すれ違うサラリーマンやカップルの痛い視線…………穴があったら入りたい……。
ジンの髪はくせっ毛で柔らかい、それは本物の犬を連想させた。
……自分の心臓の音が聞こえてしまうんじゃないか…。
この格好いい上に可愛いペットを、
どうやら私は気に入ってしまったらしい……。
マンションのエントランス、エレベーターに乗ってからも、ジンは私を降ろそうとはしなかった。
少しずつ空へと近づくエレベーターの中で、ジンは言った。
「今夜は星が綺麗だねぇ。」
「…………。」
ジンが見上げている空を、私も見上げた。
出会った時に、ジンは言ったっけ。
― 「東京でも星は見えるんですね。」
私も、知らなかったんだよ。
空を見上げることなんて、なかったから。
東京でも、星は見えるんだね。
「ジン…。」
「ん?」
「……目閉じて?」
……ジンは言われるがまま、瞳を閉じた。
私は覚悟を決めて…………。
その瞼にキスを落とした。
目を開けたジンに、
「……ご褒美のチュー…。」
と、俯いて言ったのは照れ隠しで。
それでも、ジンがふっと微笑んだのが分かった。
「じゃあ、次は口だな。」
「はっ!!?…“ダメ!”、“いけない!”、“No!”」
「え??」
微熱に浮かされているみたい。
ドキドキが止まらなくて……。
エレベーターという密室の中で、私は早く扉が開いてくれる事を願わずにはいられなかった…………。
・『とろりと、甘い生活』・
「ただいまー。」
学校から帰ってくると、私はそう言うようになっていた。
「おかえりー!」
ジンは、走って玄関までやって来る。
「ツバサちゃ〜ん!」
「…………。」
ぎゅうっと抱きしめられると、自分の心が縮んでいくような気がした。
ジンの大きな身体は、すっぽりと私の身体を包んでしまう。
ご主人サマが帰宅すると、玄関までしっぽを振って駆けてくる愛犬。
「…ジン、苦しいって。」
「会いたかったよ!」
ジンはそう言うと、私の額や頬にキスをしまくる。
「ちょっ!コラッ!」
抵抗する私を、簡単に捕まえて逃がしてはくれない。
この大型犬の愛情表現は、まさに犬並み………。
「っいい加減にしないと、デザートにプリンは無しだよっ!!」
そう言うと、ジンはシュンと肩を落とした。
「…ゴメン。」
「宜しい。」
私は、ジンの髪をクシャクシャに撫でまわす。
この広い部屋の中で、私が帰ってくるのを1日中待っていた私のペット。
「ツバサちゃん、部屋の掃除しておいたよ。」
「うん。」
「あと、洗濯も。」
「うん。」
なんて利口なペットだろう。
たくさんホメてあげなくちゃ。
…………ん?
「洗濯も?」
「うん。ツバサちゃんは脱いだら、その辺にポイッでしょ。だから。」
ニコニコと微笑むジン………。
コイツ、まさか。
私は急いでリビングへ向かった。
そこには、綺麗に畳まれた洗濯物が置いてある。
ジャージ、ジャージ、ジャージ…………一番上にブラジャー…。
固まる私の後ろで、ジンは口を開いた。
「ピンク可愛いね。」
……洗ったのか?下着まで洗ったのか?
…………洗ったんだな…。
「ジンーーっ!!」
「え?なんで怒ってるの??」
「私の洗濯物には、もう触らなくていいっ!!」
一応、こんな私でも花の女子高生………。
ペットと言えど男(オス?)に下着を洗われ、丁寧に畳まれる恥ずかしさ………。
「ホメてくれないの?」
「…………。」
「ツバサちゃーん!」
「…………。」
無言を貫く私。
怒っている、というか…恥ずかしくて、そうしていたのだがジンは怒っていると思ったのだろう。
大きな背中を丸めて座り込むと、あからさまに拗ね始めた。
その様子が、もう何なの!?、っていうくらい可愛い。
下着を洗濯された事なんて、すっかりどうでもよくなってしまう。
「…ジン、おいで。」
私がそう言うと、ジンはチラリと振り返る。
「ほら、怒ってないから。」
「…………。」
「ジンーー。」
両手を広げて名前を呼ぶと、ジンは嬉しそうに駆け寄ってきた。
私の目には、完全に犬にしか見えない。
ぎゅっと抱きしめていると、酷く落ちついた。
躾も大切。
でも、やっぱりついつい甘やかしてしまう。
イカれてるなぁ、なんて自分で思った。
人間のペットに、どっぷりハマってしまった私はイカれてる。
「今日は何食べたい?」
抱きしめながら、尋ねた。
ジンは私を見つめて少し考えてから、
「ハンバーグ!」
と言った。
私は、思わず笑ってしまう。
ジンのスキな食べ物は、“子供のスキな食べ物ランキング・BEST10”に入っていそうな物ばかり。
そして、その答えは、私にとっては100点だ。
可愛い、可愛すぎる!このペット!
私の心は、またしてもキューッと縮んでいく。
「ハンバーグね。了解!」
私はそう言うと、もう一度ジンの髪をクシャクシャに撫でまわす。
触り心地のいい髪だと思った。
ジンの存在は、日に日に大きくなっていく。
ベタベタに甘やかしてしまいたい、とか。
鎖でも付けて繋いでおこうか、とか。
そんな事を思う私は、やっぱりどこか可笑しいのかもしれない。
頭のネジが1本飛んでった?
ゴミ屋敷に住んでいた自分が、
「面倒くさい」が口癖の自分が、
今ではジンの為に毎日料理をしている。
私自身、信じられない変化。