“実里(みのり)と付き合ったら、めちゃくちゃ重そう “とは僕の性格をよく知っている友人らの総意である。なかなかな言われようだけど、僕自身否定するつもりはない。今まで恋人がいたことはないから分からないけど。
 そもそもなぜ僕が友人たちに重そう、などと言われるのかといえば、それは自他ともに認める僕の一途な性格のせいだ。詳しく言えば、僕が“特別好き”と思った人のことを、何年もずっと同じ熱量で好きでいる現状のせい。
 人の趣味嗜好が歳を重ねたり、環境が変わったりして変化するのが一般的であることは、僕も理解している。それゆえに、子どもの頃好きだったものが段々そうではなくなる、というのがセオリーであることも。しかし僕の場合は、昔から特別好きだと思った人のことを、ずっと変わらない熱量で好きでいるのだ。
 例えば、保育園に入ったころに好きになった、当時の戦隊ヒーローのブラック。本当にかっこよくて、大好きで、ずっと見てたし、応援していた。とはいえ子供向けアニメーションのキャラなんて、ある程度歳を重ねてくれば興味が薄れ、思い出さなくなってきそうなもの。しかしそのヒーローブラックのことを、高校2年になった今でも僕は大好きで、アニメも写真もちょくちょく見ているのだ。もしくは、近所の10歳年上のお姉さん。クールだけど優しくて、いつも僕と遊んでくれて、こちらも保育園時代からずっと変わらず大好きな人。お姉さんが大学進学をするに伴い、遠方でひとり暮らしをすると聞いたときは大号泣した覚えがある。今でもお姉さんが帰省していると必ず会いに行くし、連絡は取り続けている。高校生になってまで近所のお姉さんが好きとかちょっと怖いね、とは家族友人みんなの意見である。
 分かっているのだ。ずっと変わらない熱量を持ち続けるというのが、異常な執着に見えるというのは。しかし一つ弁解をするのならば、この特別好きな人のことを、僕は恋愛的に好きなわけではないということ。付き合って欲しいとか、相手にも同じ気持ちを返してほしいとかは全く思っていない。つまり言い方としてはおそらく、ここ最近流行っている“推し”というものなのだ。彼らの存在が僕の生きがいであり、彼らの幸せが僕の幸せである。だから近所のお姉さんに彼氏が出来たときだって、嫌な気持ちになるどころか嬉しくなった。
 これがなんの弁解になるのか、と改めて考えてみれば微妙なところ。しかしとにかく僕は、特別好きな人だと言っても、ただその人を見守っているだけで良くて、決して怪しいことや危ないことをする気はないということを分かって欲しいのだ。
 ちなみに余談だけど、17年の人生で特別枠になったのは、片手から少し漏れる程度の人数。多いか少ないかは人それぞれとして、一生を捧げるレベルの相手なのだから、そうほいほいとは増やせない。しかし、この度その特別枠の人数がめでたくも……いや全くめでたくはない気がするけれど、増えそうな気がする。気がすると曖昧な言い方なのは、やはりこんな気持ちの向け方の異常性を僕が自覚しているからで、まだ特別枠に入らず逃がしてやれるんじゃないか、と僕の気持ちをぎりぎり踏みとどめている状態だからである。まだ100%は落ちていない、はず。断崖絶壁の上で常識人な僕が、落ちそうな僕を必死につかんでいる感じ。ちなみに常識人の僕は、生粋の乾燥肌のせいでおそらく直前にハンドクリームを塗りたくっていたので、必死につかむ手は摩擦のかけらもなくつるんつるんである。

 そうやって僕が葛藤している、うっかり特別好きになってしまいそうな相手。それは、同じクラスの黒田(くろだ) 環季(たまき)という男だ。そう、クラスメイト。つまりほぼ毎日眺められてしまうし、近くに居られてしまう。これを純粋に喜べればいいのだろうけれど、普通に考えてクラスメイトの男にじっくりと眺められる状況、環季君が可哀そうすぎる。だからぜひ、特別枠に入れないであげたいのだが。
 この環季という男、まず顔が良い。僕は自分自身、他人の容姿にとやかく言えるほどの見た目ではないが、好みの容姿は当然ある。そして環季君の顔は、僕の好みになかなか、いやゴリゴリに沿っているのだ。奥二重だけど小さくない目は、少し気だるげな雰囲気を残しつつ、妙に色気を感じる。その上で鼻も口元も非がなくバランスの良い配置なので、世間的にも間違いなくイケメンと称される容姿だ。事実学校でも人気が高い。その顔の良さに加えて、環季君は文武両道な男で、運動も勉強もそつなくこなすと来た。更に特別はしゃぐタイプではないが、常に周りには誰かがいて、休み時間や放課後は派手な集団の真ん中で、静かに笑って過ごしている。彼の穏やかで余裕な態度は、確実に強者のそれである。
 そう、昔から僕はこういうタイプの人に弱いのだ。そつなく物事をこなし、それを自慢げにすることもなく、後方でただ余裕そうにたたずんでいるような人。僕自身がそんなに余裕がある人間ではないから、憧れが大きいのだと思う。
 そんな顔も性格も学校での過ごし方も自分好みのクラスメイトがいるとなったら、そりゃあ好きになってしまうだろうと、そういう話である。しかしクラスメイトに一生好かれ続けるであろう環季君が可哀そうすぎやしないかと、そういう話でもある。そこで生じている僕の断崖絶壁の攻防なわけだが、まあほぼ負け戦であることは察していた。


