やがて――。

 ヴゥゥゥン……

 空間が震え始めた。

 白い世界に、小さな歪みが生まれる。
 それは次第に大きくなり、人の形を取り始めて――。

「あ……」

 立派な角。
 漆黒の髪。
 深紅の瞳。

 紛れもない、魔王ゼノヴィアスがそこに出現した。

「ゼノさん!!」

 シャーロットは叫ぶ。

 考えていたことも、伝えたかったことも、すべてが吹き飛んで、ただ本能のままに彼の胸に飛び込んだ。

「うわぁぁぁぁん! ゼノさぁぁぁん!!」

 涙が止まらない。

 広い胸に顔を埋め、ただひたすらに泣いた。
 彼の温もりを、匂いを、存在を、全身で感じながら。

「お、おぉ、シャーロット……」

 ゼノヴィアスは明らかに戸惑っていた。

「ど、どうしたのだ……? なぜそんなに泣いて……」

 大きな手が、おずおずとシャーロットの背中に回される。

「会いたかったの」

 しゃくり上げながら、必死に言葉を紡ぐ。

「会いたかったんだからぁぁぁ……」

「ふはは、どうしたのだ?」

 ゼノヴィアスは困ったように、でも優しく笑った。

「我も会いたかったぞ? いつもシャーロットのことばかり考えておるのだから……」

 その大きな手が、そっとシャーロットの髪を撫でる。
 不器用で、でも限りなく優しい手つきで。

 シャーロットは耳を澄ます――彼の心臓の音が聞こえてくる。
 ドクン、ドクンと、いつもより速く脈打っているのが分かる。

 思い切り、彼の匂いを吸い込む。
 もう二度と感じられないかもしれない、この匂いを、体中に刻み込むように。

「好き……」

 言葉が、勝手に零れ落ちた。

「へ?」

 ゼノヴィアスが素っ頓狂な声を上げる。
 心臓の音が、一瞬止まったかのような――。

「あっ!」

 シャーロットは慌てて顔を上げた。

「い、いや、これはそのぉ……」

 真っ赤になって言い訳を探す。でも――。

「ふははは!」

 ゼノヴィアスが朗らかに笑った。

「どうやら、ようやく我の魅力が分かってくれたようだな!」

 嬉しそうに、本当に嬉しそうに。

「まるで夢みたいだぞ?」

「そ、そうよ……これは夢よ? 勘違いしないでね? ただの夢なんだから……」

 そう言いながら、また彼の胸に顔を埋める。
 告白したことなど夢としておかないと、次に会うときに困ってしまう。告白するならもっと素敵な場所で――――。

「な、なんだ……夢か……」

 ゼノヴィアスの声に、明らかな落胆が滲む。

「確かにここは真っ白で……現実世界ではなさそうだしな……」

 その無邪気な反応が、胸に突き刺さる。

『ピピッ! ピピッ!』

 突然、終了の合図が脳内に響いた。

「えっ! もう!?」

 三分――あまりにも短い。

「わ、私ね……」

 シャーロットは必死に言葉を探した。

「あなたを取り戻すの」

「へ?」

「もう一度、必ずあなたに会うの」

「夢から覚めたら、また会えるだろ? カフェで……」

 ゼノヴィアスは不思議そうに首を傾げる。

「ううん」

 シャーロットは首を振った。涙がまた溢れてくる。

「ダメなの。会うためには……うっ……うぅぅ……」

 これから待ち受ける試練を思うと、涙が止まらない。

「だ、大丈夫か?」

 ゼノヴィアスが心配そうに覗き込んでくる。

「ねぇ……」

 シャーロットは涙を流しながら、彼の顔を見上げた。

「勇気を……ちょうだい……」

「ゆ、勇気?」

 ゼノヴィアスは戸惑った。

「何だってあげるが……勇気とは……?」

 シャーロットは踵を上げ、一気に彼の唇を奪った。

「んむ!」

 ゼノヴィアスの体が硬直する。

 でも次の瞬間、シャーロットの想いを受け止め、ぎこちなく、でも優しく応えてくれた。

 徐々に不器用に舌を絡め合わせながら、お互いの存在を確かめ合う――――。

 熱い。
 切ない。
 愛おしい。

 すべての想いが、この口づけに込められていく――――。

 やがて、そっと唇を離す。

 シャーロットは震える手で、ゼノヴィアスの頬を包み込んだ。

「待っててね」

 涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

「絶対に、絶対にあなたを取り戻してみせるから!」

 その必死の形相に、ゼノヴィアスもようやく事態の深刻さを悟ったようだった。

「シャーロット……」

 大きな手が、シャーロットの手に重ねられる。

「お前は、我が生涯で出会った最高の女性だ」

 真剣な、今まで見たことのないほど真摯な表情。

「お前のような人は、世界中どこを探してもいない。何に悩んでるのか分からんが自信を持て」

 そして、優しく微笑む。

「我は……信じておるぞ」

「うん! 待ってて!」

 二人はもう一度、そっと抱きしめ合った。