これまでは呻くことができた。
でも、今はほとばしる絶叫を抑えきれない。


「うわああああああっ!!いたあああああいっ!!!」


最後の一音まで力の限り叫んでしまう。
私の豹変にたぶん部長はビビッている。それでも、私の手を離さないでいてくれる。


「あ、一色さん、開いてきましたよ。子宮口全開大」


銀縁先生が言う。
時田さんが、私の手を部長からもぎ取り、ささっと分娩台のレバーに移す。


「一色さん、次の陣痛の波がきたら、いきんでみましょう」


いきめ?
もう我慢しなくていいのね!?


「って、今更いきみ方なんて忘れちゃったよぉっ!!っててて、うわああああっ!!痛いっ!!痛いいいいいいいいっ!!!」


「口は閉じて、外に叫ぶエネルギーをいきみに変えましょう。お腹を覗き込んで、おしもを中心に力を入れます。合間は深く呼吸して、赤ちゃんに酸素を送ってあげますよ」


いっぺんに色々言わないで!
もう、パニック。
痛すぎて死ぬ死ぬ死ぬ死ぬーーーッ!!!

と考える間もないんでしたッ!
陣痛は1~2分間隔。
波が1分以上来るので、お休みはほぼない!


「一色さん!口閉じて!はい、うーーーん!」


「ふ、うーーーーーーーーーんっ!」


「はい、もう一回!」


「うーーーーーーーうああああっ!!痛いいいいっ!!」


「いいですよ。その調子」

痛くても死にそうでも、

私はもうどこにも逃げられない。


ポンちゃんを産み落とすまで。


この悪夢から逃れられない。


私は分娩台の上でいきみ続け、痛みで首をぶんぶん振りまくり、足をガンガン足台に振り下ろした。


陣痛の合間に束の間意識が遠退く。

それは不思議な感覚だった。
私はものすごく短く眠っているのだ。
夢も見ている。

それは、つわりで病院に連れてこられた時、見た夢と似ていた。

ゆらゆらする世界。
海の底。

オレンジ色の光。

あたたかくて心地よくて、その一瞬だけが天国のようだった。


すぐに鬼に身体を八つ裂きにされるような痛みで、現実に引き戻される。
私はいきんで、半分叫んで、また頭をぶんぶん振った。

時間にすれば1時間半くらいだったらしい。
でも、この時間の長さはその100倍くらいの体感を私に与えた。





「一色さん、頭が見えましたよ!」


日付が変わった頃だ。
時田さんが足下で言った。

その時分の私は時間の感覚もなくなり、ただ無限地獄と化したいきみをルーティンワークのようにこなしていた。


もう一人の助産師さんが銀縁先生を呼びに行く。


「もう一回いきみましょう。吸って、はい、うーーーーん!」



「うーーーーーーーーん!うああああっっ!!」


「もう少し長くいきんでみましょう。ご主人、こちらにきてくださっていいですよ」


部長が私のおしもの方に。
もう、恥ずかしいとかどうでもいい。

死ぬほど痛い。
っていうか死んじゃう。このままじゃ。

ん?
待って?
頭が見えたって言ってたよね。

頭が見えたなら、あと少しなんじゃなかろうか!!!
痛いのも苦しいのも終わりにできる!!
そうに違いない!!

私は最後の力を振り絞って、息を吸い込んだ。
凄まじい陣痛の波が来る。
それに合わせて全力でいきんだ。


何かが頭の奥で弾けた。


「一色さん、もういきまなくていいです!はっはっはっと短く呼吸して!」


私は指示された通りに夢中で呼吸する。
銀縁先生が入ってきた。
急いで、私のおしも側にまわる。


「赤ちゃん出ますよー」


その言葉とともに、ズルズルズルッと身体から何かが抜け落ちた。

え?
今のって?


「佐波!ポンが出たぞ!」


部長の声。
足の間に見えたのは、紫色の血まみれの……ポンちゃん?
でも、ポンちゃんは動いていない。
時田さんの腕にもたれて紫色のまま動かない。


「先生!!泣かないんですか!?」


私は必死に叫んだ。
ポンちゃんが泣かない。
産まれたての赤ちゃんは泣くんでしょう?
それにポンちゃんはいつまでも血の気がない!


「あ、大丈夫。羊水飲んじゃってるんですよ」


先生は言いながら、ポンちゃんの口にホースみたいなものを入れて、慣れた様子で羊水を吸引。

すると、ポンちゃんが顔をぎゅっと歪めた。
そして、



「おああああああっ」


ポンちゃんの産声が聞こえた。
紫だった肌は見る間に健康な肌色になる。

ポンちゃんが……産まれた。

へその緒をつけたままのポンちゃんが、時田さんの手により、私のお腹にどすんと乗せられた。


「可愛い女の子ですね。握手してあげてください」


私は泣くポンちゃんの手をぎゅっと握る。
次に部長も握る。

その時には、すでに部長の両目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。


私はポンちゃんを見つめる。

10ヶ月間ひとつの身体で過ごしてきた命が、今、ひとりの人間として目の前にいる。

ポンちゃんは想像してたよりずっとムッチリしていた。
4Dエコーで美人だと思ってたのに、お猿みたいな顔だ。
一重だし、お鼻もぺちゃんこ。

時田さん、言うほど可愛くないよ?

でも、不思議。
このブサ顔な泣き顔が、
世界で一番いとおしく思えるよ。


「会いたかったよ、ポンちゃん……」


私の目からも自然と涙がこぼれていた。


「よくきたね。ありがとう」


私の言葉に耐えきれず部長が嗚咽する。

ポンちゃんはいつの間にか泣き止んで、きょとんと私たちを見ていた。


それからポンちゃんのへその緒カットがあり、部長は号泣しながらその大役を務めた。
ポンちゃんは身体を拭いてもらったり、計測があってお隣の部屋に。
私は後産、つまり胎盤を産み出し、お産を終えた。

ポンちゃんが産まれた喜びと同時に、確かにある感情。

それは、

痛いのが終わった!!!

ってことだった。


正直、これほど痛くなければ、もっと感動的だったんじゃなかろうかと。
それほど衝撃的な痛みだった。
二人目は……しばらくいらない……。

そのくらいですわ。


すると足下で銀縁先生が言う。


「じゃ、縫いますからね~」


「はい?」


「会陰、切りましたから。縫っときます。融ける糸なんで抜糸はありませんからね」


え!?
いつの間に切ってたの?

そういえば、切りますよ~的なことを言われた気もする。
チクチクと確実に針を刺される感触がする。
はっきりいって痛い。


「あの、麻酔とかしないんですか?」


「してますよ。でも、お産の後で過敏になってますからね。痛くないとは言わないです」


うう、痛いの終わってなかった……。


まぎらわすためにも、頭上の画面にうつるポンちゃんの処置を見守る。

ポンちゃんは泣き止んで、ポケッととぼけた顔でメジャーを巻き付けられている。

「かわいいな」


部長は泣き腫らした目で、画面のポンちゃんを見守っている。


「想像以上にムチッとしてますけどね」


すると、計測室で看護師さんが声をあげた。


「体重3510グラムです!」


「おお、一色さんの体格だと大物だったねぇ」


銀縁先生が縫いながら、呑気に笑った。

うん、大きいと思ったよ。
だって、新生児ってもっとふにゃふにゃだよね。
ポンちゃんがっちりしてるもん。