「ふーん、でも、それもご縁ってやつだわね」
母は何も気にしてない様子だ。
「私、知らなかった。お母さんたちが、8年も赤ちゃんできるの待ってたなんて」
「まあ、話さなくてもいいことかなって思っただけよ。不妊治療したわけじゃないし、私も仕事してたしね。でもお父さんは自分が年上だからって気にしてたなぁ」
父は母より6歳年上だ。
私と部長の年の差と対して変わらない。
母はカートにかごをセットし歩き出す。
「あんたが産まれたら、それまでの寂しさや不安は忘れちゃった。忙しくなったし、毎日が必死で。
私もお父さんもあんたから、たくさん幸せをもらったよ。だから、私は今、単純に嬉しいの」
私は横を歩く母を見つめる。
母が若々しく笑った。
「私の産んだ娘が、母親になろうとしてることが嬉しいの。佐波が子どもを授かる幸福を味わえるんだもん」
そんな風に思ってもらえてたなんて。
私はまたしても涙腺が緩むのを感じた。
目をごしごしこする。
子どもを授かる幸福。
誰にでも簡単にやってくるものじゃない。
心して挑もう。
たくさん愛してくれた両親のためにも。
父の涙にもらい泣きしてくれた彼のためにも。
帰宅すると、父と部長は外まで聞こえるような大音量で喋っていた。
そうとうハイピッチで飲んでいると思われます、このおっさん二人。
「褝くんは本当にいいやつだなぁ!」
「ありがとうございます!私もお義父さんのような方の息子になれて嬉しいです!」
「……あれは、夕飯まではもたないね」
母があきれたように言った。
私も頷く。
「疲れたでしょ、布団敷くから、お腹の赤ちゃんとちょっと休みな」
お言葉に甘え、休ませてもらう。
次に目覚めた時は深夜で、
私は体力の低下をあらためて感じたのだった。
私たちが入籍したのは翌週の金曜。
15週0日、大安だった。
妊娠5ヶ月
(16~19週目)
胎児(19週末)
24cm
240g
子宮の大きさ
成人の頭大
5ヶ月に入って、最初の休日、
私は部長と二人で水天宮にお参りに来ていた。
帯祝い
というやつ。
5ヶ月になったら、腹帯をつけてお腹をガードするのが、日本古来のしきたりらしい。
戌の日にその腹帯を祈祷してもらう……というのが帯祝い。
そんなわけで、有名スポット水天宮にやってきました。
部長の発案なのは言うまでもない。
戌の日は激混みと聞くので、避けてきたけれど、休日なので結構人はいる。
ぽけーっと神社を見上げていると、
早くも石段でつまづきそうになる私。
「うめは……じゃなかった、佐波、危ないぞ」
部長が私の左腕をがしっとつかんだ。
彼は今、私を名前で呼ぶ練習中だ。
1月の末に私たちは入籍した。
戸籍上、私は一色佐波になったわけ。
会社では当面、梅原のままでいく予定。
みんなウメちゃんって呼ぶしね。
部長は律儀に呼び方を変えてるんだけど、まだ慣れないみたい。
私も「ひとえさん」とか「ゼンさん」って呼ぶべきなんだけど、つい「部長」って呼んじゃう。
まあ、いいか。
結婚しても上司であることに代わりはないし。
お詣りし、祈祷してもらった腹帯を受けとる。
ピンク色の安産祈願のお守りは、なんだか嬉しくなるものだった。
区役所で母子手帳と赤ちゃんがいますマークをもらった時みたい。
私はワクワクと母子手帳ケースにお守りを挟む。
「よし、じゃあ、腹帯を買いに行くか」
水天宮の階段を降りながら、部長が言う。
「今、もらったじゃないですか」
私は長方形の包みを見せる。
「それは、さらしだろ。毎日巻くのは大変だから、神棚にでも飾っとけ。普段使いできる簡単な物が売ってるんだ」
「でも、まだお腹も出てないですよ」
私は自分の下腹をさする。
つわりで激ヤセした時と比べると少しだけ丸くなったような気はするけど、
まだ妊婦っぽくない。
電車で席を譲られることだってない。
「いずれ、ポコンと出てくるだろ。用意して、今日もらった護符の方を縫い付けておけ」
部長は言って、どんどんメトロの入り口に歩いていく。
もう、慣れましたけどね。
部長の用意周到でまめまめしい性格。
私たちは新宿の百貨店に立ち寄り、ベビーコーナーに向かった。
妊娠して初めてやってきたこのコーナー。
白くてふわふわで、
気分が高まるなぁ~。
お腹の子に呼びかける。
「そのうち、あんたのお洋服買いに来てあげるからね」
「性別がわかったらな」
部長が冷静に口を挟んだ。
予定通り面ファスナーで留めるタイプの腹帯を購入。
私たちはお昼にとレストランフロアへ向かった。
今日のお昼ごはんは回転寿司!!
