「あなたが杭打ち様でございますね? お初にお目にかかります、私はシアン・フォン・エーデルライト様にお仕えする執事、サリア・メルケルスと申します」
「…………」
「そのご様子ですとすでに、ことのあらましはご存知かと思います……5年前、迷宮に潜られたお嬢様をモンスターどもの魔の手からお救いくださったこと、今さらではございますが厚く御礼申し上げます。本当に、その節はありがとうございました!!」
「……………………いえ」
 
 誠実に、忠義溢れる佇まいの執事サリアさんは、そう言って僕に頭を下げた。あまりに潔く勢いもいい感謝っぷりに、思わず小声ながら反応する。
 うん、良い人だ……僕相手にも躊躇なく頭を下げるところとか、シアン会長に何よりもの忠誠を誓っていそうなところとかすごく素敵。金髪を後ろに束ねて執事服で男装してるってのも、顔立ちの整い方から不思議と似合うしどこか、背徳的な魅力と色気を感じるよー。
 
 14度目の初恋の予感。するにはするけど、今はそれよりシアン会長への決死の提案に水を差されたことへのショックのほうが大きい。
 別に怒りはない、というかまごまごしてた僕のヘタレ方が悪いから、サリアさんに何か思うなんてお門違いもいいところだ。
 
 でもそれはそれ、やはり残念というか無念さは遺る。僕の青春は、トライする前に玉砕したのかー……
 後から仲良しなのがバレるとかならともかく、仲良くしたいってのを従者のいる前で言うのは、会長がお貴族様なのを踏まえるとリスクが高い。縁がなかった、そう思うしかないよー。
 
「……………………」
 
 うう、うう。でも、でもー。
 でも悔しいよー、僕いつもこんなんじゃん。何か伝えようとした矢先、オーランドくんだったりサリアさんだったりがすでにそこにいて、縁がないことを嫌でも突きつけられて、諦めて。
 その度に泣いて、落ち込んで、友達に慰められて。この3ヶ月ずーっとそんな感じだよー。
 
 もしかして僕の学園生活、ずーっとこんな感じなのかな。これからもたくさん恋をして、告白しようとするのにその度に障害に立ちはだかられて苦い諦めを抱くのかなぁ。
 いや、もしかしたら学園卒業以降もずっと、人生ずーっとこんな風に? ……地獄だよー。そんなの地獄だよー!
 
「……………………」
「……杭打ちさん」
「杭打ち様? どうされました?」
 
 一世一代と意気込んでも、こうしてちょっとでも邪魔が入るとすぐ諦める。どうしても身分の差を気にする僕は、ひたすらネガティブな想いに浸らざるを得ない。
 安寧にも似た自虐だけが、心の痛みともに僕を慰めてくれる。そんな僕をどこか心配がちに気にしてくるシアン会長とサリアさんの姿さえ、今の僕にとってはどうにもつらくて堪らなかった。
 
 そんな時だ。
 シアン会長が、僕に近寄ってきた。
 その瞳にはどこか、強い緊張と不安、そして決意の光が宿っている。
 
「杭打ちさん……私は、あなたとこれだけの縁で終わりたくありません」
「…………?」
「いえ終わらせません。絶対に繋げます……動かないでくださいね? えいっ!」
 
 少しばかりの掛け声とともに、言うやいなやシアン会長はとんでもない行動に出た。
 なんと僕の頭を胸元で包むように、抱きついてきたのだ!!
 
「!? っ!? え、あ!?」
「お……お嬢様っ! なんと大胆、ああいえもといもとい、なんとはしたない!」
 
 まったく予想だにしない行動。僕は今、何をされている?
 動かないでと言われて本当に動かないなんて柄にもないし、そのつもりもなかったのに動けなかった。完全に彼女の強い光を湛えた瞳に、心を奪われていて反応が遅れた。
 
 でもその結果、こうなったのは良かったのかもしれない……どころじゃない!
 すすす、すごいよー!? だ、だ、抱きしめられてる! 僕今、憧れのシアン会長に抱きしめられてるよー!!
 
 服越しに伝わるぬくもり、柔らかさが僕のすべてを包み込む。
 生まれてから、何度かされたことがある。抱擁……何かしら、優しい想いを込めて行う行為だ。それを今、シアン会長が僕にしてくれているんだ。
 
 ど、どうしよう。もう、何が何やら。悲しかったり嬉しかったり、情緒がグチャグチャだよー……!
 頭の中が大混乱。どうしようもなくなされるがまま、頭を包む素敵なぬくもりを思考停止状態でそれでも堪能していると、さらに追撃がしかけられた。
 なんと僕の耳元に、会長が囁いてきたのだ!
 
『────グンダリくん。今度の放課後、あなたに会いに行きます』
「……!!」
『私達の今後について、これからについて、お話しましょう……ちょうど学園には、お話しなければいけない方もいらっしゃいますからね』
「は、は、はひ……」
 
 ああああ耳に吐息がかかって幸せええええ!
 生まれてきてよかったよおおおお!
 
 熱く、どこか濡れた吐息が耳を撃つ。ああっなんて嬉しいこそばゆさ!
 そして何より今度の放課後、なんと会長が会いに来てくださるのだ! 縁が続く! まだチャンスがあるんだよー!?
 
 もはや何か、良すぎる夢を見ているに過ぎないんじゃないかな?
 思わずそう疑ってしまうほどに都合のいい成り行きに、僕はもう頭真っ白で呻く他ない。
 そんな姿を見て、シアン会長は楽しげに、嬉しげに笑みをこぼすのだった。
 
「ふふっ……! それではそろそろ行きますね。今日の、そして5年前は本当にありがとうございました! またお会いしましょう!」
「はっ! …………はいぃ」
「それではこれにて失礼いたします、杭打ち様。お嬢様、こちらへどうぞ」
 
 サリアさんの誘導を受け、会長が馬車に乗り去っていく。
 それでも車内からこちらに向け、手を振ってくるのを僕は──ひたすら呆然としたまま、ぼーっとその場に立ち尽くして見送っていった。
 
 そして馬車が見えなくなってから、夢現とばかりのふわーとした調子でスラムに赴き、孤児院に薬草を卸して依頼を達成したのでした。