「麻酔が安全なのはわかる。でも……もう少し考えてみてくれないか?おまえがどうしてもって言うなら、俺も考える」
部長との話はそれで終わってしまった。
私は悩んだ。
どうしよう。
安全に痛くなくポンちゃんと会えたら最高だけど、
母として味わえる痛みから逃げ出してる気もする。
正しい選択って何?
数日経っても結論は出ず、ある日の夜のレッスン。
今日は枝先生のヨガの日。
「先生、私も無痛分娩にすべきですかねぇ」
レッスン後に話しかけると枝先生が私の顔を覗き込んだ。
「一色さんは他院でしたね。無痛分娩が羨ましくなっちゃいましたか?」
「……なっちゃいました」
私は頷いた。
「でも、痛いのが怖いから……なんてただの甘えですよね」
枝先生がふふっと笑った。
「私は、妊娠出産に対する想いは女性の数だけあると思っています。そして、どの想いも無暗に否定したくありません。
いろんな考え方があっていいんだと思います。
痛いのが嫌な人、無痛を試してみたい人、高齢で体力的に安心なお産を選びたい人……。
逆に、とにかく自然に産みたい人もいます。助産院や自宅を出産場所に選ぶ人。医療介入は一切拒否なんて人もいます」
枝先生は続ける。
「一色さんのバースプランはどんなものか、考えてみてください。きっと、今の産院でもそんな話があると思います。
どう産みたいのか、どんな風に赤ちゃんと対面したいのか。
出産は出会いのセレモニーです。
でも気張らず、自由に考えていいと思いますよ」
「自由に……」
「ちなみに私は普通分娩で二人産んでます。痛くなかったとは言いませんけど」
え!
先生、お子さんいるの?
それでそんなにスレンダーって……。
私のお産かぁ。
主体的に考えてこなかったけど。
それは、私には産みたいように産む権利があるってことだよね。
ポンちゃん、どんなふうに産まれてきたい?
ママが決めてもいい?
「無痛に変えるの?」
帰り道の電車で美保子さんが聞いてきた。
彼女はにこやかで、私がどんな選択をしても、きっと笑顔は変わらないんだろうなぁと思った。
「今回は、普通分娩で産んでみようかな」
私は答えた。
「旦那サンもそれを望んでるし。……私も、『普通に平凡に』痛い想いして、この子をお迎えしたい」
思いもかけず授かった我が子、
だからこそ、普通に平凡に。
きっとそれが、私のためにもなる。
……気がする。
「でも、あんまり痛かったら、二人目は無痛にする!」
「それって良い案だわ」
美保子さんが美しく微笑んだ。
妊娠6ヶ月
(20~23週目)
胎児(23週末)
30cm
600g
子宮の大きさ
20センチ前後
「どうだい?順調かな?」
午前中のオフィス。
デスクの間を闊歩していた私は、声に向かって振り向いた。
「社長!」
私に声をかけてきたのは、我が社アプローズ(株)の社長、外丸了司(とまるりょうじ)その人だ。
50代後半で白髪の混じり始めた単髪に、スラリとした体躯。
見た目は紳士然としてるけど、瞳の奥のぎらっとする輝きは、さすが一国一城の主って感じ。
外丸社長が一代でこの会社を興したのは、まだほんの10年ちょっと前の話だ。
小さくとも頼りにされる広告代理店に成長させたのは彼の手腕に他ならない。
ちなみにうちの旦那様、一色褝大部長殿はこの会社の創業メンバー。
なんでも、インターンシップをしている大学3年の時に社長にスカウトされたらしい。
青田買いだね~。
「そろそろ、お腹がふくらんできたような気がするね」
社長は遠慮がちに、でも嬉しそうに私のお腹を見つめる。
部長いわく「親代わり」のこの人。
もしや、孫が産まれるような気分なのかな?
社長、独身だし。
「おかげさまで6ヶ月に入りました。お腹も少しだけ出てきましたよ!」
私が下っ腹をポコンと叩くと、社長が苦笑いした。
「こらこら……。でも、ホントに出てきたね。ウェストがきつそうだ」
「持ってるパンツの中で一番ゆるいのをはいたんですけど、パンパンですよね。近々、友人とマタニティウェアを買いに行く予定なんです」
社長が我がことのように微笑んだ。
「そうか、そうか。
ああ、そういえば佐波くん。今月末の出張は悪いね、ゼンを連れてってしまって」
「いえいえ、大丈夫です」
今月末は2週間の海外出張。
社長が部長を連れて、またしてもシンガポールだ。
「安定期ですし、私も体調がいいので、安心していってらしてください」
「何かあったらすぐゼンに連絡するんだよ。無理は禁物だからね」
社長、本当におじいちゃんみたいですよー。
お式の支度以外は、たぶん困ることなんか無いとは思うけど、ありがたい話。
さあて、本日もワーキング妊婦は仕事しますよ!
*****
その週末、私はマタニティビクスの後に、美保子さんとショッピングに出かけていた。
少しずつふくらみだしたお腹のために、
マタニティウェアを買ってやろうってやつよ。
『女子力』ならぬ『妊婦力』低めな私だけど、
今は美保子さんっていうブレーンがいるもんね!
雑誌で見た妊婦服のお店は、思ったよりお手ごろ価格。
デパートの売り場より安いかも。
「今まではネット通販で買ってたんだけど、やっぱりデニムは実際にはいて選びたくて」
美保子さんが言った。
「えー、美保子さんもデニムはくの?」
「はくわよ。私ってはかないイメージ?」
「うん、上品なワンピース着てるイメージ」
実際、美保子さん綺麗めお姉様雑誌から抜け出てきたようなスタイルしてるもん。
「ワンピース、確かによく着てるけど。
今までは普通のワンピース着てたの。でも、お腹がもっと大きくなったら、膝丈がミニ丈になっちゃう。
レギンスも買わなきゃだわ」
「いっそ、マタニティワンピース買っちゃうのは?授乳口付きの。私、授乳口付きのトップスも買う気で来てるよ」
もうひとつのブレーン、一色褝が『絶対いるらしいぞ!買ってこい!』って言ってたもんね。
ったく、どこ情報よ、それ。
「いいわね。話戻るけど、ここのデニムはラインが綺麗だって有名なの。佐波さんもはいてみたら」
「はくはく!私はマタニティデニム必須!」
ああ、女子同士のお買い物って楽しい~!
なんていうか、まず気楽?
部長と出かけても、待たせらんないからじっくり選べないんだよね!
こりゃ、ベビー服も美保子さんと見に来た方が良さそうだな。
私たちはがっさり買ってお店を出た。
私の買ったラインナップは
デニム
仕事用のパンツ×2
授乳口付きトップス×2
授乳口付きワンピース
レギンス×3
パンツ類はみんなお腹に綿素材のマチが付いていて、ウェストも調整可能。
トップスはチュニック型なら、今持ってる服で使えるものもあるから、これでしばらくは着まわしできる。
しかし、最近のマタニティウェアって可愛いよね。
私のイメージ、タートルネックにジャンパースカートだったよ。
古……。
授乳口付きなら産後も使えるし、割とお得な買い物だわ。