「人工妊娠中絶は本院でも扱っています。母体保護法に基づいて処置します。妊娠22週までに処置しますが、早めをお勧めしています」
「早め……」
「22週ギリギリでは、人工的に陣痛をおこして胎内から出す形になりますからね」
まだ外で生きていけない赤ちゃんを
無理矢理身体から出す。
私がしようとしているのはそういうこと。
大丈夫、子どもじゃないんだからわかってる。
「じゃ、見てみましょう」
私は三度、嫌な内診台に座った。
私が不安そうな顔をしていたからか、
看護師さんがひとりこちら側についてくれた。
先生はいつもカーテンの向こうだし、ちょっと今日は心強い。
台が上がり、足が開いていく。
「見えた見えた。梅原さん、モニター見て」
私は天井にくっついたモニターを見る。
例の黒い画面が今日は動いている。
扇状に白くぼやけた画面の右サイドに歪な丸。
胎嚢ってやつだ。
そして中でチカチカ点滅しているあれは何?
「このチカチカ、何だと思います?」
先生がカーテンの向こうで言う。
「なんですか?」
「赤ちゃんの心臓です」
「え!?」
「今、ドプラーで音にしてあげますからね」
おじさん先生が何か作業をしたら、カーテンの向こうから音がし始めた。
ドッドッドッドッ。
思ったより速い。
「これが……」
「赤ちゃんの心音です。心拍が確認できましたね」
赤ちゃんの鼓動が聞こえる。
力強い音。
画面で星のように瞬く命の輝き。
生きてるんだ。
私の中で間違いなく、
生きようとしてるんだ。
「今、梅原さんの中で動き出したこの子の心臓はね、この子の人生が終わるその時まで動き続けるんだよ」
先生が言った。
その言葉で、私の両目から堰を切ったように涙が溢れだした。
生きてる、
この子は生きてる。
駄目だ。
私にはこの子は殺せない。
私の勝手でできたのに、
この子はきちんと自分の人生を生きようとしてる。
殺せないよ。
泣きじゃくる私に看護師さんがティッシュを渡してくれる。
後から考えれば、この人は助産師さんだったのだ。
「まだ、時間があるから、もう少し考えたら?」
私は頷いた。
頭の中でいつまでも赤ちゃんの心音が鳴り響いていた。
妊娠3ヶ月
(8~11週目)
胎児(11週末)
9cm
30g
子宮の大きさ
女子の握りこぶし大
もう、どうしたらいいかわかんない。
それが、私の感想。
どうしたらいいの?
産む?
産まない?
このお腹の生命を消すことは
もう考えられない。
あの瞬間、
力強い鼓動を聞いてしまってから、
そんな考えは消え失せてしまった。
堕胎って選択肢を選べなくなってしまった今、
私には産むという選択肢しか残っていない。
じゃあ、どうやって産むの?
どうやって育てるの?
それがわからない。
ひとつだけ、希望がある。
実家だ。
仕事を辞めて、実家に戻ろう。
そして、両親と私で、この子を育てる。
両親は怒り狂うかもしれない。
でも、私は一人っ子だし、最後には許してくれるんじゃなかろうか。
それとも、甘い考えかな。
お腹の子は来年の7月に産まれてくる。
もう予定日も出てる。
排卵日がズレたことと、私の心当たりが一回しかなかったことを総合して出た日にちは
7月18日(金)。
嘘みたい。
6月に私の誕生日がきて、7月にはママですわ。
どうするの?
ねぇ、私どうするの?
私は自問しながら、今日も会社に行く。
異常な眠気は続いている。
先週から夕方になると、胃が気持ち悪くなる。
これって妊娠のせいだよね。
12月がやってきていた。
そして、今日、一色褝が帰国する。
「今、帰ったぞー」
まるで自宅のように声をかけて、一色褝がオフィスに入ってきたのは、昼過ぎのことだった。
「ゼンくん、おみやげ!」
副部長の和泉さんが怒鳴るように言った。
「和泉さん、第一声がそれかよ。とりあえず、ハイお菓子」
「しけてるわねぇ」
オフィスにいたみんなが笑う。
私は笑えない。
うう、一色部長の顔見たらまた気持ち悪くなってきた。
和泉さんが引き続き声を張る。
「ゼンくん、帰国早々悪いけど、今夜飲み会だからよろしくね」
「え?なんの?」
「国治くんの送別会」
私は話を聞きながら、そうだったと思い出す。
今夜は飲み会。
体調的にはしんどい。
「えー?国治って、上のフロアに異動なだけだろ?」
「まー、それでも飲むわよ。社長がやろうって言ってんだから」
「自分が飲みたいだけだ、あのジジイ」
一色部長は悪態をつきながら、自らのデスクに戻る。
デスクに戻り際に、私のデスクでご丁寧に声をかけていく部長。
「おう、梅原、今夜飲み会らしいな。嬉しいだろ」
「部長……それが」
その時まで、私は一色部長にお腹の子のことを言うか決めていなかった。
覚悟も無かったし、あんなことがあったとしても、苦手な人に変わりはない。
それに、彼ほどイイ男にたった一回のエッチで「子どもができたの!」なんて。
どれほど下心がありそうに見えるか!
たとえ、それが本当のことだとしても。
でも、私は発作的に言った。
「今夜、飲み会前にお時間いただけませんか?みんなが居酒屋に行った後、ここで」
「?……今じゃダメなのか?」
「丸友の件関連で、まずいことが起こりまして。誰もいないところでお話すべきかと」
「今夜で間に合うんだな?」
「それは、……間に合います」
一色部長は怪訝そうに眉をひそめ、
それから頷いた。
私のいるフロアは、不動産担当グループのオフィスに、パーテーションで区切った社長ブースのみ。
なので、部内飲み会&社長参加という状況なら、オフィスは空になる。
絶好のチャンスなのだ。
誰もいないオフィスで、私と一色部長は対峙した。
「丸友の件ってのは、何だ?俺は昼からずっとヒヤヒヤしてるぞ。何をやらかした?」
先に切り出したのは部長だ。
私は俯いていた。
お腹を無意識に触る。
ここにいるあんた。
あんたの存在を父親である人に言わないのは不当だよね。
「赤ちゃんがいます」
どストレート。
他に色々考えたはずだった。
なのに、出てきた台詞がこれ……。
「赤ちゃん……」
一色部長が珍しく間抜けに見えるのは、意味がまるで通じていないからだろう。
彼はしばし、黙っていた。
やがて、目に生気が戻った。
頭の中で私の言った意味が符号したようだ。
「な、何ーッ!!!!」
絶叫に近かった。