あまい檻−キミ、飼育中。−










たった一本だけの桜の下で、お弁当を広げた。





夜の空に、薄桃色の花はよく映える。



丘の上からは、たくさんの桜も見渡せた。


……意外と、ここは穴場かも。




「夜桜デートだね。」


「散歩っ!」


すかさず否定しても、ジンは表情一つ変えず、おにぎりを頬張っていた。






そんなジンの顔を見つめながら、私は思う。




ジンと一緒にいると、居心地がいい。


私は、その居心地の良さに甘えてしまう。




………じゃあ、何でこんなに居心地がいいんだろう?







それは、私とジンの間に一定の距離感があるからだ。




決して踏み込もうとはしない領域。









お弁当を食べ終わった頃、私はジンに尋ねた。





「……どうして何も聞かないの?」



私の言葉に、ジンは首を傾げる。





「桜助の事にしても……例えば、私が高校生の分際で、あんな高級マンションに一人で住んでた事とか。」




ジンは黙って聞いていた。




それから、少し考えてから、口を開いた。











「うーん、聞く必要がないからかな。」


「え?」




優しい瞳で、ジンが微笑む。



「言いたくなったら、ツバサちゃんから話してくれるでしょ?」


「…………。」


「それに、ツバサちゃんも俺のこと聞かねぇじゃん?何も聞かないで拾ってくれたでしょ。
だから、俺はご主人サマに尽くしますヨ?」







何、ソレ。




そんな……何もかも包み込んでくれるようなこと言うな。






ジンの目を見れなかった。



……泣いてしまいたかった。でも、泣いてなんかやらない。








「でも、一つだけ、お願いかな…。」


「え?」


「俺はイイ大人だけど、けっこうガキだったみたいだ。
ペットよりオトコ、なんてなったら犬じゃなくてオオカミになろっかなぁ。」


「……はっ!?」


「閉じ込めて襲うのも悪くない。」




ニコリと笑って言ったジン。






……こ、殺し文句…。





「は、発情、的な?」


「かもね。」


「!!!??」




……私の心臓、ウルサイ。



そのうち、ショック死とかしたらどうしよう。











そんな私を知ってか、知らずか、ジンは私の膝の上にゴロリと横になった。



………いわゆる、膝枕状態。





「なっ!?ちょっと!ジン!!」


「いいじゃん。犬なんだから。それとも、オオカミがお好み?」


「バカじゃないの!?」






完全に、ジンのペースだ。



あぁ。もう。







けれど、そこはイカれた愛犬家。



気づけば、ジンの髪を撫でている私がいた。



瞳を閉じている綺麗なジンの顔。


……美しさは、桜とイイ勝負になりそう。









「そういえば、この間言ってたよね、ツバサちゃん。」


「ん?」


「“シャンプーしてあげる”って。」


「……え!?」


「楽しみだなぁ。」


「…………。」










……さて、甘い生活に閉じ込められたのはジン?



…………それとも、私だったのでしょうか……?




























・『発情期!?』・






















それは、夕食の準備をしていて私がキッチンに立っている時だった。




ちなみに、ジンはお風呂に入っていて……。







その日は、ジンが放棄していた部屋やベランダの掃除をしてくれて、
私はデザートにプリンをつけてやろうか、なんて思っていた。





……思っていたのだが。
















「ツバサちゃーん!」


「なに?もう、ちゃんと髪乾かしたの?」




そう言って、振り返った私は絶句する。


たぶん、ハトが豆鉄砲をくらったような顔をしていたかもしれない……。





ジンは、腰にタオルを巻いただけ……上半身裸。



「なっ!!?」


「ツバサちゃん!シャンプーは!?ずっとお風呂で待ってたのにー。」






……シャンプーって……まだ言ってたのか…。






「と、とにかく、さっさと服着てよ!!」


「なぁに今さら恥ずかしがってんの〜?初めて見る身体じゃないのに。」


「別に!恥ずかしがってなんか!!?」




濡れたままの髪に、濡れたままの身体………。


肌から滴り落ちる雫……。


スタイル良いのに、筋肉質な……細マッチョ?




……って、私!何考えて!!








ハッとした。

ジンの身体をじっと見つめていた自分に。



“変態”と言われても、返す言葉もない…。






「ツバサちゃん、拭いてー。」


「…ったく、手がかかるんだから。」





私は変態的思考に蓋をした。












バスタオルを持ってくると、ジンの髪を拭く。


ジンは大人しく、されるがまま。








ふいに、ジンの肌に指先が触れた。



瞬間、私はさっと身を引いた。


それは、まるで指先から電流が走ったような感覚で。




ジンの肌は熱く、私は指先が痺れているような錯覚さえ起こす。




「どうしたの?ツバサちゃん。」



ジンは、そう言って私を見つめる。






その綺麗な瞳に、私は身動きも出来なくなった。




……一体、どうしたって言うんだろう。


まるで、可笑しくなってしまったみたいだ。







「ツバサちゃん?」


「ッ!!」




私は、ジンの頭からタオルを被せた。


「え??」


「自分で拭いてよねっ!!」





その場から逃げ出すように立ち上がり、私はキッチンへ戻る。



……イカれてるどころの話じゃない!






ジンに見つめられながら、私は一瞬とんでもないことを思ったのだ。



そして、あと1秒でも遅ければ、そうしていたかもしれない。






顔が熱い。耳が熱い。



胸の内が、嵐の夜のように騒めく。







プリンのことは、忘れていた。

















その夜は、どういう訳か、深夜になっても眠れなかった。




ベッドに潜り込んでから数時間……。


静かな夜に、時計の針の音が響く。








……眠れない理由、本当は分かっていた。




捨てたはずの“変態的思考”が、悶々と駆け抜ける。



すぅーっと雫が流れ落ちるジンの背中、指先の熱が頭から離れない。







溜め息を零し、寝返りを打った。




その時だった。







部屋の扉をコンコンと叩く、
扉が開き、ジンが顔を覗かせた。









「…ツバサちゃん、一緒に寝てもいい?」


「………いいよ。」






慌てることもなく、ごく自然に呟いた自分に呆れてしまう。










ジンがベッドの中に入る。


布団をかけてやりながら、私は思い出していた。





いつだったか、ネットで見た『犬の飼い方』。




“発情という体の変化はメス犬だけ。”、
“オス犬に発情期はない。”、
“発情期中のメスの匂いを嗅ぎ分けて発情する。”








「あったかい。」




暗闇の中で、ジンが呟く。




明かりは窓からカーテン越しに差し込む月明かりだけ。


今夜は、満月だ。















私とジンは向き合って横になっていた。





私は瞳を閉じて、もう考えないようにした。




……昔から面倒くさがりなのだ。


考えている途中で面倒くさくなって、結局「ま、いっか。」で解決してしまう。




それが長所なのか、短所なのかは、よく分からないけど……今は助かったと思う。








「ねぇ、ジン?」


「ん?」




私は少し躊躇って、口を開いた。






「抱きついてもいい?」


「……いいよ。」






私は瞳を閉じたまま、腕を伸ばした。



ジンは、まるで抱き上げるようにして、私を抱きしめた。


ジンの首に絡めた腕。





「ツバサちゃん、折れちゃいそう。」


「…何ソレ。」







ぎゅっと抱きしめられて、二人の身体に境目がなくなってしまったみたいだ。



ジンの鼓動を胸いっぱいに感じる。







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