「バルド先生、今から魔力と【闘気】を限界まで引き出します。発動のタイミングは先生にお任せしてよろしいですか?」

 「ああ、わかった」

 俺はミレーネの傍に行くと、彼女の手を取った。
 彼女は柔らかくも緊張を帯びた視線を向けてくる。

 ここまで広範囲に【結界】を伸ばすのは初めてのことだろう。

 ミレーネは頭のいい子だ。
 魔力の残量、【闘気】をあとどれだけ練り込めるか、そして魔法陣との連動など。
 頭の中で物理的な思考を高速回転させている。

 だが、それらとは真逆のものも持っている。

 魔物に両親を目の前で殺害されたという悲しい過去から、かつての自分のような悲劇を出来る限り生みたくない。
 その思いが、聖女になるという目標を目指す彼女の原動力となった。

 だから今は、本当にフリダニアまで【結界】を伸ばせるのかという現実的な思考(不安)と、何としても【結界】を展開させるという感情的な思考(決意)が入り混じっているのだろう。

 俺はミレーネの手を力強く握りながら声をかける。


 「大丈夫だミレーネ、きっと上手くいく」


 「バルド先生……はい!」


 少しの沈黙の後、ミレーネは覚悟を決めて【闘気】と魔力を練り始めた。


 さて……

 弟子がここまで気合を入れてくれている―――

 オッサンも――――――死ぬ気でやらんとな。

 「リエナ! 思いっきりやる! 周辺の人に耳をふさぐように言ってくれ!」
 「はい! ていうか、今まで思いっきりじゃなかったんですか……」

 なにかを呟きながらもリエナは、みんなへ俺の言葉を伝えていく。


 すぅううううう

 空気をありったけ吸い込む。

 俺は身体の芯から【闘気】を練り上げていく。

 ―――もっとだ! 

 普段ならこれでじゅぶんだろう。

 だが……

 ―――まだまだ! 

