「いやぁ、悪い悪い、東京の恵比寿(えびす)だったか……」

 レヴィアは小さな足で、商店街の小径をタタタと小走りに進んでいく。

「なんで大阪の新世界なんて行っちゃったんですか!?」

 シャーロットは白いワンピースの裾を押さえながら、涙目で後を追った。

 せっかくの晴れの日なのに、汗だくになってしまっている。

「あそこは恵美須(えびす)町って言うんじゃ! 紛らわしいったらありゃしない!」

「普通、間違えませんって! みんな待ってますよぉ……」

 シャーロットの声が震える。

「せっかくのお祝いなのに……」

 【黒曜の幻影(ファントム)】を捕獲した功績を称える祝賀会。

 まさか主賓の自分が遅刻するなんて――――。

「大丈夫じゃ、焼肉は逃げんよ!」

「そういう問題じゃないんです! もう……」

 角を曲がると、目指す店が見えてきた。

 こじゃれた木造二階建ての焼肉屋。
 黒板にはチョークで丁寧に描かれた、美味しそうなメニューの数々。
 炭火の香ばしい匂いが、通りまで漂ってくる。

 二人は肩で息をしながら店に飛び込んだ。

 古い木の階段が、ギシギシと音を立てる。
 炭火の香りと笑い声が、二階から漏れ聞こえてくる。

 シャーロットは胸の高鳴りを抑えながら、個室の扉に手をかけた。

 その瞬間――――。

「無礼者! お主、何をしてくれる!!」

 雷のような怒号が、扉の向こうから轟いた。

「……へ?」

 シャーロットの全身が、稲妻に打たれたように硬直する。

 この声は――。
 この懐かしい響きは――。

(まさか……まさか……!)

 震える手で、そっと扉を開けた。
 心臓が早鐘を打つ。手のひらに汗が滲む。

「ゼ、ゼノさん……?」

 声が、掠れる。

 そこにいたのは紛れもなく、魔王ゼノヴィアスその人だった。

 見慣れたフードの代わりに、黒いTシャツにジーンズという日本の若者風の装い。
 でも、額から伸びる立派な角。
 燃えるような深紅の瞳。
 圧倒的な存在感。

 間違いない。彼だ。

「うわぁ……」

 シャーロットの瞳から、涙が溢れそうになる。

 あの白い空間での三分間――儚い夢のような再会。
 そして今、本当に、本当に会えた。

「シャ、シャーロット!」

 ゼノヴィアスの顔が、クルッと変化した。

 鬼のような怒りの形相が、一瞬で溶けていく。
 代わりに現れたのは、まるで太陽を見つけた人のような眩しいほどの笑顔。

「シャーロット! 待ちかねたぞ!」

 慌てて立ち上がる。

「さ、ささ、こちらへ! ここだ、ここに座れ!」

 自分の隣の席を、まるで宝物を置く場所のように丁寧に示す。

「えっと、こ、これは……」

 シャーロットは夢見心地のまま、部屋の中を見回した。

 誠が温かい笑顔で手を振っている。
 レヴィアはちゃっかりもうビールを飲み始めている。

 そして――――。

「遅いのよ、あんた達!」

 上座で、美奈が頬を膨らませていた。
 ジョッキを片手に、不機嫌そうにこちらを睨む。

 でも、その瞳の奥には優しさが隠れている。

「ご、ごめんなさい!」

 シャーロットは頭を下げた。

「大阪の恵美須町へ行っちゃって……」

「はっはっは! レヴィアはそういう奴なんだよ」

 美奈の隣から、鈴を転がすような笑い声が響く。

 青い髪を優雅に揺らしながら、美しい女性が愉快そうに笑っていた。
 シルバーのボディースーツが、しなやかな体のラインを際立たせている。

「え、あ、あなたは……?」

 彼女は世界が消える直前、レヴィアとともにカフェに来た人――?

 シャーロットは小首をかしげた。

「僕は大天使のシアン」

 シアンは手を上げ、にこやかに笑う。

「こないだはうちの分身が失礼したね。ゲームの終了なんて、ちゃんと相談して進めるべきだった。ごめんね」

 申し訳なさそうに手を合わせ、頭を下げる。

「ちゃんとキミの世界が復活するように、僕からも女神さまにプッシュしておいたからさ」

 顔を上げ、悪戯っぽくウインクする。

「あ、ありがとうございます!」

 シャーロットは慌てて頭を下げた。
 大天使まで味方してくれたなんて。

「うん、まぁ」

 美奈がジョッキをカツン!とテーブルに置く。

「今回のMVPは、何と言ってもシャーロットだからね」

 琥珀色の瞳が、真っ直ぐにシャーロットを見つめる。

「プログラミング一つ知らないのに、料理でテロリストを捕まえるなんて……前代未聞よ。」

 呆れたような、でも感心したような口調。

「【紅蜘蛛の巣(トマト・トラップ)】だっけ? 笑っちゃうような作戦名だけどバッチリ決まったわね」

 そして、ふっと表情を和らげる。

「いいわよ?」

 女神の宣告が下される。

「あなたの世界、復活させてあげる」

 ニコッと、太陽のような笑顔。