雪は好きだ。陽光を弾いて煌めき、その美しさで世界を飾り立ててくれる。
毎年冬になると、辺境伯領の草原は、一面の銀世界へと姿を変えた。
領地の境界にあるその場所は、人里から遠く離れている。雪景色を楽しむのに、打ってつけの場所だった。
「わあっ……とっても素敵な場所ねリアム」
新雪の絨毯を踏み、エフェメラルは感嘆の声を漏らした。
彼女は金色の髪を靡かせながら、喜色満面で後ろを振り返る。
リアムは、まるでエフェメラルの鏡写しのような顔で微笑んだ。
「姉さま、僕のマフラーをお使いください」
外套から覗く寒々しい首元に、リアムは手を伸ばした。
「そんなことをしたら、リアムが寒いでしょう?」
「いいから、ほら」
エフェメラルの頬と鼻先は、その極寒に赤らんでいた。リアムは彼女の白くて細い首に、そっとマフラーをかける。
姉を世話できるのは、弟の特権だ。
「これで温かいでしょう?」
「ありがとう。ふふ、リアムの香りがする」
「気に入りませんか?」
「いいえ好きよ」
──好きよ、か。
胸の奥で熱が燻って、全身がそそけ立つ。
感情のままに、リアムは口を開いた。
「今日も愛しています」
「まったく、あなたはいつもそれね。そんなことだから変な噂が立つのよ」
エフェメラルは、はぁ、とため息を漏らした。
──リアムは双子の姉を愛している。
巷では、そんな噂がまことしやかに囁かれていた。
そう咎められるたび、リアムは首を傾げた。
だって、それの何が問題なのだろう?
リアムは薄笑みを浮かべた。
「かまいません。僕には姉さまだけですから」
「わたしは違うわ。愛する婚約者がいるもの」
言下に、リアムから想いを拒否した。
三年前、エフェメラルと婚約者は婚約した。
ごくありふれた、政略的な婚約。けれど二人の関係は例外的だった。
必要以上に顔を合わせ、会えなければ手紙を送り合っていた。まるで、本物の恋人のように。
明日、結婚式を終えた二人は晴れて夫婦になる──はずだった。
「姉さまは、真実の愛を分かっていません」
リアムは噛み付くように言った。
「愛とは、憎しみを伴うものです。傷つくほどに想いは強くなる」
「……愛はもっと優しいものよ? 幸せで笑顔になるの。貴方も、愛するひとができたら解るわ」
「よくもそんな……姉様っ、僕の気持ちに気づいているはずです!」
「ねえ……リアム。わたしも貴方がとっても好きよ? でも、わたし達は姉弟。それ以上でも、それ以下でもないわ」
「そんなもの知りません! 姉さまは僕の──」
喉が張り裂けんばかりに声を張り上げた。
その沈痛な声が、静謐な白銀の空間に溶けてゆく。
リアムは、手元のマフラーに顔を埋めた。
「本当に……愛しているんです」
細声が、強風に攫われていった。
凍えた頬に、矢のような雪が打ち付ける。
顔を上げると、エフェメラルの姿は消えていた。
──こうするしかなかった。
リアムは跪き、湖の氷面の雪を手で払う。
そして氷に秘めた「それ」へと視線を向けた。
いつも薔薇色だった頬は、いまや魚の腹のように生白い。
長い金色の髪は凍りつき、乱れて絡まっているように見えた。
輝きを失った青瞳は、虚な眼差しを向けてくる。
それは──絶命したエフェメラルだった。
ひと月前、リアムは彼女を殺した。
結婚式の前日のこと。
リアムはこの雪原で求愛し、にべもなく拒絶された。
『姉弟だから』
逃げ惑いながら彼女はそう繰り返した。
リアムは首を傾げた。
そうだ、自分たちは双子の姉弟。ひとつの胎を分け合っていた仲だ。
それなのに、なぜ生まれた後は、ひとつに繋がることが許されないのだろう?
(こんなの不公平だ。たまたま一緒に生まれただけなのに……)
リアムは氷の上で拳を握りしめた。
固められた雪が、ぎゅっと音を立てさせる。
体温は徐々に奪われていった。
朦朧とする意識のなか、エフェメラルの笑顔を思い出す。
幸せな結婚生活をどれだけ夢に見ていたことだろう?
弟の自分には見せない深部を、夫には見せようとしていた?
考えを巡らせると、熱いものが腹の底から迫り上がってくる。エフェメラルが婚約してから、ただひたすらにそれを飲み下す毎日だった。
彼女を攫ってしまおうかと思った。
どこか遠くで、二人きりで暮らそうと。
けれど、あの執念深い婚約者だ。ヤツはきっと追いかけてくる。
殺してしまおうか?
だがそんなことをすれば嫌われてしまう。
そして生涯、エフェメラルは婚約者を想い続けることだろう。
仕方がなかったのだ。自分の物にならないのなら、相手に奪われてしまうくらいなら……消すしかない。
諦念が全身に重くのしかかってくる。
吹きつける雪が、微細な宝石のように輝く。
エフェメラルの上にそれが降り積もると、リアムは、ふと思い出した。
ウェディングドレスを試着して喜ぶ、エフェメラルの姿。
安っぽいドレスだった。
既製品の、彼女の美しさにそぐわないただの布切れである。
それに比べて、この白雪のドレスはどうだ。
これ以上の贈り物なんて、きっと無い。
リアムは、エフェメラルの輪郭を氷の上からなぞった。
温かな笑顔で、やさしい言葉を紡ぐ人だった。
その一つ一つを思い出すたび、胸の奥が冷えてゆく。
これでよかった。
これが愛のための最適解だった。
それなのに、エフェメラルを見ると涙が溢れ落ちるのは何故だろう。
だが解らなくていい──永遠に。
「姉さま、これからはずっと一緒です」
リアムは白い闇の中で、氷面を撫でた。
そしてエフェメラルに寄り添うように、その場で横たわる。
吹雪は強さを増しゆく。その極寒にリアムは微睡み、エフェメラルの言葉を思い出した。
『愛はもっと優しいものよ? 幸せで笑顔になるの』
リアムはその言葉を思い出し、雪影の中で微笑んだ。
◇◇◇
──春。雪解けした草原で、二人の遺体が発見された。
L.Sと刺繍されたマフラーが、現場に残されていたのだ。
それがリアム・スノーヴェルの物だと執事の証言で明らかになり、姉を探しに行った先で、遭難したものと断定された。
エフェメラルの遺体は、まるで蝋人形のように固まっていた。水死体とは思えないほどの、狂気的な美しさを誇っていた。
リアムの亡骸は膨れ上がっており、生前の美貌は見る影もない。
老年の執事は言った。
「坊ちゃまは……お嬢さまを何より愛しておられました」
──春。命の芽吹きが、冬の過去を忘れさせる。
薫風は湖畔の白い墓標を撫でて過ぎ去った。
彼らは今でも、静かにここに眠っている。
(了)



