あまい檻−キミ、飼育中。−









「ジン、ついてる。」


「ん〜?」





私は、指先でジンの口元についたソースを拭ってやると、その指先を舐めた。



……うん、自分で作ったものだけど美味いわ。






なんて、思っていると、
そんな私を見つめていたジンは言った。




「ツバサちゃんってさ、分かっててやってる?」


「へ?」


「…無意識だとしたら、すげぇ心配。」


「何が?」



さっぱり分からない私の様子を見て、ジンは目を細めて微笑んだ。


「ツバサちゃんが時々見せる男心をそそる仕草について。」


「ッ!?なにそれ!?バッカじゃないの!?」





アホペット!エロペット!何言ってんだ!?


……そそるって……どんな仕草だよ!!?






私は椅子から立ち上がり、キッチンへ向かう。


…また顔が赤くなっている気がしたから。









その背中にジンは言った。




「……もう、知らない男を拾っちゃダメだよ。」


「え?」













「知ってる男もダメ。」


「拾わないよ。これ以上、ペット増やさないって。ジンだけで、いっぱいいっぱい。」


「心配だなぁ。
ツバサちゃんは、しっかりしてそうで隙だらけだし。」


「何言ってんの。もう、そんな事より、いつまでもダラダラ食べてないで。」






キッチンで洗い物を始めた私から、ジンの顔は見えなかった。


「……しっかり味わっておかないと、さ。」






だから、ジンがどんな顔をしていたのかも分からない。



この時、ジンの声が少し震えていたことにも、
気づけなかった私は最高にバカだった。


「また、いつでも作ってあげるよ。ハンバーグくらい。」






ハンバーグも、カレーライスも、いつでも作ってあげられる。



私は本当にバカだった。












「………好き、だよ。」


「ハンバーグ?本当にスキだよねぇ。」







いつでも、なんて保証はどこにもない。



私は鈍感で、大切なことには何一つ気づけない。
























ちゃんとジンの顔を見て話をしなかったこと、

照れ隠しから逃げ出してしまったこと、


私は今でも後悔しているよ―……。






















あの時こうしていれば、

なんて

何の役にも立たないと分かっていても…………。














・『牛乳プリン』・




















「じゃあ、行ってくるからね!」




そう言っても、ジンはぼんやりとしていた。


まだ半分夢の中みたいな顔をしている。









「つまんないなぁ。」


「え?」


「ツバサちゃんが学校に行っちゃうとツマンナイ。」


「……何言ってんの。」



イチイチ胸キュンなセリフを吐く愛犬。


リアクションに困っていると、
ジンは後ろから抱きついてきた。





「なんて、嘘。しっかり勉強しておいで。」


「……ペットのクセに。」





甘えたな顔をしてみたり、年上らしくなってみたり、ジンの表情はコロコロ変わる。






私を抱きしめる腕に力がこもった。


瞬間、私の心臓が飛び跳ねる。














「な、に?」


ジンの表情は、私からは見えない。






「俺さ、ツバサちゃんのペットですげぇ幸せ。」


「…………。」


「幸せだぁーー!」


「……ッバカじゃないの!もう、今日のジンは何か変!」


「…まだ、寝ぼけてるからね。」



ジンは、私を抱きしめていた腕の力を緩める。





「行ってらっしゃい。」



そう言うと、ジンは私に不意打ちのキスをした。


「ッ!」


驚く私に向けるのは、優しい笑顔。





「このエロペット!」




キス魔なのか!?

ただのペットの愛情表現か!?









ほとんど逃げるようにカバンを持って、玄関へ向かう。




私の背中に、もう一度ジンは言った。


「…行ってらっしゃい。」






私は振り返らなかった。


振り返らずに言った。





「……今日、甘口に半熟卵がのったカレーライス作ってあげるから。
ちゃんとイイ子にしててね。」







扉に手をかけて、部屋を出る。




パタリ、と私の背後で扉は閉まった。
























いつもの朝だった。







マンションのエントランスから外へ出ると、新鮮でスッキリとした朝の匂いがしていた。




ふと、立ち並ぶ桜の木を見上げれば、いつの間にか殆どの花が散っている。









桜が散れば梅雨が来る。


それから、夏。





今年の夏は、ジンと花火でもしたいな。










私は爽やかな空気を全身に感じながら、
新しい一日へと踏み出した。


















いつもの、朝だったんだ―……。
















放課後、近所のスーパーマーケットでカレーライスの材料を買った。







ジンの喜ぶ顔を想像すると、どうしてもニヤけてしまう。







空はすっかり夕闇。




今日は、教室で歩美と話していて遅くなってしまった。


歩美は、無期限で活動を休止していた好きなアイドルグループが復帰するかも、
という噂を耳にしたらしく、今日は一日中その話をしていた。





「コンサートがあったら、一緒に行こうねっ!」、とハシャいでいた歩美。



……あれで根っからのアイドルオタクじゃなかったら、果てしなくモテるのになぁ。



















「ただいまぁ。」





玄関の扉を開けて、
私は息が出来なくなった。



スーパーマーケットの袋は、私の手から落ちた。









目の前には暗闇が広がっている、
「おかえり」と言って駆けてくるジンの気配もない。




電気をつけて、部屋中を探す。










いない、いない、いない、イナイ………。







どこに行ったの…?




ジンの姿は、どこにもなかった。



走ったわけでもないのに、私の喉はカラカラに渇いている。












きっと。そう、きっと、また散歩にでも行ったんだ。


大丈夫。うん。
それで、迷子になっていたり…ね。



きっと、そう。






言い聞かせて、必死に落ちつこうとした。






そうだ、カレーライスを作らなくちゃ。


カレーライスを作って、出来上がって……それでも帰ってこなかったら、迷子になってるんだよね?


そうしたら、探しに行けばいい。










買ってきた食材を冷蔵庫に入れようと、私はその扉を開けた。





そして、また、心臓が飛び跳ねた。