「部長……なんでか食べられます……」


「お!やったな!……実はおまえが点滴している間にネットで調べたんだ。
つわりの妊婦が食べられるもの。ナンバーワンがフライドポテトだったんだよ」


「はぁー?なんでこんな揚げ物が!?」


「現におまえは食えてるじゃないか」


確かにそうだ……。
信じられないけど、
食べられるし、この油っぽさが胃に心地よいのよ。

部長はさらに車を逆方向に走らせる。
池袋駅のロータリーまで来て、車を一時停車させた。


詳しく言わないけど、待ち合わせをしているらしい。

5分も経たない内に、私もよく知っている人が駅から出てきた。


副部長の和泉さんだ!!


和泉さんは部長の車に近付いてくると後部座席に乗り込んだ。


「お待たせ!」


「和泉さん、すいません。休日に」


「いいのよ。旦那と息子は朝から釣りに行っちゃって暇してたから。それより、ウメちゃん、大変だったね」


和泉さんは……私と部長のこと、
知ってるの??


部長が私が問う前に答えた。


「さっき、電話で話した」
「驚いたわよ!つわりの時に飲める水分を教えてほしいなんて。聞いたら、ウメちゃんのお腹にいるのは自分の子だとか言い出して」


「和泉さん……すみません。あの時、ちゃんと言えなくて……」


「いいの、いいの。社内恋愛だと言いづらいってもんよ。それより、これ!」


和泉さんが紙袋で手渡してきたのはタッパー。

中身は輪切りのレモンがぎっしり。
何かかかってる。


「ハチミツレモンですか?」


部長が運転しながら、チラ見して言う。


「そう!私の妹も水が飲めないくらいのつわりでね。ハチミツレモンをミネラルウォーターで割ったのだけが喉を通ったの。
作ってきたから、ウメちゃんも試してみて」


和泉さん……
あなたってもしかして、神様?


「ありがとうございます!飲んでみます!」


「和泉さん、助かりました。ネットで調べても、飲める水分ってのがまちまちで。家まで送ります。練馬区でしたよね」


「いいわよ。その辺で下ろしてくれたってバスで帰れるもん。それより、ウメちゃんを長時間連れ出しちゃダメでしょ」


和泉さんはしきりに遠慮したけど、私の体調も保ちそうだったし、休日に出てきてもらって申し訳ないので、おうちまでお送りした。
「本当にありがとうございました」


車を降りる和泉さんにあらためてお礼する私たち。


和泉さんがにこっと笑った。
少しふくよかな彼女が笑うと、丸い頬にくっきりえくぼが浮かぶ。


「なんだ、並ぶとお似合いじゃん。気付かなかったなぁ」


私は赤面した。
横を見ると、運転席の部長は渋い顔。
でも、その頬が赤いのは隠せないですよー。


その後、部長は私を送り、帰っていった。
引っ越しの準備を先にしとくって。
明日にはマンションの契約を終え、また来てくれるとのこと。


私はというと、その日からポテトとハチミツレモン水を主食に暮らした。
2、3日に1回点滴に通い、水曜日からは短縮勤務で会社に復帰。

吐き気は続いていたし、食事もまだろくに摂れなかったけれど、どうにかこうにか日々をこなす。

やがて、ポテト以外にゼリーやトマトジュースが口に運べるようになった頃、
妊娠3ヶ月が終わろうとしていた。







妊娠4ヶ月
(12~15週目)


胎児(15週末)
15cm
110g

子宮の大きさ
新生児の頭大






年が明け、3週目。
成人の日に私は引っ越しをした。


永らく独り暮らしをしていたアパートを引き払い、一色部長との新生活が始まる。

引っ越しに伴い、病院も新居に近いところに転院することに。
お世話になった病院には、先週の4ヶ月検診で挨拶した。


「うん、その方がいいですよ」


おじさん先生はあっさり頷いた。
いつも通りざくっとしてるなぁ。


「赤ちゃんも異常無く12週。元気な赤ちゃんを産んでね」


私は深々と頭を下げた。
このおじさん先生に一度は中絶をお願いするつもりだった。
それが、赤ちゃんの健康を願われて別れることになるとは。

あの助産師さんも出てきた。
検診に点滴にお世話になりました。


私は二人にお礼を言って病院を後にする。

人生は出会いと別れだわぁ。

清々しい気分。
何か新しいことが始まる感覚が嬉しかった。



引っ越しはつわりを理由に、梱包から不用品の廃棄まで全部おまかせのパックにした。

だって、ホントにまだつわりがあるんだもん。

部長の愛読書(に違いない)『プレママさんの読む本』によれば、4ヶ月になるとつわりは軽くなり……なんて書いてあるけど、
そうでもない。

まだ、立派に苦しいし、食事だってジャガイモ系か、トマト系か、レモン系しか摂れない。
病院からもらった軽い吐き気止めだって飲んでる。

まぁ、一時の地獄と比べれば軽くなったと言えるけどね。


昼には新居に荷物が入った。
トラックの助手席が揺れそうで嫌なので、私は電車で移動して待っていた。

何から何までやってくれる引っ越しパック。
私の荷物だって、そんなにない。
一色部長も私もやることがなく、ぼーっとキッチンにいるうちに引っ越し業者は去っていった。

整頓された新居に二人。

手持ち無沙汰感がハンパない。


「ちょっと早いけど、夕飯でも食いに行くかぁ」


部長が言ってくれて助かった!


「あ、じゃあちょっとハンカチ持ってきます」


外食の匂いはだいぶ気にならなくなったけど、鼻をふさぐハンカチは必須。

寝室にチェストがあったはず。
ハンカチはその中だ。
私は初めて、二人の寝室に入った。

そこで目にしたもの。


あ、ベッドが……、

ふたつある。


私はすごく拍子抜けした。


ダブルベッドを期待していたわけではない。
でも、やっぱ、
そうだよねー。
一緒に寝るわけないかー。


「おい、行くぞ、梅原」


部長が顔を出して呼んでいる。
私はコートを羽織り、ハンカチと財布をポケットに入れた。
微かな落胆は、無かったことにしよう。
近所のファミレスで向かい合った。
時間は17時過ぎだけど、店内はすでに家族連れで混み始めてる。


「部長、マンションの購入費用や家具、ありがとうございました。私も半分出します」


注文を終え、ドリンクバーを取ってくると、あらためて私は頭を下げた。
部長はコーヒーを一口飲んで言った。


「馬鹿にするな。俺だって一応、結婚資金くらい貯めてたんだ。充分賄えたから、気にするな」


「私だって貯めてましたよ」


「それは、式に使おう。あと、これから産休までのおまえの給料は全部貯めておけ。家計費は俺が渡す」


「え?でも」


「子どもが産まれれば、おまえの収入は当面無くなる。急にまとまった金が必要な時もあるだろう。予備費にしておけ」
部長……頼りになりますね、マジで。


友達の話。
結婚の時にお金の話をしておかなかったせいか、
二人で自由に使っちゃって貯金ができない。
……なんて言ってたっけ。


私の旦那さん、堅実でよかったなぁ~。

って、まだ旦那さんじゃないけど。


「今週末のご挨拶は、予定通り伺ってもいいんだよな?」


「あ、はい。うちの両親、張り切ってました」


今週の土曜日は遅くなったけど、群馬にいるうちの両親に結婚の挨拶に行く予定だ。
婚姻届を出すのも、式の日取り決めもそれからの話。


「何か好きなものはあるか?」


「えーっと、うちの父はゴルフが好きですけど」


「手土産の話だ、大馬鹿」


ナチュラルに怒られた……。
やっぱり、部長はちょっと怖いです。