5ヶ月目に入り、最高に嬉しいこと。
それは、ごはんが食べられるようになったこと!!
つわりはほぼ無くなり、お肉もお魚も野菜も何でも食べられるようになった。
中でもハッピーなのは、白米やパンを美味しく思えるようになったことだ。
ずーっと、じゃがいも以外の炭水化物が摂れなかったあの日々って何!?
ああ、お寿司、
幸せ~!!
「部長~、生マグロですよ~」
「食え食え」
「塩水ウニだって~」
「好きなもんを食え」
「でも1貫で600円です~」
「ケチらず、食いたいもんを食え!腹の子の栄養にしろ!」
はい!
では、お言葉に甘えまして!!
パクパクお寿司を食べながら、部長と話すことは結婚式のこと。
マタニティウェディングだし、もう5ヶ月で時間もない。
今考えているのは、身内だけの挙式と会社の人だけを招いた披露パーティー。
私も部長もあまりこだわりがないので、ホテルのプランナーさんにほぼおまかせしている。
まー、それでも決めることは山ほどあるんだけどね。
「次の水曜の打ち合わせ、俺は荒木不動産の接待飲みで行けない。すまんな」
「あー、大丈夫です。ドレスとか、会場のお花の話とかがメインみたいなんで、私だけで足りますよ。手配り分の招待状が月曜には家に届くってプランナーさんから連絡がありました」
「了解。式とパーティーは日を分けるって社長には話してないよな」
「私からはまだです。社長はどちらも参加ですもんね」
「俺から言っておく。招待状配りは来週中に手分けしてやろう」
「わかりました」
こうして事務的な話をしてると、
仕事感が抜けない……。
結婚式の相談をしてるのに、
ちっとも夫婦の会話っぽくないよ。
部長はお寿司を食べ終わり、お茶を啜りながら言う。
「来週の金曜は午前半休とったからな」
「金曜?」
「5ヶ月検診だろうが!おまえが忘れてどうする、アホ妊婦!」
「あぁ~、そういえば……」
お腹の赤ちゃんと会える貴重な機会を忘れていました……。
「ごめん、ポンちゃん、忘れてたよ」
「ポンちゃん?」
私がお腹をさすって言うと、部長が変な顔で聞き返す。
「あ、お腹の赤ちゃんのニックネームです。赤ちゃんじゃ、なんか他人行儀じゃないですか?」
「……ネーミングセンスがひどすぎる!俺の子があわれだ!改名を要求する!」
「じゃあ、何か考えてくださいよっ!」
「待ってろ、我が子よ。今、流麗な名をつけてやる!」
「流麗じゃなくていいですよ!どうせ、お腹にいる間だけなんだから」
こんなやりとりは、
ちょっと夫婦っぽいかな?
結局、部長は考えすぎてニックネームを思い付かず、ポンちゃんが正式採用となった。
可愛くていいじゃんねぇ、ポンちゃん。
まだ動きもしない、いるのかわからないポンちゃんは、たぶん15センチくらいの大きさになってるはず。