 全身にいきわたった【闘気】に再び体の奥から新たな【闘気】をかぶせる。
 二重三重、何重にも。より密度を高く。
 ここはありったけの【闘気】を使う。


 ―――オッサンの限界まで


 俺の気合に応えるように体中から【闘気】が溢れだすほどに練り上げられた。


 「よし! ミレーネ! 【結界】発動だ!」


 「聖なる壁よ、その厚みに祝福を! 
 ――――――増聖結界(プラスホーリーシールド)!」

 ミレーネの掲げる聖杖から、聖なる光が四散する。


 オッサンも続く―――


 「せぇええええ――――――――――――い!!」


 俺は大音量の気合とともに全身から【闘気】を放出した。
 ミレーネの発動した【結界】に比べれば微々たるものだが、オッサンなりの全力だ。

 「こ、これは……」

 ミレーネが驚きの声を上げて四方に広がる【結界】に目を向ける。

 聖なる光をオッサンの【闘気】が押し出しているのだ。光の壁がドンドン加速していく。


 「ふぅうう……」


 「ミレーネ、よく頑張った」

 俺は教会から展開されていく光の壁を見ながら、ミレーネに労いの言葉をかけた。

 「フフ、バルド先生もお疲れさまです。今までで一番大きな【結界】を発動できました。それに、この速度なら数時間でフリダニアにまで伸ばせると思います」

 ミレーネは肩で息をしながらも、その瞳はやり切った充実感ある輝きを放っている。

 本当に良く頑張った。
 ここまで成長するのに、どれだけの努力と折れない心を持ち続けたか。

 「ふわぁああ~~バルドさま~ミレーネ~光の壁がとんでもない勢いで飛んでいきましたよ~」

 リエナが目を白黒させながら、駆けつけてきた。
 【結界】は順調に展開されているみたいだ。


 頼むぞ……


 フリダニアまで届いてくれよ。



 ◇◇◇



 ◇剣聖アレシア視点◇


 先生たちが教会に向かって数時間がたった。

 「アレシア殿! さらに後続の魔物が押し寄せてきます! およそ数100! 大型ばかりです!」

 宿屋周辺のナトル守備隊長が報告を入れてくる。

 魔物大量発生《スタンピード》によって大森林から出てきた魔物たちだ。
 だが、魔物たちはこれ以上進むことができない。ミレーネの【結界】が侵入を防いでる。

 「さすが聖女さまの【結界】ですな。魔物を一切通さない」
 「ああ……そうだな」

 あたしは守備隊長に気の抜けた返答をした。

 なにか腑に落ちない。

 たしかにミレーネの【結界】は強力だ。魔物に突破される気配はない。
 だが……魔物たちはそこへたまる一方だ。

 ミレーネの【結界】は聖属性の魔法の壁。つまり魔物にとっては近寄りたくないもののはず。
 それに、魔物たちは進行を阻まれたたら大森林に帰るのが通常のはずだ。先生が以前にも言っていた。直近で出てくる魔物は大型ばかり。つまりこいつらが最後尾ならば、帰るのを阻む魔物はいないはずだ。


 ―――なぜここにとどまる?


 魔物たちは【結界】の前で大渋滞を起こしている。

 守備隊長から各地の防衛ラインの通信によると、各地で同じ現象が起きているらしい。

 大森林に戻れない理由があるのか……っ! なんだ!?

 ―――ズシンっ!

 突如として地面が揺れる。

 ―――ズシンっ! ズシンっ!

 宿屋が……大地が……揺れる!

 「な、な、なんだあれはぁあああ!!」

 守備隊長以下、隊員たちが大森林から出てきたなにかを一斉に指さした。

 そうか……魔物たちが大森林に帰らない理由……


 ――――――こいつか!?


 ギュルアァアアアアアアア!!

 とんでもない咆哮が周辺の空気を振動させる。

 8つの首に大きな甲羅をもつドラゴン。

 先程撃退したドラゴンよりもはるかに大きな個体。

 「うわぁああ! ドラゴンだぁ!!」
 「あ…あれはヤマタノシンリュウでは!?」

 ヤマタノシンリュウだと!?
 神話クラスの魔物じゃないのか!

 巨大なドラゴンは【結界】をガシガシとその凶悪な前足と8つの首で攻撃し始めた。
 【結界】にわずかだが亀裂が入り始める。

 「くっ……【結界】を破る気か……」

 まずいぞ、ここが破られたら……たまった魔物が大挙してナトル王都に押し寄せることになる。
 そして、このデカいドラゴンも……

 なによりも、先生に任された大事な宿屋が蹂躙されてしまう。

 あたしは聖剣を抜刀して、大声をあげる。

 「セラぁああ! なんとしてもここを死守するぞ! 守備兵! 死力を尽くせ! 退路は無いものと思え!」
 「トウゼン! ご主人さまの宿屋を守るのがセラの役目デス!」

 あたしは聖剣を構えて【闘気】を高める。セラもドデカイ金づちをブンブン振りながら迎撃態勢を取っている。

 守備兵たちの顔は……もはや生気が感じられない。
 しょうがないか。あれほどの魔物を見てしまったんだからな。


 ギュルオオオオオオ―――!


 ―――あれは!?


 「アレシア殿~~ブレスがきます!! 総員各自防御態勢!!」

 8つの首全ての口が大きく広がって、強烈な光が奥から噴き出そうとしている。

 ビリビリと感じる空気の揺れ。

 まだ吐いてもいないのに……気圧されそうだ……


 ギュルラァアアアアア―――!!


 8つの閃光があたしたちに降り注ぐ。

 ぐっ……

 ―――!?

 何故かその閃光は、あたしたちには届かなかった。

 そのかわりに―――


 背後から轟音がとんでもない速さで吹き抜けていく。


 ―――壁!?

 あれは……!?


 ギャガ? ギャグガアアアアアアアァァァァァァァ……


 大きな壁は8つ首のヤマタノシンリュウをものともせずに吹き飛ばしていった。

 8つのブレスも、その巨体も、すべて―――

 その他の魔物も全てが上空に吹っ飛ばされて、落下しても凄まじい勢いで広がる光の壁に再び衝突して弾かれる。まるでお手玉のようにポンポン弾かれながら遥か彼方へと飛ばされて、見えなくなってしまった。

 この匂い……

 ああ……先生だ……また助けてくれたんだ。