―――


「環季君、おはよう」
「ん、おはよ」

 日は短くなってきているけれど、残暑がまだまだ厳しい9月。Yシャツを暑そうにパタパタと仰ぎながら教室に入ってきた環季君と目が合い、少し緊張しながら声をかける。特別仲がいいわけでもクラスで目立つわけでもない僕に、環季君はふわりとほほ笑んで返事をしてくれた。そういう意外と優しいところがタイプ。全体的にシャープな顔のつくりで、一見クールそうに見えるけど、実は意外と人当たりが良いっていうギャップがすごく好き。

「今日も暑過ぎん?」
「ね、もうすぐ9月なのに、残暑も甚だしい。早く涼しくなっていただきたい」
「でも、寒くなったらそれはそれで実里は文句言うでしょ」
「それはそう。夏は暑くて文句だし、冬は寒くて文句だし、春秋は花粉と季節の短さで文句だし、年がら年中お天気クレーマーやってるからね」
「ふ、悪質クレーマーじゃん」

 しかもこうしてちょっとした世間話もしてくれる。コミュ力も高いとか、すごすぎる。欠点という欠点が見つからないんだけど、この人大丈夫かな。暑いって言いながらむさくるしく汗をだらだら流す僕と違って、環季君は少し汗ばんでいるものの、なんとなく空気が全体的に爽やか。男の汗なのに臭くなさそうなところがすごい。

「なんか、朝から環季君と話せて元気をもらったわ。ありがたや」
「ふは、俺のこと移動式パワースポットとか思ってる?」
「何そのお手軽タイプの神秘」

 僕が環季君の言葉に笑っていると、環季君も少し笑ってから、じゃあと言って自分の席に向かっていった。離れ際に頭をポンと優しくたたかれて、そのかっこよい仕草に僕は思わずうっとりである。
 これはもう確実に取り返しがつかないことになっている。間違いなく好きになってしまっている。いやでも環季君のその顔面で破壊力抜群なことされたら、もう抗えないって。悔しい、でもめちゃくちゃ好き。これは絶対一生好きでいるレベルの好き。ごめんね、環季君。あなたの人生に少しお邪魔してしまいそうです。環季君が嫌がることはしないと誓うので多少の介入は許していただきたい。


―――


「というわけで、まずは毎日話をして、この先ずっと定期的に連絡をとってもおかしくないくらいの関係になる。友達という形が理想です。でも一生まとわり続ける友達も怖いかな。じゃあなに、スポンサー?あ、僕の家族と環季君の家族が結婚とかしてくれれば親族になれるじゃん。え、これ名案じゃない?どう思う?」

 めちゃくちゃいいことを思いついた、とウキウキしながら隣に座る拓真(たくま)に話しかけると、拓真は数秒無言で僕を見つめた後、しぶしぶといった様子で口を開いた。

「……立花(たちばな)、あのさ。俺が隣にいる状況でその話をされると、俺に相談を持ち掛けられているような気がして怖いんだけど、普通に無視していいよね?」
「はあ?どう考えても僕が数少ない友人であるお前に相談を持ち掛けてるんだから、真剣に話を聞いて解決案を出すべきだろ」
「謎に卑屈だし、荷が重いし、色々とすんごく嫌なんだけど」
「嫌でもやるの」
「ねえ、立花はなんで特別枠以外の人間相手だとそこそこ冷たいの。俺にももっと優しくしてくれていいと思う」
「特別好きな相手には優しくしたいし、それ以外の人にはちょっと冷たくなる。人として普通じゃね?」
「数少ない友人枠の俺には、もうちょっと優しくしても良くない?」
「拓真に優しくするのはなんか違う」
「優しくすることに違和感ってどういうこと」

 そう非難するように話す高校で出来た友人の拓真が、話を逸らそうとしているのは分かっている。だからその質問にはあえて答えず、話を戻した。

「で、どうやったら合法的に環季君の一生を追えるかってことなんだけど」
「それを真剣に言ってんの、やばすぎる奴だけど大丈夫?」
「自覚はあるから相談に乗って」
「ストーカーになる一択」
「全然真剣に考えてくれてないだろ。それ刑務所に入って終わりだよ」
「逆にどこに真剣に考える要素があったんだよ」
「はあ、拓真お悩み相談室が聞いて呆れるよ」
「そうだな、じゃあ相談室はこれにて閉業。もう何も言わねえでください」
「ねえごめんて」

 慌てて謝るけど、拓真がそれ以降僕の話を聞いてくれることはなかった。いや、はじめから真面目には聞いてくれてはいなかったので、それ以降も、の方が正しいかもしれない。
 もちろん、僕だって環季君の一生に本気で付きまとう気はない。ただ、就職・結婚・子どもが生まれる、みたいな大きいライフイベントの様子とかを知れたら嬉しいくらいの気持ちなのだ。例えばSNSの写真を1枚見せてもらうくらいでも良い。何しろこれから一生をかけて推していく所存である。定期的な栄養は摂取させてもらわねば干からびてしまう。

「まあ一生をずっと追い続けるのは冗談にしても、どうにかもっと近くで環季君を感じていたいよな」
「それも普通に怖すぎる」
「え、嘘でしょ。これだけで?」
「立花の常識が俺にはわからないです」

 引いた目で俺を見る拓真に割と本気でショックを受けつつ、それじゃあどのくらいの熱量なら許されるのだろうと悩む。常識人な僕とは崖でバイバイしてしまったので、加減がわからなくなってきていた。そもそも同級生を推すっていうのが変なのか。しかしそれに関しては、好きになってしまった以上どうしようもないし、一度好きになってしまった以上、一生その気持ちが続いてしまうのも、僕の性格上仕方がない。

