カラダ探し~第ニ夜~

「美雪、勉強はしているのか?」


「うん……」


「そうか、それなら良い」


お父さんはいつもそう言うだけ。


私は、家から近かったから、今の学校を選んだけど、真冬は進学校に通っている。


お父さんは、私の判断が気に入らなかったらしく、真冬にはそんな事を一切言わない。


お母さんと真冬は仲が良くて、私はその会話に入る事もできなかった。


「ご馳走さま」


自分の食器を洗うのは私だけ。


洗うのを忘れたら、翌日の夕食には汚れた食器で食事を出されるから。


こんな家庭で育ったから、人との付き合い方も分からないんだと思っていた。


洗い物を終えると、私はすぐにお風呂に入らなければならない。


そうじゃないと、誰も呼びに来てくれないから、湯船のお湯を流されてしまうのだ。


家にいたくないから、私はいつもひとりで学校に残っていた。


食事の時間までに帰れば、それでいいのだから。


お風呂から上がって部屋に戻った私は、携帯電話がピカピカと光っている事に気付いた。


今まで、一度も見た事がなかったその不思議な光に、私の胸は高鳴って、慌てて携帯電話に駆け寄り、それを開く。






メールが来てる……。






私のメールアドレスを知っているのは、家族の他には伊勢しかいない。


なんか……胸がドキドキする。


受信メールを開くだけなのに、どうして手が震えるのだろう。


携帯電話の画面、メールのアイコンを選択して、その中身を見ると……。








『伊勢高広』







その文字に、私はうれしくなってベッドに横になり、脚をバタつかせた。


メールの内容は『大丈夫か?』という短いものだったけど、何よりも、家族以外の誰かからメールが来たという事がうれしかった。


「なんだか……友達みたいじゃない、これ」


友達……私にはそんな人はいないと思っていた。


作れないと思っていたのに、こうしてメールをくれる人がいる。


伊勢から来たメールに、どんな返信をしようかといろいろ考えているうちに、結局何も返信せずに眠ってしまった。









 「赤い人」と「カラダ探し」。








私の携帯電話の電話帳に、家族以外の名前が登録された事がうれしくて、忘れていたけど……。






その本当の恐怖をこの時はまだ、私は知らなかった。
ベッドの上で、枕を抱くようにして眠っていた私の耳に、携帯電話のアラーム音が聞こえてくる。


いつも置いている場所に手を伸ばすけれど、そこには何もなく、どうやらベッドの下に落ちているようだ。


「ん……なんでベッドの下に……」


まだ眠い目をこすりながら、ベッドから身体を起こして床に脚を下ろした。


そういえば、昨日は携帯電話持ったまま眠ったんだよね。


伊勢に、なんて返信して良いか分からずに。


「学校で……謝らなきゃね。心配してくれたんだもん」


床に落ちていた携帯電話を拾い上げて、私は洗面所に向かった。


洗顔して、歯磨きして、また部屋に戻って学校に行く準備をする。


いつもは、何も考えずにしているこの動作も、今日は少し楽しみだ。


今日も、「赤い人」を見てしまったらどうしようという不安はあるけれど、ひとりでいなきゃいいだけだし、それができなくても校外で時間を潰せばいいから。


まだ少し怖いけど、学校に行って伊勢と話をする事を考えると、それが楽しみでもある。


なんだか、今日は良い事がありそうだ。


そんな事を考えながら私は制服に着替えた。
準備を終えて家を出た私は、いつものように通学路を歩く。


誰と待ち合わせるわけでもない。ひとりだけで、通り過ぎる同じ制服に身を包んだ生徒達を見ながら。


でも、今日は少しだけ違う。


頭の中にモヤがかかったような感覚があって、なんだかスッキリしない。


それに、やけに携帯電話が気になる。


友達だったら「おはよう」とか、メールしたりするのかな?


学校に行けば会えるから、そんな事はしないのかな?


昨日は、伊勢の名前が登録されたから、うれしくて舞い上がっていたけど、冷静になって考えると私と伊勢は友達って言っていいの?


分からない事だらけで、メールを送っていいのかどうかも迷ってしまう。


「はぁ……何考えてるんだろ、私……」


別に彼氏ができたわけじゃないんだし、友達かどうかも分からないクラスメイトと、アドレス交換をしただけなのに。


気付けば、私の10メートルくらい前を歩いているのもクラスメイトのひとりだし。


あれは……浦西翔太?


近所に住んでいるけど、話した事もないから、私より少しだけ頭が良いという事以外はよく分からない。


伊勢とも、そんな関係なのかな?


でも、もしも伊勢が私を友達だと思ってなくても、私にはひとりだけ友達がいるから構わない。





私の昔からの友達……森崎明日香。







でも、なんだか違和感がある。


あれ? 伊勢が探してたのって、明日香じゃなかったっけ?


その違和感が何か分からないまま、私は学校に向かった。








「おはよう」


「あ、おはよう」


校門付近で合流した生徒達が、あいさつを交わしている中、私は玄関へと歩いていた。


皆、楽しそうな表情で、この学校生活を送っているんだろうな。


私に声をかけてくれる人なんていないし、声をかけたところで、誰もあいさつを返してくれないから。


トボトボと、道の端を歩いていた時にそれは起こった。


ポンッと、私の頭に軽い衝撃が走ったのだ。


慌てて振り返った私の目に映ったのは、不機嫌そうに私の頭に手を置き、立っている伊勢の姿だった。


「おいおい、昨日『カラダ探し』の事を教えてやるって言っただろ? なんでメール、よこさねぇんだよ」


怒っているのか、いつも通りなのか、にらんでいるような眼差しを私に向けている。


「ご、ごめん……なんて返信したらいいか分からなくて……友達とメールした事ないから」


と、友達って言っちゃった!


