「ねぇ、そういえばさ。」
「んー?」
「愛犬クンは未だ行方不明中?」
「…まぁね。」
私は、空を眺めた。
東京でも星は見える。
東京にも、青い空はある。
「いつ帰ってきてもいいように、部屋を綺麗なまま維持するのは大変。」
「洗濯やら、掃除やら、でしょ?」
「うん、うん。」
「オトコでもないのにねぇ〜。
よく、そこまで努力するよ。」
歩美は呆れぎみに、呟いた。
「オトコだったりして?」
そう言ってみた私を見つめて、歩美は数秒固まった。
「……何それ?つまんない冗談!」
私は、ふふふっと笑う。
歩美は変わらず『HONEY』の追っかけをしている。
桜助は、小さなケンカでナナセちゃんと別れたり、ヨリを戻したりを続けていたけれど、今じゃすっかりナナセちゃんの尻に敷かれているようだ。
『HONEY』は、今47都道府県ツアーの真っ最中。
歩美の話によると、一ノ瀬 仁は連続ドラマにも主演しているらしい。
我が家には、テレビがないから『HONEY』も、『一ノ瀬 仁』も、見る機会はない。
ただ、ときどき渋谷なんかに買い物に行くと大きな広告のポスターに一ノ瀬 仁がいたりする。
広い部屋の中にジンはいないけど、そういう形でジンと出会える。
「…でもさ。」
「んー?」
「いつか、また、ひょっこり帰ってくるんじゃない?愛犬クン。」
「…うん。」
待たないけれど、願ってる。
追いかけないけど、思ってる。
明日も、
明後日も、
何十年、
何百年。
こんな広い世の中で、
少なからず誰かが誰かを思ってる。
それもまた、一つの愛だと信じたい。
果てなく続く この空は、
かならずキミへと繋がっている―……。
・『×××』・
桜の季節に出会って、
桜が散る頃消えてしまった。
そして、また
桜の季節に――………。
「ヤバい!ウマすぎぃ!!」
フォークをくわえたまま、歩美が唸った。
私は、その様子を見て微笑む。
ここ最近の私は、スウィーツ作りにハマっている。
去年の夏の終わりにはジンジャーハニーゼリーを作ったし、他にも黒ごま豆乳プリンとか、カシスのタルトとか。
自己流にアレンジして作るのは楽しいし、
どういう訳か急激に甘いものが好きになった。
日曜日の今日は、我が家に歩美を招いて、ドライフルーツのパウンドケーキを作った。
歩美は喜んでくれて、一安心だ。
「広いし、日当たりいいし、最高だよね〜。」
食後、歩美は温かい午後の日差しが降り注ぐフローリングの上でゴロゴロしている。
「もう、すっかりゴミ屋敷じゃないし〜。」
「ゴミ屋敷は卒業したの。歩美、紅茶いれたよ。」
「あっ!ありがとー。」
檸檬の輪切りを浮かべた紅茶を見つめて、
「イイ匂い。」
と歩美は呟く。
「今日は?これから、どうする?」
「あ〜!ゴメン。」
紅茶を啜りつつ、歩美が口を開いた。
「私、今日さ、八重サマの舞台行くから。」
「またぁ?これで何回目よ?」
「6回目!」
私は溜め息を吐く。
沢崎八重は、現在初めての舞台で芝居に打ち込んでいるらしい。
ちなみに、歩美が観劇に行くのは、今日で6回目だ。
紅茶を飲み干すと、歩美は慌ただしく身支度を整えた。
まるで食い逃げだよ、と思ったが、もちろん口にはしなかった。
私は駅まで歩美を送ると、「バイバイ」と言って別れる。
忙しそうに駆け出していった歩美は、人込みに紛れてすぐに見えなくなった。
駅に背を向け、私は歩きだす。
「最近、翼って甘いもの好きだよねぇ〜。」
ケーキを口にしながら歩美が言っていた言葉を思い出す。
「生活に甘さが足りないからじゃない?」
……ごもっともですよ。歩美サン。
ジンがいた頃の生活が甘すぎたのかもしれない。
男っ気も、色気もない、干物生活。
おいしい食事をとることにのみ注ぐエネルギー。
考えて、思わず溜め息を吐き出す。
何だかなぁ。
私は、未だにジンがいない生活に慣れないよ。
少し、散歩をして帰ろうと思った。
日曜日だっていうのに、
花見シーズンだっていうのに、
公園内は酷く静かだった。
聞こえるのは、風の音。
どこか遠くで、子供たちの笑い声。
春風に舞う、花びら。
咲き誇る桜たちの下を、私はゆったりと歩いた。
小高くなった丘を上り、辿りつく。
いつか、ジンと見上げた桜だ。
あの時は、夜桜だったけど、白い花は青い空にもよく映えると思う。
私は空に向かって腕を伸ばして、深呼吸をした。
胸いっぱいに春の匂いを吸い込んで、全身で新しい季節を味わう。
何だか、とても幸せな気分だった。
その時、足音がして、
私はそちらに視線をやった。