「え、じゃあ僕はこそこそと環季君の動向を追うしかないってこと?それってストーカーじゃん」
「うん、やっぱ立花はストーカーの星に生まれてるんだわ」

 不名誉極まりない拓真の言葉を、否定することができない。確かに僕のやろうとしていることはストーカーと言われても仕方ないのだろう。それは理解できるのだ。だから普通はそれをすべきではない、ということも分かる。
 しかし、である。その常識的な考えに準ずることが出来ないのが、僕の未練がましい性格なのである。困らせるとわかっていてなお、自分の衝動にも抗えない。相手を怖がらせたくないと思いつつ、欲を出してしまうのは、利己的過ぎるとわかっているのだが。

「いや、だってさ……好きになっちゃったら仕方なくない?だって特別好きなんだもん、環季君のこと」

 そう言い放って、改めて自分の身勝手さを感じた。結局自分が好きである気持ちを止められないから仕方ないと、受け止めてくれと、そう言いたいわけだ、僕は。環季君への迷惑などを一切考えない言葉で、それがよく分かった。
 こんな自分勝手で重すぎる気持ちを環季君が知ったら、きっとすごく嫌だろうなと思う。というか誰でも嫌だ。なるほど、こういう考えも付き合ったら重そう、という評価の原因なのだろう。それじゃあ僕は恋人を作らないほうが良いのかもしれない。

「さいですか。まあ、俺が口出すことじゃないけどね。あとは黒田の気持ち次第でしょ」

 なおも呆れたように言う拓真の言葉に、今度は何も返事しなかった。正論を言う拓真には、何と返しても屁理屈か駄々にしかならない気がして。だからそっぽを向いた。そんな幼い動作をする現役高校生の僕に、拓真はより一層呆れた様子を深めたけれど。



 そんな拓真との会話から数日。僕の一生モノの推しが、いつもと違う様子を見せ始めた。どんな様子かと言えば、今まで「恋人なぞ要らんよ」と言わんばかりに、告白されてもばっさばっさと切り捨ててきた環季君が、恋人欲しいムーブをし始めたのだ。陰ながら環季君の様子を日々伺っている俺は気付いている。今まで恋人の話題などが出ると、曖昧に笑ってかっこよく流していた環季君が、最近は「恋人がいるのも楽しそう」とか「良い人がいればね」なんて、恋人作りに前のめりになってきているのだ。この変化、僕にとっては大変喜ばしい。僕は推しが幸せになる様子を見たいタイプなので、もし彼女が出来て環季君が楽しそうにしていたら、僕も幸せなのだ。だからいち早く彼女を作っていただきたいし、よりどりみどりの環季君なら、その気になればすぐにでもできると思っていた、のだが。
 環季君が彼女作りに前向きになり始めてから数週間。いまだに彼女が出来た様子は無かった。
 環季君が彼女を求め始めた、という噂を聞いた女子がこぞってアタックをしている様子はあるのに、その誰とも付き合い始める様子がない。タイプの人がいないのか、相手を見定めているのかわからないが、このままではあっという間に修学旅行の日になってしまう。
 環季君は修学旅行などの学校行事で、好きな人とこっそりアイコンタクトしたり、部屋を抜け出して会ったりという、ザ青春って感じのことを楽しみたいって言っていたのに。このままではそんなイベントが出来なくなってしまうではないか。これは由々しき問題。
 しかし、そうやってなぜか僕が焦りを感じる一方で、環季君はいまだに「まあ、そのうち良い人が見つかればいいしね」なんて悠長なことを話していやがる。修学旅行という一大行事含め、色々な行事が迫ってきている今、そんなのんびりしている余裕は環季君にはないというのに。しかしその余裕あり気な態度が僕のタイプドンピシャなので、それはそれで良いとも思ってしまう。そこらの男子高校生は、彼女が欲しいと鳴き声のように言いながら、なかなかうまくいかず苦しんでいるというのに、環季君は焦る様子が全くない。その余裕はどこから出てくるのか。間違いなく己の容姿からでしょう。自信にあふれていてとても素晴らしい。そんなところも僕のタイプです。
 とはいえこの一件に関しては、そう易々と絆される僕ではない。なぜなら僕は、推しの青春ドキドキイベントスチルを何が何でも見たいから。環季君と彼女の修学旅行デートなんて、絶対に逃せるわけがない。
 だから、環季君が彼女作りに全力でない以上、僕がアシストをするしかないという結論に至った。余計なお世話だとか、人の恋愛に口を出すなとか言われるのは覚悟の上。また自分勝手が出てると言われるのも、覚悟の上。それでも僕は、推しの青春が見たい。

「環季君ってさ、タイプの人とかいるの?」

 だから環季君の彼女作りをサポートするため、まずは環季君の理想の彼女を探ることにした。環季君が彼女を欲しいと思っている以上、彼の理想の女性がいれば、確実に付き合えるはずだ。
 たまたま体育でペアになった環季君にいきなり恋バナを仕掛けるのは勇気が必要だったが、彼は急な話題に存外深く追求せず、ストレッチしながらそうだなあ、と天を仰いだ。