「友達じゃねぇだろ?」とか言われたらどうしよう……。


きっと、今の私の顔は、真っ赤になっているに違いない。


今すぐここから逃げ出したい!


「なんだよ、お前、俺の他に友達がいねぇのかよ?」


……今、伊勢は友達って言ってくれたの?


なんだかうれしいな。
「い、伊勢君だけじゃないけどね。明日香だって友達だもん。幼稚園の時からずっとね。でも、昨日探してたのって明日香だよね? 見つかったの?」


そう答えて、ぎこちない笑顔を、伊勢に向けてみたけど……。


当の伊勢は、その言葉に驚いている様子で、目を見開いたまま私を見つめていた。


この時の伊勢の表情の意味を、私はすぐに理解する事になる。


私の言葉で様子がおかしくなった伊勢と一緒に、いつもと変わらず、つまらない教室に入る。


私が入っても誰も気にする様子もなく、雑談を続けるクラスメイト達。


一応、室内を見渡すと……。


窓際の一番後ろの席。


そこに、いつもと同じように座っている明日香の姿がある。


「ほら、伊勢君。自分の席に明日香がいるじゃない」


明日香を指差して、背後にいる伊勢を見た私は、その表情に……胸が苦しくなった。






憂いを帯びた瞳で、涙が溢れるのを我慢しているような悲しそうな顔。





もしかして、伊勢は明日香が好きなのかな。


だから昨日、私を校門の外まで送ってくれた後に、明日香を探しに学校に戻ったんだ。


「相島……お前、明日香とは幼稚園からの友達だって言ったよな?」


「え? う、うん……」


伊勢らしくもない。


私にそう尋ねた声が、今にも泣き出しそうな程に震えている。







「やっと見つけたってのに……こんなのあるかよ」








声に出して、抑え切れなくなったのだろう。


その目から、一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちる。


いつもの光景なのに……私には、伊勢がどうして泣いているのか分からなかった。


伊勢の涙……それは、私が見てはいけないような気がして、思わず視線をそらす。


このまま、ここに立っていても気まずいだけ。


私は、伊勢には悪いと思いながら教室の中を移動し、自分の席に荷物を置いた。


振り向いて見ると、伊勢はまだ入り口に立ったまま。


私の席は明日香の二つ前の席で、そっちの方にしか伊勢の視線は向いていない。


やっぱり……明日香と伊勢は付き合っていて、喧嘩でもしたから昨日、探してたんだね。


椅子に座り、制服のポケットから携帯電話を取り出して、メールの受信ボックスを開いて、私はそこにある文字を見つめた。


『大丈夫か?』


伊勢が大丈夫じゃないじゃん……。


それなのに私の事を心配するなんて、何を考えてるんだろう。


乱暴者なのに……優しいんだね。


『伊勢君の方こそ、大丈夫ですか?』


初めて友達に送るメール。


緊張しながら、私は送信ボタンを押した。


その少し後に、入り口の方から激しいメタル系の音楽が流れる。


ちょっと驚いて、伊勢に視線を移した時だった。


目の前に……涙を流して立っている明日香が私を見て、ゆっくりと口を開いたのだ。






「ごめんね……美雪、私の……」






明日香が私にそこまで言った時、入り口にいた伊勢が突然こっちに向かって走り出した。


何? 明日香は何を言おうとしているの?


涙を流して……私が好きな、笑顔を浮かべて。


「明日香! ふざけんなよ!!」


そう叫んだ伊勢が明日香の腕をつかみ、それを引き寄せて……。


クラスメイトが見てる前だというのに、明日香を抱き締めたのだ。








「お前がどこにいても探してやるって言っただろ! だから、俺に頼め!! 俺が探してやる!」








何、これ……。


私の目の前で、いったい何が起こっているの?


明日香の身体を抱き締めて、涙を流している伊勢。


それに、俺に頼め?


何がなんだか分からないけど……私が友達に送った初めてのメールが無視されたみたいで……悲しかった。


伊勢は、明日香が何を言おうとしているかを知っているの?


どうして……私の目の前で明日香を抱き締めてるの?


何も理解できない私と、すべてを理解しているかのような伊勢。


そんな私達に、明日香は呟いた。







「ごめんね……高広、美雪。私のカラダを探して」






私達が明日香に「カラダを探して」と言われた時、伊勢の行動に驚いた人は、クラスメイトの中にもほとんどいなかった。
今日、通学路で私の前を歩いていた浦西翔太。


伊勢が明日香を抱き締めた時に、キャーキャー騒いでいた柊 留美子。


そして私の3人が反応しただけで、他の人は不思議と無反応。


教室の中で男子が女子に抱き付いたら、普通なら騒ぎ立てないはずがない。


授業中も気になって伊勢の方を向いてみるけど、その伊勢は、ずっと明日香の方を向いている。





「カラダを探して……かぁ」


伊勢に送ったメールを何度も見ながら、やっぱり送信するべきじゃなかったと、私は後悔していた。


あれだけ激しい音楽が流れたのに、私のメールに気付いてくれていない。


それに、明日香も悪い冗談を言うよね。


これじゃあ、まるで「カラダ探し」を頼まれたみたいじゃない。








……あれ?


もしかして、昨日、伊勢が明日香を探していたのは、それが理由なのかな?


明日香が「赤い人」を見て、振り返ってしまって……。


実際に、私は昨日「赤い人」を見た。


もしも、噂話がすべて本当の事だとすると、明日香はすでに殺されていて、私は「カラダ探し」を頼まれた。


そう考えると、すべての事がつながる。


頭の中のモヤはまだ晴れないけど、伊勢のさっきの言葉を聞く限りでは、そう思えてならなかった。