「あ〜分かった!!」
桜助はニヤリと笑みを浮かべて、私を見つめる。
「俺と別れてさ、寂しくて犬飼ったんだろ?」
「はっ?」
モテる男の自惚れ……自信?
明るい桜助の調子のイイ言葉なんて、いつもの事だった。
私だって慣れていた。
バカじゃないの?、なんて笑い飛ばしていたくらいだ。
けれど、どういう訳か、今は酷く耳障りに感じる。
「……翼、やり直さない?」
桜助が笑顔でサラリと言った言葉に、歩美は眉をひそめる。
……そう。桜助は、こーゆーヤツなのだ。
よく言えば、真っすぐ・純粋。
悪く言えば、KY・無神経。
それでも、底抜けに明るくて大らかな………THE正統派イケメンの桜助は、男女問わず周囲から好かれている。
「俺、やっぱ翼がいい。」
「……イヤ。」
「…なんで?」
「面倒くさいから。私は…ジンがいれば、それでいい。」
私はそう告げると、歩美に一言「帰るね。」と言って、桜助に背を向けた。
その背中に向かって、桜助はまるで独り言のように呟いた。
「すっかり愛犬家じゃん。」
私は一度立ち止まったものの、何も言わず教室を出た。
廊下を歩きながら、桜助の言葉が頭の中に浮かんでは消える。
― 「すっかり愛犬家じゃん。」
…これは嫌味だったのだろうか?
………なんか…ムカつく。
ペットに愛情を注いで何が悪いの!?
心のずっとずっと奥深くが、チクチクと痛む。
まるで、トゲが刺さっているみたいに。
………早く、ウチに帰ろう。
そうしたら、思いっきりジンを抱きしめよう。
渇きを潤す癒し、
私は今、堪らなく欲している。
けれど、
家路を急ぐ私は知らなかった。
あの後。
私が教室を出た直後。
「諦めたら?翼の性格から言って、脈ないでしょ?
ただでさえ、ワンちゃんに夢中なんだから。」
言い聞かせるように、そう言った歩美。
桜助は立ち尽くしたまま、口を開いた。
「……ワンちゃん、ねぇ。」
その言葉の意味を、歩美も、そして私も、
知る術はなかったのだ。
・『番犬 VS 元カレ』・
今夜の夕食は、明太子スパゲッティにした。
バターをクリーム状にして明太子と混ぜる。
スパゲッティには、たっぷり塩を入れて茹でたあと、明太子バターを混ぜ合わせて、きざみ海苔をかけて完成だ。
食べる時にスダチもかければ、いいアクセントになるはず。
キッチンに立つ私の横で、ジンは暇なのか料理をする私を眺めていた。
「美味そう!」
「…ちょっと。座って待っててくれない?横にいると気になるから。」
「え〜。」
「…じゃあ、手伝って。」
「え〜。」
……じゃあ、何がしたいんだよ!お前はっ!!
バターと明太子を混ぜていると、ジンは屈んで覗き込むようにした。
「イイ匂い♪」
「…………。」
横から、そうしているジンの顔が近くて、私はドキッとしてしまう。
途端に息苦しくなって、また胸の奥がきゅーっと縮んでいく気がした。
インターホンが鳴ったのはその時で、私は現実に引き戻される。
「お客さん?」
ジンは顔を上げて、呟いた。
私は、モニター付きインターホンを手に取る。
この部屋を訪ねてくる人間なんて限られている………たぶん、あの人だ。
けれど、訪問者は私が想像していた人物ではなかった。
モニターに映る人物を見て、私は絶句する。
………桜助だ。
『翼、開けて。』
桜助は、当たり前のように、そう言った。
何……なの…。
付き合っていた頃、何度か桜助はここに来たことがある。
まだ、この部屋がゴミ屋敷だった頃の話だ。
頭の中が真っ白になっている私。
「ツバサちゃん?」
何も知らないジンの声に、ハッとする。
私は、動揺しながらも口を開いた。
『無理!ペットいるから。』
『何言ってんだよ。俺、別に犬嫌いじゃねぇし。』
『いや、だから……。』
『別にいいじゃん。男がいるわけじゃねぇんだし。』
………最悪だ。
私はインターホンを置くと、首を傾げているジンを見つめた。
………仕方ないか。
ジンの手を引いて、私は自分の部屋の扉を開けた。
「え?なになに??」
「ちょっと隠れてて。」
「え?」
「ペットが人間のオスだなんて、さすがに色々マズいでしょ!?」
ジンを部屋に押しやると、私は扉を閉めた。
「ぜったいに開けちゃダメだからね!」、と言って。
……まったく、桜助は一体何しに来たんだ!?
玄関の扉を開けると、不機嫌な私とは対照的に笑顔の桜助がそこにいた。
「お邪魔しま〜す。」
「ちょっ!勝手に入らないでよっ!!」
「いいじゃん!いいじゃん!」
桜助は何の躊躇いもなく、ズカズカと中へ入っていく。
「うわぁっ!マジでゴミ屋敷じゃねぇ!片付いてんじゃん!」
……まったく勝手な男だ。
桜助の背中を見つめて、私は心の底からそう思う。
制服のままの桜助はソファーにカバンを投げ出すと、部屋の中を見渡した。
「あれ?ペットは?」
「……知らない人はダメっていうか……あっ!噛み付くことあって危ないから。別の部屋に。」
「そうなの?……でも、全然匂いしないんだな。」
「え?」
「昔、俺も家の中で犬飼ってたけど、けっこうするんだよ。獣臭っていうの?」
……ッ面倒くさい。
「ウチの子は綺麗なの。金には困らないから、その辺の犬とは訳が違う。」
「おぉー、さっすが“翼サマ”。」
………嘘をつくのって、すごく疲れる。
でも、桜助と話してると余計に疲れる。
“翼サマ”、か。
触れられたくないことの一つや二つ、誰にだってあるんだ。
必要のない他人の詮索や好奇心ほど鬱陶しいものはない、と私は思っている。
「……一体、何の用?」
「んー?」
「桜助!」
声を荒げた私を、桜助はじっと見つめた。
「あのコと別れるから。やり直してほしい。」
「バカじゃないの。」
「…悪かったと思ってるよ。
でも、翼ってあんまり束縛とか嫉妬とかしないからさ。大人っていうか。
正直、浮気くらい笑い飛ばしてくれんのかなって思ったところもある。」
「…………。」
「勝手なのは分かってる。だけど、俺は翼がいい。その気持ちに嘘はないよ。」
「帰って。」
そう言い放って背を向けた私を、桜助は抱きしめた。
「ッ放して!」
「ヤダ。」
強い力に、抗うこともできない。
「もう、傷つけたりしないから。ちゃんと翼だけを見てる。信じてほしい。」
熱っぽい声、桜助の言葉が耳元で響く。
「もうイヤなんだよ!!愛とか、恋とか!!面倒くさいんだよっ!!」
ジタバタと足掻いても、男の力には適わない。
桜助は強い眼差しで私を見つめると、そのまま唇を塞ごうとした。
ッキスされる!!