「タイプって言われると、そうだなあ。一途であんまりうるさくなくて、眼鏡をかけてる人かな」
「へえ、まさかの眼鏡フェチ?そっか、一途で静かで眼鏡……真面目な委員長タイプの人かなあ。環季君とはタイプが違いそうだけど、きっとお似合いだね」
「そ?そう思ってもらえるんなら良かった」
「あれ、その嬉しそうな反応と割と具体的なタイプの言い方……環季君、もしかしてすでに付き合いたい特定の人がいる!?」
「あー、うん。実は気になってる人がいるんだよね。ばれたか」
「そ、そうなんだ……。うちの学校の人?」
「うん」

 あっさりと肯定する環季君に、正直少しショックを受ける自分がいた。別に環季君に好きな人がいることがショックなわけじゃない。むしろその点は喜ばしい。しかし、同じ学校に好きな人がいるらしいにもかかわらず、環季君がその人にアタックしている様子を全く見たことが無い。つまり環季君は、恋愛で受け身になるタイプということではないだろうか。
 受け身は決して悪いことじゃない。悪いことじゃないんだけども、僕的にはいつも省エネな生活態度なのに、好きな相手には自分から押せ押せで行く環季君を夢見る部分があったのだ。しかしさすがにそこまで僕の理想通りの人がいるはずない。そもそもこれだけの俺の好みを詰め込んだような人がいてくれるだけですごいことなのだ。高望みは良くないと、慌ててショックな気持ちを振り払った。

「あー、えっと、環季君からその人に告白とかしないの?」
「……告白って、自分からした方がいいんかな」
「絶対した方が良い!」

 しかし環季君の言葉に前のめりでそう返した僕は、絶対に気持ちを切り替えられていない。自分の理想を前面に出してしまっていた。環季君は若干のけぞっていた。そりゃあそうなる。

「ふふ、びっくりした。まあ、実里がそう言うんなら、参考にします」
「や、あの、ほんとご参考までに。僕の場合は、だから。環季君が気になっている人は、もしかしたら追いかけたい派かもしれないし」
「ん、りょーかい。アドバイス感謝します。話も聞いてくれてありがとね」

 環季君がそう言って、話が一段落したタイミングで、体育教師の集合がかかる。環季君は行こうか、と言って、また僕の頭をポンと叩いて集合場所へと向かい始めた。去り際の少し口角をあげた表情が余裕に満ちていてかっこよくて、相変わらず僕の理想過ぎる態度をするものだと心の中で拍手喝采、スタンディングオベーションだった。

 やっぱり素晴らしすぎる環季君には、ぜひ好きな人と結ばれていただきたい。そう改めて強く思った僕は、余計なお世話だとわかりつつ、彼と気になっている人との恋路を応援したいと思った。しかし僕は、環季君にヒントを貰っても、環季君の好きな人が全く思いつかなかった。そもそも交友関係が広くないから、知っている人の数が少ないのだ。だから僕より圧倒的に友人の数が多い拓真に頼ることにした。

「そういえば拓真さあ、うちの学校で一途でうるさくなくて眼鏡かけてる委員長タイプの人、誰か思いつく?」
「え?なに急に。話の切り出し方がAIに対してと同じくらい急なんだけど。俺たちさっきまで、今日のお弁当のおかずは何かって話していたじゃん。人間相手にはもうちょっと前置きとかしてくれる?」
「OK拓真。うちの学校で一途で真面目そうな眼鏡の人を教えてくれる?」
「俺をAIに寄せろってことじゃないのよ。あとさっきからお前が言っているそのタイプの人は、まさにお前自身のことだと思います」
「は?拓真ってば何言ってんの?確かに、僕は眼鏡だし、一途だし、そこまでにぎやかなタイプじゃないけど……え、めちゃくちゃ当てはまるじゃん?」
「だから言ってんじゃん。で?なんでその特徴の人を探してんの」
「環季君のタイプの人なんだって」
「へー、良かったじゃん。立花ドンピシャ」
「いや、そもそも僕は男だし、別に環季君のタイプになれても嬉しくはないのよ」
「そうなん?黒田のことあんだけ好きなんだし、付き合いたいとか思わねえの」
「一切思わねえね」
「まさかの即答」

 先ほどまで携帯に視線を落としていた拓真が、驚いたように僕の方を見て、数度瞬きをする。

「だって環季君を特別好きだからこそ、環季君と付き合う人のことも好きになりたいし。あの環季君の横に並び立つのが僕って考えたら……おぞましくて鳥肌が立つから、絶対自分は嫌だ」
「ふーん、そういうもんなんだ」
「うん。だから万が一、いや億が一環季君の気になる人が僕だったとしても、絶対に付き合わないね」
「うわあなんかごめん、黒田」

 僕がはっきりと言い放ったのを聞いて、拓真が手を合わせながらそう言うものだから、僕が環季君のことを振った悪者って感じになってしまった。でもこれは違う。なんだか少し罪悪感を持ってしまったけど、そもそもとして、環季君が僕を好きなはずがないのだ。明らかに俺をからかっているであろう拓真をにらむ。拓真は反省した様子もなくへらっと笑った。

「相談相手を間違えたわ」
「でも立花、俺以外に相談相手いないじゃん」
「それが分かってんなら真面目に聞いてくれよ~」

 さすがの僕にも、友人と呼べる人は拓真以外にも何人かいるのだが、環季君への気持ちをここまで包み隠さず言えるのは今のところ拓真しかいないのだ。

「いやいや、割とこれでも真面目に話してんの。本気で黒田の言うタイプの人が立花の可能性、あると思うけどね」
「絶対無いって、普通に考えて。アイムボーイ。クロダイズボーイ。普通恋愛は男女でするものです」
「いやいや、多様性の現代で普通は~、とか言ったら炎上するぜ。今時同性愛はタブーな話じゃないだろ」
「それはそうだし、別に同性愛を否定するわけでもないけど、やっぱり少数派でしょ。あえて環季君をその枠に入れる必要はない」
「まあ、そりゃあそうだけど。だから可能性的にって話。だってさあ、立花と黒田の関係って、話が出来過ぎてんじゃん」
「出来過ぎてる、って?」
「立花って、黒田と中学から知り合いなんでしょ?でも、その時はあんまり目立たないやつだったって言ってたじゃん」
「うん、まあ……」

