あまい檻−キミ、飼育中。−








たとえば、捨てられている野良犬がいるとする。




そのまま通り過ぎてしまえばいい、
なのに目が合ってしまった。



その、たった一瞬。

目と目が合った瞬間に、何ていうか……運命的なものを感じたとしよう。



まるで、電流が身体を駆け抜けていくように。


それは、もう引力に引かれていると言ってもいい。





そして、それは少し恋と似ている気がする。










今にして思えば、二人の出会いも、きっとそう。




目と目が合った瞬間に、私はキミに落ちてしまったのかもしれない…………。




















・『春の夜』・















コンビニから外へ出ると、どしゃ降りの雨が降っていた。




さっきまで、空には星が煌めいていたのに、もう見えない。







カップラーメンとサラダ、好物の牛乳プリンが入った袋を持ったまま、私は立ち尽くしていた。


マンションまでは、歩いて5分。




……まったく、今日はマジでツイてない。






仕方なく、私は雨の中を走りだす。







コンビニからマンションまで続く桜並木の下。



雨は白い花を濡らす。


私を濡らす。




点々と地面に落ちた花びらを踏みつける。


制服は、もうすでにビショビショで、前髪は鬱陶しく額に張りついていた。




染めたばかりのピンクブラウンの髪、ふわふわのウェーブがかかったパーマ………これじゃ、台無しだ。








シャッターが下りたカフェの軒先に、堪らず私は飛び込む。




まったく、冗談じゃない!!




溜め息を吐き出し、空を見上げる。


止むことを知らないかのように、雨は降り続く。







………最悪。






私は、今日の放課後の出来事を思い出して、目を閉じた。










3ヶ月付き合った桜助と別れたのだ。


それも、浮気された上にフラれるという形で。






― 「ゴメンね、翼。」




桜助はそう言って私の前で手を合わせ、苦笑した。




その後ろ、教室の扉の横で、腕を組んで勝ち誇った笑みを浮かべるギャルは、1年のナナセちゃん。






金髪に近い茶髪、ノリが軽くてチャラい桜助が浮気している事くらい分かってた。


私だってバカじゃないんだから。




でも、よりによってナナセちゃんに手を出すなんて。



同じ中学出身の彼女を、私が可愛がっていた事を知っているのに。





ナナセちゃんも、ナナセちゃんだ。


どうして……。



私が桜助と付き合っている事、知ってたじゃない!!






― 「翼、怒ってる?」



桜助は、私の顔色を窺うように言った。





その無神経さに、もう呆れるしかない。



腹の底から込み上げてくる怒りを桜助にぶつけるべきなのか、それともナナセちゃんになのか……もうよく分からなかった。





結局、私は力なく微笑んで呟いただけだ。



「どうぞ、お幸せに。」、と。








……桜助が好きだった。



顔がイイだけの、バカみたいな男だったけど……私は桜助の明るさに、確かに救われていたのだ………。







「…また、一人ぼっち、か。」








そう、消え入りそうな声で呟いた時だ。




水溜まりを踏みつけながら、足音が近づいてきた。













足音はカフェの軒先の前で止まり、その中へ入る。





私は俯いていた。



私の隣で、見知らぬ誰かは息を切らしていた。





何気なく、その誰かの足元を視界の片隅に入れて、私は驚いた。




裸足だったのだ。





思考が停止してしまった私の頭上に声が降る。



「すごい雨ですね。」





私は顔を上げる。


そして、初めて“誰か”の横顔を見た。





男は、空を見上げていた。


黒い髪は濡れ、胸元が大きく開いたVネックのシャツも雨を受けて透けていた。




春だとはいえ、外に出るには薄着すぎる。

ましてや、裸足。



見上げた男は背が高く、足が長い。


小柄な私との身長差は、30センチはあるんじゃないだろうか……。






可笑しな男、なのに私は目を奪われていた。










それは、空を見上げて微笑む男の横顔で。



黒目がちな瞳、美形……というより綺麗とさえ思ってしまう顔立ち。


透けたシャツ、その向こうの素肌。


スタイルが良くて細いのに、筋肉質な………って!!




何考えてんの!?私!?


これじゃ、まるで変態みたいじゃん!!?






私の視線に気づいた男と目が合う。


男は、そのまま私に笑顔を向けた。



愛嬌いっぱいの笑顔、えくぼ。





私は目を逸らす。


胸の奥がぎゅっとなった気がした。






「さっきまで、星が見えていたのに。」


「えっ?」



男はまた空を見上げて、それから微笑む。




「忙しすぎて気づかなかった。東京でも星は見えるんですね。」


「そ、うですね。」





うまく言葉にならない、
私はどういう訳か酷く動揺していた。






これ以上、ここにいたらイケナイ。







「……じゃあ…私、お先に失礼します。」




それだけ言って私は軽く会釈をすると、再び雨の中へ飛び込んだ。













走りだそうとした、その時だった。




背後で、バタンッ、と音がしたのだ。



振り返る、

男が倒れていた。









………な……ん…。







「あの……!ちょ、だ、大丈夫……?」




嘘でしょう!?気絶?い、意識は!?意識あるよね!?





もう頭の中はパニックで……。





そうだ、救急車!、
そう気づくまでに時間がかかってしまった。




カバンの中を漁り、携帯電話を探していると男が何かを言った。


それは、雨音にかき消されて、うまく聞こえない。




焦る私は、男の口元に耳を近づける。