それは、空を見上げて微笑む男の横顔で。
黒目がちな瞳、美形……というより綺麗とさえ思ってしまう顔立ち。
透けたシャツ、その向こうの素肌。
スタイルが良くて細いのに、筋肉質な………って!!
何考えてんの!?私!?
これじゃ、まるで変態みたいじゃん!!?
私の視線に気づいた男と目が合う。
男は、そのまま私に笑顔を向けた。
愛嬌いっぱいの笑顔、えくぼ。
私は目を逸らす。
胸の奥がぎゅっとなった気がした。
「さっきまで、星が見えていたのに。」
「えっ?」
男はまた空を見上げて、それから微笑む。
「忙しすぎて気づかなかった。東京でも星は見えるんですね。」
「そ、うですね。」
うまく言葉にならない、
私はどういう訳か酷く動揺していた。
これ以上、ここにいたらイケナイ。
「……じゃあ…私、お先に失礼します。」
それだけ言って私は軽く会釈をすると、再び雨の中へ飛び込んだ。
走りだそうとした、その時だった。
背後で、バタンッ、と音がしたのだ。
振り返る、
男が倒れていた。
………な……ん…。
「あの……!ちょ、だ、大丈夫……?」
嘘でしょう!?気絶?い、意識は!?意識あるよね!?
もう頭の中はパニックで……。
そうだ、救急車!、
そう気づくまでに時間がかかってしまった。
カバンの中を漁り、携帯電話を探していると男が何かを言った。
それは、雨音にかき消されて、うまく聞こえない。
焦る私は、男の口元に耳を近づける。
「ねぇ!?何て言ったの!?ねぇっ!!」
不安で押し潰されてしまいそう…………。
そんな私に、男はぽつりと呟いた。
「……腹減った…………。」
………。
………………。
………………………。
「はぁーーーー!!???」
私の大きな声は、春の夜の中に響き渡った…………。
・『ゴミ屋敷』・
「困っている人に手を差し伸べられない人間は、犬に喰われて死んじまえ。」
これは、私が13歳の時に交通事故で亡くなったママの教え。
私は、それを忠実に守っている。
ピカピカで清潔な、無駄に広いだけのエントランス。
滴り落ちる雨雫。
私は、男の腕を自分の肩に回して、支えながらエレベーターまで歩いた。
まるで高級ホテルのような56階建てのマンション、私はその51階の部屋に一人で住んでいる。
エレベーターに乗り込んで、扉が閉まる。
浮遊感の後で、小さな箱は上昇していった。
このエレベーターは、外の景色が見える造りになっている。
窓の向こう、地上の明かりは次第に遠くなり、吸い込まれそうな濃紺の空へと近づいていく。
雨が冷たい都会の街を濡らしていた。
自分よりも大きな男を支えながら、私は溜め息を零す。
一体、何をやってるんだろう……。
こんなモノを拾ってくるなんて……いくら、何でも、どうかしてたとしか言いようがない。
「…腹…減った……。」
力なく、男は呟く。
名前も知らない、どしゃ降りの雨の中で裸足の男。
……普通じゃない…。
面倒な事はゴメンだった。
けれど、それでも、この男を連れてきてしまった。
その理由が、自分でもさっぱり分からないのだった。
エレベーターが51階へ到着して、私はもたつきながら降りる。
そうして、自分の部屋の前まで辿り着いて、なんとか鍵を開けた。
雪崩のように、玄関に倒れ込む。
男は小さな呻き声をあげた。
私は電気をつける。
そこで、やっと一息ついた。
一人で住むには広すぎる2LDKの部屋、家賃109万円の高級マンション。
私は靴を脱ぐと、ドタバタと部屋に入る。
その足音で、男はむくりと起き上がった。
「とりあえず、いま沸かすんで、お風呂入ってください。風邪ひかれて、責任だの、何だのってなると面倒なんで。」
振り返ってそう言うと、男は呆然として部屋の中を見渡していた。
「……ここ、君の部屋?」
「えぇ、そうですけど。」
私の答えに、男は驚いたようだった。
「……女の子の、部屋だよね?」
それまで何を不思議がっているのか分からなかった私も、その言葉で察しがついた。
まぁ、確かに……私の部屋を一言で表現するなら“ゴミ屋敷”。
これ程ピッタリな言葉はないと、自分でも思っている。
テーブルがあった、ソファーがあった、と思われる(たぶん…)場所に衣類の山。
下着も含めたそれに、すっかり埋もれている。
床は足の踏み場もなく、マンガや雑誌。
私の足元には、なぜそこにあるのか自分でも分からなくなったフライパンが転がっている。
そんな部屋の中で座り込んだままの男は、目を点にしていた。
その視線の先に、ベランダ。
スペースが広く、開放的なデッキテラスのような造り。
だが、高級で広い部屋も、洒落たベランダも、生かすも殺すも自分次第なわけで…………。
ベランダは、カップラーメンやコンビニ弁当の容器、ペットボトルなどなど有りとあらゆるゴミの森となっている。
ゴミ捨てという習慣が面倒な私は、「ま、いっか。」という魔法の言葉を使って日常で出るゴミをベランダに投げる生活をしていた。
だから、ゴミを投げる時以外、ベランダに向かう窓は開けない。
激しく異臭がするからだ。(こんな主人公でゴメンよ…。)
未だに固まったままの男。
「……少し散らかってるけど、気にしないで。」
私は、そう口を開きながら、“少し”どころじゃねぇな、と自ら心の内で突っ込んでいた。