 そう、拓真が言うように僕と環季君は、実は中学時代からの同級生だ。でも環季君は中学生の時、今のようなタイプの人じゃなかった。何というか、もっと静かで、人付き合いも最低限で、言ってしまえば地味な学生だった。僕が言えた話ではないけれど。
 それが高校に上がってみれば、突然僕のドタイプイケメンに生まれ変わっていたのである。高校デビューのまさかの成功例。中学時代は環季君に見向きもしなかった人たちが、手のひらくるっくるですり寄っている現状になったわけである。そしてその手のひらくるっくるの代表が、この僕である。現金なやつだと笑ってくれていい。

「明らか出来過ぎでしょ。高校に入って急に立花の好みど真ん中にキャラ変。そんでまんまと立花は黒田にぞっこん」
「ぞっこんって今時聞かないよ」
「俺おばあちゃん子だから。いや、そんなんはどうでも良くて。まあ、俺は高校からの付き合いだから立花と黒田の関係性なんて知らないけどさ。この状況だけ見たら、俺は友人として立花のケツを心配しちゃうね」

 つゆほども心配していなさそうな明るい笑みの拓真の言葉に、無意識にお尻を押さえてしまう。それを見た拓真はがはははと下品に笑った。実によろしくないタイプの高校生らしいお笑いであった。これ以上拓真に相談を続けても建設的な回答は得られないと悟った僕は、そこで相談をあきらめるほかなかった。



 ところで、そんな話を友人とした翌日に、例の推しから「放課後、話があるから待ってて」と言われたらどんな反応をするのが正しいでしょうか。僕の反応は「ぁへっ、へい!」でしたけど、まずいでしょうか。間違いなくアンサーでボロクソ書かれそうな質問を、どこか冷静な、いや、現実逃避した頭で考える。ちなみに僕的ベストアンサーは「そんな初めて客前に出る寿司職人みたいな反応されたらドン引きです」だった。

「ごめん、わざわざ待ってもらっちゃって」
「ううん、大丈夫。僕も放課後やりたいことあったし」

 だいぶ人数が減った教室で、別の用事を済ませてきたんであろう環季君が慌てて教室に戻ってくる。僕としては、推しを待つっていう貴重すぎるシチュエーションを経験できたから、とても有意義な時間だった。

「あんま人がいないところで話したいんだけど……場所移動してもいい?」
「うん、全然いいよ」

 そうして環季君に連れられたのは、別館の端にある階段の踊り場。確かに本館から離れている、専門科目の教室しかないようなこちらは、放課後はなかなか人が通らない。
 静かな空間で、秋目前の夕焼けが窓から差し込んで、環季君の肌が赤く照らされる。その姿は恋愛シミュレーションのワンシーンか、ホラーゲームのワンシーンかというような、作り物のように見事なスチル。推しの美しい情景にうっとり見惚れていると、こほんと環季君が咳払いをした。

「こんなとこまでついてきてもらってありがとね」
「ううん、全然。それで、人がいないところでしたい話ってなに?」
「あー、うん。まあ、単刀直入に言うわ。……実里が好きです。俺と付き合ってほしい」
「……ん?」

 ぱちん、ぱちんと数度瞬きを繰り返して、目をごしごしこすって、頬をぐにっと引っ張る。うん、目の前にいるのは間違いなく環季君だし、頬は痛いから現実。で、好き、付き合ってほしいとはっきりとした言葉。これは勘違いのしようがなく、夢でもなく、環季君からの告白である。
 そう理解したとたん、頭で拓真の昨日の話がよみがえって、僕は無意識にお尻を押さえた。まさか本気でこんな事になると思わないじゃん。

「……えっと、その、環季君に限ってないとは思うんだけど、僕をからかってたり、何かの罰ゲームだったり?」
「そんなんするわけない。本気で実里が好きだから、告白してる」
「そっか~……」

 まあ、僕の推しともあろう人が、嘘告白なんて低俗なことをするはずがないと信じてはいた。とはいえ、本気で告白されるとも思わないじゃん。今事実として、されているんだけども。
 しかし、こうして真っすぐ気持ちを伝えてもらった以上、僕もちゃんと返事をしなければいけない。申し訳ないけれど、考える間もなく僕の返事はもう決まっていた。それを即座にはっきりと環季君に伝えるのは心苦しくもあるけど。

「そっか、……告白してくれてありがとう。正直なんで僕のことをって不思議なんだけど、環季君みたいにかっこいい人に好きって言ってもらえて、嬉しい」
「うん」
「でも、ごめんなさい。付き合うことは出来ません。環季君なら、もっとお似合いの人がいるはずだから」

