「でも、万が一かぶったらとか………考えないんだろうなぁ。あの天然母……」
「俺はお義母さんののんびりしたところ好きだぞ。天然くらい許してやれ」
そういえば、うちの母からはしょっちゅう荷物やら電話やらがくるけど、
部長のお母様からは電話も手紙もこない。
部長はあまり話したがらないけど、もしかして病気が相当悪いのかな。
それとも、本当は私たちの結婚をよく思ってなかったりして。
どちらにしろ、孫が産まれるわけだから、どこかでお会いしたいんだけどな。
私はそんなことを考えつつ、入院バッグを作り終えた。
二、三足りない物は追々揃えるとして、ひとまずバッグを玄関横の物入れにしまう。
いざ、病院!となった時に持ち出しやすいようにね。
「はー、あとは出産を待つばかり!……ってあと2ヶ月以上ありますけどね」
「なんか、おまえ遠足前の小学生みたいだぞ」
「うーん、ワクワク度は近いかもしれないです」
同時に恐怖もひたひたと近付いてくる気がする。
あー、気分だけいよいよな感じ!
「ゴールデンウィークは、社長のゴルフに付き合ってくるけど、本当にいいのか?」
一息ついてお茶を飲んでいると、部長が確認するように言った。
私はどら焼をパクパク食べながら答える。
「いいですよー。二泊三日、社長に親孝行してきてください」
社長のゴルフツアーに付き合うのは部長の恒例行事。
ここ半年は、私の妊娠もあってお休みしてたみたい。
社長も、産まれたら余計誘いづらくなるし、いい機会だから行ってらっしゃいという話。
「私も美保子さんと買い物に行くし、ビクスも行くし。自分の時間も過ごしたいので、ご安心くださーい」
部長はまだ心配な顔。
実は私、部長が出かけている間にひとつやりたいことがあるんだ。
それは、
スタイの作成!
いわゆる、よだれ掛けね。
ママの手作りの品を身につける赤ちゃん。
す……素敵じゃない!?
でも、部長に見られたら絶対冷やかされるし、茶々入れられる。
だから言わない!!
こっそり作ったのをさりげなくポンちゃんに着けてあげるんだ!
『なんだ、可愛いスタイだな』
『実は私の手作りなんです』
『なに!すごいじゃないか。売ってる物と遜色ないぞ。佐波は何をやらせても上手だな』
というやり取りをするんだから……。
女子力とママ力アップ、そして夫婦は円満だぜ!
私は野望を胸に秘め、ふふふと笑った。
部長が変なやつを見る目で見ていた。
「では、よろしくお願いします」
産院の処置室で向かい合うのは私と、ツンツン助産師・時田さん。
今日は二回目の8ヶ月検診。
バースプランを決めることになっていた。
「あらためまして、バースプランはどんなお産がしたいかという要望書、計画書になります。当院の設備上、またお産の進行上、100%叶えられるものではないことはご了承ください」
事務的に言う時田さん。
はいはい、了解ですよ~。
私は書いてきたバースプランを時田さんに渡す。
私が書いてきたのは三つ。
普通分娩
立ち会い出産(夫)
カンガルーケア
「まずは、分娩は普通とのことですが、分娩台に乗るスタイルでよろしいですね。当院は和痛、無痛、フリースタイルは行っていないので、必然的にそうなるのですが」
「はい!普通に産みます」
私は元気よく答えた。
「ご主人は最初から最後まで立ち会われるんですね」
「その予定です。仕事中であれば、最初は少し遅れるかもしれませんが。……一部立ち会いってあるんですか?」
「たまに、ありますよ。ご主人様が血が苦手で、最後はご遠慮されるケース。妊婦さんのご意見で、苦しんでいるところは見られたくないので、いよいよまで呼ばないでくださいというケース」
「ははぁ」
私はうなずく。
部長は私が何を言おうと絶対、最初から最後までいるだろうな……。
「次はカンガルーケアですが」
「あ、はい。夫がやったほうがいいって」
カンガルーケアっていうのは、産まれたばかりの赤ちゃんが、ママの素肌にくっついて少しお休みするっていう素敵なイベント。
事故の報告もあるけれど、母子の最初の触れ合いとして推奨している産院はたくさんある。
「当院でも推奨しています。ただ、赤ちゃんの状態やママの状態によっては、できない場合がありますので、ご了承ください」
なるほど、あくまでポンちゃんも私も万全でないとできないことなのね。
「では、ここから細かい部分や追加したい要項を伺っていきます」
時田さんはボールペンをカチッと押し出し、私のバースプラン用紙に書き込む準備。
私はワクワクとうなずく。
「まずは陣痛促進剤ですが、状況によっては使用可能でよろしいでしょうか?」
「それは、赤ちゃんがなかなか産まれない場合ですよね」
「そうですね。長引く場合は母子の安全のため使いたいと思っています。極力無しで、どうしてもの時だけ使用ということもできます。その際は、一色さんご本人に確認もします」
あ、割と臨機応変に対応してくれるのね。
「じゃ、それで」
「会陰切開(えいんせっかい)についてはいかがですか」
「えいんせっかい?」
あ、知らない単語。
やっぱり私もエッグ倶楽部を熟読した方がいいのかな。
「会陰切開はあらかじめ膣の出口から肛門までの間をメスで切開し、赤ちゃんを出やすくすることを言います」
「えぇー!切るんですか!?」
思わぬ回答に私は叫んだ。
痛い想いをして産むのに、さらにそんなトコ切るなんて!!
「会陰部分は不随意筋といって、自分では動かすことができない筋です。ゆえに、鍛えたり伸び良くすることが難しいんです。裂けてしまうと、治りも悪く、感染症の危険もあるので、一応切開はお奨めします」
裂ける……。
はい、もっと怖い単語がでましたよ。
人体が凄まじい力でメリメリッと裂けるわけだ。
恐怖……。
「あの……、切らなくていいケースもあるんですか?」
「ありますよ。伸びの良い会陰であれば、切らなくて済みます。事前にオリーブオイルでマッサージする方もいるようです」
よ、よし!それ調べてみよう!
「じゃあ、これも『極力無しで、どうしてもの時だけ』って方向で」
「わかりました。ちなみに対応できることであれば、バースプランはご出産中でも変えられますので」
うぅー、怖い。
切りたくないなぁ。
あ、切るといえば……。
「あの、緊急帝王切開になる場合もあるんですよね」
「お産の進みによってはあり得ます。その際は一色さんとご主人にご説明し、了解を得てから処置になります」
「それってどんな時ですか?」
だって、心の準備をしておきたいじゃん?
出口を切るだけで怖い私が、突如ハラキリになったら……。
パニック必至だよ。
「お産がなかなか進まず、母体の衰弱が著しい場合や、胎児の心拍が下がってきて危険な場合は帝王切開にきりかえることがあります。
また、赤ちゃんは自分で回転しながら出てくるのですが、回転方向を間違える児頭回旋異常の場合も帝王切開になることがありますね。
その他にも胎盤の剥離や妊婦さんの血圧異常などありますが、すべては母子の救命のため行われることですので、ご理解いただきたいです」
胎盤の剥離。
この前、天池さんに聞いた時田さんの経験が蘇る。
そうだ、何が起こるかわからないのがお産。
痛いの、怖いの言ってる場合じゃない。
気を引き締め直さなきゃ!