私は息を飲んだ。
部長はなんて答えるだろう。
「そうですね、最初は仕事ぶりの真面目さが気に入っていたんですが」
一色部長は淀みなく続ける。
「そのうち、彼女の気さくな人柄に惹かれました。お互い酒好きで気も合いましたしね。私から告白してプロポーズしたんですよ」
彼の口からスラスラ出てくる大ボラ。
こ……この男!
模範解答を用意してやがった!!
たぶんこんな事態になることを予測してたんだ!
「あ、あとですね」
一色部長は目を細め、いかにも嬉しそうに笑って見せる。
「寝顔が可愛いんですよ、彼女」
「はっ!!??」
私は横で声をあげてしまった。
コノヤロウ!
何リップサービスしてんだ!!
「ひゃー、朝からご馳走さまだね!!お二人ともお幸せに~!!」
森部長が元の位置に逃げ帰り、オフィスに割れんばかりの拍手が満ちる。
そして、朝ミーティングは終わった。
私はげんなりとデスクに戻った。
みんなにおめでとうと声をかけられながら。
疲れた。
もう、一日分は仕事した。
「やだ~ウメさん、私知らなかった~!部長と付き合ってたなんて~!」
横から夢子ちゃんが顔を出してくる。
「ごめん、言えなくて。社内だったからずっと内緒にしてたんだ」
私は苦笑いを作る。
「やだもう!いつの間にですよ!恋が生まれてたなんて~!しかも一色部長みたいなイケメン捕まえてずるい~!」
えぇーい、夢子。
あんたが彼氏いるのに、総務の佐藤くんと非常階段でイチャこいてたの知ってんのよ。
しかも佐藤くんは新婚だっての!
「ここに入ってるんですね~」
夢子ちゃんは感慨深い声で言って、私のお腹をそっと触ってきた。
「うん……、夢子ちゃん、あんた何泣いてんのよ」
「あー、なんか感動しちゃいまして」
夢子ちゃんは涙ぐんでる。
あんたのその涙が、本物だってわかるから、私はあんたが好きなんだよね。
可愛い後輩だよ。
「ウメちゃん」
後ろから和泉さんが声をかけてきた。
「あらためまして、おめでと。これ、あげる」
「ありがとうございます。何ですか?」
「パンツ。妊婦パンツ」
私は周りに見えないように紙袋をそおっと覗く。
パッケージに入った二組の大きめパンツが見える。
「まだお腹は出てないと思うけど、つわりだし圧迫は苦しいでしょ?よかったら使って」
「和泉さん……すごく嬉しいです。ありがとうございます!」
そうなの!
ずっと圧迫がつわりを悪化させるようで、ダルっダルの使い古した綿パンツをはいてきたこの1ヶ月!
部長と同居で洗濯は一緒になるのに、こんなパンツ干すの恥ずかしいなぁと思ってたところだった。
やっぱり神様かも、和泉さんて。
「出産まで応援するからね!」
「私もします!!」
夢子ちゃんも横から言った。
なんだか、味方はいるみたい。
ちらりと一色部長の方を見ると、もう部長は外出するところだった。
何事も無かったみたいに。
助手席の窓を薄く開ける。
高速なので、結構な強風が車内に飛び込んでくる。
ぶぶぶぶぶ
と大きな風の音も。
「手ぇ出すなよ」
部長が風の音に負けないように声を張った。
「出しませんよ!」
子どもじゃあるまいし。
私も負けじと声を張った。
まだ、気持ち悪い時もあるし、窓を開けた方が気が楽なんだもん。
関越道は空いていて、スムーズだ。
この調子ならあと一時間半で到着ってところだろう。
私たちは私の実家に向かっている。
結婚のご挨拶のために。
そもそも、結婚したいと母に話した時点で両親は賛成だった。
「でね、赤ちゃんがいるんだ、お腹に」
言いづらいできちゃった婚報告なのに、母は明るい声で答える。
「あらっ、今は授かり婚ってのよ。Wハッピー婚とも言うんだって、この前テレビで見たわ」
「相手は会社の上司で部長なんだけど」
「ずいぶん年上?」
「まだ33歳」
「やだ!あんた優良物件捕まえたわねー。ちょっとトロいところがあるから心配してたのに、すごいじゃない~。ちょっと、お父さん聞いて~!」
……こんな調子。
うちの母、ちょっと天然で呑気なんだけど、還暦が近付いて磨きがかかってる。
「部長のご家族は、ホントに挨拶行かなくていいんですか?」
空気が入れ替わったので、窓を閉める。
私は車窓を眺めながら問う。
部長は私の両親への挨拶だけで、入籍すると言うのだ。
「いい。実家を仕切っている叔父には連絡した。うちの親父は20年も前に死んでるし、母親は今、体調が悪くて入院中だ。たぶん、式も叔父夫婦が来るだけになるだろう」
そんなものなのかな?