 環季君ほどの人に好かれているのは純粋に嬉しいし、誇らしくもある。でも僕にとって環季君は、恋愛的に好きな人じゃない。昨日拓真に話したように、憧れの環季君に並び立つのが僕なのも嫌だ。まさか本当に環季君を振る状況になるとは思っていなかったけど、ここは絶対に譲れないのだ。
 本気で僕を好きでいてくれたとしたら、僕の返答で環季君を傷つけてしまっただろうか。若干おこがましい気もする申し訳なさで環季君の表情を伺うと、彼は信じられないという様子で目を見開いて、唇を震わせていた。

「な、な……」
「な?」
「なんでえ~!?」
「ええ~!?」

 そしてそのまま、環季君から聞いたことのない叫び声である。思わず俺も叫び返してしまった。差し込む夕日と、人気のない階段にこだまするふたりの叫び。さっきまでゲームスチルだったこの場は、いまや日常ギャグアニメもびっくりのおまぬけ空間である。

「え、環季君ってそんなに大きな声出せたの」
「絶対食いつくところ違う!でもそんなところもかわいい……てか俺も普通の高校生だから大きな声くらい出せますけど!」
「しゃべり方もなんか変わってない!?」
「こっちが俺の素ですし~!」
「え~!?」

 ここにきて謎の暴露。そしてへなへなとしゃがみ込む環季君。その姿は僕が憧れるいつもの余裕綽々でかっこいい姿からはかけ離れている。そしてそのまま環季君は自分の膝に顔をうずめて、何かもごもごと声を発した。しかし何を言っているかは声がくぐもっていて聞き取れず、思わずなんて?と聞き返してしまう。すると環季君はがばっと勢いよく顔をあげて、僕の手をぎゅっと握りながら口を開いた。

「なんでだめなの、何がだめなの!?俺、実里の理想のキャラになれてたでしょ!?実里も絶対俺のこと好きになってたじゃん!」

 そして早口、からの号泣。僕は幼少期以来かなり久々に、人目を気にしない泣き方を見た。もう僕の理想ど真ん中の環季君像はガタガタに崩れていた。さすがに一途を極める僕も、これだけのキャラ崩壊には気持ちが冷め……ないところが自分でもすごいと思う。こんな姿を見た今でも普通に好き。
 ただ、何と言うか、気持ちが冷めたり失望したりとかは無いけど、少し環季君への気持ちに変化が生じている感覚はあった。それがどういうものなのか、目の前の環季君の姿に混乱する頭ではまだわからないけど。

「えーっと。ちょっと聞きたいんだけど、今までの環季君は作ったキャラだったってこと?」
「うう、そうですう。俺、実里の好みの男になりたくて、恥ずかしかったけど、あんな気障なキャラに頑張ってなったのに……」
「あ、あのキャラって恥ずかしいんだ~……」
「ううう、なのに、頑張ったのに、振るなんてあんまりじゃんかぁ」

 そう言ってまたぼたぼたと涙を流す環季君に、思わずどきどききゅん。きゅん……?今まで感じたことのないタイプの心の動き方に、むず痒い感覚になってしまう。
 
「なんか、改めてごめん……」
「ごめんって思うなら付き合って!」
「いやあ、」

 それもごめん。そう言おうとして、言葉に詰まる。なんとなく、さっきみたいにはっきりと断ることが出来ない。これは環季君が泣いているから申し訳なくて、とかいう感じじゃないと思う。僕はこういう場面で、下手に曖昧にする方が相手に失礼だと思うタイプだし。それじゃあなんで、と聞かれれば、その答えはきっと、さっきから覚えている違和感にある、気がする。

「あのさ、環季君はいつから僕のことを好きでいてくれたの?僕、ずっとそんなに目立つタイプじゃなかったと思うんだけど。環季君とも、そんなにたくさん話したことあるわけじゃないし」
「……中学時代に実里が、小さいころに好きになった人を今でもずっと好きでいる、って話をしていたのを聞いて、それから気になるようになった」
「いつだそれ」
「確か中2の時。俺ね、両親がお互いの容姿が好きで結婚したけど、年取ってからは好きなところが無くなったって言って離婚してさ。それ聞いてから、自分の容姿褒められても、いつかその気持ちが変わるんだって思うと、怖くなっちゃって」
「ああ、うん」

 そのしゃがみ込んで涙でぐちゃぐちゃの顔のまま語り始めるんだ……と思ったけど、もう軌道に乗ってしまったようなので何も言わないでおく。まあ、環季君ならどんな姿でもかっこいいし。

「でも実里はさ、時間が経って相手の容姿が変わったり自分の考えが変わったりしちゃっても、一度本気で好きになった人はずっと変わらず好きだって、教室で豪語してたじゃん」
「あ、ごめん待って。それ、僕の黒歴史エピソードを話してるわけじゃないよね?その話を教室で豪語してるとか、自分が痛すぎるんだけど」
「黒歴史?むしろ俺はかっこよすぎて、めちゃくちゃときめいたし」
「よくもまあ、そんな話で……」
「だって、ずっと好きでいる自信があるって、中学生で豪語できるのかっこよすぎるじゃん。実際に、幼少期からずっと好きなキャラとかが変わってないみたいだったし、すげえってなって」
「まあ、その点に関しては本当だからね。ちなみに今でもずっと好きだよ」
「知ってる。俺、ずっと実里のこと見てたもん。一度本気で好きになった相手にめちゃくちゃ一途ならさ、俺がその枠には入れれば、ずっと好きでいてもらえるじゃんって思って、実里が好きなタイプをめちゃくちゃ研究したし」
「それで、高校に入って、俺の好みど真ん中にキャラ変したと」

