチャついてる」
「はぁ~~今日も供給あざまーっす! 押しカプ尊いわ~」
 離れたところから漏れ聞こえてくる女子たちの会話。
 キングはクイーンのナイトだ、なんてややこしい表現も、遅ればせながら納得だ。
(そういえばこの二人、人気者なのにコクられることはそんなに多くないって誰かが言ってたな……)
 今なら、その理由も理解できてしまう。
 つまり『この二人』で成立しすぎていて、彼女になりたいとか、そっち方向の女子は少ない……もしくはそう思っていても割り込む勇気がないとか、そういうことだろう。
「…………」
 ごく自然に身を寄せて歩いていく二人を、俺は一歩後ろから見つつ無言でついていく。
 なぜかずっと、胸をざらざらした手で撫で続けられているような気がして、少しだけ息苦しかった。



「蒼羽! どういうことなんだよあれはっ!」
 2年教室の並ぶ廊下まで来ると、弘樹が細い眼を吊り上げて突進してきた。登校してくる俺たちの姿を、どこかから見ていたのだろう。
(……そういや、こいつには言ってないんだった)
 母親のパートナーの息子が天月先輩だったことも、同居することになったことも。この一週間、俺自身整理がつかないまま過ごしていたので、上手く説明できなかったのだ。
 『再婚相手』と会うことは知っていたので、週明けにはすぐ報告を求められたのだけれど。「パートナーは紹介されたけど、再婚するわけじゃなかった」としか話していなかった。
「なんでおまえがあの二人と一緒に登校してくんだよ! 話せっ!」
 隅のほうに連れていかれ、ガシッと首に腕を回される。
「わ、わかったって、話すよ。実は──……」
 小声で、かいつまんで経緯を説明した。
 聞き終わると、弘樹は呆然とした顔で、
「マジか……そんな嘘みたいな話、あんだな……」
 とつぶやく。驚きを通り越して放心しているらしい。
「はぁ……けどまぁ納得だわ。ただの恋人紹介だったって言った割には、おまえ先週ずっと挙動がおかしかったからな。あれは同居を前に緊張してたってことか」
「……緊張っていうか、ずっと夢見てんじゃないかって……なんか現実にいる気がしてなかった」
「あー、だな。そうなるかもな。でもさー、気持ちはわかるけど教えろよ! 水臭いヤツだなー!」
「ててっ。おい、いてぇって!」
(……ん?)
 弘樹に肘でぐりぐりやられていると、ふっと目の前が陰った。
 ……数人の女子生徒が、正面に仁王立ちしている。
「森中くん。聞きたいことがあるんだけど」
「ちょっと時間、いい?」
(これは……)
「ルナ様の親衛隊だ。3年もいるぞ」
 弘樹が耳元でささやき、教えてくれる。
(……隠す気はないけど、こういうのは勘弁だな)
「個人的なことなんで、ノーコメントで。言うべきとこで言うんで、こういうのはやめてください」
 先輩のまっすぐな目を思い出しながら、精一杯虚勢を張って言った。
 女子たちは一瞬ムッと顔をしかめたけれど、たじろいだように去っていく。俺の身長と愛想のなさがいい仕事をしたようだ。
「落ち着くまではしばらくかかるぞ。色々と、頑張れよ」
 励ましと哀れみが半々の声で、弘樹が苦笑した。