お母様、具合が悪いなら余計に挨拶に行った方がいいんじゃない?
部長だって一人息子なんだし。
でも、この件に関しては部長の口が重いので、私は特に何も言わないようにしていた。
車は高崎インターで高速を降り、実家の方向に向けてぐんぐん進む。
山沿いの少し高くなった土地に両親の住む家がある。
車を降りると、すぐに母が飛び出してきた。
「まーまー、よくいらっしゃいました。遠かったでしょう」
「初めまして、一色と申します。大泉で関越に乗って二時間ほどでした。それほど、かかりませんでしたよ」
部長はすでによそゆきの笑顔。
さすがですよ。
そのコミュニケーション力。
久しぶりの実家に入ると、居間で父が待っていた。
父はけして頑固親父ではない。
どっちかというと、母と同じくらい呑気者で穏やかな人だ。
でも、この対面の瞬間は緊張した。
ソファに座る父の表情が厳しかったから。
「一色褝と申します」
部長は丁寧に言い、床に膝をついた。
そして、なんと型通りに土下座したのだ。
「佐波さんと結婚させていただきたく、お許しを頂戴しに参りました」
私は仰天していたけど、すぐに部長の横に自分も膝をついた。
「結婚前に佐波さんを妊娠させてしまったことは、誠に申し訳なく思っております。
ですが、佐波さんを愛する気持ちに偽りはありません。どうかお許しくださいますようお願いします」
まー、相変わらずスラスラ出てきますね、部長。
私は呆れではなく感嘆を持って見守る。
すると、ソファから父が立ち上がった。
父は私たちの前にやってくると、同じように床に膝をついた。
そして、厳しい表情のまま言う。
「佐波は一人娘です」
お父さんも喜んでるってお母さんは言ってたけど……。
まさかお父さんは反対派だったの?
そんなの聞いてない!
私は内心慌てた。
でも、じっと成り行きを見守る。
少しの沈黙を挟んで、
父が再び口を開いた。
「結婚8年目でようやく授かった一人娘です。夫婦二人でやれることはやったつもりですが、いたらぬところの多い娘です。
一色さんの妻として見合うかは、わかりません。明るいだけが取り柄の子ですから。
でも、あなたさえよければ、もらってやってください。
幸せにしてやってください………佐波は……」
そこまで言って、父は嗚咽した。
目尻のシワをつたって大粒の涙がぽろんぽろんと落ちる。
「佐波は……私たちの宝なんです……」
父が、
厳しい表情をしていたのは、
泣くのを我慢してたからなんだ……。
「あらあら早いわよ、お父さんたら。泣くのは結婚式でしょ」
お母さんがお茶を運んできながら、呑気な声をあげる。
お父さんは泣き止まない。
顔を真っ赤にしてぽろんぽろん涙をこぼして。
……泣くの、初めて見たよ。
私の涙腺も緩みそうで危ないったら……。
ふと、横を見ると、一色部長が唇を噛み締め、俯いていた。
え?
うそ……でしょ?
その目に涙がいっぱいたまっているのを、
私は見てしまった。
「必ず、必ず幸せにします。佐波さんとお腹の子は」
部長は絞り出すように言った。
演技でも何でもなかった。
この人は、父の涙にもらい泣きしてしまったのだ。
ずっと、怖くて厳しい人だと思っていた。
優しくしてくれるのは、責任からだと思っていた。
でも、この人は、
一色褝という人は、
実はすごく感情豊かな、愛情深い人なのかもしれない。
気付くと私は、お腹を触っていた。
ねぇ、お腹のあんた、
あんたのパパはもしかして
すっごくいい人なのかもしれないね。