 そう、と頷く環季君を見て、僕は拓真の考えが非常に冴えていたのだと理解した。こんな突拍子もない話が当たってしまうとか、拓真ってば何者?と感心せざるを得ない。

「でもさあ、僕が自分で一途ですって豪語してたって、本当にこれからもずっと好きでいるかは分からないじゃん。いや、僕自身は一生好きでいる自信があるんだけど、傍から見たら中学生のそんな話、信ぴょう性が全くないじゃん。それでわざわざキャラを変えてまで僕に好かれようって思えるもの?しかも、僕に一生好かれたところで、意味なくない?」
「うーん。まあ誰がどう思おうと、両親の離婚で落ち込んでいた当時の俺には、信ぴょう性とか考える間もなく、実里の言葉が刺さった。それで実里のことが気になるようになって、目で追うようになって、気付いたら本気で実里自身を好きになってた。だから実里にも俺を本気で好きになってほしくなった。そういう単純な話」
「単純、か?」
「単純でしょ。ただ悩める中学生男子が、自分の理想的な人に出会って、その人に振り向いてもらおうとしたってだけの話だもん」

 確かに、それだけ聞けばいたってシンプルでかわいらしい、学生の恋愛話である。ただ環季君に関しては、僕を好きになってくれた時からおそらく3年ほどの年月を費やし、僕の好きなタイプを研究して、そのタイプまんまにキャラを作ってきているあたりで、話が全く単純じゃなくなっているのだ。おおよそ学生が惚れた腫れたで費やす時間と労力じゃない。僕は好きになった人をただ好きだ好きだと追いかけ眺めるだけだけど、環季君の場合は僕が気付かないうちに僕の好みを研究し、容姿や性格までごそっと僕好みに変えてきているのだ。目の前で顔を真っ赤にさせて、目を潤ませている、この男が。
 背筋がぞくりとした。本来の環季君が目の前にいるような性格の男だとしたら、僕の好みは正反対と言っても過言じゃない。そんな真逆のキャラを、高校に入学して1年半ほどずっと演じてきたのだ、この男は。ただ、僕に好かれるためだけに。そんなの、一途とか健気とか、そういう範囲を超えている。

「……まあ、結局実里の好みを演じても付き合ってもらえない上に、ここまで来て素がばれちゃったけど」
「……なんか、ごめん」
「謝んないで、また泣いちゃう。ていうか、本当になんでダメなの?実里、俺のことを好きになってくれてたじゃん。キラキラした目で見てくれてたじゃん」
「うん、環季君のことは好きだよ。ちゃんと一生好きでいるくらい、好き。でも、俺のこの好きは、恋愛的なのとは、その……」
「それも知ってたけどね。なにせずっと実里のことを研究してたから。特別枠って言っても、その人たちを全く恋愛対象に入れてないって知ってた。でも年が近くて毎日実際に会える相手なんて、今まではいなかったじゃん。だからイレギュラー的に、恋愛のスイッチも入らないかなって思ったんだけど、……そううまくはいかないか」
「うん……だから今後も、付き合うとか無しで、一方的に僕が眺めている感じでお願いしたいんですけど」
「それは嫌ですけど」
「え~……」

 この流れでまさか速攻否定されるとは思わず、呆けた声が出る。

「次のプラン立ててまた頑張るから、それからもう一回俺と付き合えないか考えてよ。何年か先になっちゃうかもしれないけど」
「そんな数年単位の計画、練らなくていいって。環季君ならもっと手っ取り早くサクッと良い人が見つかるって」
「実里が今俺と付き合ってくれたら、手っ取り早くサクッと終るんだけどね」
「う、それ、は」

 ……正直言うと、それがやぶさかじゃなくなってきているから、困る。自分の心変わりの早さに困る。さっきからじわじわ広がっていた違和感。これが何なのか、ここまできて分からないほど、僕は自分の気持ちに鈍感じゃない。
 好きになってきているのだ、環季君のことを。今までのような憧れや推しに対する好きじゃなく、本当に、恋愛的な、好き。流されやすいとか、ちょろすぎるとか、そんな風に言われても仕方ない。自分でもそう思う。つい数十分前まで、絶対に環季君が恋愛対象になることは無いと豪語していたんだから。
 でも言い訳するなら、さっきまでの気持ちは、キャラを作っていた時の環季君に対する気持ちなのだ。あれほど僕の憧れそのものでかっこいい人は、いわば雲の上の人のような感覚になってしまい、自分との恋愛なんてとても考えられなかった。
 一方で、キャラ崩壊した環季君はどうか。僕の一途な性格ゆえ、好きという気持ちは変わらないまま、それでも環季君の性格は僕にとってなじみやすくなった。相変わらずかっこいいとは思うけど、憧れやらなんやらというよりは、純粋に同級生に向けるこの人かっこいいな、という気持ち。
 とどのつまり、環季君がキャラ崩壊を起こしたおかげで、良くも悪くも環季君が僕にとって地に足つけて関係を作れる相手になってしまったのだ。なくならない好意という厄介な産物引っ提げて、天上人が地上にやってきた、そんな感覚。そしてそんな相手が、実は何年も僕のことが好きで、これから何年もかけて僕を口説く気でいるっていう、そんな話をしてきたら。そりゃあ容易に落ちる。とても僕には抗えない。
 環季君を特別好きだと思った時点で、ハンドクリームべたべたの僕はあっさり崖から落ちたけど、今は加えて崖下から強引に引っ張られている気分。重力で自然に落ちるというのに、そんな悠長に待てないと言わんばかりに、ぐいぐいとものすごい力で落下させられる。そう考えると、環季君は天上から地に足つけるどころか、地下深くに潜っていたようだ。

「……環季君」
「うん?」
「その、さ。さっきの今で?ってなると思うけど、……多分僕には今、環季君の泣き落としがだいぶ効いてる」
「っ!……それじゃあ!」
「でもね、環季君。申し訳ないんだけど、さすがにまだ僕の気持ちの整理がつかないんだよね。だからさあ、その」
「うん」
「2週間後の修学旅行初日の夜に、環季君を呼び出しても良いですか」
「……うっ」

 そこまで待ってもらえるだろうか、少し心配になりながら環季君の反応を伺い見ると、彼は急に胸のあたりを押さえて短く唸った。心臓発作でも起こしたのかというような反応に、別の意味で心配な気持ちが増す。

「だ、大丈夫?」
「ぜんっぜん大丈夫じゃないです。実里の火力が強すぎる」
「火力って……」
「うわあ、俺2週間も耐えられんのかな……耐えるしかないんだけどさあ」

 頭を抱える環季君を見ながら、改めて自分の変わり身の早さにじわじわと気恥ずかしさが募る。でも、僕が好きだと泣いてしまう姿がかわいいと思ってしまったし、僕のために人格まるっと変えちゃおうっていう重さに嬉しさを感じてしまったから、仕方ない。僕も大概重い側の人間なので、多分ちょうど良いって感じてしまったんだろう。

「それにしても、実里に泣き落としが効くとは……あそこで泣いといてよかったなあ」
「……ん?」

 そう話す環季君は、そういえばさっきまで号泣って感じだったのに、今はそんな面影なく、ケロッとしてる。あれ、泣いてたのって見間違いじゃないよね?と思わず目を疑う。

「た、環季くん……?まさかと思うけど、さっきまでの話、全部嘘だったってことは無いよね?泣いたのとか全部嘘ですってことは、……さすがに無いよね?」
「ええ?さすがに無いよ~。俺が実里に嘘つくわけないじゃん」

 環季君の力強い言葉に、安心する。あまりに泣いてた余韻がなさすぎて疑ってしまったけど、嘘じゃないのなら良かった。こんな簡単に手のひらを返して、挙句全部嘘で騙されてましたなんて、さすがにつらすぎる。

「まあ、実里の推しになってそのままうっかり付き合っちゃいましたパターンには持ち込めそうになかったから、ちょっと別のアプローチ方法も試してみようかなとは思ったけど」
「いやごりっごりに計算づくじゃん。僕ってば思いっきりはめられてるじゃん!」
「言い方が良くないけど、まあ否定はしないかも」

 にこりときれいに笑う環季君のその表情は、僕が推していた余裕綽々環季君でも、さっきまでの号泣わんこ系環季君でもなくて。いうなればそう、ブラック環季君だ、今目の前にいるのは。

「つまり僕は結局、わぶっ」

 環季君の手のひらで見事に踊らされたんじゃん。そう非難めいて言おうとした言葉は、急に環季君に抱きしめられたことで、環季君の胸に吸収されていってしまった。

「……ごめん、このくらいは許して」

 そう耳元でつぶやかれた声と、僕を抱きしめる腕が少し震えている。これはさすがに演技じゃないだろう。そう思うとじんわり心が温かくなって、まあブラック環季君に踊らされてたんだとしても良いか、と思った。そして僕も環季君の背にそっと腕を回す。その瞬間に、環季君の僕を抱きしめる力が強くなって、それにまた嬉しくなって。一応答えを濁している身分で、こんなに幸せを感じてよいのかと心配になるくらいだった。

「あ、そういえばさ、環季君が僕のことを好きになってくれたきっかけは何なの?気になり始めてくれた理由は聞いたけど」

 強く抱きしめられたまま、何とか顔をあげて、環季君の表情を見る。

「いや、それは……」

 するとさっきまで流ちょうに語っていた環季君が、少し言葉を詰まらせて。赤い夕日はもう沈んできているのに、耳まで真っ赤になっていて。きゅん、まさにそんな感じで胸が高鳴る。

「ねえ、なんで?」
「……中2の時、実里のことが気になってついつい目で追うようになってから、どんどん素直で優しくてかわいいなとは思い始めてて」
「う、うん」
「その時に、ほら、俺の手が乾燥しているからって俺にハンドクリーム塗ってくれたときがあってさ」
「うん……え、まさか、それでとか言わないよね」
「ちょろい自覚はあるんだよ!でもそれで落とされちゃったから仕方ないじゃん!」
「あ、あら~」

 まさかのここにきてのハンドクリーム。本当にハンドクリームで落とされている人間がいようとは。崖の上で手のひらベッタベタな僕が、してやったりと笑っている様子が嫌に鮮明に思い浮かぶ。

「あー、何というか。あざとい女の子とかに引っかからないように、気を付けてね」
「いや、ずっと気になっていた子にそれをされたから完全に好きになっちゃったっていうだけで、他の人にされてもなにも思わないから!」
「ほんとかなあ」

 ジトっとした視線を向けると、焦った様子でほんとほんと!と言い募る様子がかわいくて。
 やばい、もうこれめちゃくちゃ環季君が好きじゃん。まさにぞっこんじゃん、と我ながら驚くほど急速に環季君への気持ちが成長していた。だから本当はもうここで、環季君に交際オーケーと伝えても良いかと思ったのだが。もうちょっとこの付き合う前特有の、ドキドキした雰囲気を味わいたい気もする。だからやっぱり、あと2週間は待っていただこうと思う。